第10話 誰がために(3)
『剣として』
気がつくと、俺は石畳の上に倒れていた。
「こんな結果に終わるとはな……」
自嘲気味のアーチャーの声。
俺は負けたのか……?
やはり、エアの投影は無理があったようだ。
最後の一撃を放とうとしたエアは自壊してしまい、無理な投影のせいで、俺の身体はその場に崩れ落ちた。
正義の味方――。
遥かに遠い夢。
俺はたどりつくどころか、走り始めたほんの数歩で脱落するのか?
桜を助ける事もできずに……。
「そこをどけ」
苛立たしげなアーチャーの声を、
「お断りします」
凛とした少女の声が拒んだ。
……セイバー?
「最後まで手出しをするなと、命じられたのではなかったか?」
「ええ。ですが、戦いはもう終わりました」
「決着はこれからつくのだ。俺もこの男もまだ死んではいない」
「貴方自身が言ったはずです。剣製を競うのだと。シロウは貴方の誘いにのって、貴方の宝具である剣製による挑戦を受けた。そのシロウが剣製において、貴方の上をいった。それで十分なはずです。もとより、サーヴァントと人間の戦いなど、結果がわかりきっているではありませんか」
「剣製は手段にすぎん。戦いの決着はどちらかの死でしかないのだ」
「なぜそこまで、士郎を憎むのです?」
「……俺は多くの命を救った。そのあげく裏切られて、自らも命を落とした。それでも、人を救えるのならばと、守護者となることを選んだ。だが、何も変わらない。俺がしているのは、人間が犯した罪の後始末だけ。俺が救った命とは、俺が殺した命の代償にすぎなかったんだ」
セイバーには慰めを口にすることなどできなかった。それはセイバー自身も王として辿った道だからだ。
「俺が生きた人生、いや、死後にまで望んだ理想は、夢物語にすぎなかったんだ。繰り返し繰り返し誰かを殺し続ける中、俺に残された希望はたったひとつ。それは、俺が生まれた原因である衛宮士郎を殺すことだ。俺自身が衛宮士郎を手にかければ、時間の矛盾は大きくなり、俺という存在は消えるだろう。……いや、それが、無駄であってもかまわない。ただの八つ当たりで十分だ。俺の手で、衛宮士郎を殺せるなら」
「……では、どうしても退くつもりはないと?」
「わかったのなら、どいていろ、セイバー」
「断る!」
セイバーの口調が変わった。
「説得できないならば、力づくで退けるのみ。シロウの命を貴様に奪われるわけにはいかない。さがれ、アーチャー!」
「本気なのか?」
「無論。約束を破り、決闘に介入したことでシロウに軽蔑されてもかまわない。私が果たすべき約束は、シロウのための剣となる──それのみだ」
「これは、衛宮士郎だけの戦いだ。いかにセイバーであっても、踏み込む事は許されない。情に流されて、騎士としての誇りを捨てるというのか?」
「言ったはずだ。私の誇りよりも、シロウの命の方が重いと」
「セイバーともあろうものが……」
アーチャーの皮肉に、セイバーが反応する。
「私からもひとつ言わせてもらう。……貴様はシロウではない」
「ああ、その通りだ。俺はすでに守護者となった存在だ。未熟な魔術師と一緒にされては困る」
「勘違いするな。確かに、貴様はシロウではない。だが、シロウの未来の姿でもない。……貴様はシロウの理想にたどり着けなかった存在なのだ」
「どういう……意味だ?」
「誰かのために戦い続け、そのあげく、自分の理想にまで裏切られたのは辛いだろう。私にも同じような経験があった」
「ならば……」
「だが……、そんな私を諭したのが、シロウだった。過去をやり直すことは間違っている。救えなかった後悔も、切りすててしまった苦悩も、全てを捨て去るわけにはいかない。そうまでして、歩んできた道だからこそ、進み続けるべきだと。やり直すべきなのは、過去ではなく、今からなのだと――」
「…………」
「そのシロウが、過去の改竄など望むはずがない。そして、今のシロウを殺すということは、これからシロウが救うはずの全てを見捨てるということ。貴様が真にシロウならば、そのような選択をするはずがない」
セイバーが不可視の剣を抜きはなった。
「”あの時”の、決意を、覚悟を、――シロウの生き方を汚す貴様を、私は許しはしない。覚悟するがいい、アーチャー!」
剣戟の音が耳に届く。
剣で戦う以上、勝つのはセイバーだろう。セイバーが他の剣士に負けるはずがない。
他の……剣士?
