『のび太の雛見沢事件簿』(7)サイアクの目

 

 

 

 ドラえもんが姿を消してから3日目――。

 この日ものび太は雛見沢村を歩き回っている。

 進展はまったくなかった。昨日と変わらず、なんの情報もないまま時間だけが過ぎ去った。

 

 

 

 太陽が中天ににさしかかった頃、のび太は学校の近くにさしかかる。たった一人で過ごしていたのび太は、人の多い学校に顔をだすことにした。

 弁当を食べ終えた子供達が、校庭でドッジボールをしていた。賑やかな様子が疲れた心に元気を分け与えてくれるように思えた。

 のび太は近くを走り抜けた同年代の子供に声をかけた。

「ねえ、今日は沙都子ちゃんと梨花ちゃんは学校に来てる?」

「来てないよ。今日も休んでいるんだ」

「じゃあ、魅音さんか、レナさんを呼んで」

「委員長もレナさんも休みだよ」

「ええっ!?」

 さすがにのび太が驚いた。

「四人とも風邪なの?」

「先生はそう言っていたよ。いつも四人一緒だから風邪がうつったんじゃないかな」

「そう……」

 この村で会った友人が全員病欠だと知って、のび太はがっくりと肩を落とす。まるで自分にまで風邪がうつった気分になり、とぼとぼとその場を立ち去った。

 

 

 

