第10話 誰がために(7)
『英霊との別れ』
アンリ・マユの消滅とともに、4人の英霊達もまた、存在感が希薄になっていた。確かに目には映っているというのに、幻のように感じられる。
おそらく、現界した理由を失い、帰っていこうとしているのだろう。
ヘラクレスの前にイリヤが駆け寄って、その足に抱きついていた。
「バーサーカー!」
ヘラクレスが優しくその頭を撫でて、身を退いた。
イリヤの前で片膝をつき、目線を合わせる。
「もう、お別れだ」
「やだよ。バーサーカーがいなくなったら、私はまたひとりになっちゃう……」
「君はもう、ひとりではない。私がいなくても守ってくれる人が、守りたいと思う相手がいるはずだ」
「バーサーカー……」
「背中がむずむずするぜ」
そんな感想を漏らしたのはクー・フーリンだ。
「なんとか無事に終わって御の字だな。坊主」
「……そうだな」
そんなのんきな会話をする俺の前に、ギルガメッシュが歩み寄る。
「な、なんだよ?」
「貴様にあずけるぞ、雑種」
「……え?」
セリフが唐突すぎて、何を指しているのか理解できなかった。
「まがりなりにも我を倒したのだ。貴様が一番マシな雑種だと認めてやる。だから、貴様にこの世界を預けると言ったのだ。どうせ短い人生だ、貴様の好きにするがいい。我が許す」
ギルガメッシュはどこまでも傲慢だった。
「今回といい、この前といい、貴女には助けてもらってばかりですね。礼を言わせてもらいます」
セイバーが頭を下げる。
「お互いさまよ。私にとって、信頼を向けてもらえることは、とても嬉しいことなの」
メディアの澄んだ笑みはどこまでも透明だった。
「メディア……」
俺の呼びかけに彼女が振り向いた。
「葛木先生には、メディアの残した”ありがとう”って言葉を伝えておいたから」
「それで、宗一郎様はなんて?」
「……そうかって」
「あの方らしい」
落胆することもなく、メディアは懐かしそうに微笑んだ。
「ただ、あのあと、俺は先生に助けられたんだ。マスターらしいことをしてやれなかったから、メディアの替わりにって」
「そう……。教えてくれてありがとう、シロウ」
「礼を言うのは俺の方だよ。ありがとう、メディア」
4人の身体が光に包まれる。
神々しいまでの輝き。
彼らは英霊の座へと帰っていった。
『願い』
遠坂と話していたアーチャーが俺の前に立つ。
「衛宮士郎。貴様は世界と契約したつもりか?」
「え? だって……、そうなんだろ?」
「それは勘違いだ」
「は!?」
何を言っているのかわからない。
「だって、あれは世界の声なんじゃないのか?」
心の中に響いた、あの問いかけ――。
「あれが契約でないなら、どうして、奇跡が──突然、英霊が助けに来てくれたんだよ?」
「おそらく、本来の仕事のためだ。お前が契約を終えるより先に、世界の危機が訪れたのではないか? もしも契約が交わされたのならば、こんなのんびりとしていられるはずがない」
「つまり……、俺は守護者にはならないということか?」
「さあな。そこまでは知らん。今回でなくとも、いつか、契約するのかもしれんからな」
すべては、これからの俺の生き方次第というわけか……。
「それよりも、聖杯はどうするつもりだ?」
「当然、破壊するさ。そのためにここまで来たんだ」
「本当か? 今なら願いを叶える事もできるのだがな」
「え?」
「システムが正常に稼働していれば、本来の聖杯として動くはずだ。アンリ・マユが消滅しているのだから、以前のように災厄を生み出す心配もあるまい。魔力の残量が少ないため、かなえる願いにも限度はあるだろうが……」
言峰が言っていた願望器という解釈も、結果からの推論にすぎない。
アンリ・マユさえ存在しなければ、あれほど危険な代物ではないのだろう。
「どうする? 今から、私たちで聖杯を巡る戦いを始めるか?」
アーチャーがセイバーとライダーを見る。
「私はすでに答えを得ています。いまさら、聖杯に未練などありません」
セイバーが誇らしげに告げる。
ライダーの返答は簡潔だった。
「桜が望むのであれば」
目を覚ましていた桜は、水を向けられてうろたえる。
「え、あ、あの、わたしは聖杯なんて欲しくありません。もう、わたしの願いはかないましたから」
そう口にして、ちらりと俺を見る。
俺は桜から視線をはずし、顔が熱くなるのを感じながら、シャツを脱いだ。
「あ、あの……せ、先輩?」
戸惑う桜に、俺は脱いだシャツを渡す。
それで、桜にも俺の言いたいことが通じたようだ。
「す、すみません」
桜は受け取ったシャツを、頭からすっぽりとかぶる。
裸の上にシャツ一枚だから、まだまだ、目に毒だが、まあ、そこはあきらめるしかない。
桜はどこか嬉しそうに身体を抱きしめていて、妙に色っぽい。
「では、凛。君はかなえたい願いでもあるのか?」
「そうねぇ、……お金?」
そんな答えを口にする。
「お前なぁ……」
呆れる俺に、遠坂が、むっとなった。
「何よ。いいじゃないの。大体、聖杯戦争のために、わたしがどれだけだけ苦労したと思ってんの? 主にアンタのせいなんだからね。必要経費ぐらいいいじゃないの!」
言ってることはわかるが、やはり、聖杯への望みとしては、場違いに思えた。
「そういう士郎はどうなのよ」
「そうだな……。願いがないわけじゃないけど……」
「そうなの?」
遠坂がふむとうなずく。
「なら、アンタの好きにすれば? 一番、頑張ったのはアンタなんだし」
「それでいいと思います」
「うん。いいんじゃない?」
桜とイリヤが口々に賛同する。
俺の視線を受けてライダーが口を開く。
「私もかまいません。シロウならば危険な望みなどないでしょうし」
続いてアーチャーを見る。
「もしも、私が望むとするなら、世界平和か、衛宮士郎個人の抹殺だな」
とにかく、こいつだけは論外だな。
遠坂からからかうような視線を向けられて、アーチャーは顔を背けた。
何かふたりにしか通じないやり取りがあったのだろう。
最後にセイバーを見た。
セイバーは俺に向かってうなずいてみせる。
「シロウの思いのままに」
やはり、俺がどんなことを願うか、セイバーは気づいているようだった。
「わかった……」
聖杯への望み。
そもそも、俺が聖杯戦争へ参加した理由。
それは──。
「マスターとして願う。もう、こんな殺し合いが起きないように――二度とここで聖杯戦争が起きないようにしてくれ」
ぴしりと、かすかな音がした。
塔のような大聖杯に微細なひびが入っていく。
かすかな振動が地を揺する。
振動があるから割れるのか、割れるからこそ揺れているのか……。
音も揺れも、徐々に大きくなっていく。
200年前に構築された魔法へ至る道。
それからいままで、マスターやサーヴァントだけでなく、多くの人間が死んでいった。
その因縁が解けようとしていた。
天井からも、小さなかけらが降って来始めた。
「おいおい……」
このままだと危険だ。
崩落に巻き込まれてしまう。
俺達は慌てて大空洞から逃げ出していた。