第10話 誰がために(6)
『奇跡』
桜への対処が一息ついたらしく、遠坂とイリヤがこちらへ視線を向けていた。
安堵していたはずの遠坂が、息を飲む。
「士郎……。アンタ、いま……」
それこそ、何か大切な物を失ったような、絶望にも近い表情で俺を見る。
「何を誓ったのよ! 一体、何を望んだのよ!?」
「お、おい。今はそんなことを話してる場合じゃないだろ」
一体の黒い巨人がこちらに歩み寄ってくる。
だが、遠坂はかまわず俺に詰め寄ろうとする。
「アンタこそ、わたしがどんな思いで……」
唇を噛む遠坂の瞳に、うっすらと涙がにじむ。
「遠……坂?」
「わたしはアンタを守護者なんかにしないってそう誓ったのに……」
「シロウ! 凛! 下がってください」
セイバーの声。
巨人が俺達に向かって、手を伸ばしていた。
「くっ……」
遠坂を背後にかばうようにして、後ずさる。
その時だった。
俺たちの背後に光が生じた。強大なる魔力が突如として出現したのだ。光に照らされた自分の影が、巨人に向かって長く伸びる。
一体、何が!?
風を切り裂いて何かが飛んだ。
どん! どん! どん! どん! どん!
その攻撃が黒い巨人を切り刻む。
魔剣による豪雨が、影の巨人たちを葬ったのだ。
これは――?
「アーチャー!?」
振り向いた遠坂が驚きに目を見開いた。
「――!?」
俺も相手を確認して、呆気にとられる。
そこに立っていたのは、黄金の鎧をまとった英霊だったのだ。
「何を驚く、雑種?」
「なんで、お前が……?」
すでに死んだはずだ。俺自身の手で倒したのだから間違いない。
それに、ギルガメッシュが俺たちを助けるなんて、どういうことなんだ?
「決まっている。この世界の全ては我の物だ。貴様等の生殺与奪も含めてな。あんなヤツの好きにはさせん」
ずかずかと進み出たギルガメッシュは、泥の中にまで踏み込んでいく。
「去れ。貴様のような愚図は、我の視界に入ることすら許さぬ」
傲然とアンリ・マユと対峙する。
アンリ・マユに付き従う影の巨人が出現し、再びギルガメッシュに迫る。
「ゲート・オブ・バビロン(王の財宝)――!」
ギルガメッシュの宝物庫が開かれ、背後に無数の剣が出現した。
その剣が、巨人達に牙をむく。
巨人達をものともしない、圧倒的な攻撃力だった。
こちらを振り向いたギルガメッシュは、自慢するでもなく、不満そうに告げた。
「我だけにやらせるつもりか? 本来、先陣を切るなど貴様ら雑兵のつとめであろう?」
「……チッ、一人で先走っておいて、勝手なヤツだぜ。なあ、坊主?」
ギルガメッシュのように、背後から進み出たのは、赤い槍を持つ青色の騎士だった。
「ランサー!?」
俺の呼びかけに、彼は肩をすくめて見せる。
「もう、ランサーは死んだはずろ? ここにいるのはクー・フーリンさ」
槍を担いだ騎士が、唇の端を持ち上げて笑ってみせる。
「……あの、ごめんなさい」
ランサーに謝罪の言葉がかけられる。
イリヤが泣きそうな顔で、ランサーに謝ったのだ。
「ったく……」
バツが悪そうに、ランサーが顔を背ける。
「俺が好きでやったことだから、気にすんな。第一、嬢ちゃんが話す相手は他にいるだろ?」
「え?」
きょとんとしたイリヤの頭に、がっしりとした手のひらが乗せられる。
振り返ったイリヤの前に、巨体の偉丈夫が立っていた。
赤銅色に焼けた身体に、波打つ艶やかな黒髪。右手に弓矢を持ち、残った左手でイリヤをなでている。その瞳には理知的な光が宿っていた。
