第7話 決別の日(5)
『剣vs剣』
街灯の下に一つの影があった。
陣羽織を着込み、左の腰には日本刀らしきものを差していた。
黒く見えるのは陰になっているからではなく、身を包む服そのものが黒いからだ。
「アサシン? どうして、こんなところへ……」
問いかけようとした俺の口が言葉を失った。
「シロウ! それ以上近づかないでください!」
言われるまでもなく、俺の脚はその場に止まる。
アサシンから放たれる凶気に怯えて、俺の足がそこで止まっていた。
一体、何がどうしたというのか……。
外見はアサシンでしかないのに、これまでのアサシンとは何かが決定的に違っていた。
もともと、アサシンらしくなかったはずの小次郎が、いまやアサシンとしか表現できない存在へと変貌していたのだ。
今のアサシンはまさに抜き身の刀。触れるもの全てを傷つける、人を殺すための凶器であった。
「何の用ですか、アサシン?」
「おまえを斬りに来た」
「なぜです?」
「一つは、聖剣の持ち主を倒すため」
アサシンが刀の柄に手を伸ばし、姿勢を低くする。
「いまひとつは、我が望みを果たすため」
アサシンが動いた。
「シロウ! 下がって!」
慌てて、俺が飛び退く。
俺にできることなどたかがしれている。絶対にしてはならないことは、セイバーの間合いに入って彼女の邪魔をしないことだった。
セイバー自身もまた踏み込んでいた。
まだ遠い。
そう感じた俺の目測はとてつもなく甘かった。
佐々木小次郎を象徴する長刀――物干し竿。その間合いは常識を覆す。
剣の間合いに慣れていればいるほど、その術中にはまる。
ありえない距離でアサシンの斬撃は、セイバーを襲っていた。
だが、セイバーの不可視の剣は、それすらも受け止める。
「本気のようですね」
「無論」
「ならば、相手になるぞ、アサシン」
「そうでなくてはな」
不可視の剣が物干し竿と切り結ぶ。
最強とまで賞される”剣の騎士”のサーヴァント。そのセイバーと剣で互角に戦える相手など普通に考えればいるはずがないのだ。
だが、アサシンは剣を手にしてセイバーの前に立つ。
マスターを殺すという特性こそあるが──いや、だからこそ、戦闘能力に劣るはずのサーヴァント。そのアサシンが、セイバーを相手に一歩も引けをとらずにいる。
アサシンという適していないはずの殻に押し込められ、さらには、正規の英霊ですらない。
佐々木小次郎に使える力は、彼自身が身につけた剣技のみ。
セイバーはなんとかその猛攻を凌いだ。いや──セイバーでなければ凌げなかっただろう。
「さすがよな、セイバー」
物干し竿の切っ先が下がる。だが、それは戦いの終わりなどではない。
「では、我が秘剣を受けてみるがいい」
佐々木小次郎の代名詞――それは、やはり燕返しだった。
長刀が風を切り裂く。
その瞬間、俺は不思議なものを見た。アサシンが二刀流を使ったように見えたのだ。
セイバーがそれをかわせたのは、太刀筋を見切ったからか。それとも直感によるものだろうか……。
見事にかわしたはずのセイバーが青ざめていた。
「まさか、キシュア・ゼルレッチ(多重次元屈折現象)……?」
セイバーの言葉に、アサシンが怪訝な表情を浮かべる。
俺と同じでその言葉を知らなかったのだろう。
「これは空を飛ぶ燕を切るために編み出した技よ」
「バカな!? 魔術も使用せず、技の修練のみで次元屈折を起こしたというのか……」
セイバーが息を飲んだ。
空間を歪ませる。それは、剣を振っているだけでたどりつけるような到達点ではない。
恐るべきは、剣鬼・佐々木小次郎であった。
「二の太刀までとはいえ、よくぞかわした、セイバー」
「まさか……?」
セイバーの危惧を、アサシン本人が肯定する。
「燕を切るためには今一太刀足りぬのだ。斬り、囲み、払う。本来は3の太刀までを含めての燕返しよ」
「くっ……」