セイバーが戦っているのは、剣士ではない。魔術師だ。
どうして、魔術師が剣で戦っているのか?
セイバーに剣技で挑むなど愚の骨頂だ。
奴自身も言っていた、剣製も戦うための手段だと……。ならば、剣を使用しているのも、勝てる目算があるからなのか?
魔術師にしかできない、セイバーを敗る技があるというのか!?
その思いつきに愕然となった。
セイバーの剣を前に、アーチャーは双剣で防戦一方だった。
だというのに、双剣で切り伏せられたセイバーの姿が、脳裏に浮かぶ。
くそっ!
ヤツの技を知らなければならない。ヤツが何を企んでいるか確かめないと。
「――トレース・オン(投影、開始)!」
魔力の発生に、セイバーが気を散らす。
「シロウ! 戦いは私に任せて、貴方は休んでいてください!」
その隙を、アーチャーが突いた。
「──鶴翼、欠落ヲ不ラズ」(しんぎ、むけつにしてばんじゃく)
アーチャーは手にした双剣を左右に向けて投じた。
広げられた鶴翼は、弧を描き、敵をかみ砕こうとする。
迫る二刀を、セイバーは聖剣で防いだ。
敵に傷を負わせる事もなく、主の元へ帰る事もできず、双剣はセイバーの背後へ虚しく落ちた。
無手となったアーチャーにセイバーが迫る。
その目前で、アーチャーが投影したのは、同じく干将莫耶。
「無駄な事を……! その宝具では、私には届かない……!」
今の俺では双剣を投影することもできず、片割れである莫耶のみが左手に生み出された。
この刀が記憶しているアーチャーの技を必死で読みとる。
「──心技 泰山ニ至り」(ちから やまをぬき)
突然、莫耶がセイバーの背中に迫る。
それは、アーチャーが手にした物ではなく、先ほど後ろに落ちたうちの一本。
背後からの奇襲を、セイバーは直感だけでかわした。
同時に正面から打ち込まれる干将を、セイバーの聖剣が一撃で砕く。
干将莫耶が帯びる磁力。それこそがこの手品のタネだ。夫婦剣はお互いに引き合う性質を持っている。
最初の攻撃が不発に終わったのも、あくまで布石。
それは、剣士でもなく、魔術師でもなく、”魔術使い”だからこそできる戦い方だ。
「──心技 黄河ヲ渡ル」(つるぎ みずをわかつ)
アーチャーの攻撃はさらに続く。
このままいけば、アーチャーが三度目に投影する干将莫耶が、セイバーを切り伏せるだろう。
俺は手にしていた莫耶を、セイバーの背中めがけて投げつける。
セイバーの背後で金属音が鳴った。
背後からセイバーを襲おうとした干将は、俺が投じた莫耶に引かれて軌道を変えた。打ち合った二本がその場に落ちる。
セイバーが切り結ぶべきは、アーチャーが手にした莫耶のみ。
ぎん!
