『のび太の雛見沢事件簿』(2)雛見沢案内
隣町である興宮の図書館へのび太とドラえもんが訪れていた。役所も兼ねているらしく、意外に大きな建物だった。
彼らの目的は古い新聞や雑誌である。雛見沢村で起きたという怪死事件の調査が目的だった。
ようやく見つけたのは、古い写真週刊誌である。
4年前のダム建設現場でおきたバラバラ殺人事件。数人の作業員がケンカの末に現場監督を殺害。死体を処分するため遺体をバラバラに切断した。犯人のうち5人は逮捕されたが、主犯だけが遺体の右腕とともに行方不明となったらしい。この事件を最後に、ダム建設も中止になったようだ。
二人が知ることができたのはその一件のみだった。
「なーんだ、これだけじゃない」
バラバラ殺人という記事に心なしか青くなっているものの、のび太が虚勢を張ってみせる。
「そうだね。オヤシロさまの祟りなんていうから、もっといろいろな事件が起きていると思った」
ドラえもんも拍子抜けしたようだ。大量殺人を期待したわけではないものの、祟りというには根拠が薄すぎた。
「あら? あなた達はオヤシロさまの祟りについて調べているのかしら?」
耳ざとくこちらの会話に割って入った女性がいた。会話に混ざりたくてい仕方がないのか、楽しそうな笑みを浮かべている。
「……おばさん、誰?」
のび太が脳天気に尋ねる。
「…………」
おばさんと呼ばれた女性が、わずかに目つきを険しくし、かすかに口元を歪めたのだが、……あいにくのび太はそんな細かいところまで気がつかない。
「どうかしたの、おばさん?」
「……私の名は鷹野三四。鷹野さんと呼んでもらえるかしら? いえ、呼びなさい」
「わかった」
のび太がこっくりと頷いた。
「私はずっとオヤシロさまについて調べているのよ。オヤシロさまの祟りについて、私が詳しく教えてあげるわ」
そう言って鷹野が説明したのは、雑誌に掲載されいてるバラバラ殺人に関する噂だった。村を水没させるダム建設の計画により、雛見沢村は大騒ぎになったという。住民の反対運動もある中、作業員の殺人事件が発生したことで計画は頓挫したらしい。村の神社にまつられているオヤシロさまが、村を水没から救うために祟りを起こしたのだと村人達の噂していた。
「祟りって言っても、その一回だけなんでしょ?」
「違うわ。そんなわけないじゃない。くすくす」
「他にもあったの?」
「もちろんよ。続く、3年前――今度は、ダム賛成派の男が旅行先で崖下の濁流に転落して死亡したのよ。一緒に落ちた奥さんは死体も見つからなかったわ。村を裏切ってダムに賛成していたのだから、祟りにあってもおかしくないわよね」
「じゃ、じゃあ、その2回だね」
「その次は2年前ね。神社の神主が原因不明の奇病で急死したわ。奥さんはその晩の内に沼に入水自殺したの。ダム建設に中立の立場をとっていた神主さんは、前年に死んだ賛成派を容認していたらしいわね」
「…………」
のび太はすでに真っ青になっていた。
「そして――」
相手の反応に気をよくしたのか、満面の笑みを浮かべた鷹野が説明しようとしたところへ邪魔が入った。
「遅れてごめん。カメラの電池を交換してきたから、そろそろ出発しようか」
鷹野の知り合いと思われる男が近づいてきた。
「もう、ジロウさんったら。ちょうどいいところだったのに」
甘えるような仕草で男を責める。
「え? なんのことだい?」
「この子達はオヤシロさまに興味があるそうよ。だから私が説明をしてあげていたの」
鷹野の言葉で男はどんな会話がされていたか察しがついたようだ。
「君たちもここで話を切り上げた方が正解かもしれないよ。楽しい話じゃなさそうだから」
「ひどいわねぇ」
「さあ行こうよ。日が落ちる前にあちこち回りたいしね」
「この続きはこんど聞かせてあげるわね」
不平を漏らすわりには、鷹野は富竹に誘われるまま図書館を出て行った。
「帰ろうよ! やっぱり祟りはあるんだよ!」
「まあ、落ち着いて」
図書館ということもあり、ドラえもんがのび太をなだめる。
「事件が続いたのは認める。だけど、2年目は事故だし、3年目は病気と自殺じゃないか。ただの偶然だと考える方が自然だろう?」
「だけど、それが毎年起きているんだよ?」
「本当に祟りだとしても、去年は起きてないでしょ。全ては終わったことなんだよ。発端となっているダム建設が中止になっているんだから」
これで去年にも事件が起きていれば話は違うが、その記録は残されていない。それを言うなら、2年目も3年目も記録では確認できていないのだが。
