第7話 決別の日(6)

 

 

  『残された者』

 

 

 

 がくがくと肩を揺すられて、俺は我に返った。

 一人の少女が真剣な顔で、正面から俺を見つめている。

「しっかりしなさい。聞こえてる、士郎?」

「遠……、坂?」

「何があったの?」

「……アサシンに襲われたんだ」

「アサシンに? どうして?」

「わからない。いつものアサシンとは違ってたんだ……。服も真っ黒で、まるで、死に神としか見えなかった」

「セイバーはどうした? 貴様が無事なのだから、セイバーが敗れたわけではあるまい」

 アーチャーのような疑問が生まれるのは当然だった。だが、それは俺にとって一番触れたくない事実でもある。

「セイバーは……、黒い影に呑まれてた。ひどく危険な影に……」

「なに……!?」

 アーチャーの視線が俺を射抜く。

「貴様はセイバーを守るのではなかったのか? いや、所詮は身の程知らずの小僧が口走った世迷い事というわけか……」

 アーチャーは言葉で俺を叩きのめす。

 俺には一言もない。

 自分がどれだけ無力なのか思い知らされていた。

 そして、あの最後の瞬間には、セイバーこそが俺を守ってくれたのだ。

「やめなさい、アーチャー」

 アーチャーの言葉は止んだが、俺を責める声が俺の耳から消えることはない。

 俺自身が俺を苛んでいた。

 ついさっきまで彼女は俺の傍らにいたし、聖杯戦争後もここへ残るはずだった。

 それなのに、突然に彼女は失われてしまった。

 セイバーのいた証は、左手に浮かぶこの令呪だけだ。

 そう、……令呪だけは残っているんだ。

「きっとセイバーは無事だ。ほら、令呪だって消えていない」

 左手を掲げてみせると、遠坂が唇を噛む。

「すがりたいのはわかるけど、セイバーのことは諦めるのね」

「なにを言うんだよ!」

「たとえば、言峰からでも聞いた記憶はない? もともと令呪はマスターに発現するものなの。マスターに令呪が残っているからこそ、はぐれサーヴァントとも契約できるんだしね。そんなの、証拠になんてならないわ」

「…………」

「……でも黒いアサシンなんて、タチの悪い冗談だわ。サーヴァントを変質させる力の持ち主なんて……」

 つぶやいた遠坂が動きを止める。

「変質……? サーヴァントを変えてしまうなんて、余程の力がないと無理よ」

 じっとどこかを見つめていた遠坂が、口にする。

「まさか、……聖杯が?」

 言われて俺も気づいた。

 あの影を見て、何かと印象が似ていると思ったのだ。

 それが何かを思い出した。

 聖杯からあふれかえる、あの泥だ。

「アンリ・マユ(この世全ての悪)……?」

 俺と同じような連想をしたのだろう。遠坂は青ざめた顔を俺に向ける。

「なるほど、その影とやらは、聖杯に生み出された悪意の具現というわけだ。どうやら、聖杯戦争どころではなくなったようだな」

「どういう意味よ?」

「ソレが聖杯から漏れ出た力とするなら、その元凶は間桐桜ということになる。当然、彼女を始末するのだろう?」

 その指摘に、遠坂は一度だけ身震いした。

「それは……」

「君はこの地の管理人なのだろう? 甘えるな」

「おい、アーチャー!」

 黙ってられずに割って入るが、アーチャーは俺など歯牙にもかけない。

「貴様は黙っていろ。これは、魔術師としての生き方の問題だ。貴様になにがわかる」

「くっ……」

「とにかく、桜をみつけてからよ。他に方法があるかもしれないし。助けられるなら、助けたいもの」

 その答えを聞いて、アーチャーが肩をすくめた。

「多少甘さが残るとはいえ、君は優秀な魔術師だと思ったのだがな……。衛宮士郎に近づいて、悪い部分が伝染したようだな」

「違うわ……」

「違わんね。私は守護者として何度も見てきた。それは危険だ。一刻も早く処分すべきだ」

 アーチャーが俺達に背を向ける。

「どうする気なの?」

「自力で間桐桜を探す。君らといては肝心な時に足を引っ張られかねん」

「……そ、そんなことないわ。わたしはたとえ桜でも殺す覚悟がある」

 背中を向けたままで、アーチャーは肩越しに視線を向ける。

「いいや。君にはできない。自覚していないようだからはっきり言っておこう。君には冷酷さが足りない。これまでの君が誰かを斬り捨てられると考えていたのは、本当に大切な人間が存在しなかったからだ。今の君では、最後の最後にためらうのがオチだ」

 そう告げた時アイツの目が、俺にはなぜか優しそうに思えた。

「…………っ!」

 一方、遠坂はアーチャーの指摘に愕然となる。

「君がためらうのは構わないが、私の邪魔だけはしないでくれ。彼女は私が始末しよう」

「やめなさいって言ってるのよ、アーチャー! どうしてもというなら、令呪で貴方を従わせるわ」

 アーチャーが深いため息とともに、もう一度告げた。

「そう。私が危惧しているのはまさにそれだ。土壇場において令呪で拘束されては致命的だ」

「お願いよ、アーチャー。イリヤたちまで姿を消した今、わたしたちには貴方が必要なの」

「逆に聞くが、君は衛宮士郎と決別して私と共に行動するつもりがあるのか?」

「……できないわ。わたしは士郎も放ってはおけない。アンタだって、理由は知っているはずでしょ?」

「ならば、君の好きにするがいい。私も自分の道を行かせてもらう」

「だめよ。わたしに従いなさい、アーチャー!」

 遠坂が左手を突き出す。令呪を使用するつもりだ。

「無駄だ。君は私の力を知っているはずだろう?」

「……っ!?」

 遠坂が息を飲む。

 アーチャーが小さくなにかをつぶやくと、アイツの右手に短剣が生み出された。

 ルールブレイカー(破戒すべきすべての符)。

 そうか……。ランサーにそれを使った時、アーチャーもその場にいたんだ。

 俺達の目の前で、アーチャーは短剣を己の胸に突き刺していた。

「君らには、サーヴァントを探し出すことも難しいだろう。できることなどたかがしれている。君らの聖杯戦争はここで終わりだ。私が、間桐桜を始末し、聖杯を破壊するまで、せいぜい、おとなしくしていることだ」

 俺たちが成すべき事、そのための手段。それらを否定して、アーチャーは去る。

「さらばだ、凛」

 そう言い残して――。

 

 

 

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注:原作中で、セイバーがとりこまれた時は令呪が消えていますが、この作中ではこのような設定となっています。