まったく印象は違うが、心当たりは一つしかない。
「バーサーカー……?」
男を見上げるイリヤの瞳からは、次々と涙が溢れ出る。
「すまなかったな。今度こそ、誓いを果たしてみせよう」
バーサーカーが頼もしげな笑みを浮かべる。
いや、今の彼はバーサーカーなどとは呼べない。そこにいるのはヘラクレスと呼ばれた英雄であった。
「君を守る」
野太い声が宣言した。
イリヤは声も出せず、何度も頷いていた。
『英霊達の宴』
アンリ・マユを守るように、黒い巨人が次々と出現する。
だが、それに怯むような三人ではなかった。
ギルガメッシュは無数の剣を放ち、巨人を蹴散らしていく。
俺達を苦しめ続けたあの宝具が、初めて俺達のために使われた。
あの宝具といい、その魔力といい、やはりヤツは最強の存在なのだろう。
「ナインライブズ(射殺す百頭)──!」
ヘラクレスの身長にも匹敵する大弓。おそらくは、あれこそが、ヒドラを倒した弓。
一射で9本の矢を放ち、迫り来る巨人を消し去ってみせる。
「さて、俺もやるか」
ランサーは槍を手にして地を蹴った。
ランサーの走り抜ける軌跡そのものが、長大な槍である。行く手に立つ巨人を貫き、ランサーが縦横に走り抜ける。
まさに、鎧袖一触。
彼等は、聖杯戦争でクラスに押し込められたサーヴァントとは違っていた。おそらく、英霊という存在は、本来、これほどの力を持つのだろう。
巨人たちは出現するはしから消滅させられていく。
だが、どんなに巨人を切り捨てたとしても、それだけではアンリ・マユまで攻撃が届かない。
「埒があかんな。あの愚図を先に始末するか」
忌々しげにギルガメッシュは、アンリ・マユを見上げる。
ヘラクレスが、その弓をアンリ・マユに向けた。
放たれた9本の矢がアンリ・マユに命中する。人間でいえば、上腕、鎖骨、喉笛、脳天、鳩尾、肋骨、睾丸、大腿。
矢の爆発により、アンリ・マユの体表を削り取る。
えぐられたその体表がもぞもぞと蠢く。
「まさか……」
俺は驚きの声を漏らしていた。
時間が巻き戻されるかのように、身体が元の状態へと復元してしまったのだ。
「今度は俺が……」
彼の代名詞でもあるゲイ・ボルクが、周囲を焼き尽くすほどの魔力を帯びて、放たれた。
巨体でもあり鈍重なアンリ・マユにかわす術などない。それは、巨大な的に過ぎなかった。
放たれた槍は、アンリ・マユの腹部に大穴を開けて貫通する。
だが、その穴すらも復元されてしまう。
彼等の攻撃によって、確かにアンリ・マユの魔力は減少するのだが、すぐさま聖杯から補填されているのだ。汲んでも尽きぬ井戸のように。
「チ――。キリがねぇぜ」
「根を上げるなら、さっさと去れ。目障りだ」
「てめぇにだけは言われたくねぇよ」
『聖なる力』
単純な魔力の激突では、おそらく、アンリ・マユは倒せないだろう。まがりなりにも、根源とつながったアンリ・マユの魔力は無尽蔵なのだ。
英霊達が世界の加護を受けた状態だとしても、この戦いは決着がつかないかもしれない。
無限の魔力に支えられた彼等の戦いは、永久に続きかねない。そうなった時、人の営みなど消し飛んでしまうだろう。
もし、あのアンリ・マユを倒せるとしたら、それは――。
英霊の戦い様を見ているだけの俺たちに、女性の声が届いた。
「貴女はマスターを守るのではなかったの?」
声をかけられたのはセイバーだった。その傍らには、ローブ姿の女性が立っている。
「キャスター!?」
いや……。クー・フーリンの言葉に従うなら、彼女もメディアと呼ぶべきだろうか?
