第10話 誰がために(2)
〜inturlude(入り口)〜
ふたりの少女がライダーに従い、大聖杯への入り口へ向かう。
「っと!」
木の根に足を引っかけて、凛がつんのめった。
夜の林の中なので、視界が悪いのは当然なのだが、それだけが原因ではない。
「気が散っているみたいね、リン」
「別に気にしてなんかないわよ」
即座に反論する。
「何を気にしてないの?」
イリヤの指摘に、凛は自分が口を滑らせたことに気づいた。
「…………さ、桜のことよ」
イリヤが嫌味っぽく笑みを浮かべて尋ねる。
「サクラのことを、気にしてないのはまずいんじゃない?」
「えっ!? ち、違うわよ。桜のためにここまできたんじゃない。ライダーもにらまないでよ」
「別に、にらんでなどいませんが?」
ライダーが平然と応えた。わざわざここまでやって来るぐらいなのだから、凛の思いを疑うつもりなどライダーにはなかった。
「く…………」
凛が言葉に詰まる。
自分が狼狽えているのは、彼女も理解しているのだ。
らしくもないことに、士郎がセイバーとふたりっきりになりたいなどと言い出したのだ。どうしてもそれが気になってしまう。
本当なら、そんな甘えなど突っぱねたいところだったが、自分にやましい気持ちがあるからこそ、申し出を拒否できなかった。
心の贅肉だわ――。
改めて、そう実感する。
だが、魔術師にそのような概念すらないはずだった。
切り捨てなければならない。そういう感情を理解している時点で、凛は魔術師らしくないのだが、その事を本人は自覚していない。
ようやく、目的の場所へとたどり着く。
「大聖杯を破壊しようと何度かここまで来たのですが、そのたびに黒い影に阻まれたのです」
「臓硯とは遭遇しなかったの?」
「ええ。……一度だけアーチャーと遭遇はしましたが」
「どうなったの?」
「桜がいなかったため、速度にものを言わせて振り切りました」
「そう……」
士郎とセイバーを待ちながらそんな会話をしている時だ。
突然、凛の身体を脱力感が襲う。
「……なっ!?」
パスを通じて、強制的に魔力が吸い出されたのだ。
この量だ。おそらくは、固有結界を展開したのだろう。
アイツ、何をやってんのよ……。
悪態をつく間もない。
ライダーが警告を発した。
「サーヴァントです!」
ライダーが凛とイリヤを抱き上げて、5メートル近くを飛んだ。
ライダーが警戒しているのは、洞窟の入り口。
内側から、サーヴァントが接近しているのだ。
姿を見せたのは一人の男。凛やイリヤがよく知っている相手だった。
その黒い服は初めて見るもの。しかし、彼の特徴は自らの身長を越える槍であった。
「ラン……サー?」
凛がその名を口にする。
「お前等を近づけるなとさ。手駒がなくなって、今度は俺がひっぱりだされたってわけだ」
笑みすら浮かべてランサーが告げる。
「ライダー」
「はい。わかっています」
凛にうながされて、ライダーがうなずいた。
この場でランサーと戦えるのは、ライダーただひとりである。
「特に、イリヤスフィールは消す必要があるらしいぜ。そっちに取り込まれたバーサーカーを引き剥がすためにな」
その指摘に、イリヤが悔しそうに唇を噛む。
「こうなっちまった以上、仕方ねぇ。じゃあな、マスター。これでお別れだ」
そう告げたランサーが槍を振るう。
ライダーが攻撃に移るよりも早く、
どすっ――!
その槍は確実に心臓を貫いた。
ランサーだけでなく、皆がその場に立ち尽くす。
ランサーが握る魔槍。その穂先は、自身の胸から背中へと貫通している。彼の槍は、己の心臓を貫いたのだ。
「どう……して?」
あえぐようにして、イリヤが尋ねる。
「俺がマスターを守ってやる。アイツにそう誓ったからな」
自ら手にかけた相手――死にゆくバーサーカーに、ランサーはそう誓った。
おそらく、ランサーがアンリ・マユに飲み込まれた時、最後まで彼の心を占めていたのは、その誓約なのだろう。
「ランサー……」
消えゆく姿に、イリヤはかけるべき言葉も思いつかない。
「死ぬんじゃねぇぞ」
そう言い残して、ランサーは消滅した。
ドシュ! ドシュ! ドシュ!
立て続けに血の花が咲いた。
「くっ――!?」
ライダーの背中に数本の短剣を突き立っていた。
振り返ったライダーは、背後に浮かぶ白い面を目にする。
「アサシン――!?」
鎖を操り、短剣を走らせる。
アサシンはわずかに身をかわして、それを避けた。
「ランサーめ。使えぬ奴だ。ならば、まず、おぬしを仕留める。あの娘を我がマスターとするためには、おぬしの存在は邪魔なのだ」
「貴方が桜をマスターに望むなど、高望みというものです。あの老人で我慢するのですね」
「我が主に不満などない。主に従うが故に、あの娘をもらい受ける」
アサシンが続けて短剣を放つ。
傷のためか、ライダーの反応が鈍い。
払い損なった短剣がライダーの足に突き刺さる。
「とどめだ――」
アサシンの右腕が、振り上げられた。
棒のように折りたたまれていた右腕が、絡みついた布をはためかせて、振り上げられた。
対象者の擬似的な心臓を造り上げ、それを握りつぶす。暗殺に特化したアサシンの宝具。
ライダーにそれをふせぐ術はない。
彼女に残されたのは、わずかな一瞬。
ライダーは即座にアイマスクを外していた。
彼女の宝具でもあるそのアイマスクの真名はブレイカー・ゴルゴーン(自己封印・暗黒神殿)。
封じられているのは、彼女の瞳――キュベレイ(石化の魔眼)。
わずかシングルアクションで効果を発揮する魔眼が、疑似心臓を握り潰さんとしたアサシンを捉えていた。
「き、貴様――」
じゃらん!
鎖を鳴らしてその先につながれた短剣が、身動きすらできずにいる敵を襲った。
ぞぶり――と、アサシン自身の心臓が貫かれる。
「サクラを脅かすもの全てが私の敵です。貴方も、臓硯も私が討ち果たします」
その言葉が聞こえたかどうか。
すぐにアサシンの体がかすみ始める。闇に溶けるかのように、アサシンの姿が消滅していた。
はっと、我に返る。
自分が安堵のため息を漏らしたことが悔しかった。
凛はようやく、驚きから抜け出していた。
「イリヤ! ランサーとアサシンはどうなったの?」
「ダメだわ。ふたりともサクラにとられちゃった。この程度の距離だと、向こうが優先されるみたい」
悔しそうにイリヤが答えた。
バーサーカーが死んだ時は、イリヤが近かったというよりも、サクラが遠かったのだろう。
今の状況でもイリヤはサーヴァントの魂を取り込むことができなかったのだ。
桜が自分を保っていたことで、凛もイリヤも安心していたのだが、その状態がランサーとアサシンを取り込んでいなかったとなると、状況は変わってくる。
「新しくふたりもサーヴァントを吸収したなら、桜はもたないかも知れない。わたし達だけで先に進むわよ」
「シロウはどうするの?」
「アイツのことだから、放っておいても追いかけてくるわ」
残る敵は臓硯のみ。
アサシンという手駒を失った以上、臓硯が操れるのはせいぜい桜だけだろう。
「あとは桜さえ助ければ全てが終わるはずよ!」