「そう言われてみると……」
「この前も言ったけど、恐怖というのはそもそも気の持ちようなんだよ。昔から言うじゃないか、“幽霊の正体見たり枯れ尾花”って。祟りだと先入観を持つから、祟りに思えてしまうんだ」
ドラえもんはのび太の不安を笑い飛ばした。
雛見沢村まで戻ってきた二人は、商店街へ出向いた。スーパーを挟むようにして総菜屋などが並んでいる。
着の身着のままできたため、お菓子の買い出しに来たのである。
のび太がよく知っている商店街よりも、店構えにも道幅にも余裕があった。悪く言えば閑散としているのだが、混雑が少ないことをのび太は単純に喜んでいる。
チャリチャリ〜ン。
不意に金属音が響いた。
ひとりの少女が財布を閉じ損ねて、小銭をぶちまけてしまったようだ。少女が慌てて拾い集める。
だが、まわりの人間は遠巻きに眺めるだけで、誰も手伝おうとしない。中には足下まで転がってきた小銭を無視して立ち去る者までいた。
「意地悪だな。どうなってるんだ、この村は!」
広場で会った少女への反感も手伝い、憤然としながらのび太は少女に近づいた。
「手伝う」
「ボクも」
かがみ込んだ少年とずんぐりむっくりした相手をみて、少女が戸惑いながら頭を下げた。
「あっ……、ありがとうでございますわ」
3人もいれば拾い集めるのも早かった。
「おふたりはこの村に引っ越して来られたんですの?」
「違うよ。綿流しの祭を見に来たんだ」
梨花との会話の経験からか、のび太は直接的な説明をさけた。
「雛見沢村は初めてですの?」
「うん」
「でしたら、お礼に私が案内いたしますわ」
少女が好意を向けてくれたのは、小銭を拾ったという小さな親切に対してであることを、このときののび太たちは知らなかった。
「この村で一番景色のいいところへ案内いたしますわ」
北条沙都子と名乗った少女は、ふたりにそう申し出た。
田んぼや畑、のどかな風景を見ながら、のび太達は案内されていく。目立った観光スポットがあるわけでないが、無機質な印象の都会に比べると、自然の色彩が鮮やかに感じられる。
のび太はいろいろと酷い目に会うことが多く、学校の裏山に癒しを求めることがある。ここでは、村全体が山ののどかさで満たされているように思えた。
石段を登ると、祭の会場となる神社へ到着する。
「明日の準備でいろんなものが転がっていますから、足下に気をつけてくださいませ」
沙都子が注意を促した。
綿流し祭に備えて、すでにテントや看板の設営が始まっている。多くの村人が準備で大わらわのようだった。
ひとりだけいた背の低い人物が、こちらへ話しかけてくる。
「沙都子は、どうしてそのふたりと一緒なのですか?」
そこに立っていたのは、ふたりがこの村で最初に言葉をかわした少女であった。
「商店街で会ったんですの。この村の案内をしていたのですわ」
沙都子が楽しそうに答える。
「梨花の方こそ、のび太さんたちをご存じですの?」
「昼過ぎに、あの空き地で会ったのです」
「また、あそこに行っていたんですの? 何が面白いのか、私にはわかりませんわ」
「沙都子にはわからないのです。それが……、とても残念なのです」
梨花が寂しそうにつぶやく。
この半年ほど、梨花は売り出されている空き地をよく訪れていた。まるで誰かを待ちわびているかのように。
のび太達と出会ったのは、その場所だったのだろう。
「お二人とも、こちらですわ」
この神社は高台に設置されており、ここからなら村の全景が見下ろせる。眼下には、合掌造りの家々や、それを囲む田んぼや畑が広がっている。
沙都子が見せてくれた景色――それは絶景と言えた。
「すごいや……」
思わず漏らしたのび太の言葉に、沙都子はくすぐったそうに、だが、嬉しそうに微笑みを浮かべている。彼らを案内した甲斐があるというものだ。
のび太とドラえもんは、様々な場所を訪れている。恐竜時代、他の惑星、ジャングル、深海、魔界などなど――それは、普通の人にはとても信じられないような場所ばかりだ。だが、それらに比べても、この景色が劣るなどとは感じなかった。
この村に来た時は、タケコプターで上空から見渡してもいる。だが、こうして自らの足で立ち、こうして見下ろすのは別な感慨が湧くものだ。
涼やかな風が肌を撫でている。
清々しく、和やかな気持ちが湧き上がっていた。
こんなにも穏やかな景色の元で、祟りなんて起きるはずがない。ふたりはごく自然にそう思った。
暑くなったためだろう、すでにひぐらしが鳴き始めていた。