「セイバー。私が魔力を与えましょう」
メディアがセイバーの額に手のひらをかざすと、それだけでセイバーの魔力量が増大していく。
「ありがとうございます、メディア」
「気にする必要はないわ。このために、私は来たのだから」
セイバーの聖剣に再び光が灯る。
その輝きは、柳洞寺でのギルガメッシュ戦をさらに上回っていた。
「メディア。俺にも魔力を補充してくれ」
そう申し出た。
「……でも、貴方では魔力をとどめるには容量が小さすぎるわ」
メディアは思案顔で、俺の前に立つ。
その綺麗な顔が近づいてきて……、軽く接触した。
「な、な、な……」
突然、唇を重ねられて困惑する。
眼前のメディアが、くすりと笑みをこぼした。
狼狽えて周りを見ると、セイバーも遠坂も驚きで目を見開いていた。
「擬似的にパスをつなげたわ。これで私の魔力を直接使用できるはずよ」
「え……?」
なるほど……。
自分自身に注ぎ込まれた魔力が、留めきれずに吹きこぼれていく。
今の俺はあのアンリ・マユと同じような状況だ。自分だけでは消費できないほど、膨大な魔力の泉から、直接魔力を汲み上げている。
「ありがとう。メディア」
礼を言って、俺はセイバーの隣に並ぶ。
俺はセイバーと同じ剣を投影する。
俺の身体は単なる中継点。キャスターの魔力を、直接、剣へ注ぎ込んでいく。
この剣はそれでもなお、簡単には限界に達しない。
恐るべきは、人々が幻想する最強の剣である。
セイバーの剣にこそ劣るものの、俺一人では百年かかっても溜めきれないほどの魔力がここにある。
アンリ・マユに対する効果的な攻撃。それは、聖なる光によるものだ。
魔を打ち払う、最強の聖剣。
その名を──。
俺たちは視線をアンリ・マユに向ける。
「決めろよ。坊主」
「ああ」
クー・フーリンの声にうなずく。
「ふん」
ギルガメッシュもこちらを見て、脇にどいた。
俺とセイバーは、並んで倒すべき敵──アンリ・マユに視線を向ける。
視線を交わして、俺とセイバーはうなずきあった。
完全に呼吸を合わせ、同時に真名を解放する。
「エクス(約束された)――」
「――カリバー(勝利の剣)!」
セイバーは縦に、俺は横に。
交差させた太刀筋が、十字にその巨体を斬りつける。
聖杯戦争で目にしたあらゆる攻撃を上回る、最強の一撃だった。
聖光がアンリ・マユの体表に十字の烙印を刻む。
肉が灼け、えぐられた傷からは煙がたなびいた。
大気が震える。声ではない苦悶の悲鳴が直接俺たちを打った。
「シロウ、あれを!」
セイバーに促されて、アンリ・マユを見上げる。体表に生じた傷の中に、いびつな固まりが見えていた。
ミイラの様にひからびた小さな身体。
「あれが、アベンジャー(復讐者)なのか?」
聖杯を汚染した元凶。この世全ての悪として、人の世界の歪みを押しつけられた人物。
エクスカリバーに灼かれた傷は修復されないようだ。
しかし、体表を這い昇る泥が、その傷を覆い隠そうとする。
ミイラは、泥の中へと姿を消そうとしていた。
「くそ、急いでアレを……」
おそらく、核となるアベンジャーを始末すれば、アンリ・マユを倒せるはずだ。
「わかっています。ですが……」
俺たちは慌てて聖剣に魔力を込める。
先ほどの攻撃は全身全霊を込めた一撃だった。とても、間をおかずに二撃目を放つことはできない。
そこへ──。
一条の光が走った。
風を切る音がかすかに耳に届く。
それは、黄金の矢──。
光の矢は今にも泥に身を沈めようとしていたミイラを射抜き、そこで激しい爆発を起こしたのだ。
アンリ・マユは胸の中心に背中まで開いた大穴を開けていた。
「■■■■■■■■――!」
絶叫!
この空洞内を、この世全てを呪った男の叫びが満たす。
それは、アンリ・マユの断末魔なのだろうか。
アンリ・マユという怨念に捕らわれていた魔力が、解き放たれる。
指向性を持たない、無垢なる力として、ここの大気に溶け込んでいった。
瘴気から霊気へ。
大気のマナ(大魔力)が、アンリ・マユの汚染から解き放たれ、清浄化されていく。
アンリ・マユにとどめを刺した最後の一撃。
矢として使用されたのは、黄金の聖剣だった。
間違いなく、あれはエクスカリバーである。
その剣を使用できる人物を俺は三人しか知らない。
一人は、正当な持ち主であるセイバー。
一人は、投影が可能な俺。
残る一人は、おそらく──。
相手を確認した遠坂が、その名を口にしていた。
「アーチャー!」
遠坂が嬉しそうに駆け寄っていく。
入り口に立つ赤い騎士へ向かって。
注:英霊には以前の記憶はそのまま残らないはずですが、ここでは近い時間軸に再び現界したため、記憶の干渉を受けたという設定になります。