第9話 剣の在る世界(1)
『教会にて』
臓硯が死んだ以上、桜を聖杯として必要な人間はいなくなった。マスターに死なれたのだから、アサシンも長くはもたないはずだ。
ランサーが命を落としたらしいのは残念だったが、これで多少の懸念は減ったことになる。
遠坂とイリヤを家に残して、俺はひとりで教会までやって来た。
ある目的のために――。
「……なんでだ?」
思わずつぶやく。
礼拝堂の床には血の痕が残っている。
それはいい。
だが、その遺体がなかった。言峰の身体がどこにも見あたらないのだ。
葛木先生が、心臓を貫いて確実に殺したはずだ。
俺も自分の目でそれを見ている。
――あれで生きているなら、あの男は人間ではないな。
葛木先生の言葉が脳裏に浮かぶ。
……背筋を冷たい汗が流れ落ちた。
しばらく教会の中を調べた後、扉を軋ませて外へ出る。
教会の前の広い通り――そこに、ライダースーツを着たひとりの青年が立っていた。
「貴様ひとりか?」
尊大な問いかけが、答えることを俺に強要する。
「あ、……ああ」
「騎士王はどうしたのだ?」
「影に、呑まれた……」
「チ――」
俺を見下している赤い瞳に、さらに侮蔑が籠もった。
「よりにもよって、貴様のような下郎をマスターとしたからだ。我が騎士王を手にするまでの、ほんの数日すら、つなぎ止めることができなかったとはな」
「…………」
「運が無いな。セイバーをむざむざ失い、我の前に姿を現すとは」
「ギルガメッシュ……、頼みがあるんだ」
「笑わせるな。我に要求ができる立場か? 貴様等に許されているのは、我に奉仕する喜びのみよ。我の庇護を受けたければ、跪いて恩寵を請え。どのみち、貴様の運命だけはすでに決まっているがな」
「他のサーヴァントを殺さないで欲しい」
「ふん。貴様の指図など受けぬ。我が聖杯を望む以上、喜んで命を差し出すのが筋というものであろう?」
そこにあるのは、ギルガメッシュの意向だけだった。他人の意思も生命も、ギルガメッシュにとって顧みるに値しないのだろう。
「……どうしてもか?」
「他人の心配などやめておけ。全ては貴様が死んだ後のことだ」
「そうか……」
こういう結果になるのは、予想できた。ギルガメッシュ相手に今の俺達では交渉する材料がない。
「それなら――、お前を倒す」
「何を言っている? 騎士王がいない以上、貴様等に勝ち目などなかろう」
侮られたという怒りもない。あまりに予想外な言葉に、ギルガメッシュは呆れかえっているのだろう。
「遠坂の言った言葉を忘れたのか?」
「知らんな。そのような輩」
「公園で会った時に、俺が勝つって言っていたマスターがいただろう?」
「ああ。あの胸の貧しい魔術師のことか」
ギルガメッシュは、本人が聞いたら怒り狂うような表現を使った。
「あいつが言う事は正しい。俺がそれを証明してやる」
「あのような戯れ言を本気にしたのか、貴様は? ふ――――はは、はははははは!」
取り憑かれたかのように笑い続ける。
「我を笑い殺すつもりか? これほどの道化を見るのは初めてだぞ、雑種。よかろう、我の前で踊ることを許してやる」
俺がここへ来た目的――それは、ギルガメッシュを倒すことだった。この教会だけが、こちらからギルガメッシュに接触をとれそうな場所なのだ。
桜を聖杯にさせないためには、これ以上サーヴァントを取り込ませるわけにはいかない。
だから――、これを最後にする。ギルガメッシュを倒すことですべてを終わらせる。
俺は、剣技も、速度も、膂力も、全てにおいて、サーヴァントに劣る。
人に過ぎない俺では、どんなサーヴァントにもかなわない。
だが、ひとりだけ倒しうる相手がいた。それが、千の宝具の持ち主であるギルガメッシュなのだ。
なぜなら、――この体は剣でできているのだから。
身を守る盾はすでにある。
敵を倒す術も手に入れた。
あとは戦うだけだ──。
『VSギルガメッシュ』
ゲート・オブ・バビロン(王の財宝)。
ギルガメッシュの背後がゆらめいた。
空間が歪み、ギルガメッシュの宝物庫が、この場とつながったのだ。
何もない空間に、切っ先が生じる。
「まずは、五本といこう。存分に踊って見せろ」
俺を侮るギルガメッシュの攻撃。
だが、あの程度など恐れるまでもない。
そう──。
ヤツの攻撃は俺に届かないのだから。
俺の盾がそれを必ず防ぐ。
持ち主を守る最強の加護。
理念も、骨子も、材質も、技術も、経験も、年月も、工程も──辿る必要はなかった。
必要なのは、一瞬のみ。
俺が突き出した右手の先に、瞬時にして投影が完了する。
「アヴァロン(全て遠き理想郷)──!」
セイバーが持つエクスカリバーの鞘。
俺がこの身に帯びていた、最強の盾。
空間そのものを断絶し、あらゆる攻撃を遮断する。
誰かをではなく、自分ひとりを守ることならいつでもできた。だからこそ、守るべき相手がいては使えない。
ギルガメッシュの眼前で、放たれた魔剣をアヴァロンは全て弾き返す。
セイバーの求めた理想郷に、ヤツごときが辿り着く事などできはしない。
俺が焦るべき理由など何処にもなかった。
俺は静かに呪文を紡ぎ出す。
I am the bone of my sword.
