第8話 人として(3)
『勝利のために』
「大丈夫なの?」
居間に戻ると、遠坂が俺の顔を覗き込んだ。
「ああ。身体に多少の痺れは残っているけど、他の問題はない」
「そう。よかったわ」
「言峰には、俺の知っていることを全て白状させられたけどな」
「でも、言峰は葛木先生が始末したんでしょ?」
「ああ」
「だったら、問題ないわ」
そう口にして、遠坂が表情を改めた。
「それよりも……、情けないと思わないの、アンタは?」
怒鳴りつけるように俺を叱責する。
「な、なんだよ?」
「アンタまでいなくなったら、わたしは一人っきりになるじゃない! 簡単にやられないでよ」
「その……、悪かった」
「ったく……。やっぱりためらってられないわね。どうあっても、アンタには強くなってもらわないと困るわ」
「そうは言うけどな。簡単に強くなれるなら、苦労はないぞ」
必殺技が欲しいなどという甘い考えは、今の俺にはない。その点については、セイバーからたっぷりと教え込まれたからだ。
「アンタを強くするぐらい、簡単にできるのわ。サーヴァントともなんとか戦える程度に」
「どうやって!?」
「アンタの本当の力っていうのはね、固有結界なのよ。あのアーチャーと同じ事が貴方にはできるの」
「俺が使えている投影魔術だって、通常の投影とは違う特殊なものなんだろ。そのうえ、固有結界もだなんて……」
「そうじゃないのよ。貴方の使える投影は、固有結界が劣化したものなんだから。強化もそう。つまり、貴方は固有結界──いえ、”無限の剣製”をなすために特化した魔術回路なんだわ」
「なんだって、そんな突拍子もない事を……」
さすがに懐疑的になったが、遠坂は平然と俺を見返している。
「これは推測なんかじゃないわ。わたしはその事実を知っているの。そして、貴方がその力でギルガメッシュにすら勝利した事もね」
……そう……なのか?
以前、セイバーと共にギルガメッシュと対峙したとき、遠坂が口にしたのはそういうことだったのか……?
「待ってくれ。もし、そうだとしても──いや、そうなんだろうけど。やっぱり俺には使えないぞ。今の俺には結界を張る魔力も、維持する魔力もないんだ」
「自分で補えないんなら余所から持ってくるのが魔術師じゃない。だったら、わたしの魔力を使えばいいのよ」
「使えばって……、どうやって? 他人の魔力なんて使用できるわけがない。それができないから、セイバーの時は……」
”前回”の記憶を思い返して、思考が停止する。
アレなら、魔力を補給できる。
俺は遠坂の顔をまじまじと見つめた。
それだけで俺が思いついた事実を察したようだ。
頬を染めながら、遠坂が補足する。
「勘違いしないでよ。言っておくけど、魔力を消費するたびにするんじゃないんだから。魔力を送るパスをつなぐ契約として行うんだから」
「な、な、何を考えてるんだよ! つまり、一回はするってことじゃ……」
うろたえる俺に、遠坂がたたみかけた。
「わたしには魔力はあっても攻撃力に欠ける。士郎は攻撃力はあっても魔力に欠ける。わたしたちがやるべきことは決まってるでしょ?」
「ま、待てってば。だって、俺と……遠坂が?」
「当たり前じゃないの。ここにいるのは、わたしたち二人しかいないんだから」
「だけど、ほら、俺はセイバーが……」
遠坂が唇を噛んでうつむいた。
「そんなの知ってるわよ!」
遠坂が声を荒げた。
「戦い抜くには力がいるのよ。士郎には拒否権なんて認めない。これはわたしたちが勝つ為に必要なことなんだから」
遠坂がこんな方法に踏み切るぐらいだから、よほど考えを巡らせた上でのことだろう。
遠坂の主張に理があることは俺にもわかる。
力の劣る俺達には、本来なら方法を選り好みする余裕なんてないのだ。
「…………」
やはり、葛木先生に頼むべきだろうか?
