『その名は言峰士郎(2)』

 

 

 

 一夜明けて、俺は教会から街へ続く道を下っていく。

 聖杯戦争への参加を表明しながらも通学を続けると告げた俺の意見を、オヤジは笑みさえ浮かべて肯定してくれた。

「まったく、呆れるぜ」

 不満の声を漏らしたのは、姿を消している俺のサーヴァントだった。

「俺達が勝つための一番の方法は、お前が教会に閉じこもって、俺に全てを任せることなんだがな」

 無遠慮に言い切った。

 ランサーはすがすがしいほど、俺に何の期待もしていない。

「そりゃあ、勝利することが目的ならそうするさ」

 サーヴァントを現界させる依り代であるマスターは、サーヴァントにとっては弱点となる。それを隠しておくのは方法論として正しいのだろう。ましてや、俺みたいな未熟ものではなおさらである。

「そんなことをしたくて、俺は聖杯戦争に参加するわけじゃない。俺の目的は聖杯を手に入れることなんかじゃないんだから」

「だったら、何が目的だ?」

「聖杯戦争における被害を最小限にくいとどめることだ。死ななくてもいい人間が、命を落とさずにすむように……」

「だったら、俺に任せておきな。何か事を起こされるよりも先に、サーヴァントもマスターも全て始末してやるよ」

「それじゃあダメなんだ」

「……?」

 怪訝そうなランサーに、言葉を続けた。

「敵のマスターも助けたい」

「な……」

 虚を突かれたのか、ランサーが絶句する。

「俺はみんなを救いたい。俺の夢は正義の味方になることなんだから」

「ふ……、ふざけてんじゃねーっ!」

 ランサーが肺活量の限りを尽くして怒鳴りつける。

 周囲の空気がびりびりと震えた。その瞬間、さえずっていた鳥の鳴き声も全て止んでいた。

「ふざけてなんかいない」

 オヤジには呆れられ、遠坂にも百回以上は説教された。

 それでも、俺は目指している。

 一度、全てを失った俺が、再び手にした貴重なモノ――その夢を手放すわけにはいかないからだ。

「英霊の中にだってそんなヤツはいねぇ。それを、魔術師としてすら使い物にならねぇ、お前みてぇなガキになにができる」

 ランサーの言葉は容赦がなかった。自分の力量もわきまえない大言壮語がよほど頭に来たのだろう。

「断言してやる。そんな甘い考えじゃ、お前には味方すら救えねぇ」

 悔しいが、ランサーの認識は正しいのだろう。

「確かに、俺は魔術師としても未熟で、何の力もない。だけど、それを理由に何もしないまま、諦めたくはないんだ」

 俺には知識も経験も、力も、魔術も――なにもかも欠けている。

 だが、魔術師は足りないものを、他で補う。

 俺自身に力がないのなら――。

「――俺に力を貸してくれ、ランサー。アンタの力が必要なんだ」

「チ――。やっかいなマスターにひっかかったもんだぜ」

 一応は了解してもらえたということだろうか?

 ランサーから拒否の意志は感じられなかった。

「手伝って……くれるか?」

「仕方ねぇだろ。お前みたいなヤツでもマスターだからな……」

 ランサーらしくもなく、歯切れの悪い言葉だった。

「一つだけ覚えておけ。他の連中の令呪は三つだが、お前には二つしかねぇ。それだけでも不利だってことをな」

 令呪――マスターの持つサーバントへの絶対命令権。それはサーヴァントを従えるためだけでなく、ステータスの一時的上昇という使用法もあるらしい。

「……まあ、俺は未熟だからな」

 俺の令呪が少ないというのもそのあたりに原因があるのだろう。そう納得しかけたのだが……。

「いいや。そいつは俺の分だ。俺が甘かったのさ」

 ランサーが淡々と告げる。

 それは、全ての感情を押し殺したような、金属のように硬質な声だった。

 

 

 

 学園に入ると、何かの違和感を感じた。

 なんだ、これ?

 少なくとも昨日まではまったくなかったものだ。何かの力がこの学園を覆っていた。

「どうやら、結界が敷かれているようだぜ。気をつけな」

 声が聞こえてきた。

 ランサーの声だが、今は霊体となっているため、その姿は誰の目にも映らない。

「聖杯戦争のためか?」

「このタイミングだ。それ以外の理由は考えられねぇだろ?」

「くそっ。どういうつもりなんだ?」

「こんな不特定多数の人間が出入りする場所を拠点にわけがねぇし、おそらくは攻撃のためだろう。ずいぶんと効率の悪いことをするもんだな」

「……狙いは俺なのか?」

「それはないだろ。お前がマスターとなったのは、昨夜だしな」

 となると、事態はもっと面倒になる。

 この学園には、結界を張ったマスターと、それに狙われたマスターが存在ことになる。

 自分も含めればマスターは3人だ。よりにもよって、どうしてこんなにもマスターが集中してしまったのか――。

 

 