 のび太は古手神社──正確には沙都子と梨花の家へと向かった。

 園崎家には家族だけでなく、お手伝いさんがいるようなので心配はないはずだ。レナにも家族はいるようだ。

 だが、沙都子と梨花はそうではい。家族を失った少女が、たったふたりで暮らしているのだ。昨日も会えなかったのだから、体調だけでも確認しておくべきだろう。

 そして、のび太はその場面に遭遇することとなった。

「……え?」

 倉庫のような古ぼけた2階建ての小屋。その回りを10人ほどの老人が取り囲んでいるのだ。

「梨花ちゃま! この中におるんじゃろ? 返事してくれんか!」

「顔だけでも見せてくれんか? 梨花ちゃま!」

 必死な形相で老人達が玄関の扉を叩いている。いや、扉だけではない、外側から壁やシャッターを叩いている。

「鍵はまだか? なにをしとるんじゃ!」

「梯子があったぞ。窓から入るんね」

 梯子を立てかけると、するすると梯子を登った老人が窓ガラスにとりつく。

「梨花ちゃま! おらんのか?」

 鍵がかかっているらしい窓を、がたがたと揺らしている。

「この際じゃ、ガラスを割ってしまえ」

「それがいい! わしが弁償するわい」

「よし!」

 中を窺っていた老人は振り上げた手をガラスに打ち付けた。

 がしゃんと音を立てて、ガラスが内側に割れていた。あの勢いだと、叩いた右手も怪我をしているだろうに、その老人はまったく意に介そうとしない。

 内側の鍵を開けて、カーテンを開く。

「おらんぞ! 梨花ちゃんも沙都子ちゃんもおらん!」

「「「なんじゃとっ!」」」

 集まっていた老人達が騒然となる。

「よく探せ。どっかに隠れとらんか?」

「なにか、書き置きとか残っとらんのか?」

「わからん。暗くて中がよく見えん」

 梯子の老人が答える。

「村長を連れてきたぞ!」

「遅れてすまんの。今開ける!」

 村長と呼ばれた老人が所有していた鍵で扉を開ける。村長はこの小屋の管理をしているのだろう。

 その村長を先頭に、老人が小屋の中へと雪崩れ込んでいた。

 それは狂騒とでもいうべき有様だった。彼らの動機も目的も知らないのび太にとって、不気味さしか感じられなかった。

 玄関を入るとすぐに階段がある。廊下も狭いため、前がつかえてしまい我先に飛び込む老人が玄関でひしめいている。

 梨花の名を呼びかける老人の声が複数飛び交っている。

 だが、それに応える声は聞こえなかった。

「探すんじゃ。この家におらんでも、きっと近くにいるはずじゃ。絶対に見つけ出すんじゃ」

「「「おおっ!」」」

 村長の言葉に、老人達が答える。

 蜘蛛の子を散らすように、老人たちが方々に向かった。

 そのうちのひとりがのび太を見かけて駆け寄ってくる。

「坊主、お前は梨花ちゃまを知らんか? 一昨日一緒におったじゃろう」

 その言葉を聞いて、他にも二人がこちらへ詰め寄ってくる。

「本当か!?」

「教えてくれんね!」

 3人の老人がのび太を取り囲んでいた。せっぱ詰まった形相がのび太を脅えさせる。

「し、知らないよ! 祭りの日に会っただけで、一昨日から会ってないってば。昨日も今日も風邪で学校を休んでたみたいだし」

 のび太がぶんぶんと首を振る。

「風邪じゃって? 誰から聞いた?」

「学校の子供がそんなこと言ってたから……」

「知恵留先生が詳しく知っとるかもしれんぞ」

「おう。そうじゃ」

「学校に行くんね」

 意思統一をはかると、3人の老人は学校へ向かった。

 のび太ひとりがその場にぽつんと取り残されていた。

 目の前には、梨花ちゃんと沙都子ちゃんが生活していた小屋が建っている。

 いまや、主もおらず、ガラスは割れ、室内は踏み荒らされた。それは惨憺たる有様だった……。

 

 

 

 先ほどの光景の衝撃が強すぎたためか、のび太は半ば呆然としながら足を進めていた。

 どこへ行くでもなく、逃げ出すようにして小屋を離れていた。

 突然、クラクションの悲鳴が襲った。

 はっとしたのび太が、それをかわせたのはたんに運がよかったのだろう。

 のび太をはじき飛ばすような勢いで、狭い道を走り抜けたのは白いバンだった。

 何を焦っているのか、まるであの老人達のような勢いだった。

「大丈夫か、坊主?」

 道ばたで話をしていたうちの一人が、のび太のそばに駆け寄ってきた。

「う、うん」

 さいわい、怪我もしてないようだ。

「興宮の奴だな。乱暴な運転をしやがって」

 他の村人も、危険運転に腹を立てる。

「ふん。だから余所者は……」

 特に不機嫌そうな男が舌打ちした。

 同じく余所者であるのび太が、その言葉に震え出す。

 最初にのび太に声をかけた青年が、のび太の様子を見てなだめる。

「坊主のことじゃないんだ。梨花ちゃんの話……聞いてないか?」

「なんのこと?」

「梨花ちゃんが殺されたんだよ」

「ええっ!?」

 驚きの情報を耳にして、のび太が目をむいた。

「ど、どうして!? 誰に殺されたの!?」

「犯人の話は聞いてないな。まだ捕まっていないんだろう」

「余所者に違いねえ!」

 吐き捨てたのは先ほどの男だ。

「遺体は古手神社で見つかったらしい」

「神社で!?」

 のび太の背筋に冷たいものが走った。つい先ほどまで神社のそばにいたのだ。記憶に新しい老人達の狂態がまざまざと思い出される。

 青年の言葉はさらに続いた。

「酷い殺され方をしたそうだよ。こう……」

 人差し指をみぞおちの当たりから臍下までまっすぐに下ろした。

「な、なに?」

「お腹を裂かれて、内蔵を引きずり出されていたらしいんだ」

「――っ!?」

 まるで、頭の中で爆弾でも炸裂したような衝撃だった。

 脳裏にその光景を思い描いてしまい、のび太が真っ青になる。頭の中だけでなく、お腹の中までひっくり返ったようだ。

 のび太は吐き気をもよおして、その場でえづく。

 昼食を食べ忘れていたため、胃の中からは何も出てこない。吐きだしたのは胃液だけである。胃酸が喉や口内をひりひりと灼いた。

 涙をこぼしていることすら、本人は気づいていない。

(もう、いやだ! こんなところになんていたくない!)

 のび太は脱兎のごとく駆けだしていた。

 どうして、こんなところへ来てしまったんだ!

 こんな怖い村になんて来るべきじゃなかったんだ!

「助けてよ! ドラえもーん!」

 のび太が口にしたのは、一番信頼している親友の名だった。

 

 

 

 両側を林に挟まれた道を、のび太は一心不乱に駆け続けている。キャンピングカプセルまで戻れば、ドラえもんが待っているかもしれない。そんな都合のいい想像だけを頼りにして。

 追いつめられていたのび太は周囲の騒ぎに気づいていなかった。

 ドン! ドン!