いや……。サーヴァントと戦うことは可能かもしれないが、倒すのは難しい気がする。キャスターのためにも、葛木先生を犠牲にするようなことはできない。
「……わかった」
なにより、遠坂自身がこんなことを望んではいないはずだ。契約が目的で抱かれるなんて。
遠坂が自分の感情を殺して決断したのだから、俺もそれに応えるしかない。
「……ごめんね、士郎。わたしなんかが相手で」
そう告げる遠坂に俺は驚いていた。
心細そうな遠坂はひどく儚げで、どうしても俺は遠坂を支えてやりたくなっていた。
腕を回して、彼女の身体を抱きしめる。
「その……、俺の方こそゴメン。こんなことをさせて」
そう口にすると、遠坂が身を震わせる。
「謝らないでよ、……バカ」
俺の背中に腕を回して、遠坂は俺の胸に顔をうずめた。
遠坂が涙をこぼしている。
好きでもない相手と身体を重ねるなんて、遠坂にとって苦痛でしかないだろう。
彼女を汚してしまう俺には、慰めの言葉も思いつかなかった。
細い身体を抱きしめて、俺はその場にただ立ち尽くしていた。
『夜明けのミルクを一緒に』
台所に立って、朝食の準備をする。
それは、いつもしている習慣に過ぎない。
おちつけ、俺。
自分自身を叱咤して、心の平静を保とうとする。
だが、意志の持ちようでどうにかなるようなものではなかった。
なんといっても、”あの”遠坂とベッドインしたのだ。たとえ、心のつながりがなかったとしても、身体を重ねた事実は変わらない。平静を装うにもおのずと限界がある。
そこへふらふらとした足取りで、問題の人物がやってきた。
冬眠中に起こされた熊のように、のっそりと動いている人物だ。
「士郎〜。牛乳〜」
唸るように牛乳をねだる。
緊張していたこちらが拍子抜けするほど、いつもの(?)遠坂だった。
「あ……、ああ」
コップに注いで渡した牛乳を、遠坂が喉へと流し込む。
「う゛〜」
飲み終えた遠坂が首をひねる。
「どうかしたのか?」
「な〜んか、体の調子が悪い」
不機嫌そうな半眼を俺に向ける。
「身体がダルいし、変なとこが痛いし。アンタ、何か知らない?」
「えっ!?」
「な、なによ、士郎。知ってるなら、教えなさいよ!」
そう口にして俺に迫る。
「本当に……覚えてないのか?」
「覚えてって……、昨日は……」
宙をさまよっていた遠坂の視線が、俺の顔の上で止まった。
原因に思い至ったらしく、その目が見開かれる。
ボンと爆発音が聞こえそうなほど、瞬時に顔が紅潮していた。
おかげで、俺も昨日の夜をまざまざと思い出してしまう。
俺達の間に気まずい沈黙が流れた。
「べ、別に忘れてたわけじゃないのよ! 寝起きで、ほら、頭が働かないし、どうしても初めてって慣れないみたいで……っと」
遠坂が慌てて口を塞ぐ。
……あれ?
遠坂が初めてなのは、まあ、その……俺も知ってる。
だけど、”初めて”に”慣れない”?
遠坂は、以前にも”初めて”を経験したということなのだろうか?
「いまのは、ナシ! 忘れるのよ。いいわね!」
照れ隠しなのか、俺に凄んでくる。
「わ、わかった」
こんな状態の遠坂に俺が対抗できるはずもない。慌ててうなずく。
……しかし、遠坂の初めての相手ってのは誰なんだろう?