 

 昼休み。

 俺は弓道場にいた。

 ここなら、お茶を自由に使えるからだ。

 同席しているのは、全て弓道部の関係者である。

 部長であり同じ二年の美綴綾子と、一年の間桐桜。そして、顧問の藤村大河先生だ。

「今日も美味しそうねー。言峰君、これちょうだい」

 藤村先生がアスパラのベーコン巻きを強奪する。

「せめて、返事を聞いてからにしてくれませんか?」

 呆れてたしなめた。

「もぉ、先生と言峰君の仲じゃない」

 頬を膨らませる様はとても教師とは思えない。

「え? どんな仲なんですか、先輩?」

 驚いた桜が興味深そうに問いかけてくる。

「まったくの無関係だ」

「えー? 違うよー。わたしと言峰君は、弁当のオカズをやり取りする仲なのだー」

 嬉しそうに答えた先生に、俺は自分の見解を口に出した。

「一方的な略奪を、交換と言えるならね」

「だから、先生のオカズも食べていいって言ってるのに〜」

「弁当箱いっぱいに敷き詰めたお好み焼きをオカズとは言わない」

「ひどいよー。大阪じゃあ、お好み焼き定食もあるんでしょー?」

「ここは大阪じゃないし」

「〜〜〜〜〜っ!?」

「目に涙を溜めて、にらんでもダメ」

 俺達をやりとりを見て、美綴と桜が笑いをこぼす。

「ホント、ふたりは姉弟みたいよね。相性がいいっていうか」

 俺自身にそんな認識はない。

 だが、先生の方は、腕組みして首をかしげる。

「不思議と親近感があるのよねー。私の弟分に似てるんだもん」

 だからといって、子分扱いされても困るのだが……。

「そういえば、言峰。朝練にこないでなにやってたの?」

 美綴がそんなことを聞いてきた。

「ただの寝坊」

 あっさりと質問をはぐらかそうとしたのだが……。

「でも、わたしは校門にいたのを見ましたよ」

 桜が横から指摘する。

 見られてたのか……。まずいな。

「ほら、修理品がたまっててさ。ちょっとそっちを先にしてたんだ」

 すまん、一成。いつもは、学校の備品修理を行っているので、口実にするぐらいたまには許してもらおう。心の中で手を合わせる。

 一般人には説明できないことだから、どうにか話をごまかすしかない。

「ほどほどにしなきゃだめよ。助けられてばかりじゃ、柳洞君が困っちゃうから」

「……え?」

 不意に指摘された先生の言葉が理解できず、思考が停止する。

「誰かを助けるのはいいことなんだけど、どんなことでも一方的っていいうのは良くないもの。言峰君は、誰かの手助けできたことで満足しちゃうけど、助けてあげた人の感謝は受けてあげなきゃね」

 その言葉は新鮮だった。いままで気にしたことのない視点だ。

「なるほどねぇ。言峰を見てると、たまにモヤモヤすることがあったんだけど、そういうことか」

 美綴の言葉に、隣の桜もこくこくと頷いていた。

 ……端から見ているとそういうものなのだろうか?

 

 

 

 朝のうちに学園内を回って、俺は結界の拠点をいくつか見つけ出していた。

 放課後となり、人気が絶えてからもう一度調べに戻る。

 どうやら、この結界は朝に想像したものより、遙かに悪質だった。

 第三者を巻き添えにすることを前提にした結界どころか、その第三者を標的とした代物だったのだ。

「一体何のために……?」

「英霊であるサーヴァントは行ってしまえば幽霊みたいなもんだ。力を得るにはどうすればいいと思う?」

「マスターから魔力をもらうんだろ?」

 分かり切った答えを口にしたが、それはランサーのお気に召さなかったらしい。

「だから、それ以上に欲しかった場合だ!」

「それ以上?」

「簡単だ。人を殺して、その魂を奪えばいい」

「なっ……」

 視界が揺らいだ。

 心臓がわしづかみにされたようなショックがあった。

 この慣れ親しんだ学園が犠牲にされようとしている。自分の家族や近所の人々を、突如として奪ったあの大火事のように……。

 それだけは、それだけは許容できなかった。

 誰かは知らないが、絶対に思い通りにはさせない。

「俺も本職じゃないんでな。できるのは、仕掛けた本人を殺すことぐらいだ」

 ランサーの示した解決策はひどくあっさりしたものだった。

 

 

 

 俺は考えを巡らせながら、校門に向かって歩いていた。

 親父も冷酷というか達観しているので、監督役という立場を離れてまで、手助けしてくれそうもない。

 俺が頼れそうなのは……。

「……士郎?」

 呆けたような口調で、俺の名前が耳に届いた。

 校門に細めの人影があった。

 街頭の加減でシルエットしか見えなかったが、俺には一目でわかった。

 遠坂凛である。

 今日は学校を休んだようだが、なんだってこんな時間に……?

