第8話 人として(4)
『アインツベルン城』
間桐邸を後にした俺達は、一路郊外へと向かった。
うっそうと茂る森を越えると、そこには異世界が構築されている。
本来なら、イリヤの居城となっていたはずの大きな城であった。
「士郎。誰かいるわ……」
「イリヤか?」
「ええ。イリヤもいるみたい……。とりあえず警戒しておいた方がよさそうね。士郎、こっちよ」
「え――――ちょ、ちょっとおまえ……!?」
遠坂は壁際の大木にとりつくと、器用に登っていってしまった。
意外だ。木登りにまで慣れているのか、アイツは?
内部を覗き込んだ遠坂は、平然と窓に跳び蹴りをくれている。
いや、もう、驚くのもいまさらの気がしないでもないが……。
間桐邸でも、慎二がいなかったらこういう展開だったんだろうなぁ。
「士郎! 早くする」
小声でピシリと命じられた。
「はい、はい」
お目当ての人物と遭遇したのは、ものの数分もだった。
「シロウ!? リン!? どうして、ここに?」
廊下で出会った俺達を見て、イリヤが目を丸くする。
「イリヤ!? 無事だったのか……」
ほっと安堵の息を漏らす。
「イリヤはどうしてこんなとこにいるのよ? 自分の意志できたわけ?」
「違うわ。サクラを探していて、ゾウケンとアサシンに襲撃されたの。わたしはかごの中の鳥ってわけ」
「バーサーカーはどうしたんだ?」
「……死んじゃった」
「そうか……。ごめんな」
謝って話を変えようとしたが、遠坂がそれを許さなかった。
「アサシンにバーサーカーを倒すほどの力があったの?」
「正確には、アサシンに一度殺された隙に、黒い影に呑まれたの」
「影……アンリ・マユのことか?」
「たぶんね。ランサーはササキコジロウに倒されちゃった」
「そうか……」
これまで、イリヤたちからの接触がまったくないことから、薄々とは感じていたことだった。
「そっちはどうしたの? セイバーとアーチャーは?」
『…………』
俺と遠坂が顔を見合わせる。
「セイバーも影に呑まれたんだ」
「アーチャーは私たちと別れたわ。一人で桜を追ってる」
「じゃあ……、ふたりだけなの!? ふたりともすぐに帰って!」
「なんでさ?」
「ここにはゾウケンとアサシンがいるの」
「大丈夫だ。アサシンはセイバーが……、倒したから」
その苦い記憶を口にする。
「違うの! コジロウとは違う、暗殺者のサーヴァントよ。貴方たちふたりじゃ勝てっこないわ」
「バカなこと言うな! イリヤを置いて帰れるわけないだろ」
「……ふたりが死ぬのは勝手だけど、わたしを巻き添えにしないでくれる?」
冷淡な口調でイリヤが切り返す。
「怒らせようとしても無駄だからな。イリヤは俺の妹なんだろ? 兄貴の言うことは聞くもんだ」
「わたしにとっては、ここから逃げ出す方が危険だわ。聖杯としての利用価値があるから、私に危害を加える心配はないもの。だけど、シロウ達には容赦しない。見つかったら、殺されるのがオチよ」
「だから?」
「…………」
「士郎のことがわかってないわね。自分が危険だからって、アンタを見捨てていけるわけないじゃない」
遠坂が肩をすくめる。
ひどくバカにされている気もするが、事実なので反論できない。
「無理矢理にでも、連れて帰るからな」
「…………」
両手でスカートの裾を握りしめて、イリヤがむーっとこちらを睨む。
「どうするんだ? 臓硯達が来るまでここで口論するのか?」
「わかったわよ。一緒に行く」
不満そうに答えながらも、イリヤは嬉しそうに笑ったのだった。
このまま、森を抜けられる。
そう思った。
だが、俺たちの場合、事がうまく進むことなんてほとんどない。
俺が感じ取ったのは、殺気などではなく、本能的な恐怖。
左に生じた銀光を、地面に身を投げ出すことでかろうじてかわした。
手を引いていたイリヤを、抱え込むようにしてその場を転がる。
「士郎!?」
驚いた遠坂が振り向く。
「敵だっ! 気をつけろ!」
俺の視線の先に、白い仮面が浮かぶ。
「今のは警告だ。その娘を置いていけ」
闇を纏う白い仮面。
アサシンが俺達に追いついたのだった。
傍らには、小柄な老人が立っている。矮小なその体躯から、怖気のするような気配が漂う。
こいつが――間桐臓硯?
