『のび太の雛見沢事件簿』(5)鬼隠し
綿流し祭りの翌朝。
片目だけ薄く開くと、すでに登っているらしい太陽の光がまぶしかった。しょぼしょぼする目をこすりながらのび太が目を覚ます。
「ふあー。あれ?」
のび太は窓際のベッドで床を見下ろす。床に敷かれていた布団はすでにかたづけられてられており、ドラえもんの姿はそこになかった。
「ドラえもん、もう起きてるの?」
ベッドに座って見回すが、狭い室内にドラえもんの姿が見あたらない。
そういえば、目覚める前にうとうとしながら何かの話し声を耳にした気がする。
「どこにいるのさ?」
トイレにもいない。小さな浴槽内にもいるはずがない。
「ちょっと、ドラえもん? ボクを驚かすつもり?」
狭い室内をぐるぐる歩き回ってもなんの解決にもならなかった。
慌てて外に出ると、周囲に向かって呼びかけた。
「ドラえもーん! どこにいるのー?」
うろたえたのび太が、声を張り上げてドラえもんを探し始める。この村でなければ、こうまで不安になることもなかっただろう。
それが数分ほど続いただろうか。
プルルルル。
小さなプロペラ音が近づいてくる。
「どうかしたの?」
タケコプターで下りてきたドラえもんが、平然と問いかけてきた。
「ドラえもん! 心配してたんだぞ」
「ちょっと買い物に行ってきただけじゃない。大げさだね」
「だったら、一言ぐらい言ってくれれば……」
「言ったよ。寝ぼけてて忘れたんじゃない?」
言われてみれば、そうだったかもしれない。
「この程度で騒ぐようだと、怖がりが治る見込みはないね」
「……それで、買い物ってなにさ?」
「新聞だよ。事件が起きているなら新聞に載ってるはずだからね」
カプセル内に戻るとドラえもんが新聞紙を床に広げてみせる。
のび太もおそるおそる覗き込んだ。事件の情報など知りたくもないが、本当に起きているならば知らずにいるのも怖かった。
紙面を飾るさまざまな事件。しかし、その中に雛見沢や興宮という文字は見つからなかった。つまり、“オヤシロさまの祟り”に関連するような事件は見あたらなかった。
「失踪だったら二日ぐらい待たないと事件扱いされないけど、殺人事件がなかったのは確かみたいだ」
ドラえもんの言葉にのび太がうなずいた。
「じゃあ、富竹さんも鷹野さんも無事なんだよね」
「そういうこと。祭具殿を覗いた一件については、ボク達も安心だってわけ」
「なんだ。結局、何も起きなかったじゃない」
「そりゃ、そうさ。怖いって感情は自分の心の問題だもの。事実は変わらないのに、怖いと思って見れば、なんでも怖く感じる。本当に怖いことなんて滅多にないよ」
「だったら、この村に来た意味がないじゃない」
「起きたら起きたで逃げ出すくせに」
「むっ。それならもう少しここにいようよ。事件が起きるまで」
「もう起きないと思うけどね。まあ、せっかく来たんだから、一週間ぐらい遊んで帰るのもいいんじゃないかな?」
午前中は川縁で遊び、昼食を済ませた後は山へ向かうこととなった。
このときの彼らは、この山にどれほどの危険が潜んでいるのか、全く知らなかったのである。
虫を捕る子供の数が少ないため──というよりも、当たり前すぎて娯楽にならないのだろう──大きな虫が数多く見つかった。この調子では虫かごに入りきらないぐらいだ。
木にとまっている蝉を見かけて、駆け寄ろうとしたとき、不意にのび太の足下が宙を踏んだ。
「えっ!?」
その瞬間をドラえもんは見ていない。見ていたとしても、突然のび太が消えたように見えただろう。
草地だと思った地面が突然消失し、のび太の身体は垂直に落下していた。
ばふん!
想像したような落下の衝撃はなかった。下には大量の草が敷き詰められていたため、かろうじて怪我は一つもしていない。
落ちる瞬間まで、のび太は穴の存在に気づかなかった。どうも意図的に隠されていたらしい。
縦穴は石で組み上げられており、まるで井戸のようだ。とても自力で上れそうもなかった。
「ドラえもーん! 助けてー!」
大声を張り上げるが、狭い空間のため反響がうるさかった。
「のび太ー! どこに行るんだい?」
意外に近くにいるらしく、声が聞こえてきた。
上を見上げると、外の光で丸い穴が開いており、その上に木の葉が見えているだけだ。
「ここだよー! 落とし穴に落ちたんだ!」
ひょっこりとドラえもんの顔が現れた。
「ああ、ここか。今助けてあげるよ」
ドラえもんの顔が見えなくなった後、大きな音が響いた。
ぐわぁん!