それを考えると、俺の胸にわずかな嫉妬が芽生える。俺には、そんな資格はないっていうのに……。
『マキリの巣』
間桐邸。
俺たちはなんらかの手がかりを求めて、ここへやってきた。
魔術師の工房である。危険が待ちかまえている可能性もあるのだが、俺達自身が行動を起こさない限り、事態の好転は望めないだろう。
俺は、これまでにも何度かここを訪れたことがある。当然、慎二を殴るよりも前のことだ。
呼び鈴を鳴らした俺達を出迎えたのは、当の慎二だった。
制服姿なのは、登校する直前だったからだろう。もしも不在だったら、俺達は扉を壊して中を調べるつもりだった。
「衛宮と遠坂? しばらく学園を休んでいるみたいだけど、どうしたんだ? 僕に用かい?」
「あがらせてもらうわよ」
「え、おい、俺は登校するところなんだよ」
「そう? じゃあ、行ってくれば?」
「遠坂……、お前……」
「悪いな慎二」
「――チ」
ずかずかと入り込んだ遠坂は、慎二の抗議をものともせずに、屋敷の中を歩き回る。
「待てよ、遠坂! 一体、どういうつもりなんだ?」
遠坂の後を追いかける慎二が、遠坂の真意を尋ねる。
「アンタには関係ないわ。黙っててくれる?」
慎二をなだめるのも一苦労だ。家に上がり込まれて勝手をされれば、誰だって怒るだろう。そのうえ、相手は信二なのだ。
とはいえ、遠坂は邪魔だと思えばガンドでも叩き込みかねないので、なんとか、俺が押さえるしかない。
来る前に軽い打ち合わせはしていた。
魔術的な痕跡を捜すのは遠坂の担当だ。俺には無理だし。
かわりに、物理的な調査をするのが、俺の役目になる。建物の構造を解析して、なんらかの罠や、隠し部屋を見つけ出す。
…………ん?
「遠坂。妙な空白部分が二つあるぞ」
「え? どこよそれ、一階?」
「二階から……、地下まで通じているみたいだ」
「どうやら、そこが一番重要な場所みたいね」
壁に隠されたその階段の先──。
そこは、陽が差し込むこともなく、風がそよぐこともない。ひどく淀んだ場所だった。
「これが、マキリ……」
遠坂が絞り出すようにして口にする。
「マキリ?」
ついてきた慎二が首を傾げる。
遠坂は下りきる前に、足を止めていた。
俺も賛成だった。
ここへは下りたくない。人間の嫌悪感を刺激する何かがある。
何かの異臭がそこらに染みついている。いや、臭いとは少し違う。瘴気というべきだろうか?
このときの俺は、遠坂が肩を震わせているのは生理的な嫌悪感からだとばかり思っていた。
遠坂に促されて俺達はその場を後にする。
「なんだ、あの部屋? どうして、お前が知っているんだよ?」
この家に暮らしているはずの慎二が尋ねてくる。
もしかしたら慎二はこの部屋に入ったことがあるかもしれない。だが、今となっては魔術に関する全ての記憶を失っているのだ。何一つ思い出せないだろう。
それなのに……。
いきなりだった。
遠坂は無言のまま、慎二を殴りつけたのだ。
遠坂に同行している俺ですら不思議だったのだから、当の慎二には全く理由が想像できなかっただろう。
「な、な、な、何をするんだよ、遠坂!?」
慎二が身を起こして、くってかかる。
「殴りたかったからよ。悪い?」
遠坂は動じずに、慎二をにらみ付ける。
格の違いだろうか。慎二は二の句も継げず、遠坂の気迫に呑まれてしまった。
「帰るわよ、士郎。なにも見つからないみたいだし、もう、こんなところに用はないわ」
遠坂は殴ったはずの慎二に目もくれず、俺を促していた。
「どういうつもりなんだよ、オマエら!?」
頬を張らした慎二が俺をにらむ。遠坂に言えない文句を俺にぶつけているのだ。
「なんで、急に怒り出したのか、俺にもよくわからないんだ」
信じてもらえないかもしれないが、これは事実である。
一体、どうしたっていうんだ?
不思議な事に、遠坂は間桐邸を出た後もその理由を口にしようとしなかった。
「くそ……。こんな女だとは思わなかった」
慎二が遠坂の背中を睨んで吐き捨てる。
「オマエら付き合ってるのか?」
「違うよ」
一度結ばれただけで恋人扱いでもしたら、遠坂に呆れられるのがオチだ。
よほど立派な男でなければ、遠坂とは釣り合わないだろう。
「気が強い女をしつけるのも面白いけど、アイツはやめとけ。お前には無理だ」
慎二の声が聞こえたのか、遠坂の歩みが止まる。
「お前には桜とか、家にいた外人のコが合ってるんじゃないか?」
「……そうかな?」
遠坂が足音も荒く、こちらにつかつかと戻ってきた。
大きく振りかぶると、先ほどと同じように慎二を殴り飛ばしていた。