『闇に潜みし者』
「ふむ……、今のおぬしらに何ができる? サーヴァントすらおらぬというのに」
「それがどうしたって言うのよ。わたしがそんなことで諦めるわけないじゃない」
遠坂が平然と対峙する。いや、傲然と言ってもいい。
「いや、いや……胆力だけは、大したものよ。だが、賢くはないのう。なぜ、次回を待てぬ? そんなにも若いというのに」
「理由は簡単よ。今、やらなければならないことだからよ。アンタに聖杯は渡せないし、桜も助けなきゃならない。だから、アンタをこの場で倒すわ!」
「アインツベルンの娘よ。おぬしもこの愚か者どもと共にあがくというのか?」
「そうね。貴方達たちといるよりは、食事が美味しいもの」
「――――呵。呵々々々々々々! 運もなければ、思慮も足らぬ。己の未熟を嘆くがよい、小娘ども」
「やってみなさいよ、糞爺っ!」
遠坂がポケットから取り出した宝石を叩きつける。
臓硯の立っていた位置で魔力が炸裂した。風の渦が発生し、至近にいたものを切り裂く。
からくもかわした臓硯だったが、右半身にいくつもの裂傷を負っていた。
「なかなかやるではないか。おぬしに負わされた傷じゃ。減った血はおぬしから頂くとしようか……」
遠坂を見据えて、臓硯がにたりとわらった。
魔術戦に、俺の介入する余地はない。
遠坂とイリヤが一緒ならば、どんな魔術師が相手でも負けないはずだ。
それに、俺には俺のすべきことがあった。
しゅっ!
風切り音とともに投擲ナイフが迫る。
三本だっ!
慌てて二刀を振るう。
二本をたたき落とし、一本は身をかわしてよける。
「くそっ!」
やりづらい……。
アサシンには積極的に攻めようという意志が欠けていた。
わずかづつでもダークを当てて、動けなくなってからとどめを刺すつもりなのだろう。
戦いにおいて、技を競いあうというのは、もしかしたら不純な考えなのかもしれない。
アサシンの目的はひどく単純だった。
戦いのための戦いではなく、殺すための戦い。
こちらが隙を見せても簡単には誘いに乗らず、機械のように冷静にこちらの戦力を分析している。
これでは、俺が勝つためのチャンス自体が生まれない。
直接戦っても分があるというのに、アサシンは距離を取って、ある程度以上は近づこうとしない。
俺の手にした干将莫耶がサーヴァントに対しても有効な武器だと感じ取っているのだろう。
間合いが違いすぎる……。
ならば――。
右手に握った干将を投げ捨てる。
「観念したか……」
無感動な声が反応した。
右手を背後に回した状態で、投影を行う。振りかぶったりせず、無造作にソレを投げた。
「む!?」
アサシンにかわされた刃は、背後の木の幹に突き立った。
「どうして、オマエがそれを持っているのだ?」
俺が投影したものはアサシンが使っているダークそのものだ。そして、使用した投擲技術もまた、アサシンのものだった。
「――トレース・オン(投影、開始)」
俺の右手に、今度は2本のダークが出現する。
「どっちの数が多いか試してみるか、アサシン?」
「ぬ……」
アサシンがいくつ持っているか知らないが、俺は魔力が続く限り投影できる。
実際は、流用している遠坂の魔力にも限界があるのだから、とても、無制限とは言えない。
だが、アサシンが所有している数にも限りがあるはずだから、牽制にはなるだろう。
こうして時間を稼ぐだけでいい。
遠坂の勝率があげるために、アサシンを引き留めておければ……。
咆吼が聞こえた。
人語を構成しない叫び。
鳥の鳴き声と羽ばたきの音。
迫りくる何かが、周囲を圧する。
鳥を、獣を、恐れさせ、逃げまどわせる。
枝をへし折り、大地を踏みならし、重戦車のような存在が迫りくる。
再び、咆吼が耳に届いた。
アサシン――佐々木小次郎が、黒く染められて俺たちの敵となったように──。
彼もまた、敵となるのか?
”前回”、同じこの森でセイバーが倒した恐るべき敵。
それは──。
「■■■■■■■■――っ!」
黒い巨体。
その赤い瞳は凶つ星のよう。
バーサーカーがこの場に到来した――。