『のび太の雛見沢事件簿』(6)ひとりぼっち
翌日になって、のび太は再び梨花と沙都子の家を訪れた。
太陽の下で見るとこの家は非常に簡素なものだった。人の生活するための家などではなく、せいぜいが物置小屋にしか思えなかった。
玄関でなんど呼んでも誰も出てなかった。
鍵がかかっていて、たてつけの悪い扉をがたがたと動かしても開かなかった。
「どうしたんだろ?」
その疑問に答えてくれる相手はいない。
平日のため学校はあるかかもしれないが、沙都子自身が申し出た約束を、何のメモも残さず破るようには思えなかった。
とにかく、いない人間を待っていても仕方がない。何か他の急用でもあったのだろう。
のび太は諦めて、一人でドラえもんを探すことにした。
農作業の合間らしい男を見かけて、のび太は何度目かの質問をする。
「ドラえもんを見ませんでした?」
のび太の言葉に、一瞬考えた相手が答える。
「一緒に歩いていた、あの青いヤツかい?」
「そうです! 昨日から鬼隠しにあってるんです」
その言葉を聞くと、男の顔色が変わる。
「……何が鬼隠しだ! つまらん冗談はやめんとぶん殴るぞ!」
「だって、ドラえもんが……」
「まだ、言うかっ!」
男が拳を振り上げると、慌ててのび太が逃げ去っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……。なんだよ。ドラえもんのことを聞いただけじゃないか」
どうしてそんなに怒るのか、のび太には全く理解できない。
だからと言って、簡単に諦めるわけにはいかないのだ。
のび太は見かけた村人に次々と問いかけてみるが、有効な情報も色よい返事ももらえなかった。
ある者は怒り、ある者は笑って。
すでに村人からの情報は諦めてかけていた。
それでも、のび太は問いかけ続ける。
「ドラえもんを見ませんでした?」
「ドラえもん?」
当惑顔の相手に、外見的特徴を説明してみる。
「ああ、あの青狸か。昨日、誰かと一緒に本家へ向かって歩いとるのを見たなぁ。遠目で見ただけじゃが……」
それはようやく入手した手がかりであった。のび太は自然と勢い込む。
「だ、誰とですか?」
「そこまではわからん。よう見えんかったしの」
「本家って?」
「園崎本家のことじゃ。あの道を真っ直ぐ歩いていくと、その先にあるのは本家だけなんじゃ」
「ありがとう!」
礼を言い残すのももどかしく、のび太が教えられた道を駆けていった。
道はカーブを描いているが、分岐がないためそのまま先へと進む。
壁が延々と延びていた。園崎家というのはよほど広い土地を持っているらしい。のび太は知らなかったが、塀に囲まれた土地だけでなく、歩いて来た道やその周囲すべてが園崎家の所有地である。つまり、すでに私有地へ踏み込んでいたのだ。
門柱に設置されているインターホンを鳴らして、家の人間を呼ぶ。
『どなた様でしょうか?』
女性の声が応対する。
「ドラえもんはいませんか?」
『こちらにはおりませんが……。どうかなさったんですか?』
「ドラえもんが昨日ここに来たんでしょ? 今どこにいるの?」
『私は存じません。どこにいるかは貴方の方が知っているでしょう?』
「知らないよ! ドラえもんは昨日からどこにもいないんだから!」
『いい加減にしてください。こちらにはいらっしゃらないと申しました』
「ドラえもん! いるんだろ! 返事をしてよ!」
気が急いているのび太は悠長に話を続けることができず、インターホンに向かって叫んでいた。
『ですから……』
そこで通話相手が変わったらしい。スピーカーから聞こえる声が、がらっと変わる。
『やがましい! 子供は外で遊んでればええんね!』
突然、凄味のある声が怒鳴りつけてきた。
『さっさと去ね!』
その怒声にのび太は一心に逃げ帰っていた。
広場を数人の子供が駆け回っている。
その向こうには年月を経た建物があった。多くの窓の内側に見えるのも子供達ばかりだった。
村人に教えてもらって、ようやくのび太は学校までたどり着いた。
ちょうど昼休みの時間らしく、ほとんどの生徒はまだ食事中だ。