(体は剣で出来ている)
「なんだ、その呪文は? 真似られるものと、そうでないものの区別も付かんのか?」
俺に向けられる嘲りの声。
固有結界というのは魔術とは違う。術者の心象風景を具現化するだけのもの。だから、他者と同一の固有結界を持つことなどあり得ないのだ。
アーチャーが使ったからこそ、その使い手は他に存在するはずがない。
だが――。
Steel is my body,and fire is my blood.
(血潮は鉄で 心は硝子)
ギルガメッシュの攻撃は続いているものの、俺は無傷だ。
アヴァロンが全てを弾いている。
「おのれ……!」
王としての誇りのもとに、ギルガメッシュは俺を屈服させようとする。
I have created over a thousand blades.
(幾たびの戦場を越えて不敗)
ギルガメッシュが視線をそらす。
「なに……?」
それは余裕からなどではなく、確かに注意を奪われている。
その視線の先には……。
Unaware of loss.
(ただ一度の敗走もなく)
海中に揺らぐ海草のような……。
ゆらゆらと漂う黒い影がそこにいた。
おそらく、この場に満ちる食料――魔力を求めて。
Nor aware of gain.
(ただ一度の勝利もなし)
どうする?
ギルガメッシュ。
アンリ・マユ。
どちらも恐るべき脅威だった。
逃げ出すのが賢明だろう。それは自分でもわかっている。
Withstood pain to create weapons. waiting for one's arrival.
(担い手はここに孤り 剣の丘で鉄を鍛つ)
だが、逃げようにもギルガメッシュがそれを許してくれるだろうか?
おそらく、ギルガメッシュにとって、俺の存在など視界に入った雑草と同じだ。敵とすら認識していないだろう。
俺が休戦を申し出ても、鼻で笑われるのがオチだった。
それに――。
I have no regrets.This is the only path.
(ならば我が生涯に意味は不要ず)
これは俺にとってもチャンスなのだ。
ギルガメッシュを倒し、あの影を倒すための。
覚悟を決めて、俺はその言葉を紡ぎ出す――。
My whole life was "unlimited blade works"
(この体は、無限の剣で出来ていた)
俺を中心として、俺の世界が広がる。
くっ、くっ、くっ、とギルガメッシュが笑った。
「驚いたぞ、小僧。偽物の偽物とはな……」
ヤツが俺を嘲笑する。
「言峰によると、貴様の理想とは、切継とやらの借り物に過ぎぬらしいな。偽りの理想に、偽りの力。つくづく、くだらぬ輩よ」
「偽り……だと? お前がそれを言えるのか?」
「なに?」
「お前はただ宝具を手にしただけの持ち主にすぎない。一体、どれだけの宝具をお前は使いこなせると言うんだ?」
「それがどうしたというのだ? そんなものは一兵卒がすればよかろう。王たる我がすべきは、力を極めることではなく、力を有する者を従え、進むべき道を示すことよ」
俺とギルガメッシュが理解しあえることはないのだろう。
俺は人として、ヤツは王として存在しているのだ。
「お前のゲート・オブ・バビロンには、千の宝具があるんだったな? だが、アーチャーが言っただろう? この固有結界の名を……」
そう、その名を――アンリミテッドブレイドワークス(無限の剣製)。
「無限を相手に、たったの千で勝てるつもりなのか、ギルガメッシュ?」
「囀るな、小僧」
ギルガメッシュの赤い瞳に殺意がみなぎる。
「英雄王──武器の貯蔵は十分か?」
「囀るなと言ったはずだっ!」
「いくぞ。ギルガメッシュ!」
俺は、地に突き立っている手近な一本を引き抜き、ギルガメッシュに斬りかかった。