 不可解ではあったが、今の俺にとっては幸運と言えた。

「おい、坊主。その女、マスターだぜ」

「へぇ」

 当然だろう。遠坂ぐらい優秀な魔術師だったら、マスターに選ばれても不思議はない。

「お前もマスターになれたんだな」

 気軽に声をかけると、遠坂は形相を変えて俺をにらみつけてくる。

「どういうつもりよ?」

「な、なにがさ?」

「なんで、アンタがマスターになってんのよ!」

 あまりの大声で耳がきーんとなった。

「なんでって、聖杯戦争は殺し合いなんだろ? その被害を最小限に抑えるためには、参加するしかないじゃないか」

「このバカ! まだそんなこと言ってんの!? 夢物語じゃすまないのよ! わたしと殺し合いたいわけ?」

「そ、そんなわけないだろ。遠坂がマスターになったのだって、いま初めて知ったんだし。第一、戦うかどうかなんて俺達の気持ち一つだろ? 俺達にその意志がなければ、戦う必要はないんだから」

「甘えたこと言わないで!  わたしは容赦しないからね。士郎がわたしの敵に回るっていうなら、本気で戦うわよ」

「その嬢ちゃんの方が正しいぜ。殺し合いを怯んでいちゃ、自分が生き残ることすらおぼつかねぇよ」

 ランサーが割り込んできた。

「俺は遠坂と敵対するつもりはないって言ってるだろ」

「お前は俺の力が必要だって言ったな? 手は貸してやるが、やり方は俺に任せてもらうぜ」

「ランサー!?」

「どんなにご立派な理想があっても、力の裏付けがないとどうにもならなぇ。お前には俺ひとり止めることもできねぇのさ。これで、わかったろ?」

「お前は、遠坂を殺すっていうのか?」

「必要があればな。結果としてそうなることも覚悟しておけ」

 ランサーはためらいもなしに頷いた。

「そうか……。だったら、仕方ないな」

「どういう意味だ?」

 俺の言葉を諦めとは受け止めていないらしく、ランサーは怪訝な表情を浮かべた。

「こうする」

 左手をかざした。その甲に刻まれているのは、サーヴァントに対する絶対的な命令権。

「てめぇ、まさか!?」

「”殺すな”と言う命令には絶対に服従しろ!」

 そう命じた。

 きーん!

 左手に浮かぶ令呪の一角が失われた。

「なっ……!?」

 驚いているランサーに改めて命じる。

「遠坂を殺すな」

 令呪による拘束だ。これなら、ランサーは遠坂を殺せない。

「そんなばかげた命令があるかっ! どこまでバカなんだ、テメエ!」

「こうでもしないと、従わないんだろ?」

「こっ、この……」

 ランサーが俺の襟首をひねりあげる。俺の小柄な身体は、ランサーの右腕だけで宙に吊り上げられた。

 もしかすると俺が戦いから逃げ出る臆病者と見えたのかも知れない。

 それでもまわない。たとえ、侮蔑されてもこの命令だけは撤回するつもりはないからだ。

「いいな、ランサー。絶対に遠坂を殺すな。命令だぞ」

 もう一度繰り返す。必要ならば何度でも。

 ランサーの視線に込められているのは殺意だろう。はっきり言って怖かった。足が震えなかったのは、幸運と言える。

「…………」

 遠坂も眼前の展開に驚いて目を見開いている。

「ったく……、本当に魔術師に向いてないわよ、アンタ」

 遠坂が右手で自分の頭をわしわしとかいた。

「あ〜っ! もうっ!」

 遠坂に視線を向けられて、アーチャーが驚きの表情を見せる。

「アーチャー、アンタも士郎を殺したらダメよ。いいわね!」

「まて、凛!」

 アーチャーが止めるよりも早く、遠坂の令呪が反応する。

「これで、条件は同じだからね、士郎」

「別に、令呪まで使う必要ないのに。お前が俺を殺すわけないんだし」

 これでも10年に及ぶつきあいだ。遠坂が無抵抗の相手を殺すような人間じゃないのを俺もよく知っている。

「そのお人好しを直しなさい。いつか死ぬわよ」

「別に誰でも信用するわけじゃない。遠坂は別だろ」

「ぐっ……。ったく、これだから」

 遠坂は、なおもぶちぶちと不満を漏らしている。

「そういえば、遠坂は何しに来たんだ? 今日は休みだったんだろ?」

「今日はアーチャーを連れて、街を見せていたのよ。どこが戦場になるかわからないんだし。学園も昼間だとのんびり見て回れないでしょ?」

「そうだっ! 遠坂に見てもらいたいものがあるんだ」

 

 

 

 学園を囲む結界を見せたものの、遠坂であってもこの結界を解除することはできなかった。どうやら、宝具に匹敵するほどのものらしい。

 現状で蓄積されている魔力を消し去ったものの、あくまでも応急処置にすぎない。

 いつ発動するかわからない結界は、このまま学園を囲み続けることになる――。

 

 

 

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