見知った人間を見かけて、のび太は窓際まで近寄ることにした。
「どうしたの? こんなところに来てさ」
弁当を食べていた彼女の方から声をかけてきた。
「魅音さん。ドラえもんは魅音さんの家にいるの?」
「ドラえもんがどうかした?」
「昨日の晩から帰ってこないんだ」
のび太の言葉に、魅音は怪訝そうな表情を浮かべた。
「のび太くん、ひょっとして……」
レナの言葉をふさぐ形で魅音が答えた。
「……私は知らないよ。どうして私に訊いたの?」
「ドラえもんが園崎本家へ向かって歩いていたって聞いたんだ」
「うちに来たことはないね。誰に聞いたか知らないけど、勘違いじゃない?」
「そうなの?」
しばらく魅音の顔を眺めていたが、魅音が言うのならば確かなのだろう。現に家を訪ねたときも追い返されたのだから。
「……沙都子ちゃんはいる?」
「沙都子は休んでる。梨花ちゃんも一緒だよ」
「どうして? どこに行ったの?」
「家にいるはずだよ。風邪で休むって、学校に連絡があったから」
「でも、昨日は沙都子ちゃん元気だったよ。梨花ちゃんも醤油をもらいに行ったんでしょ?」
「醤油……って?」
「回覧板で連絡していたんじゃないの?」
「あ、ああ、あれね。そうそう、梨花ちゃんは昨日から調子悪そうだったよ。祭りの疲れが出たんじゃない?」
「でも、今朝二人の家に行ったけど誰もいなかったんだ」
「ふたりそろって寝込んでたんだよ」
「でも、ひょっとして鬼隠しとか……」
「そんなわけないって。それより、軽々しく鬼隠しなんて口にしない方がいいよ。村の大人に怒鳴られるからね」
レナが怪訝そうに、のび太と魅音の表情を窺っている。
「だって、ドラえもんがいなくなったんだよ。これって鬼隠しでしょ!?」
「いなくなった理由はわからないけど、そのうちひょっこり帰ってくるって。元気だしなよ」
「だけど……」
「心配することないって」
魅音は元気づけるようにのび太の肩を叩くが、その効果はなかったようだ。
のび太はしょんぼりと背中を向ける。
「……のび太」
「え?」
振り向くのび太に魅音は告げる言葉を迷ったようだ。
「ひょっとして……、ふたりのお見舞いに行く気なの?」
「うん」
「あのさ、……えっと、寝込んでいるかもしれないから、無理に起こさないようにね」
「わかった」
魅音の言葉に、不思議そうな表情でのび太が頷いた。
午後になって村中を巡ったが、村人の対応は同じだ。のび太に同情的な人間は一人もいない。
疲れ切った身体を押して、のび太は再びその小屋を訪れる。
よそ者である自分よりも、沙都子ちゃんや梨花ちゃんの方が情報を得られるかもしれない。
もちろん、打算的な配慮だけでなく、ふたりの体調も心配だったからだ。
ドアを何度も叩く。
「沙都子ちゃん! 梨花ちゃん! 聞こえるー? 寝てるのー?」
せめてふたりの顔だけでも見られれば、いくらか気が楽になっていたはずだった。
だが、中からは物音すら聞こえてこない。
そこまで体調が悪いのだろうか?
どれだけ気になろうと、無理に押し入るわけにもいかない。
仕方なく踵を返したのび太の眼に、白いバンの姿が映った。こんなさびれた場所に、ぽつんと一台だけが駐車しているのだ。
「こんな所で何をしてるんだろ?」
その小さな疑問は、すぐにのび太の意識から消え去ってしまった。
夜闇の中に、キャンピングカプセルの灯りが浮かび上がっている。その中にいるのはたったの一人だけだ。
買ってきた菓子パンを、のび太は寂しくもそもそと食べている。
昨日の朝までは、確かにドラえもんがこの部屋にいたのだ。
「……っく……うぅ」
自然に涙がこぼれてきた。
この村へ来たときには、こんな事になるなど想像もしていなかった。
殺風景な室内に残されたドラえもんの痕跡は、どこでもドア一つだけだ。
のび太はどこでもドアを見上げて話しかける。
「いっ、言っただろ、ドラえもん。ボクは、ひっく、ひとりで逃げ出したりなんかしないぞ。絶対に見つけだす。……帰るときは一緒だからね」
それは彼がドラえもんとした最後の約束だった。
ぽろぽろと涙をこぼしていたのび太は、泣き疲れたのかそのまま眠りに落ちていた。