続いて、どさっと何かの倒れる音が聞こえてきた。
「ドラえもん? どうしたの? 何かあった?」
慌てて呼びかけるが、今度は反応がない。
「ドラえもんてばー! 早く出してよー!」
どうも、ドラえもんまでが何らかの罠にひっかかったようだった。
それから何十分経過したのだろうか。
「ドラえもーん!」
これまた何十回と繰り返した呼びかけである。
ネズミでも見かけて気絶しているのだろうか?
「誰かいらっしゃいますの?」
女の子の声が降ってきた。
「ここだよー。落とし穴に落ちたんだ」
「のび太さんですの?」
小さく狭められた視界を覗き込んでいるのは沙都子だった。
「ちょっと待ってくださいませ。助けてさしあげますわ」
その場をいったん離れた沙都子は、どこかから持ってきたらしい長めのロープを上から垂らしてきた。
悪戦苦闘しながらのび太が地上へ這い上がる。よほど苦労したのか、のび太はその場にへたり込んでいた。
「な、なんなのここ?」
「ここは私の遊び場ですわ。いろんなトラップをしかけているんですの。のび太さんが落ちたのは、涸れ井戸を利用した落とし穴ですわ」
えへんと胸を張ってみせる。
罠にはまった側としては安易に喜べそうもない。
「ドラえもんはどこ?」
「ドラえもんさんですか? 見てませんわ」
「さっき、近くにいたんだけどな」
きょろきょろと見渡す。
「どうやら、この罠にひっかかったようですわ」
そこには大きめのドラム缶が転がっている。
「こんなものなかったのに……」
「当然ですわ。これは木の上に吊り上げておりますの。落とし穴にはまった人を助けようとすると、連動して落ちてくるのですわ」
とくとくと語っているが、つまりは完全なる沙都子の犯行だというわけだ。
「危険だよ、こんな罠」
「普段なら、この山に踏み込む人はおりませんのよ。ひっかかる人間は私の友人だけですわ」
沙都子が笑顔で答える。
この場所に仕掛けてあるトラップは沙都子ひとりの趣味だった。沙都子にとってトラップもまた、コミュニケーションの一つなのだが、引っかかってくれる人間はごくわずかな友人のみだ。
ほとんど死蔵されるだけのトラップコレクションに、予想外の乱入者がひっかかったのは、沙都子にとっては楽しいことらしい。
「ドラえもんはどこに行ったんだろう?」
「変ですわね。ドラム缶に引っかかったなら、その辺に倒れていないとおかしいですわ」
沙都子が首をひねる。
「のび太さんを助けるためにロープを探しにいったのかもしれませんわ」
「ドラえもんならポケットになんでも入っているはずなんだ。ボクを放ってどこかに行くとは思えないんだけど……」
しかし、倒れたと思われる場所の周囲に、ドラえもんの姿は見あたらない。
「どちらにせよ、近くにいるのではございませんこと?」
「ドラえもーん、もう穴から出たよー! 聞こえるー?」
学校を終えた沙都子は、用事があると言っていた梨花と別れて、一人でここまでやってきた。その途中でドラえもんを見かけてはいない。
経緯を考えて自分にも責任があると考えたのだろう。沙都子も一緒に探すことにした。
「ドラえもんさーん! どこに隠れていらっしゃいますのー?」
二人が大声で呼びかけるが、帰ってくるのは虫の声だけだった。
ふたりは思い出したようにドラえもんに呼びかけつつ、とぼとぼと山を下りていた。
「のび太さんにとって、ドラえもんさんは大切な方ですの?」
「うん。ボクが困っていると、いつもドラえもんが助けてくれたんだ。だから、ドラえもんが困っているなら、ボクが助けなきゃ」
のび太の言葉は、決意を表すと言った大げさなものではなく、淡々とした口調にすぎなかった。
日常において、のび太は一方的にドラえもんに助けられてきた。だからこそ、逆の立場になったときドラえもんを助けるのは自分の役目だと、彼は当たり前のように認識していた。
「……その気持ちは私にもよくわかりますわ。私もそう思ってますもの」
大切な相手が姿を消した。そんな状況が沙都子の思い出を刺激してしまったようだ。
「沙都子ちゃんも?」
「ええ。私にはにーにーがおりますの。弱かった私はずっとにーにーの影に隠れて、逃げてばかりいましたわ」
「にーにーって、お兄さんのこと?」
その確認に、沙都子が頬を赤くする。
「そうですわ。去年の今頃、私のにーにーが突然家出をしてしまいましたの。だけど、いつかにーにーは帰ってくるって今でも信じているんですの。だから、帰ってきたにーにーに誉めてもらえるように、私は強くなろうと決めたのですわ」
「だったら、絶対にドラえもんを見つけなきゃ! ドラえもんはいろんな道具を持っているから、きっと沙都子ちゃんのお兄さんを見つけてくれるはずだよ!」
「……ええ。そうなったら嬉しいですわ」
