第10話 誰がために(1)

 

 

 

『失踪』

 

 

 

「桜がいない!?」

「はい」

 いつになく、ライダーの表情には焦りを感じられた。

「まさか、また、俺達を巻き込みたくないなんて……」

「そんなはずは……」

 いつもの冷徹なライダーらしからぬ反応だった。彼女にとっても、桜が一人で姿を消したというのは、驚きなのだろう。

「それは考えづらいわ。隠し通す秘密もなくなったんだし、ここにいた方が安全なはずよ。ライダーまで残して、ひとりで姿を消すなんて考えられない」

 遠坂の推測に、ライダーが唇を噛んだ。

「もしかすると、シロウに全て打ち明けてしまったことで、私はサクラの信用を失ったのかも知れません」

「それはないでしょう。貴女が桜の事を考えて行動したことは彼女にもわかっているはずです」

 同じサーヴァントとして、セイバーがライダーを慰める。

「それよりも、何者かにさらわれたと考えた方が自然ではありませんか?」

「でも、この家の結界は優秀よ。強度という点ではいまひとつだけど、感度だけは優れているもの。害意を持った存在が侵入すること思うわ」

 その疑問に一応の答えを口にしたのは、ライダーだった。

「……もしかすると、アサシンならば可能かも知れません」

「アサシンだって!?」

「そんな……。じゃあ、ランサーはアサシンに負けたっていうの?」

「その勝敗についてはわかりかねます。ですが、桜の意志に反してさらうとなると、それ以外に考えられないでしょう」

「つまり、臓硯が動いたっていうの?」

「待て、遠坂。その詮索はあとだ。ライダー、桜が何処にいるかわからないか?」

「そうですね。……おそらく、あちらの方向です」

 ライダーが指さした先、――それは柳洞寺の方向であった。

 

 

 

『大聖杯へ』

 

 

 

「ふーん。こんなところに大聖杯がねぇ」

 木々を縫って歩きながら、遠坂が感想を漏らす。

 俺も、遠坂も、大聖杯に関する知識が無い。

”今回”、イリヤやライダーの口から聞かされて、初めてその存在を知ったのだ。

 石段の途中で、俺たちは林の中に踏み込んでいた。大聖杯があるのは柳洞寺ではなく、洞窟の中になるらしい。

「あーあ。本当なら天の衣を準備したいところなんだけど」

 イリヤが残念そうに口にする。

「あれがあれば聖杯を使えるのに」

「イリヤ。俺達は聖杯を完成させないために行くんだぞ」

「わかってる。でもね……」

 イリヤはその先を口にしなかった。

 千年も聖杯を追い求めたアインツベルンの一族だ。イリヤには、深くその妄執が刻み込まれているのだろう。大聖杯に関する情報も、冬木に来る前に教え込まれた知識らしい。

 そして、アインツベルンや遠坂と並んで聖杯を求める、もう一つの一族――マキリ。

 桜を助けるために、俺たちは臓硯とアサシンを倒さなければならない。

 今の俺たちなら、直接対決して負けることはないだろう。

 不確定要素となる桜についても、投影したルールブレイカーを、すでに遠坂に渡してある。俺が途中で倒れても、遠坂がうまく救出してくれるはずだ。

 そして大聖杯さえ破壊すれば、今度こそ聖杯戦争は終わりを告げる。

「……なあ、遠坂」

「なによ?」

 気が急いているためか、こちらも見ずに応える。

「ちょっと、抜けていいか? セイバーとふたりっきりで話をしておきたいんだ」

「え?」

 そこでやっとこちらを振り向いた。

「ほら、大聖杯を破壊してしまうと、セイバーとはこれっきりになるだろ?」

 俺の言葉を聞いて、遠坂は不機嫌そうに眉を寄せた。

「あっ、アンタねぇーっ……!」

 怒鳴りつけようと口を開きはしたものの、遠坂は昂った感情を無理矢理押し殺した。

「……さっさとしなさいよねっ!」

「ああ。境内に行って来るよ。少し待っててくれ」

 

 

 

『対峙』

 

 

 

