『のび太の雛見沢事件簿』(1)惨劇の舞台へ
「ドラえも〜ん!」
自宅へ駆け戻ってきたのび太の声が、2階の部屋まで聞こえてきた。例によって彼に泣きつく事態が発生したらしい。
ある時はジャイアンの理不尽さに、ある時はスネ夫を羨ましがって、ある時はしずかの前で恥をかき、そのたびにのび太はドラえもんに泣きついてきた。
「ひどいんだよ、あいつら……」
のび太の説明はこうだ。
スネ夫が芸能人に混じって映画の試写会に招かれたという。ホラー映画だと知ってあらすじ説明を嫌がったのび太はジャイアンに殴られ、最後まで我慢できずに悲鳴をあげたことでしずかの前で笑われたらしい。
のび太は不満をぶちまけたものの、ドラえもんが自分の怒りにまったく同調してくれずに不満そうだった。
「ボクがバカにされたのに悔しくないの?」
「君が怖がりなのも、バカにされるのも、今に始まったことじゃないだろ?」
ドラえもんが明解に断じてみせる。彼にしてみれば、細部が変更になっただけで、いつもの事態にすぎないためだ。当然、この後の展開についても予測できる。
「怖がり克服機を出してよ、ドラえもーん!」
「ほら、きた」
必死で懇願しているのび太に比べて、ドラえもんの様子は非常に醒めていた。
「そんなことしても無駄だよ」
「無駄って、どうしてさ?」
「君のことだから、道具を使った状態で度胸がついたところをアピールするつもりでしょ? 今回はそれで乗り切っても、次に怪談を聞かされたらまた逃げ出すに決まってる」
それはあまりにも繰り返された行動パターンであった。こりずに繰り返すのび太ものび太だが、つきあっている自分も自分だと思っている。
「じゃあ、どうしろって言うの?」
「本当に怖がりを直せばいい。君が怖がりなのは、単純に慣れていないからだよ。だから過敏に反応してしまって逃げ出したくなるんだ。恐怖心に耐性をつければ、簡単に動じなくなるよ」
「つまり?」
「雛見沢村の噂を聞いたことあるかい? オヤシロさまの祟りと呼ばれる怪事件が起きているらしい。そこに行ってみよう」
「そんなの怖いよ!」
「だから行くんじゃないか」
次の土曜日の午後、のび太が学校を終えるのを待って、二人は雛見沢村へと向かった。
昭和58年6月18日――それは、綿流し祭の前日のことだった。
二人はタケコプターを装着し、空から村の全景を眺めていた。
「ここが雛見沢村? 普通の田舎だね。悲鳴も聞こえないし、死体も転がってないよ」
「また、馬鹿なことを。村人全員が人殺しで、毎日事件が起きているわけじゃないんだから」
「脅かさないでよ」
「脅してなんかいない。普通の説明をしただけだ」
古い合掌造の家が建ち並んでいる点では珍しいと言えるが、こうして見ているとのどかな田舎町にしか思えなかった。
「あそこが良さそうだ」
ドラえもんに誘われて、のび太もその土地へ舞い降りていた。
その場所は村の人家から適度に離れており、周囲には自然が多い。これだけの広さがあれば、野球とまではいかなくても、だいたいの遊びができるだろう。
ドラえもんが、キャンピングカプセルを取り出した。以前にも冒険で使ったことのある道具で、ゴルフボールを乗せたティーの様な形をしている。地面に突き刺すと見る間に巨大化して10mほどの高さになっていた。
二人がリフトの様なエレベーターでカプセル部分までのぼると、内部には生活に必要な設備が完備されている。旅先での簡易住居というわけだ。
「ほら、景色もいいよ。ここに住んだら素敵だろうね」
楽しそうなドラえもんと違い、のび太は乗り気ではなさそうだった。
「……本当に泊まるつもり?」
「説明したじゃないか。気軽に戻っているようだと、特訓にならないしね。ここで数日暮らすんだ」
「だってほら、明後日には学校だってあるよ」
「そんな心配は必要ない。タイムマシンを使えば、10年過ごした後でも家を出た時刻へ戻れるんだから。君も知ってるじゃない」
「だけど、食事だって……」
「ボクの道具を使えば、どうにでもなる」
「…………」
「怖いならやっぱりやめておく?」
「……やるよ。やればいいんだろ」
のび太がしょんぼりと肩を落とす。
「ボクも一緒なんだし、そんなに心配しなくてもいいさ」
ドラえもんがのび太の肩を叩く。
「忘れるところだった」
