第9話 剣の在る世界(3)

 

 

 

『光と影』

 

 

 

 音もなく、こちらへ迫る。

 遠近感を狂わすかのような、揺らぎのある存在感。

 現実をも浸食しかねない歪み。

 固有結界が綻び、俺の立つ場所は現実世界へと戻っていた。

 近づくアンリ・マユを前に、俺にできることはたったひとつ――。

 影を消し去るには光が必要だ。濃い暗黒を消し去るためには、さらに輝かしい光が。

 どれほどの剣があっても意味はない。

 どのような剣があっても意味はない。

 今の俺に必要なのは、至高の聖剣のみ。

 俺にならできるはずだ。

 俺でなければできないはずだった。

 

 

 

 創造の理念を鑑定し、

 基本となる骨子を想定し、

 構成された材質を複製し、

 制作に及ぶ技術を模倣し、

 成長に至る経験に共感し、

 蓄積された年月を再現し、

 あらゆる工程を凌駕し尽くし、

 ここに、幻想を結び剣と成す――――!

 

 

 

 この身に帯びていた鞘と対をなすもの。

 人々の幻想によって支えられる、星の輝きを持つ剣。

 俺はその柄を両手でしっかりと握りしめる。

 彼女が持つ最強の聖剣が煌々と輝き出した。

 彼女自身がそうであったように、あくまでも眩しく、どこまでも尊く。

 光の出現そのものを、影は恐れた。その身を震わせ、じりじりと後退る。

 自らを傷つける、最大の脅威。アンリ・マユにとっては、天敵となるであろう、聖なる剣。

 逃がしはしない。

 いや、逃げられはしない。

 この剣が、必ず貴様を断ってみせる。

 俺はアンリ・マユめがけて、その聖剣を振り下ろした。

 パスを通して引き出した遠坂の魔力を注ぎ込み、全力の一撃を叩き込む。

「エクスカリバー(約束された勝利の剣)――!」

 振り下ろす聖剣からは、目映いばかりの聖光が放たれる。

 いかに強力な宝具とは言え、使い手が俺ではセイバーほどの威力は望めない。

 それでも、聖光の威力は絶大だった。

 黒い影を頭頂から両断する。

 磁力のような存在感が薄れていく。

 形を持っていた闇が、突然影絵のように、実体を失ってしまった。

 形を保つこともできず、溶けかけた蝋人形のように、その姿が崩れていく。

 アンリ・マユは路上に残る自らの影へと沈みはじめる。

 その本体は聖杯の向こうにいる。出現したのは、あくまでも桜を媒介した影にすぎない。

 とても、本体を倒せたとは思えない。だが、今ならば、アンリ・マユの力は弱まっているはずだ。この世界への影響力が減少しているはずだった。

 俺は令呪が刻まれている左手を突き出す。

 遠坂は言っていた。令呪には魔法にも似たサーヴァントへの強制力があると。

 この令呪こそがセイバーが存在する証。

 俺とセイバーをつなぐわずかな希望。

 アンリ・マユなどにセイバーを奪われるわけにはいかない。

 奪われたのならば、奪い返す。

 ならば――。

 俺が命じるべきは、この一つだけ!

「戻ってこい、セイバー!」

 キーン!

 令呪の一角が消える。

 視線の先。

 沈み込んでいく人型の裂け目に、白いものが見えた。力無く放り出された白い手首。

 ひどく儚い少女の手だった。

 いそいで駆け寄ると、その手を両手で握りしめる。

 体温を失って、ひんやりと冷たい、華奢な右手。

 足を踏ん張ってその手を引っ張る。

 肘が、腕が、肩が、影から引き上げられ、黄金の髪を絡ませた彼女の顔が確認できた。

「セイバー!」

 その呼びかけに、彼女がまぶたを開く。

「シロ……ウ……?」

 朦朧としているセイバーを両腕で抱きしめる。

 地に染みこむように、黒い影は姿を消していた。

 一糸まとわぬ一人の少女を残して。

 

 

 

『帰還』

 

 

 