 境内に人気はない。

 以前、キャスターが張った結界の効果によるものだ。

 柳洞寺が聖杯出現場所となっているため、事前に相談してその処置を頼んでいたのだ。

 聖杯戦争が終結するまでは、その効果が持続するようだ。キャスターがいなくなった今でも……。

「…………」

「シロウ……。その、話というのは、なんでしょうか?」

 もじもじしつつ頬を染めているセイバーは、思わず抱きしめたくなるほど可愛い。

「ごめんな、セイバー」

「……え?」

「あれは嘘なんだ。ちょっと、ここへ来たかったから」

「ここへ……? 境内にどのような用事があったのですか?」

「いや。境内に用があったわけじゃない」

「では、なんのために……?」

 セイバーではなく、山門へと視線を向ける。

 気配を感じているわけではない。だが、きっとここへ来るはずだ。

「――サーヴァント!?」

 気配を察して、セイバーが山門を振り返った。

 来たか……。

「俺が来るとわかっていたのか?」

 姿を見せたのは赤い騎士だ。

「アーチャー!? なぜ、ここへ?」

「理由が知りたければ、君のマスターに尋ねてみろ」

 アーチャーの言葉に、セイバーは俺を振り返る。

「いや。なにかの根拠があったわけじゃない。もしも、俺がアーチャーなら、こっちへ来ると思ったんだ」

「もしも、貴様なら……か? 凛から聞いたのか?」

「凛……?」

 アーチャーの問いかけの真意がセイバーにはわからない。

 だが、俺には通じた。

「いいや。固有結界で予想がついた。個人の心象風景に基づく固有結界があんなにも酷似するはずがない。それは、親友とか、肉親でもありえないことだ。そうだろう?」

 もしも固有結界を作り出す術式が完成したとしても、ソレによって生じる世界は千差万別となる。それこそ、人間の数だけ世界が存在するのだ。

 つまり――。

「その通りだ、衛宮士郎。固有結界が酷似する理由――それは、術者が同一人物である場合だけだ」

 アーチャーの言葉に、セイバーが目を見開いた。

 アイツが決定的な一言を告げる。

「俺は英霊エミヤ。衛宮士郎のなれの果てなんだよ、セイバー」

 

 

 

『正義の名のもとに』

 

 

 

「そんな……」

 アーチャーが告げた事実に、セイバーが絶句する。

「それで、英霊となったお前が、どうして俺にこだわるんだ?」

 俺を見つめる双眸。そこには明確な敵意があった。

 初めから俺はアーチャーに反発を覚えた。おそらく、アーチャー自身も同じ思いだったのだろう。

 同一人物であるはずの俺たちは、何かが決定的に違っていたのだ。

 俺を一瞥して、アーチャーが問いかける。

「……貴様はそれだけの魔力をどうやって、補った?」

「お前には関係のないことだろう」

「セイバーの前では言えないのか?」

「そうじゃない! これは、俺と遠坂が考えた上でとった選択だ。隠すべき理由もその必要もない」

「貴様は凛がどのような想いでその決断を下したかわかっているのか?」

「言われなくてもわかっているさ。遠坂は生き延びるために、仕方なく俺と……」

「いや……、まるでわかっていない。だから貴様には人の気持ちがわからんと言うのだ。自分の存在意義すらも借り物の貴様に、人の心など理解できん」

 アーチャーが嘲笑する。その対象は俺であり、また自分なのだろう。

「人のため。誰かのため。そこには自分というものが欠けている。そのような在り方など人形にすぎん。誰かを助けるという目的で稼動し続けるだけの機械と同じだ。だからこそ、誰もが理解できる事実を認識できない。――全ての人間が救われることなどあり得ないという事実を」

 その言葉が俺の胸に突き刺さる。

 皆を救う――。衛宮切嗣が願った、真の意味での正義の味方。

 それは俺にとっても大切な意味を持つ。

 遥かに遠い、見果てぬ夢。例え借り物であっても、追い続けると誓った理想。

 それをアーチャーが否定する。他の誰でもない、自分自身が。

「より多くの人を救おうとして、俺はわずかな人間を切り捨ててきた。その果てに、人を救う代償として、守護者となることを承諾した。喜ぶがいい、衛宮士郎。貴様は死してなお、人を救い続けているのだ」

 それは決して、自分の生き方を誇っての言葉ではない。アーチャーの目的は、俺に対する弾劾である。

「俺は数え切れないほど人を救った。人を……殺すことによってな。守護者の仕事とは、人の罪で引き起こされた災厄において、最小限の命を切り捨てることだった。幾度となく繰り返される人間の罪。俺はそのたびに、地獄に呼び出され、誰かを殺し続けた。それが、貴様の望んだ正義の味方の終着点だ」

 俺の未来。俺の理想。

 かなわなかったのならまだいい。

 だが、それをかなえたはずの自分が、それを否定していた。

「俺は何度もアンリ・マユのような存在を相手にしてきた。アレがどれほどの災厄を生み出すか、貴様自身がよく知っているはずだろう? 今回の核となるのは間桐桜だ。それを知っていながら、まだあの娘を助けようと言うのか?」