 何かの爆発音が耳に届く。

「……?」

 ようやく、のび太の足が止まる。

 周囲の林の中で樹木や土が舞い上がる。まるで地雷でも爆発したかのようだった。

「なんだ? なんだ?」

 あたりをうかがうものの、何が起きているのかまったく把握できない。

 どうすべきか判断がつかずにいると、プルプルプルという聞き慣れた小さな駆動音が空から降ってくる。

「え?」

 振り仰いだのび太の視界に、小さな影が飛び込んだ。

「ドラえ……もん?」

 それは確かに見慣れた親友であった。

 空気砲を装備しているドラえもんは、林の中へと空気弾を打ち込んでいる。

「ドラえもん!」

 ドラえもんがいる。その姿が確認できただけでのび太は全てが解決できたように思えた。ドラえもんが傍にいればどんな事態だって切り抜けられる。どうにかできるはずなのだ。

 ドラえもんはなぜかのび太から離れた場所へ降り立った。

「ここはボクに任せて! 君は早く逃げるんだ!」

「何を言ってるのさ! 今までどこへ行ってたんだよ!?」

 ドラえもんの声を無視してのび太はドラえもんに駆け寄ろうとする。

「逃げろって言ってるだろ! 君がみんな……」

 ドラえもんの言葉が止まる。

 いや、言葉だけではない。

 ドラえもんは不自然な格好のまま固まっていた。彫像のようにぴくりともうごかなくなり、ばったりと倒れ込んでしまう。

 その様子は、全ての思考が停止したのび太の頭に、スローモーションで見たかのように鮮明な記憶を刻みつけた。

 のび太が我に返ったのは、ドラえもんに近づいた男の姿を見たからだ。

 作業服の男がドラえもんの身体を軽く蹴った。

 ドラえもんはなんの反応をしめさない。

「え?」

 のび太がぽつりと漏らした。

 何かがおかしい。ドラえもんの姿にのび太は違和感を感じていた。だが、その理由に気づく余裕は残されていない。

 ドラえもんを調べてる男だけでなく、周囲の茂みからガサガサと音が近づいてくるのだ。

 ドラえもんを襲った相手は一人ではないようだった。

 こちらを向いた男の顔を確認するより先に、のび太は一目散に逃げ出していた。

 

 

 

 基本的に足が遅いはずののび太だったが、逃げる時だけは例外だった。火事場の馬鹿力なのか、逃げ足の早さだけは彼の友人達も認めている。

 キャンピングカプセルまで逃げ込んだものの、その周囲は完全に囲まれているようだった。

「どうなってるんだ? ボクも狙っているのかな?」

 ドラえもんは自力で逃げ出してきたのだろうか? これこそが、オヤシロさまの祟りといわれているものの正体なのだろうか? 疑問が次々と浮かんでくる。

 どこかへ消えてしまい、現れたと思ったらすぐに動かなくなったドラえもん。

「……あっ!? 思い出した! あのときのドラえもんは――」

 ドラえもんを見たときに感じた違和感。のび太はその正体にようやく気付いた。

 ドラえもんは、タケコプターと空気砲を装備して、胸には何かのバッジをつけていた。だが、一番の違いは――。

「――ポケットがなかった!」

 そうなのだ。本来ならばお腹についているはずの半月型のポケット──四次元ポケットが存在しなかった! まさか、ドラえもんを襲った連中の目的は四次元ポケットなのか? それをすでに奪われた?

 それは、とんでもない事態だった。

 未来の科学技術により作られたひみつ道具。それらを悪用すればそれこそどんな欲望もかなえられるだろう。あの道具がどれほどの力を持つのか、さんざん使い込んだのび太だからこそ、その素晴らしさも、恐ろしさも理解している。ひみつ道具を自在に使いこなせれば、神にも悪魔にもなれる。それは誇張ではない。

 どうする? どうすればいい? ドラえもんを元に戻して、四次元ポケットを取り返すためには!

 ここの中だって安全とは言えない。

 今すぐにでも行動をおこすべきだった。

 狭い室内をうろうろと歩き回る。

 のび太は気がついた。

 ここに一つだけドラえもんのひみつ道具が残されている。

 だが、どこでもドアでは、ここから脱出することしかできない。そのあとはどうする?

 …………。

 のび太は、決心してどこでもドアのノブを握った。

「ボクは逃げるんじゃないぞ! 君を助けるために、これを使うんだ。待ってろよ、ドラえもん!」

 ガチャッ!

 開いたドアの向こう側には、見慣れた景色がある。そこは、のび太がドラえもんと初めて出会い、一番多くの時間を過ごした場所。

 のび太はドアの向こうへと足を踏み出していた。

 ドラえもんと暮らす大切な未来をつかむために――。

 

 

  つづく