『その名は言峰士郎(3)』
「ちょっと、綺礼! なんだって、士郎をマスターなんかにしたのよ!」
教会に戻るなり、遠坂がオヤジにくってかかる。遠坂にとっても後見人にあたるはずだが、まったくおかまいなしだ。
「自分の意志でマスターとなったお前に、それを否定する資格があるとは思えんがな」
「ふざけないで。アンタのことだから、おバカな士郎をうまくたきつけたんでしょ!」
エラい言われようだ。
「聖杯戦争の成り立ちや、引き起こされる事態を説明し、後はマスターの裁量にまかせた。監督役である私が、マスターの選択を強要するわけにもいくまい? すべてはマスター本人の意志による決定だ」
「…………っ」
さすがに遠坂も言葉に詰まる。オヤジは物事を判断するときに個人的な感情をはさまない。そのため、正論すぎて異論を挟みようがないのだ。
遠坂が優秀なのは事実だが、オヤジを相手に口論してはさすがに分が悪い。
当然の成り行きにうなずいているところを、遠坂に横目でにらまれて、あわてて表情を消しさる。
「わかってる? わたしはアンタのために言ってあげてんのよ」
「それは悪かったな。だけど、これは俺が決めたことだ。もうあんな思いはしたくないから」
「…………」
主観的な判断に過ぎないが、俺は一度死んでいる。そして、今の俺を構成する原風景──それを一度だけ遠坂に話したことがある。
それ以降、一度も遠坂はその話題を口にしないが、決して忘れたわけではない。いや、忘れていないからこそ、触れようとしない。
現に俺の真意を察して、それ以上の反対を出来ずにいる。
「……言っておくけど、私は負けるつもりなんてないからね」
「ああ、それでいいんじゃないか? 遠坂なら無関係な人間を巻き込むはずがないし、遠坂のかなえる願いなら間違いないしな」
「ったく……、ホントに甘いんだから」
むすっと頬をふくらませたが、これは照れ隠しだと俺にはわかった。
「わかっていると思うが、私は誰の味方もしない。──無論、それがお前達であってもな」
オヤジがそう宣言した。
「監督役であるはずの私が、特定の相手に肩入れするわけにはいかん。聖杯を手にするのはそれにふさわしい人物であるべきだ」
オヤジの立場として当然の言葉だった。
言葉通り、オヤジが手を貸すことはないだろう。たとえ、義理の息子であろうと、妹弟子であろうと。
「ああ、わかった」
「ふん。許されていたって、わたしたちを助けるつもりなんてないくせに」
遠坂の指摘に、オヤジが笑みを浮かべた。おそらく遠坂の指摘は正しい。
オヤジは俺達が自分の意志と力で、どのように戦っていくか見届けるつもりなのだ。
夕食にだけは同席したあと、帰宅する遠坂を見送るために玄関まで出向く。
「……いつかはやり合うにしろ、アンタと戦うのは後回しにしたいわね」
靴を履きながら、なんでもない事のように遠坂がつぶやいた。
「俺もだ」
「でもねぇ。今、あたしに降参しておいた方が、傷は軽くて済むのよ。他のマスターは、わたしほど優しくないだろうし……」
視線はこちらに向けず、遠坂が言葉を続ける。
「…………」
「……なによ?」
俺の視線を感じて、バツが悪そうにこちらを振り返る。高圧的な言い方だが、遠坂の言葉が優しさから来ているのは、俺でもわかる。
「ありがとう、遠坂」
「別に、あんたを心配して言ったわけじゃないわよ! その方があたしは楽だからっ……」
「――ツンデレ?」
「違うっ!」
皿洗いをしていると、夕食後に姿を見せなかったオヤジがリビングに顔を出した。
相変わらずの無表情だが、どこか楽しげに感じられた。
「何か、嬉しい事でもあったのか?」
「士郎。これで、正式な聖杯戦争が始まるぞ」
「何をいまさら」
「そうではない。ようやく、7人のマスターが揃ったのだ。つい先ほど、最後のマスターが教会を訪れた」
「…………」