「あたりまえだ! ルールブレイカーがあれば、桜をアンリ・マユから切り離せる。桜を救えるんだ」

「その後はどうする?」

「……え?」

「間桐桜はすでに聖杯となりつつあるのだろう? その体でどうやって生きていくというのだ? いずれは、魔術師の犠牲となるのではないか?」

「そうはさせない。俺が桜を守る」

「己の命を立つこともできない臆病な人間にとって、とどめをさすことも慈悲となるのだぞ」

「もしも、桜がそれを望んでも、俺は認めない。俺が桜を死なせない」

「この期に及んで、まだ、甘い理想にしがみつくのか? 惰弱な! お前は切り捨てる痛みに怯え、夢物語にしがみつくガキにすぎん」

「ふざけるな! 確かに、俺は半人前かもしれない。だけど、初めから諦めるつもりはない。俺には無理でも、遠坂やイリヤがいる。きっと、桜を救う方法があるはずだ」

「貴様に残された、正義の味方というあり方まで、否定するというのか? 己の弱さから、手をこまねいて人類全てを危険にさらそうとしているのだぞ」

 アーチャーは明確な侮蔑を込めて、俺を見る。

「俺は今でも正義の味方を目指している。より多くの人間を助けるために。俺は最後まで諦めずにこの道を突き進む。いつか、皆を救えることを信じて」

「……やはり、俺と貴様とでは、意見が合わないようだな」

「…………」

「凛の記憶にある俺は、貴様を認めたらしいが、この俺は違うぞ。貴様を殺し、桜を殺す」

「お前にだって、……桜の記憶はあるんだろう?」

「忘れたな。遥か昔のことだ」

 鉄の意志を込めた、静かなる表情。アーチャーにはなんのためらいも感じられない。

「どんなに疎ましくとも、俺自身は守護者なのだ。俺の正義を貫くしかあるまい」

「そんなことはさせない」

「ならば、自らの力で俺を止めてみろ」

「……そのつもりだ」

 俺は傍らに立つ少女へ視線を向けた。

「セイバーは手を出さないでくれ」

「馬鹿な!? 魔術師ではサーヴァントに勝てるはずがない。ギルガメッシュに勝てたのは幸運にすぎません!」

「これは、俺自身の問題なんだ」

「セイバー。衛宮士郎が死んだ後でも、君にはすべき事がある。元凶を破壊するために聖剣の魔力を温存しておけ」

 アーチャーの言葉を聞いて、セイバーがにらみつける。

 アーチャーが敵として俺の前に立った。

「わかっているのだろうな? 俺に挑むと言うことは、剣製を競うということ。たとえ、固有結界を展開できたとしても、肉体の運動能力、投影の精度、固有結界の持続時間――どれをとっても、人間ではサーヴァントには及ばん。それでも、勝てると思うのか?」

「勝てるかどうかじゃない! 俺が信じる正義のために、勝ってみせる」

「では――いくぞ、衛宮士郎!」

 

 

 

 呪文を紡ぎ出す俺の声。

 それに応じるアーチャーの声。

 二つの詠唱が響く。

 現実世界を塗り替える二つの世界。

 もともと同じ根をもつ世界が、奇妙にに混じり合って出現した。

 同一でありながあらも、異なったふたつの固有結界。

 その名は、共に”アンリミテッドブレイドワークス(無限の剣製)”。

 

 

 

『VSアーチャー』

 

 

 

 アーチャーは魔術も、剣も、弓も、使える。だが、凡人のアイツではそれらのどの頂へも辿り着けない。

 だからこそ、アイツが得意なものは、魔術ではなく、剣でもなく、弓でもなく、戦いそのものだった。

 どのような戦闘であっても、誰かを助けられるように……。

 お互いの支配下にある剣軍に号令をかける。

 戦端が開かれた。

 同じ固有結界で生じる無数の剣が互いに打ち消し合う。

 俺の投影は、アーチャーに劣る。

 それは間違いのないことだ。

 ギルガメッシュの言葉ではないが、確かに借り物と言えるだろう。俺が自ら極めた力ではなく、目前のアーチャーから学んだ技術に過ぎないのだ。

 アイツよりも早くこの力を使えるようになったことで、最終的な到達点はアイツを越えることも可能だろう。

 しかし、今の時点ではそんな仮定に意味はない。俺とアイツとの間には歴然とした力の差があった。

 ギルガメッシュ戦とは違い、アーチャーと俺の能力は全くの同種。

 もともとの差異が存在しない以上、完成度、あるいは力量そのものの勝負となる。

 俺の知っている剣はアイツも知っている。だが、アイツは俺の知らない剣をいくらでも持っているだろう。

 見ただけで剣を創り出せるこの世界であっても、見知らぬ剣を認識するためにはどうしても一拍が必要となる。

 つまり、ギルガメッシュ戦で俺を味方したわずかな時間。それが今は、正反対の意味を持って、俺にのしかかるのだ。

 あらゆる経験で、俺はアーチャーに劣っている――。

 剣製が遅れることで、俺の剣軍はじりじりと押し込まれていた。

 

 

 

 おそらく、アーチャーが戦術を駆使すれば、俺は簡単に倒されたに違いない。

 だが、アイツはそれを望んでいない。

 どうしてか、アーチャーは俺を正面から打ち破ることで、俺を屈服させようとしているのだ。

 そのためにこそ、わざわざここで俺の前に姿を現したのだと思う。

 俺が戦っているのは、立ち続けようとしているのは、己の理想のため。

 幼い頃に誓った、約束のため。

 アーチャーは俺のもっとも大切なものをへし折ろうとしている。

 誰かに敗れるのならば構わない。

 だが、自分自身にだけは負けられない。

 俺が、俺自身であるために――。

 

 

 

 ――――っ!

