第10話 誰がために(8)

 

 

 

『咎人』

 

 

 

 言峰は生きていた。

 大聖杯が崩壊した後、遅ればせながら魔術教会が動いたところ、川に浮かぶ言峰を発見したのだ。

 傷だらけであり、精神的外傷があるものの、辛うじて死を免れていた。

 言峰は、前回の聖杯戦争でもアンリ・マユを浴びることで生きながらえている。

 よほど、アンリ・マユとの相性がいいのだろう。

 遠坂の説明によると、ランサーを召喚したのは、協会から派遣されていた魔術師だったという。言峰はその魔術師を殺害した罪で、協会に連行されていった。

 聖杯戦争の参加者であれば、そのような対応ではなかっただろうが、言峰は監督者であり、魔術協会に属している立場なのだから、当然の処置と言えた。

 アンリ・マユ本体は消滅したのだが、言峰に埋め込まれた泥は、すでに言峰の霊質と混じり合っており、アンリ・マユの因子だけが死滅したらしい。そのため、本人の生命力は以前よりも低下したものの、死ぬことはないそうだ。

 

 

 

 一瞬とはいえ、再びあの泥に飲み込まれたことで、いくらかわかったことがある。

 50億の人類すべてから、悪であることを望まれた存在――アンリ・マユは、そうしむけた人々を、この世界の全てを、憎んでいた。そして、そのような存在となった自分自身をも呪っていた。

 アンリ・マユは聖杯の中にいる限り、永遠の存在である。魔力の羊水につかり、人々の想念を呑み込んで生き続ける。

 アンリ・マユが誕生を望んだ理由――それは、誕生さえすれば、死ぬ機会が得られるからではないだろうか。

 自分が知覚する世界を殺すことと、世界を知覚する自分を殺すこと。そこに、本質的な差はないのかもしれない。

 その想像が、事実かどうかなんて、俺に知るすべはない。

 ただ、今回、時間を遡らなかったということが、それを証明しているのではないだろうか?

 

 

 

 そして──。

 アンリ・マユが誕生したそもそもの発端──彼が火あぶりの対象となったのは、ただの偶然なのだろうか?

 火あぶりにされる人間が、本当に無作為に選ばれるとは思えなかった。

 3人集まれば派閥が生まれるという、人間の集団だ。人から好かれるような人間が、生け贄に選ばれるとは思えない。

 むしろ、疎ましい人間こそが選ばれたのではないだろうか?

 たとえば、人の苦悩を嗤い、人の悲しみに酔う――そういう人間こそが。

 そう。言峰のような人間がだ。

 だからこそ、言峰はアンリ・マユと親和性が高かったのかもしれない。

 

 

 

 言峰は協会に拘束されてどのように暮らすのだろう?

 自分自身の負の感情で、言峰は変わるのだろうか?

 

 

 

『後始末の話』

 

 

 

 聖杯戦争が終わり、様々な問題が紛糾した。

 一番の問題は、大聖杯である。まがりなりにもアンリ・マユなどを生み出した大聖杯は、大いなる根源への道であり、魔術協会が熱望する最大の奇跡なのだ。

 それなのに、魔術協会がほとんど関与せぬまま、辺境に過ぎない日本に出現し、さらに、協会として一番重要視しているのは、それを現地の魔術師が独断で消してしまったことだった。

 それをいうなら、一番の原因は俺にあるのだが……。

 彼等が黙っているはずもなく、一番事情に詳しい関係者として、この土地を管理する遠坂家の当主が呼び出された。

 いろいろともめたらしいが、思いも寄らぬ救いの主が現れた。

 遠坂家に魔術を教えた魔法使いキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグその人である。

 詳しい事情はよく知らないが、第二魔法を使って異なる世界を旅するその爺さんは、大聖杯の状況を知って見物にやってきたそうだ。

 大聖杯でのアレコレを酒を片手に見物していたらしい。とんでもない爺さんだ。

 そんなわけで、その爺さん――もとい、魔法使いは、弟子の子孫にあたる遠坂を弁護してくれたというわけだ。

 なにしろ、魔術師にとって最高峰となる魔法を実現させた人物だ。魔術協会への影響力は計り知れない。

 おかげで、遠坂は無罪放免となり、無事に冬木市へ戻ってこれたのだった。

 

 

 

『日常へ』

 

 

 