こちらとしては、オヤジのように喜んでいられない。参加者が全て揃った以上、いつ狙われるかもわからないし、どこで戦いが始まるかもわからない。
改めて気を引き締めなければなるまい。
「おい、坊主――」
姿を消しているランサーの声にも緊張が感じられる。
「近くでサーヴァント同士が戦っているぜ」
その言葉には悦びのニュアンスが含まれていた。戦いの気配に気が高ぶっているのだろう。
俺の脳裏に浮かんだのは遠坂の姿だった。
さっきの今だ。帰宅途中に遠坂が襲われた可能性もある。
「ランサー、案内してくれ」
戦場となっているのは外人墓地である。俺は茂みに身を潜めたまま、様子をうかがう。
対峙しているのは、巨人と少女だった。
巨人の方はまだいい。鋼のごとき硬質の肉体に長大な斧剣。他者をあっする威圧感など、英霊以外の何者でもない。あれだけの存在ともなれば、武勇伝の一つや二つ――具体的にいえば12ぐらいはあってもおかしくない。
だからこそ、その巨人に立ち向かう少女の存在に驚かされた。遠坂より小柄な少女は、素手で巨人と互角に渡り合っているのだ。西洋の鎧と青い衣を身にまとった、騎士風の出で立ち。彼女もまた英霊の一人なのだろう。
「――――バーか?」
つぶやいたランサーの声を聞き漏らしたようだ。
「……え?」
「でかい方が、剣を使っているだろう。だが、武器は見えねぇが女の間合も剣に見える。おそらく、どちらかが、セイバーのはずだ」
「……あ、ああ」
俺が納得したのは、ランサーの言葉にではなかった。
ランサーはあの戦いになんの畏怖も感じていない。その平然とした態度こそが、ランサーもまた英霊であると俺に実感させた。サーヴァントにとって、あれこそが戦いというものなのだろう。
改めて戦いを見守る。
想像したように遠坂が当事者ではなかった。
見知らぬサーヴァント――つまりは、俺の知らないマスター同士が戦っている。
どちらが勝つにせよ、勝ち残った方は俺か遠坂と戦う可能性がある。戦い方の特徴や、できれば弱点を見届けておきたい。
サーヴァント意外に、二つの人影が見て取れた。
一人は俺と同じ年頃の少年。
もう一人は、白い衣服の女の子。
二人は戦いに介入せず、離れて見届けるつもりらしい。二人のマスターの中心で、サーヴァントが激突している。
巨人の戦い方はシンプルだった。
岩から削りだしたような巨大な剣を、膂力を活かして振り回す。間合いに入る全てをなぎ倒すのだ。
少女が受け止めた場合は別としても、それ以外はテリトリーに入った全てを破壊する。
力や体格で劣る少女が善戦しているのは、障害物となる墓石を上手く利用しているからだ。
時が経つにつれて、墓石が減少していく。
これでは、勝敗の結果は明らかに思えた。
「セイバー。マスターを狙え!」
誰かの指示が飛ぶ。
その言葉に反応したのは、少女の方だ。
つまりは、少女こそがセイバーであり、セイバーのマスターは俺と同じような状況判断をくだしたのだろう。
セイバーが巨人への牽制しつつ、巨人の間合いをすり抜けた。
セイバーの行く手に立つのは、小さな女の子。
「バーサーカーじゃなく、私を狙うなんて、賢い判断ね。でも……」
白い少女は詠唱もせずに強大な魔力を解き放った。
セイバーを正面から魔力が襲う。あれだけの魔力を受けてはサーヴァントといえ、ただでは済むまい。
しかし――。
激しい光が瞬いただけで、彼女の歩みは止まらない。
「え……?」
女の子があっけにとられる。
女の子の攻撃はセイバーの対魔力であっさりと無効化されていた。わずかの時間稼ぎすらできずに。
巨人――バーサーカーがセイバーを追うが、間に合うとは思えない。
このままでは、あの女の子がセイバーに斬られる――?
息が止まる。
神経が凍り付く。
背筋が総毛立つ。
俺は、なんのために参加する?
あの少女が斬られるのを見届けるためか?
――違う!