 一瞬の閃き。

 ……あれなら、どうだ?

 そう。

 あれだけは別なはずだ。

 あれだけは、アーチャーでも投影できない。

「……アーチャー。最後の勝負だ」

「追い詰められて、自暴自棄にでもなったか? 一撃の勝負で俺に勝てるわけがなかろう」

「俺は勝つ! 諦めるつもりもない」

「ならば、最後まであがいて、その理想に溺れ死ぬがいい」

 それでもアーチャーは表情を引き締めた。俺の覚悟を感じ取ったのだろう。

「いくぞ! 俺と同じ物を投影してみせろ、アーチャー!」

 俺の体内に魔力を流し込む。固有結界のために、全ての魔力回路が開かれている。そこへさらに魔力を流し込む。

 過剰な魔力を固有結界の外へ溢れ出させる。投影を行うために。

 俺がいつも使っている魔術は投影ではない。あれは、この固有結界が劣化しただけのもの。

 だから、いまから行う魔術こそが、真の意味での投影魔術。

”無限の剣製”では、これを作れない。必要な素子が欠けているからだ。

 その足りない部分を、自ら投影して補う。

「ばかな……。そんなことはできるはずがない」

 アーチャーは俺が何をしようとしているかを察した。

 ああ、そうだ! 貴様にはできない。アーチャーがこれを見たのは、ただの1度きり。

 だが、俺は違う。

 未熟な俺が、ただ一つだけ、ヤツを上回る経験。

 過剰に流れる魔力が、末端にまで染みこみ、身体を侵す。

 

 

 

 鑑定も、想定も、複製も、模倣も、共感も、再現もしない。

 俺が成すのは、複製ではなく、――創造。

 

 

 

 俺自身の何かが、痛み、欠けていく。

 それでも踏みとどまる。

 いまだけはヤツを上回ってやる。乗り越えるしかない。

 右手の中にそれが生じ始める。

 人では制御しきれない、圧倒的な力の具現。世界そのものともいえる、その存在感。

 世界をも切り裂くその威力は、天と地すらも乖離させる――。

「くおぉぉぉっ!」

 右手の中で暴れまくるその剣を、両手で握りしめる。

 ギルガメッシュが所持していた最大の切り札がここに生み出された。

 乖離剣・エア。

「おのれっ!」

 ヤツもまた、俺の剣を目にして投影を開始する。

 確かに俺でも完璧な複製はできない。そして、アーチャーにも不可能だろう。

 しかし――。

 この剣だけは、俺の方がアイツよりも知っている。俺は”前回”も含めて、エアを4度も見ている。

 完璧にイメージする必要はない。必要なのは、アイツを上回る──その一点のみ。

 剣製で挑まれて、アイツが退くわけがない。

 アイツは俺の挑戦を必ず受ける。

 偽りの理想、偽りの夢。それでも、手に入れたたった一つのもの。

 アンリミテッドブレイドワークス(無限の剣製)――。

 だからこそ、アイツは――俺たちは、これに賭ける。

 たとえ、その結果が敗北しか残されていないとしても……。

 

 

 

 アイツの手の中にも、エアが出現していた。

 俺とアーチャーは、同じ剣を手にして、お互いに迫った。

 原型に比べ遥かに劣る二本のエア。

 劣化してもなお、原型に秘められた力は絶大だった。

 あらゆるもをの切り裂き、なぎ倒す、魔力の暴風。

 一対の魔力の渦が、俺たちの中心へと収斂される。

 

 

 

 勝敗は、一撃で決した――!

 

 

 

 砕け散ったエアはアイツのものだ。

 ただの一合にも耐えきれず、アイツのエアが霧散していく。俺のエアが粉砕してのけたのだ。

 驚愕の表情を浮かべるアーチャーへ、エアを振り上げて俺は迫る。

 俺の勝ちだ――!

「エヌマ・エリシュ(天地乖離す、開闢の星)――っ!」

 

 

 

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  注:解析は「できる」か、「できない」かの2択なのだと思いますが、ここでは、50%だけでも解析が可能という扱いにしています。