 教室に入った俺に声がかけられた。

「よお、衛宮」

 爽やかすぎる笑顔を浮かべているのは、俺の一番古い友人──間桐慎二だった。

「今度の日曜日空けとけよ。合コンするから」

 …………。

「えっと……、初耳だよな?」

 一応尋ねてみる。

「ああ」

「一番先に、参加の意思確認はしないのか?」

「どうせ、ヒマだろ? 事前に伝えておくと、別な事情を作って逃げかねないからね」

「わかってるなら、なんで誘うんだよ?」

「衛宮を連れてこいって、参加者から希望されたんだよ。と言っても、桜のことだけどね」

「え? 桜が合コン?」

 はっきり言って、らしくない。桜には向いていない気がする。

「目的は、合コンじゃなくて、お前だよ」

「は……?」

 意図が掴めずにいる俺を見て、慎二が溜息をついた。

「言っとくけどな。桜はお前んちの家政婦じゃないんだよ」

「そんなことは、わかってる」

「だったら、家以外でも会ってやれよ。アイツだって、女の子として扱ってもらいたいだろうし」

「でもな……」

 言いかけた俺に、慎二は笑顔を消した。

「僕は……、アイツのために何かしてやらなきゃ、ならないんだよ」

「…………」

 聖杯戦争が終わった後、理由を全く口にせず俺は慎二を何発かぶん殴っている。

 当初は怒り狂ってたものの、慎二は自分なりに殴られた事を受け止めたらしい。殴られたはずの慎二の方から俺に謝ってきた。

 本来なら俺が謝罪されても意味のないことだったが、桜にとってもあの話をむしかえされるのは辛いだろう。

 俺たちの関係は、以前に近い状態に戻っていた。

「っというわけだから、お前は参加な。女子は弓道部の二年生だけだから、気負う必要はないぜ」

 しかたなく、俺はうなずいた。

「間桐、どうして、おぬしは衛宮を俗な生活に引き込もうとするのだ?」

 一成が口を挟んでくる。

「衛宮が合コンへ参加するのに反対なわけ?」

「無論だ」

「お前、知ってる? 仏門である柳洞くんは、衆道に目覚めて、衛宮とそういう関係だって噂」

「なんだそりゃ!?」

 俺が驚きの声を上げる。

 事実無根だ。

 当然、柳洞も反論する。

「ば、バカなことをぬかすな! 俺と衛宮は決してそのような関係などでは……!」

「そうして赤くなるから、疑われるんだよ」

「……っ!?」

 慎二の指摘に、一成が言葉を詰まらせた。

「そこで、そんな噂を払拭するためにも、柳洞は参加するよな?」

「まて、間桐。俺に参加の意思などない」

「そうなの? 衛宮のためなんだけどね」

「む……。仕方あるまい。そんな噂があっては、俺も衛宮も迷惑だからな」

 あっさりと慎二の誘いに乗ってしまう。

「男の方はどういうメンバーなんだ? ほいほい増やして大丈夫なのか?」

「心配ないよ。もともと、メインはお前達だし」

「……全部、計算ずくか?」

「まあね」

 慎二が笑って答えた。

「なんか、面白そうな話してるじゃない」

 ひょっこりと顔を出したのは美綴だった。

「アンタもうちの副主将でしょ。うちの女子部員を変なことに巻き込むんじゃないよ」

「心外だね。僕は退部した優秀な部員を連れ戻すために、部員との顔つなぎの場をセッティングしているだけさ」

 ……へ?