自分の立場とか、今の状況とか、そういうものが全て脳裏から消え失せていた。
いや、そんな葛藤をしたつもりだったが、どうやら、俺の身体は条件反射のように動いてしまったようだ。
「――トレース・オン(投影、開始)!」
それは、剣というにはあまりに大きすぎた。
大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。
それはまさに”岩”塊だった――。
少女を守るように出現した岩の柱。
俺が投影したのは、巨人が振るっていた斧剣だった。
切っ先を下にした斧剣が、その自重で地面に突き立っている。
「む――!?」
接近したセイバーが見えない剣を振るうと、斧剣はわずかに横へズレながらも受け止めていた。
斧剣をかわそうとしたセイバーの背後に、バーサーカーが肉薄する。
このタイミングでは、マスターを殺せても、セイバー自身が助からない。
セイバーは横っ飛びして、背後からの攻撃をかわしていた。
バーサーカーがセイバーに向き直ると、さすがのセイバーもマスターへの攻撃を断念して間合いを外していた。バーサーカーは幼い女の子を背後に庇い、セイバーもまた少年の傍らまで退く。
サーヴァント二人はお互いの様子を警戒しているものの、それぞれのマスターは視線を乱入者に向けていた。完全にのぞき見がばれていた。
「……まずかったかな」
「そりゃあ、まずいだろう」
俺の言葉をランサーが肯定する。
今回の状況で、他人同士の争いに介入するのは、全くの無意味だ。脱落したかもしれない敵を助け、自分の存在を知らせてしまう愚行。
どんなに馬鹿なことかは自覚しているつもりだが、それでも見殺しにはできなかった。口幅ったいようだが、それが言峰士郎なのだから――。
女の子がついとスカートの裾を持ち上げると、俺に向かって挨拶する。
「はじめまして。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
少女が名乗った。
少女は興味深そうに目を輝かせて、俺の言葉を待っている。
仕方がない。こちらも名乗ろう。
「俺は言峰士郎。俺もマスターだよ」
一応、ランサーのクラス名は伏せようとしたのだが。
「俺はランサーだ。よろしくな」
実体化して姿を見せた上で、ランサー自身が名乗りを上げた。
「いいのか?」
「ああ。どうせ、戦いになれば槍を使うし、すぐバレるさ」
セイバーやランサー、アーチャーなどは武器からクラス名が付けられている。戦闘になれば、どうしてもクラスは判明するわけだ。
「今のは、投影魔術ね? 驚いちゃった」
数分前には命のやりとりをしていたというのに、イリヤは楽しそうに笑っている。
「ありがとう、シロウ。おかげで助かったわ。お礼に、ハルキを殺すまでは、シロウを見逃してあげる」
少女は怖い事を平気で口にした。
「邪魔も入ったし、今日はこれで引き上げるわ。またね、お兄ちゃん」
そう言い残して、少女が立ち去る。俺たちの存在を忘れたかのように、一度も振り返ったりしなかった。
「言峰士郎か……。おまえが魔術師なんて知らなかったよ」
「俺を知っているのか?」
「ああ。お前は穂群学園の中じゃ有名だからな。俺は衛宮春樹。セイバーのマスターだ」
衛宮の隣に並ぶ少女は、固い視線を俺に向けている。
「それで? 姿を見せたのは、あの子の代わりに俺と戦うためか?」
衛宮の問いかけに、慌てて首を振る。
「いや、俺は様子を見に来ただけだ。本当は手を出すつもりもなかったんだ。女の子が殺されるところを見たくなかっただけで……。その、悪かったな」
二人が争っていた原因は知らないが、衛宮にとっては敵を見逃してしまった事になる。俺が邪魔をしなければ、衛宮は敵を排除できたはずなのだ。
そんなつもりもないのに、敵とみなされてはたまらない。……いや、手遅れか?
だが、衛宮は身体の緊張を解いた。
「まあ、いいさ。今回は俺が望んだ戦いじゃなかったし。俺も同じ立場だったら、同じことをしたかもしれないからな」
以外にも、衛宮は俺の言葉に同意してくれた。魔術師らしくない俺の意見を、好意的に受け止めてくれたようだ。
「ただし、次はないぜ。今度邪魔したら、まず、お前から先に倒す」
「……わかった」
「行こうぜ、セイバー」
そう言って歩き出した衛宮が、動かないセイバーを振り返る。
「どうした?」
セイバーはその場で俺をにらみ据える。
「……コトミネシロウ。マスターが口にしたとおり、次も立ちはだかるというならば、私の剣が貴様を斬り捨てる。覚えておくがいい」
介入したのがよっぽど不愉快だったのだろう。忠告というより、死刑宣告のようにセイバーが言い残した。
どうやら、俺は作らなくてもいい縁を作ってしまったらしい。イリヤスフィールとバーサーカーは怖そうだし、衛宮は別にしてもセイバーには嫌われたようだ。
身震いしている俺の隣で――。
「楽しくなりそうだな」
ランサーはわくわくしていた。