第8話 人として(1)

 

 

 

『ふたり』

 

 

 

 ふたりきりの一夜が明けた。

 普通の日なら、どんなに胸躍る……または、緊張の一夜になることだろう。

 しかし、今の俺たちにとっては、それどころじゃない。

 桜が姿を消し、イリヤも帰ってこず、全てのサーヴァントは失われた。

 俺がこの家で顔を合わせるのは、遠坂ただ一人となったのだ。

「寂しくなったな……」

「情けないわね」

 弱気な俺の言葉を、遠坂がたしなめる。

「俺が守ってやるぐらいのこと、言えないの?」

 そんな軽口を叩く。

 へこたれないというか、逞しいというか……。

 思わず苦笑をこぼした俺を、遠坂がむっとなってにらみ返す。

「何よ?」

「……遠坂は強いな」

「ふん。悪かったわね」

「ほめてるんだよ。その方が遠坂らしいと思うし」

 うつむいて立ち止まるなんて、遠坂の生き方じゃないもんな。

「わたしだってねぇ、弱音を吐きたい時があるのよ。まるで、鉄の女みたいに言わないでくれる?」

 昨夜、相棒を失った遠坂だ。やはり堪えているのか、そんな言葉を口にする。

 そうだった。

 俺もセイバーと別れたとはいえ、彼女は最後まで俺の身を案じてくれた。

 相手の口から決別を言い渡された遠坂は、外に出していないだけで俺よりも落ち込んでいるのかもしれない。

「つらい時には弱音を吐いてもいいんじゃないか? 俺には慰めることもできないだろうけど、愚痴を聞いてやるくらいのことはできるよ」

 俺の言葉に、遠坂は唇を噛んでうつむいた。

 てっきり泣くかと思ったのだが、遠坂は俺をにらみつけただけだ。

 まるで、俺を責めるように。

 まあ、遠坂のことだから、弱いところを見せるなんてプライドが許さなかったのだろう。

 無理をすることなんてないのに……。

 

 

 

 腹が減っては戦はできぬ。

 この家では、妙にこの言葉が優先される。誰のせいとは言わないが……。

 とにかく食べて英気を養うことは戦いの第一歩だった。

 この言葉に込められているのは、単に栄養補給にとどまらず、適度に緊張を緩和させることや、日常生活をおもい起こさせる意味もあるのだろう。

 本来の当番である桜がいないため、かわりに遠坂が朝食を準備した。

 中華粥と様々なトッピングが食卓に並んでいる。

「遠坂は聖杯戦争から降りるつもりなんてないだろ?」

「まあね。アンタだって、そうでしょ?」

「ああ」

 俺たちはうなずき合った。

 聖杯を欲しいとは思わないが、誰にも渡さないためには、やはり、勝ち抜くしかないのだった。

 かならずしも全員が聖杯を求めているわけではないだろうが、さまざまな競争相手が残っている。

 桜とライダー。──この二人は敵とはならないだろう。ライダーは俺たちよりも桜を優先させるだろうが、警戒の必要はなさそうだ。

 アーチャー。──桜を助けようとする限り、アイツは必ず敵に回るだろう。せめて桜かライダーにその情報だけは伝えておきたい。

 間桐臓硯。──俺と遠坂で何とかできるのは、臓硯だけだ。いや、そう考えることすら判断が甘いのかも知れない。実力の程を俺たちは全く知らないのだから。

 言峰とギルガメッシュ。──この二人が一番やっかいだ。ギルガメッシュは論外だし、マスターである言峰は、”前回”、不意打ちとはいえ、遠坂を相手にまったくの無傷だった。

 あとは、黒い影。──正体がアンリ・マユだとするなら、聖杯の破壊で消滅させられるかもしれない。あるいは、聖杯戦争が終わる二週間目を待つべきだあろうか?

 障害は多そうだが、俺たちの目的は決まっている。

 桜とイリヤを助けて、聖杯を破壊する。

 道はどこかにきっとあるはずだ。

「遠坂。実際問題として、どうする? 情報収集は当然するけど、交渉するにも、逃げ切るにも、ある程度は戦力が必要だろ? 何かいいアイデアでもないか?」

 さすがに、サーヴァントを一撃で倒せる必殺技とは口にしない。セイバーにそう告げて、ひどい目にあったからだ。

「う……うん。ひとつだけ、テはあるんだけど……」

 言葉を切って、こちらの表情をうかがっている。おずおずといった様子で、妙に女の子らしい仕草だ。

「なんだ? 俺でよければ、何でもするぞ」

「な、何でもって……」

 なぜか遠坂は言葉を詰まらせる。

「なんだよ?」

「こっちにも、心構えが必要なの」

「なんの話なんだ?」

「なんでもないわ」

 なぜか、真っ赤になると、その顔を隠すように俺から背ける。

 ……なんなんだ、一体?

