『その名は言峰士郎(1)』

 

 

 

 目を覚ますと、俺がいたのは地下の聖堂だった。

 どうやら、昨夜におこなった魔術の鍛錬を終えてそのまま寝込んでしまったらしい。

 固い床に寝ていたため、身体が痛む。

 時間を確認すると、いつもの起床時間になっていた。多少の眠気も残っていたが、こんな場所で二度寝をするわけにもいかないだろう。

 今朝は客もいることだし、さっさと食事の準備を始めるとしようか。

 

 

 

 俺自身はご飯党なのだが、あいにくと、客がそれを許してくれない。

 今日の朝食は洋風で、トーストに自家製マーマレード。スクランブルエッグにシーザーサラダ。そしてコーンポタージュである。

 料理を並べるために食卓と台所を往復していた俺は、驚いて動きを止めた。

 なんの物音も立てずに、いつのまにか、一人の男が席に着いていたからだ。

 言峰綺礼――十年前に俺を救ってくれた恩人で、今は俺の養父となっている。十年間も一緒に暮らしていながら、俺はいまだにオヤジの人物像を把握できずにいる。

 職業柄なのだろう。オヤジは気配を感じさせずに動くので、驚かされることがしばしばあった。

「ふむ……」

 並んでいる品を一瞥して、俺に尋ねてくる。

「麻婆豆腐はないのか?」

「あるかっ!」

 即座に否定した。

 オヤジの嗜好はあまりに特殊で、人を殺しかねないほどの激辛麻婆豆腐を好む。激辛麻婆豆腐に挑むオヤジの姿は、自らの信仰心を神に問いかけるかの様で、俺はとてもオヤジにかなわないと思い知らされたものだった。

 俺が料理をするようになったのは、主に自衛のためなのだ。

「ちょっとアイツを起こしてくるよ」

 料理を並べ終えた俺は、オヤジに告げて客間に向かう。

 昨夜ここに泊まった、寝起きの悪い幼なじみを起こすためだった。

 

 

 

 放課後の部活を終えて弓道場を出ると、いきなり怒鳴りつけられる。

「遅いじゃないの!」

 まあ、こんな行動をとるヤツは俺が知る限り一人だけだ。

 遠坂凛――俺の幼なじみである。

 俺がオヤジの元に引き取られてからのつきあいだから、もう十年になる。

 オヤジは遠坂の父親の弟子であるため、遠坂はオヤジの妹弟子というわけだ。

「なにかあったのか?」

 不機嫌そうな遠坂に理由を尋ねてみる。

「馬鹿にからまれたのよ」

「馬鹿……?」

「魔術師ヅラする一般人よ」

 ああ。慎二の事か……。

 間桐慎二――あいつも遠坂と同じく、この地に暮らす魔術師の家系だという。

 しかし、優秀な血筋を残している遠坂家とは違い、間桐慎二には魔術回路すらないのだという。

 そういう事情を知らない頃、俺と慎二はそれなりに親しかった。いや、その頃の俺にとっては唯一の友人と言えた。だが、アイツは俺もまた魔術師だと知って露骨に敬遠するようになってしまった。

 慎二にとって屈辱なのは、遠坂自身にとって慎二という存在が無価値だということらしい。ことあるごとに接触を持とうとして、その都度、好感度を下げているという、とんでもない悪循環だ。

「俺を待たずに一人で帰ればいいのに」

 俺はバス通学だし、下校時に一緒に歩く距離もたかがしれている。それなのに、遠坂は弓道部までやってきて、練習風景を眺めている。

 これでは、噂にならない方がおかしい。俺達はただの幼なじみにすぎないのだが、これが原因で変に勘ぐられることもあるのだ。

 実質的には姫様と従者のような関係である。その証拠に、遠坂は俺を「士郎」と呼ぶが、俺は彼女を「遠坂」と呼んでいる。人間的な格の違いによるもので、俺自身も諦めと共に納得しているのだった。