莫耶を打ち払って、セイバーの剣がアーチャーを袈裟がけに切り下ろしていた。
「ぐっ……!」
致命傷ではないが、決定的な一撃。
わずかに遅れて投影した三対目の干将莫耶が、アーチャーの両手からこぼれ落ちた。
アイツの身体が石畳にくずおれる。
「とどめだ」
セイバーが剣を逆手に握って、剣先をアーチャーの首に突き立てようとする。
「待て、セイバー!」
慌ててそれを制止する。
「なぜです? この者は、シロウの偽物にすぎません。貴方が気にかけるべき存在ではない」
「違うんだ。今、アーチャーを殺すと、桜に吸収されてしまう」
「……わかりました」
剣を納めたセイバーが俺に歩み寄る。
「肩を貸してくれ。大聖杯へ行かないと……」
俺を見て、セイバーがため息をついた。
「本当に貴方はわがままです。自分の戦いには手出しを禁止しておいて、私の危機には平気で介入する――」
「その……ごめん」
セイバーが俺の身体を抱き起こした。
「くっ……」
痛みが走る。
「そのぐらいの罰はしかたないでしょう」
「……そうだな」
確かにセイバーが怒るのも無理はない。
「いえ、冗談です。私がアーチャーに勝てたのは、貴方のおかげです。ありがとう、シロウ」
『大切な人の元へ』
立ち去ろうとした俺に声が届く。
「衛宮士郎……」
声を発したのは、石畳の上で仰向けに倒れているアーチャーだった。
「まだ、なにかあるのか?」
「俺はしばらくの間動けんだろう。この戦いはお前達の勝ちだ。二人がかりとはいえな……」
「……思い出したよ、アーチャー。俺が望んだのは、誰かに討ち勝つことじゃない。誰かを救うことだって。だから、俺は桜を助けにいく。今の俺にとって、それが一番大切なことだから」
アーチャーは星空を見上げたまま、俺に視線を向けようとしない。
「わざわざ、ここで戦うことにしたのは、お前との戦いを遠坂に見せたくなかったからだ。お前だってそうなんじゃないのか?」
「凛か……」
アーチャーが懐かしそうにその名を口にする。
「貴様はランサーに殺された時のことを覚えているか?」
「それが……?」
それは、セイバーと出会うよりも前のことだ。いまさら、そんな古い話をしてどういう意味があるんだ?
「蘇生したお前はペンダントを拾ったはずだ。持ち主もわからないまま、命の恩人の物として、大切に持ち続けるはずの――」
「ああ、持ってる」
そういえば、あのペンダントのことは誰にも話していない。セイバーにもだ。
話す必要もなかったし、その機会もなかった。
そのことを口にしているのだろう。
俺本人なら、その事実を知っていても当然なわけだ。
「あのペンダントは遠坂凛の物だ。だからこそ、それを持っていた俺が凛の元へ召喚された」
「――なっ!?」
「あれは凛の父親が残した形見で、強大な魔力が封じられていた。本来であれば、聖杯戦争で凛の切り札となるべき品だったのだ」
「そんな……」
「凛の持つ”前回”の記憶の中で、私は衛宮士郎を遠坂凛に託している。彼女が衛宮士郎を正しく導くことを信じてな。そして、彼女はそれを誓った。衛宮士郎を英霊になどさせないと。衛宮士郎を自分の手で幸せにすると。……今の貴様には関係のないことかもしれんが、そのことだけは忘れるな」
俺はセイバーに支えられて、先へと向かう。
だが、俺の意識はこれからのことを考える余地が全くなくなっていた。
聖杯戦争がはじまり、共に戦ってきた少女──遠坂凛。
俺は聖杯戦争が始まるよりも前から、彼女に救われていたのだ。
からかわれたり、ふりまわされたり、何度も困らされた。それなのに、遠坂は大事なことを何一つ口にしていなかったのだ。
俺が遠坂から与えられたのは、この命だ。こうして生きていられるのは、すべて、遠坂のおかげなのに……。
自分の鈍さに泣きたくなった。
彼女が手にいれたはずの、俺と結ばれた大切な記憶を俺は持っていない。無頓着な俺の言葉に彼女はどれほど傷ついたのだろう……。
それなのに、俺は父親の形見だけでなく、彼女の身体を奪い、挙げ句の果てに彼女のサーヴァントまで倒してしまった。
俺は何一つ、遠坂に報いていない。
俺は遠坂に報いたい。
いや、報いなければならない――。
注:逆行していないセイバーに例の記憶はありませんが、士郎の記憶を通して追体験していることになります。一方、アーチャーの知っている凛の記憶は、肝心な対決部分が欠落しているため、自分が士郎を認めた理由を知らない状態となります。