「なによ? 聞かないと安心できない?」

「遠坂のことだから、考えがあるんだろ?」

「そ、そうよ」

「なら、遠坂が話せる時でいいよ」

「……うん」

 

 

 

「腹が減っては戦はできないって言うでしょ? 食材を仕入れに行くわよ」

 うーむ。やはりそうくるか……。

「なんか、セイバーっぽいな」

「わたしはあんなに食い意地張ってないわよ」

 当人が怒りそうな事を口にした。

「じゃあ、桜とか?」

「変わんないわよ」

 そんな軽口を叩きながら、俺達は商店街に出た。

 藤ねえや桜を除けば、俺には女性と買い物に出かけた経験なんてまったくない。

 これではまるで、デートじゃないか。

「どうかした?」

 口数が少なくなった俺を、遠坂が振り返る。

「なんでもない」

 照れ隠しで妙に硬い口調になってしまった。

 遠坂は例のチェシャ猫みたいな笑いを浮かべる。

「こうやって、ふたりで食事の買い物なんかしてると……」

 からかわれることを覚悟した俺だったが、遠坂の言葉は、俺の予測を軽く越えていた。

「まるで、新婚夫婦みたいね」

「……ぶっ!? お、お前何を……」

 俺の慌てぶりを見て、遠坂が笑い出す。

「わかりやすいわよね。士郎は」

「普通、恋人とか言わないか?」

「でも、今だって同じ家で暮らしてるんだしね」

 確かに、客観的にはそう判断する余地はありそうだ。

 遠坂相手に新婚夫婦だなんて、以前なら夢みたいな話なんだけどな。今は、恐怖が先に来るのはなぜだろう?

「なにか失礼なこと考えてない?」

「いいや。遠坂と結婚したら尻に敷かれるんだろうなって」

「……なによそれは?」

「俺じゃ遠坂にかなわないからな」

「なによ。だったら、甘えて欲しいわけ?」

 小悪魔が俺の右腕に抱きついた。

「わたしをひとりにしないでね、士郎。だって、寂しくて耐えられそうにないもの……とかね」

「お、おい」

 腕に柔らかなものが当たってるぞ。

「いやなの? わたしと腕を組むの……」

 芝居っ気たっぷりにすねて見せる。

 こうしてると本当に可愛いから、始末におえない。

「なんでもリクエストして。今日は士郎が食べたいものを作ってあげるね」

 らしくない。らしくないんだけど、可愛いぞ、遠坂。

 

 

 

〜interlude〜

 

 

 

 アーチャーの裏切り。

 それはわたしにとって経験済みのことだった。

 その時に、落ち込んだ私を慰めてくれたのは士郎だ。

 パートナーを失う心細さを、わたしは知っている。

 わたしを元気づけてくれた士郎は、もうどこにもいない。だけど、士郎はやはり士郎だった。

 自分の痛みや苦しみを後回しにして、誰かのために戦う。それは、自分を省みないという士郎の人間としての欠陥だったが、逆に士郎の長所とも密接に絡んでいる。

 呆れることも多いが、それに何度も助けられたのは事実だった。

 等価交換。

 士郎に救われた私は、士郎を救わなければならない。

 士郎のためというよりも、……むしろわたし自身のために。

 心の贅肉かもしれないが、それでもいいと思う。

 もともと、わたしを”そうした”のが士郎なのだから、士郎には最後まで付き合ってもらう。コイツにはその責任があるはずだ。

 いや、せめて、心のなかだけは素直になろう。

 わたしは士郎を引っ張り回すのが楽しい。今だけかもしれないが、こうしていたいとも思う。

 私は少し浮かれていたらしい。

 時と場所を忘れて……。

「……士郎?」

 ふと振り向くと、そこに相手の姿はなかった。

 

 

 

『路地裏』

 

 

 

 不意に意識に霞がかかった。

 それは威圧感のようなものではなく、するりと意識化に滑り込んできたのだ。

 気がついた時にはすでに遅く、俺の意識は何者かにわしづかみにされていた。

 俺は遠坂の事を意識の外へ追い出し、路地裏へと向かって歩いていた。

 

 

 

 ふらりと身体が傾き、地面に倒れ込む。

「信じられんな。これほどに無防備とは……。魔力に対する耐性が低いということは、魔術戦を考慮せずに育てられたということか?」

 俺について分析する淡々とした声。

「そうなると、聖杯戦争のためにお前を拾ったとは思えん」

 うつぶせに倒れていた俺の身体が、おそらくつま先でひっくり返された。

 逆光となっているため、相手の顔が確認できない。

 丈の長いコートを身に纏っている、長身の男だった。

 ……まさか?

 俺の疑問に答えるかのように、相手が名乗った。

「私の名は言峰綺礼。初めまして、……と言うべきかな?」

 

 

 

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