のび太の言葉に、沙都子は寂しそうに頷いた。のび太の言葉を気休めとしか受け止めていないようだ。一方、のび太が口にした言葉はあくまでも本心である。沙都子の兄を見つけ出すことなんて、簡単にかなえられるはずだ。
そう。ドラえもんさえいれば――。
すでに日が沈んでいた。
村人からもドラえもんに関する情報を入手できず、のび太達は沙都子と梨花が暮らしている小屋に帰ってきていた。
「今日は梨花が食事当番ですの。一度食べてみてくださいませ」
気落ちしているのび太を元気づけようとしたのか、そう言って沙都子が家に招いたのだ。
しかし──。
「変ですわね。この時間になっても梨花が戻ってこないなんて。梨花の用事ってなんだったのかしら?」
どうやら、一度家に戻ってから出かけたらしい。その証拠に、梨花の鞄は家に残されていた。
首をひねった沙都子は何かに思い至ったようだ。
棚を開けてその中を確認する。
「まだ、残っているようですけど、醤油をわけてもらいにいったのかもしれませんわ」
「醤油?」
「ええ。魅音さんの家から来た回覧板に、親戚から醤油が送られてきたって書かれてましたから、もらいに行ったのかもしれませんわ。梨花ったら醤油が減ってくるとうるさいんですのよ」
しかし、荷物になることは分かり切っているのだから、その前後で寄り道するとは考えづらい。
「仕方ないですわね。今日は私が腕を奮いますわ」
沙都子は梨花に替わって料理を振る舞おうとする。メニューはもちろん、自慢の野菜炒めである。
腰を上げたタイミングを見計らったように電話が鳴った。
「はい、古手ですわ。…………も、もう梨花ったらぁ。…………どうしてわかったんですの? …………では、これからすぐに参りますわね」
ちん。
沙都子は台所へ向かおうとはせず、言いづらそうにのび太に向き直った。
「のび太さん。その……申し訳ないんですけど、梨花を迎えに行かなきゃいけなくなりましたの。ご馳走したかったのですけれど……」
沙都子がらしくないほど肩を落としており、いっそ気の毒に感じるほどだった。食事に誘ってもらえたのはあくまでも沙都子の好意なので、のび太は自分から強要するつもりはさらさらなかった。
「気にしなくていいよ。ドラえもんだってもう帰ってきてるかもしれないし、早めにカプセルまで戻りたいから」
「あの、お詫びに明日の夕飯ではいかがですか?」
「わかった。じゃあ、明日にはドラえもんと一緒に食べに来るね」
途中まで同じ道順をたどるため、二人は同道することとなった。
別れ際になって、それまで逡巡していた沙都子がようやく口を開いた。
「……言おうか言うまいか迷っていたんですけれど、一応教えてさしあげますわ」
「なんのこと?」
「オヤシロさまの祟りについて、のび太さんはご存じですの?」
「ダム戦争から3年続けて起きたんだよね?」
「いいえ。4年目──つまり去年も起きましたわ。一人が死んで、一人が姿を消したんですの。秘匿指定とかで新聞には載っていないらしいですわ」
「またまた、嘘ばっかり」
「去年死んだのは、私の叔母ですわ。村はずれで麻薬中毒患者に頭を殴られて死んでいました。そして……、その数日後ににーにーがいなくなったんですの」
「沙都子ちゃんの……お兄さんが?」
こくりと沙都子が頷いた。
沙都子の顔は冗談を言っているようには思えない。見ているのび太までが辛くなるほどに、悲痛な表情を浮かべている。
「ですから、村のみんなが熱心に応じてくれないのは、鬼隠しにあったと思ってるからかもしれませんわ」
「鬼隠し?」
「人が行方不明になることを神隠しと言いますでしょ? この村ではそれを、鬼隠しと言うんですの」
「じゃあ、ドラえもんがその鬼隠しで消えたってこと?」
「そう思われているかもしれないと言っているのですわ。ですけど、ドラえもんさんはこの村とは関係がないのですから、そんなはずありませんわ。そもそも、オヤシロさまに祟られる理由がございませんもの」
その言葉にのび太が愕然となった。
つまり、祟られる理由があるなら、鬼隠しにあってもおかしくない? 祭具殿の中に忍び込み、中を覗いてしまったりしたから? 自分が祭具殿などに興味を持ち、ドラえもんを誘ったから?
頭を振って、その不安を打ち消そうとする。
そんなはずはない! そうだよ! 鷹野さんも、富竹さんも、事件に巻き込まれていないんだから! そんな事件は新聞に載っていなかったじゃないか!
真っ青になっているのび太を心配したのだろう。沙都子は別れ際に、こう申し出てくれた。
「もしも……、もしも、ドラえもんさんが帰ってこられないようでしたら、明日もお付き合いいたします。登校前に家へ寄っていただければ、学校をサボって一緒にドラえもんさんをお探ししますわ」
その夜、ドラえもんが帰ってくることはなかった――。