「いいじゃない。わたしにも弓道部に興味があるのよ」

 遠坂の説明はこれだけだった。

 俺を好きだなんて可愛げのあるヤツじゃないし。

 一体、何が目的で弓道部へくるのやら……。

 

 

 

 地下室になっている聖堂で、今日も魔術の訓練を行う。

 俺に使える魔術は投影だけだ。あとはかろうじて、強化というところか。

 遠坂に言わせると投影ほど無駄な魔術はないらしい。労力に見合った効果をほとんど得られないからだ。

 俺の場合はちょっと特殊で、造り上げた物が現実に浸食されずに、存在し続ける。それ自体は驚くべきことらしいが、その品は外見が酷似したガラクタにすぎず、まったく実用に向かないなのだ。

 俺の魔術の師であるオヤジは、面白がって投影魔術を勧めてくれた。できあがったハリボテを前に、「お前自身を象徴しているようだ」などと理解に苦しむ評価をする。とにかく、魔術師を目指しながらも、未熟な俺にできるのはこの程度のことしかなかった。

 

 

 

 その夜、左手の痛みに目が覚めた。

 無理矢理眠りから引きずり出され、頭のどこかが断線している。

 それに、身体がだるい。自分の魔力がどこから大量にこぼれ落ちているようだった。

 状況がわからず、重い身体を引きずりながら、廊下を歩いてオヤジを捜す。

 ふと、月光を浴びる中庭が視界に入った。土の上だというのに、てらてらと奇妙な光沢がある。

 暗くて判別しづらかったが、どうやら土の上に見える鈍い光沢は、血の痕だった。

 寝入っていた俺は気づかなかったが、何かの争いでもあったのかもしれない。

 オヤジには魔術師とは別の、もう一つの顔――教会の代行者という仕事がある。死徒と呼ばれる吸血鬼とでもやりあったのかもしれない。

 

 

 

「オヤジ……?」

 探していた相手は礼拝堂にいた。

 オヤジの隣には、青い服を着た精悍そうな青年が立っている。

 ……誰だ?

 強烈な存在感があった。感じられる魔力はとても人間とは思えない。

 向こうも興味深げに俺をみつめ、オヤジに尋ねる。

「こいつか?」

「そうだ」

「ふん……」

 青年が無遠慮に俺を眺めている。

「この男が、お前のサーヴァントとなるランサーだ」

 オヤジが聞き慣れない言葉を口にした。

「サーヴァント……?」

「そうだ。あらたな聖杯戦争が、再び始まるのだ」

 聖杯戦争――オヤジの説明によると、たびたび出現する聖杯を求めて、この冬木で大がかりな儀式が行われるのだという。

 魔術師はサーヴァントと呼ばれる使い魔を従えて、6組の敵と戦うことになるのだ。

「魔術師がどんな手合いか、すでにお前は知っているはずだ。野放しにした場合、どのような事態が起きるのかも……」

 オヤジが指摘していることは察しがついた。

 遠坂が甘いのはもちろんのこと、オヤジもまた魔術師としては変わった部類に入る。

 だが、本来の魔術師という存在は、魔術を極める事だけが目的。他人を犠牲にすることを厭わない。

「お前の理想は正義の味方なのだろう」

 オヤジが嘲るように口にする。

 10年前に起きた災厄により俺は家族を失い重傷を負った。地獄の中で俺を救い出してくれたオヤジに憧れ、俺は今も人を救う正義の味方を目指している。

 最近は、オヤジに笑われるので口に出したりしないが、その夢は今も捨てちゃいなかった。

「それが、どうかしたのか?」

 すべてがお見通しのようで、なんとなく面白くない。ふてくされて先を促す。

「喜べ、士郎――お前の願いは、ようやくかなう」

 そう告げたオヤジの声は、ひどく不吉な響きをともなって、俺の耳に届いた。

 

 

 

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