ドラえもんが雛見沢村へ来るときに使用したどこでもドアを、再び取り出して部屋の隅に立てた。
「何か、忘れ物?」
てっきりどこでもドアを使って、家まで取りに戻ると思ったのだ。
「違う、違う。これはここに置いておくんだ」
「どうしてさ?」
「いつでも君が逃げ出せるようにだよ。あまり無理強いして、怖がりが悪化しても困るからね。これならボクがいなくても大丈夫でしょ?」
「ずいぶん信用がないんだね」
「君のことをよく知ってるんだよ」
「バカにするな! いくらボクだってドラえもんを残して一人で逃げ出したりはしないぞ!」
のび太の言葉を意訳すると、逃げ出すときはドラえもんと一緒なのだから、出しておく必要はないという意味だ。のび太が否定しているのは、「一人で」という点であり、「逃げ出す」ことではない。
「まあ、今はそう思ってるかも知れないけどね」
のび太の言葉にドラえもんは懐疑的だ。
「よーし! だったら、ボクは宣言するぞ。ボクはこの村から一人で逃げ出したりはしない!」
単純なのが原因なのか、のび太は挑発にのりやすい。
「君が宣言を守り抜いたことが一度でもあったかい?」
「む……、イヤなこと言うね」
ドラえもんの指摘が正しいのはのび太自身も自覚している。彼の場合、どんな決意も覚悟も長続きしたことがないのだ。
キャンピングカプセルから降りると、広場の端でこちらを眺めている女の子がいた。のび太と同じ年頃の少女だった。突然出現した建築物に驚いているのだろう。
のび太は物怖じせずに話しかける。
「この村の子?」
「はいなのです」
のび太の問いに、ぺこりと女の子が頷いた。
「ふたりはなんなのですか?」
「東京から遊びに来たんだ。ボクは野比のび太。」
「ボク、ドラえもん」
挨拶するふたりをしげしげと眺めて少女が尋ねる。
「……タヌキ?」
「違うっ!」
少女の言葉を、すかさずドラえもんが否定した。
のび太にとってはおなじみの光景である。ドラえもんを一目でネコ型ロボットだと認識した人間は記憶にない。
「ボクは古手梨花というのです。この村で生まれて、この村で一生を終えるのです」
「ボクたちに用なの?」
「たまたま、この土地を見に来ただけなのです。大切な友達が引っ越してくるはずだった思い出深い土地なのです」
「友達との思い出の場所なの? ボクらはここに泊まるつもりなんだけど、出て行った方がいいのかな?」
梨花の奇妙な言い回しに気がつかず、のび太は普通に応対した。
「かまわないのですよ。残念ながら、圭一が引っ越してこない世界なのです」
「ふーん? よくわからないや」
のび太に理解できたのは、この場所で寝泊まりしても問題がないということだけだった。
「二人は明日のお祭りのために来たのですか?」
「オヤシロさまの祟りを調べに来たんだよ」
その答えは梨花を驚かせたようだった。
「カッコつけちゃって。君の怖がりを治すためじゃないか」
のび太の背後で、ドラえもんがゲラゲラと笑い転げた。
「うるさいなっ!」
ドラえもんに真相を明かされしまい、のび太が真っ赤になって怒鳴りつける。
「…………」
微笑んでいたはずの少女が、突然表情を消していた。その瞳がじっとのび太を見つめている。
「のび太。……東京へ帰れ」
少女がこれまでと全く違う口調で告げていた。
「え……?」
「この村に残ると、怖いだけではすまないかもしれない。東京へ帰った方があなたのためよ」
さっきのドラえもんの言葉を聞いたからだろう。のび太にはわざと自分を脅かしているように思えた。
「そ、そんなのボクらの勝手だろ。なんでそんなこと言われなきゃいけないのさ。帰ったりするもんか!」
のび太の悪い癖がでて、思わずムキになって言い返していた。これまでの多くがそうであったように、おそらく今回も後悔することになるのだろう。
「警告はしたわ。後は、あなたの好きにすればいい。帰るも、帰らないも、あなたの自由だものね」
少女は嘲笑するかのようにくすくすと笑いながら、その場を立ち去っていった。
補足1-1:昭和58年の世界で、のび太は小5であり、梨花と沙都子も同年齢としました。(ちなみに大長編ドラえもんの単行本発売が昭和58年です)
補足1-2:ドラえもんやひみつ道具でいちいち驚いていると話が進まないので、周囲の対応は「変わっているもの」程度の認識です。