飛び道具や、強力な魔術。そういう戦いをするサーヴァントならば、アサシンは脅威とまではいかない。
それは、相性の問題である。
セイバーの様な剣士にとって、アサシンは最悪の相手と言えた。
再び、アサシンが迫る。
次に放たれる攻撃は3撃。
三つの太刀を相手に、一本の剣では受けきれるモノではない。
ならば、俺のすべき事は決まっている。
足りない剣を俺が作ればいい。
間合いを取っていたセイバーに、アサシンが迫る。
「――トレース・オン(投影、開始)!」
アサシンとセイバーの間に剣を投影して、燕返しからセイバーを守る。
逆さまに生み出されたそれは、切っ先を地面に突き立たせて、柱となってアサシンを阻む。
投影したのは、三振りの日本刀――物干し竿だ。
当然、アサシンの持つ武器と同じ強度のはずだ。
だが――。
「秘剣――燕返し」
斬る剣と、斬られる剣。そこには違いが生じるのだろう。
投影した三振りの刀をすべて切り捨てて、アサシンはさらに踏み込んでいた。
再び、次元屈折を利用した三つの太刀がセイバーを襲う。
セイバーを襲う必殺の太刀。
セイバーは回避しようとせずに、真っ向から迎え撃つ。
不可視の剣が受け止められるのは、わずかに一太刀。
剣に生きたふたりの戦いが、その瞬間に決していた。
きん!
甲高い金属音。
振り下ろされたセイバーの剣は、切っ先を翻すと、同じ軌跡で斬り上げていた。
逆袈裟に斬られたアサシンがその場に膝をつく。
「く……」
アサシンが手にする物干し竿は半ばでへし折れていた。
切り落とされた刀身が、アスファルトの上に転がっている。
「先ほどのシロウの投影で、すでに勝負はついていた。私の勝ちだ、アサシン」
俺の投影した刀は全てアサシンに切り捨てられた。だが、その瞬間にアサシンの物干し竿が受ける衝撃は、単純計算で三倍に跳ね上がる。
そして、セイバーに刀を折られてしまった以上、いかに空間を歪ませようとも、セイバーに届く刃は存在しない。
「私にも貴方と剣技を競いたいという望みはあった。だが、今の私は貴方に斬られる訳にはいかないのだ。すまない、アサシン……」
「ふ……、謝罪の必要などあるまい」
憑き物が落ちたような、静かな声でアサシンが応じる。
「勝ったのは私なのだから」
……?
剣の届く距離。
それは――。
強敵を退けたという、その隙をつかれた。
アサシンの足下の影が、横からの光源もなしに伸びていた。
セイバーに向かって。
セイバーの足下で、その影がセイバー自身の影を絡め取る。
いや。すでに、セイバーは足首までも影に沈み込んでいる。
「セイバー!?」
駆け寄って、セイバーの身体を引き上げようとする。
だが、俺とセイバーの奮闘も虚しく、じりじりとセイバーは影に呑まれていく。
「くっ!?」
セイバーの手が、俺の手から抜けた。
慌てて掴み治そうとするが、セイバーは俺の手を払っていた。
そして、俺を突き飛ばす。
……っ!?
俺は、無様にも後ろへと転がっていた。
尾てい骨が痛んだが、それどころではない。
「セイバー!?」
こちらに向けられたセイバーの顔にかすかな笑みが浮かんだ。
「シロウを道連れにはできません」
凛とした拒絶の声。
「何を言って……」
影が地表から跳ね上がる。
海面下の鮫が、水面に浮かぶ餌へ食らいつくように。彼女は影に飲み込まれていた。
俺の視界からセイバーの姿は一瞬でかき消えたのだ。
夜の闇に、静寂が戻る。
戦いの痕跡を何一つ残さず、戦場はありふれた夜道へと戻ったのだ。
「嘘、だろ……」
後には呆然とした俺ひとりだけが、とり残されていた。
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注:無限の剣製で複製した場合は1ランク下がるのですが、現在の士郎はその事実も投影の元になる力も知りません。