「なるほど、そりゃいいわ」

 嬉しそうに笑って、美綴は慎二の計画を了承してしまう。

「で、いつやるの? 集合場所はどこよ?」

「まさか、お前もくる気か?」

 慎二が眉を寄せる。

「そりゃ、そうよ。今後の弓道部を占う一大事だし」

「……さすがに、主将が顔を出すのはなぁ」

 慎二は気乗りしないようだ。慎二は美綴りが苦手なので、個人的な感情が一番の理由だろう。

「なんなら、弓道部で費用持ってもいいんだけどねぇ」

「あっ、助かる」

 簡単に慎二が懐柔された。

「おいおい……職権乱用だろ?」

 俺が美綴をにらむが、

「誰かが言ってたけど、乱用してこその職権だもの」

 と本人は澄まし顔だ。

「衛宮が戻ってくれるなら、それぐらいおやすい御用よ。間桐の発案にしては、いいアイデアじゃない」

 俺は傍らの一成を肘でつっつく。

「生徒会長として、言うべき事はないのか?」

「……生徒会としては、ずいぶん、衛宮に借りがあるからな。衛宮のためならば、今のは黙認するとしよう」

 こいつもか……。

 本人そっちのけで、慎二と美綴は詳細な打ち合わせを進めていくし……。

「じゃ、詳しい話は練習の後にするか」

 慎二が急に話を切り上げた。

「そうね。また後でね、衛宮」

 美綴は楽しそうだ。

「君子危うきに近寄らず。すまんな、衛宮」

 一成も、無念そうに離れていく。

 ……つまり、後ろから感じる重圧──いや、殺気の主は……。

「おはよう、衛宮くん」

 涼しげな声。いや、なにもかも凍り付かせるような冷たい声だ。

 あかいあくまがそこにいた。

「おはよう、遠坂」

 強ばっているだろうが、なんとか笑顔を浮かべて応対する。

「楽しそうな計画ね。できれば、わたしも一度ぐらいは参加してみたいわ。合コンに」

「これは……、弓道部の主催らしくてさ」

「そうよね。わたしは部外者ですものね」

 にっこり。

 紅蓮の業火を思わせるオーラが見える。まさに、あかいあくま。

 ……胃が痛い。

 2月に起こった聖杯戦争で、俺と遠坂はずいぶん親しくなった。しかし、聖杯戦争を口外するわけにもいかず、表面上はそれまで通りの関係を続けていた。

 そして、3年生になった現在、クラスも同じになったことで、遠坂はいつものように俺に接する。それは、素の自分を出してしまうも同然で、ずいぶんと彼女のファンは減っただろう。同じだけ増えたとも思うが。

 ただ、教室内でいびられるのは勘弁してもらいたい。

 ちくちくと嫌味を言われている俺を見かねたのか、美綴が遠坂に話しかける。

「賭けに負けたかと思って、一時は本気で悔しがったんだけどね〜」

 それは、ふたりだけにしか通じない話のようだ。

「……間違ってないわ。わたしの勝ちでしょ?」

「よく言うわね。まあ、遠坂としてはそう思いこみたいのかもしれないけどね」

「どういう意味かしら、美綴さん?」

 遠坂が威圧的な視線を美綴に向ける。

 俺ならすぐに目をそらしそうなものだが、さすがは美綴。その視線を前にして全く動じない。

「対象としては問題ないけど、つながりはまだモロそう、ってトコ?」

「何を言いたいのか、わからないわね」

 つん、と遠坂が顔を背ける。

「そう? わたし、桜からもいろいろ聞いてるよ」

「くっ……。あの子ったら」

 二人の会話は俺の耳にも届いている。それに気づいた遠坂は、なぜか赤くなった。

「アンタには関係ないわよ! あっち向いてて!」

 怒鳴られて、俺は視線をそらす。

「へー。関係ないんだ?」

 嬉しそうな美綴の声。

「衛宮、合コン楽しみにしてるよ」

 わざわざ俺に声をかける。

「え? ……あ、ああ」

 仕方なくうなずいた俺に、遠坂の視線が突き刺さる。

 一体、なんの賭けをしてるんだか……。

 

 

 

『正義の味方』

 

 

 

 英語の授業が始まった。

「じゃー、始めるわよ。席についてねー」

 なんの威厳もなく命じるのは、担任教師でもある藤ねえだった。

 このクラスに俺の、または、藤ねえの知人が多い原因は、すべて藤ねえにある。裏で暗躍したらしく、藤ねえが指名した人間は全て獲得できたそうだ。ドラフト一位である人間も、その恩恵を受けることになったので、強くは反対できなかった。

 俺は授業そっちのけで、屋外に目を向けた。

 窓の外には青空が広がっている。

 平和だ――。

 遠くからは子供の声や、車の音、街の喧騒が耳に届く。

 俺たちの街──冬木市が壊滅してもおかしくない事態にまで発展した、聖杯戦争が起きたのは、ほんの二月ほど前のことだ。

 その危機もみんなと協力して、なんとか事なきを得た。一応は正義の味方としての役割も、果たしと言えるだろう。

 大聖杯も破壊したし、暗躍していた言峰や臓硯はこの街に存在しない。

 正義の味方――。

 一を切り捨てることで、他の九を助ける──オヤジが、そして、アーチャーが歩んだ道。

 十を救いたいと思って頑張ったものの、やはり、俺に助けられたのはその一部だけだった。

 たとえ、幻にすぎなくても、俺はこれからも皆を救うことを選びたい。

 たしかに俺では力不足だ。俺ひとりで救える命は限られている。

 今回だって、セイバーや遠坂が、――みんなが手を貸してくれたから、あの戦いを乗り切ってこれたのだ。

 皆を背負うのは、俺一人では重すぎる。だから、俺一人で背負うのではなく、みんなにも力を借してもらう。

 そして、皆とともに、皆を守る。

 それは、正義の味方などではなく……、普通の──当たり前な人間の生き方なのかもしれない。

 でも俺は、自分が正義の味方になることよりも、皆が幸せになった方が嬉しい。

 オヤジとの約束も守れず、未来の自分にも糾弾され、それでも目指すのは、こんな生き方だった。

 間違っているかな、オヤジ?

 俺が英霊とならずに、あの世に行けたら、いろいろとオヤジと話したいと思う。それまで待っていてくれ。

 たぶん、大分先になると思うけど……。

 

 

 

 誰もが幸せであってほしい――と。

 そう望むのは、決して間違いなんかじゃない。

 きっと、誰もがそれを望んでいるはずだから――。

 

 

 

 

 

 

〜NORMAL END〜

『新しい春へ』

 

 

 

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