 処女雪のような白い肌を夜気にさらして、少女が俺の傍らに立っている。唯一彼女が持っているのは、左手に抱いている聖剣の鞘だけだった。

 キャスターを失った後、俺はギルガメッシュ戦を想定して、セイバーに鞘を返していた。セイバーがギルガメッシュと戦うことはもうないが、この鞘はちゃんとセイバーを守ってくれた。それだけで十分だった。

 彼女が追い求めた理想郷の具現――アヴァロン。

”前回”、俺が言峰と対峙した時も、黒い泥を弾き、身体を侵す泥を消したのは、この鞘の力だった。

「シロウが、私を助けてくれたのですね?」

 俺を見つめ、セイバーが微笑みを浮かべる。

「……ああ」

「きっと、シロウが救ってくれると信じていました」

 セイバーが微笑む。

 その彼女に頷いて見せて、やっと俺は状況に気がついた。

 視線がセイバーから離れない。

 すでに、彼女の身体の全てを知ってはいるが、こうして目の当たりにすれば、視線が捕らえられてしまい、そらすことができない。

「……シロウ?」

 怪訝そうなセイバーがやっと己の姿に気づいた。

 顔を真っ赤にして、鞘を両腕で抱え込む。それで、大切な部分だけは、辛うじて鞘の後ろに隠れた。

「あ、あの、これはですね! 魔力の消費を押さえるために、服と鎧を消していただけで、妙な趣味を持っているわけでは……」

 よほど狼狽えたのか、変な弁解を口にする。

「それは、わかったから。服を着てくれ」

「そ、そうですね」

 セイバーの魔力で服が編まれる。いつものように銀の鎧も彼女を覆った。

「ふう……」

 セイバーが安堵の吐息を漏らす。

 くすっ……。

 どちらともなく、笑みがこぼれる。

 笑いがこみ上げてきた。

 よかった。

 かすかな望みだったが、信じてよかった。

 俺とセイバーが結んだこの契約が、もう一度俺達を引き合わせてくれたのだ。

 俺とセイバーの絆を感じられて、ひどく嬉しかった。

 しかし……。

 セイバーの顔から笑顔が消えた。

「そこにいるのは、誰です?」

 セイバーがあらぬ方に視線を向ける。

「どうしたんだ?」

「サーヴァントです」

 その声が耳に届いたのか、当人が暗がりから姿を見せる。

 俺達の視線の先に現れたのは、重厚なアイマスクをしている黒いボディコン姿の女性だった。

「ライダー!? どうしたんだ、突然?」

「…………」

 ライダーは無言のまま、こちらを見ている。それも、セイバーではなく、なぜか、俺を見ているように思えた。

「桜は無事なのか?」

「え……、ええ。桜は無事です。ある場所に身を潜めています」

「それで、その、俺達に用なのか?」

「すみません。私自身、少し混乱していまして……」

 いつも無表情なライダーらしくない。

 俺もセイバーも不思議そうにライダーを見つめる。

「私がここを訪れたのは偶然にすぎません。自分の身の安全を確保しつつ、シロウを助ける方法を考えていたのですが……、まさか、シロウ自身の手で倒してしまうとは想像もしませんでした」

 その言葉に、セイバーが険しい視線を向ける。

 ライダーに害意はなさそうだったが、セイバーは俺を背中に回して庇おうとする。

「それが、どうして姿を見せる気になったんだ?」

「シロウ。貴方に桜を助けてもらいたいのです」

「助ける? 桜の聖杯の件か?」

「……はい」

 ライダーが辛そうにうつむいた。

「ただし、これは私の独断です。サクラには口止めされていますし、シロウを巻き込まないように命じられてもいます」

「一体、どういうつもりなのです?」

 セイバーはライダーへの警戒心を隠そうともしない。

「できればシロウだけに説明したいのですが……」

 ライダーが困惑したかのように俺を見る。

「セイバー。少しだけ二人で話をさせてくれ」

「お断りします」

「セイバー」

「例え令呪で命じられようと、応じるわけにはいきません。彼女が何を考えているか確かめるまでは」

 こうなると、テコでも動きそうにない。

 ライダーも諦めたかのようにため息をつく。

「仕方がありません……では、貴女にも話を聞いてもらいましょう」

 

 

 

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