第7話 決別の日(4)
〜interlude〜
ギルガメッシュの事を考えれば、別行動をとるのは危険だった。
しかし、それでも、士郎と凛は桜を探すことを選択した。
ふたりがおこなった昼の捜索ではなんの手がかりも得られなかった。桜自身の意志で家を出た以上、めったなことでは見つからないだろう。
イリヤは、昼こそ参加しなかったものの、夜には桜の捜索に加わっている。夜の方が何か動きがありそうだと考えていたからだ。
とはいえ、士郎や凛が感じ取っているように、彼女としてはまったく気が乗らないのだが……。
理由はいくつかある。
桜がアンリ・マユに染まってしまったら、きっと士郎は悲しむ。
そして、皆を助けるために桜を殺すか、桜を助けるために他人を犠牲にするか、選択を強いられるだろう。
桜のことは嫌いではない。だが、イリヤにとっては、士郎の方が遥かに大切なのだ。
できれば、士郎から桜を離しておきたい。むしろ今の状況の方がありがたいのだ。
そして、もう一つの理由。
今の自分には聖杯となる望みはなくなっている。だが、それでも、多少の悔しさはあった。聖杯と成るためだけに自分は作られたというのに、まがい物の聖杯が自分よりも先に英霊の魂を呑み込んでしまった。
士郎達と出会う前の自分だったら、真っ先に桜を殺していたはずだ。その頃のイリヤにとっては、自分の存在意義に関わることなのだから……。
路上を歩いていたイリヤは、ある人物を目にとめて足を止めた。
立っているのは、彼女よりもわずかに背の高い人物――。
「マキリゾウケンね? 私に何か用なの?」
嫌悪の念を隠さずイリヤが尋ねた。
「ふむ。アインツベルンの人形が、衛宮の家で人間の真似事とはの」
その言葉にイリヤは顔をしかめる。
「おぬしにその意志さえあれば、アインツベルンはすぐにでも聖杯を手に入れられよう。目前のマスターをくびり殺し、全てのサーヴァントを聖杯にくべるだけのこと。おぬしとバーサーカーであれば、苦もなくできよう」
ゾウケンの口にしたことは事実だ。それはイリヤ自身にもわかっている。
虚をつく。それだけで十分だ。イリヤは最強のマスターであり、バーサーカーは最強のサーヴァントなのだから。
ギルガメッシュが相手では分が悪いとはいえ、もともと、アレは今回の聖杯戦争とは無関係の存在だった。
「ばかばかしい」
「ほう……。魔術師が根源を目指すことを、ばかばかしいとな?」
「そうよ。今の私にはなんの価値もないわ」
「人形が人の真似をしてなんの価値が在ろう? 生き続けることのできぬ身。なに者も生まぬ身体。聖杯として作られたぬしが、聖杯を拒むか? それこそ、無価値」
かっかっかっ。
臓硯の笑いには明確な嘲笑が含まれていた。
「いや、わしの方が愚かであったな。所詮は人形。人を真似るだけの存在というわけよ」
「私は今を生きているの。根源なんて、気が向いたときに目指すわ」
「かか──。アインツベルンも血迷ったようじゃの。このような小娘を送り込むとは」
「蛆虫風情に言われたくないわ。貴方こそ、無駄なあがきはやめたらどうなの? 貴方の血筋なんてすでに枯れ果てているわ。それとも、あのシンジを創り上げたことがマキリ500年の目標だというの?」
それは痛烈な皮肉だろう。
短い寿命を重ねながらも、その知識や技を次の代へと受け継いでいく。いずれ遠い場所へたどり着くために。
それこそが、魔術師の家系の存在意義である。
名門であったはずのマキリにとって、魔術回路すら持たぬ子孫が生まれようとは想像もしなかっただろう。
「慎二も、桜も、全ては道具にすぎん。わしが根源へ至るためのな」
「貴方はすでに死んでいるのよ。亡者に過ぎないということを、自覚したら?」
「左様。亡者よ。だからこそ、聖杯を得て永遠の命を得る」
「それは無理ね」
イリヤが酷薄に笑う。
「だって……、貴方はこの場で死ぬもの」
先の攻撃は臓硯だった。
三条の攻撃がイリヤを襲う。
金属音が鳴って、三つの火花が散った。
実体化したバーサーカーが、イリヤに向かって放たれた三本の投擲ナイフ──ダークをたたき落としたのだ。
バーサーカーはイリヤを背後に庇い、臓硯とその背後に浮かぶ仮面を睨む。
静かに出現した仮面は、両眼の穴をバーサーカーに向ける。
「それが貴方のサーヴァント?」
「昨夜、山門で拾っての」
聖杯戦争に詳しいイリヤは臓硯の言葉の意味を察していた。佐々木小次郎が偽りのサーヴァントである以上、本来のアサシンの方が、聖杯戦争への因果が強いのだ。
「じゃあ、ソレが本来のアサシンというわけね。……ゾウケンもろともとも、やっちゃえ、バーサーカー」
「■■■■■■■■――!」
バーサーカーが吼えた。
バーサーカーは老人には目もくれず、アサシンに襲いかかる。
吹き荒れる嵐のようなバーサーカーの斧剣。それがことごとく空を切る。
ランサーのような敏捷性とは違う。まるで、実態のない影のようにアサシンはかわし続ける。
おそらくは、間合いを外すという技によって。それは、明確に数値で表すことができなくても、戦いにおいて効果的な技術と言えた。
アサシンが投じるダークを、バーサーカーは避けようともしない。体表に当たったナイフは、傷一つつけられずに、路上に落ちる。
「そんな攻撃が通じると思ってるの? 諦めた方が賢明ね」
イリヤの助言をアサシンは受け入れた。
標的をイリヤに変えたのだ。
再びイリヤへ向けて投じられたダークを、バーサーカーが壁となって阻む。
その隙をついた。
アサシンの右手が持ち上がる。一本の棒と見えた右手が、捲いていた布を引き裂いた。
折りたたまれた状態だった右腕が、その全容を表す。
死に神の鎌を思わせる必殺の宝具。
「サバー・ニーヤ(妄想心音)――!」
「そんな宝具がバーサーカーに通じると思うの?」
臓硯がイリヤに問いかける。
「攻撃が弾かれるのは身体に触れた場合であろう?」
その言葉を証明するかのように、アサシンの右手が心臓を握りしめた。
架空元素で創り上げた偽りの心臓を攻撃することで、対象者の命を絶つ。
アサシンの宝具は敵に触れずして抹殺することを可能にする。
勝者は獲物の心臓を引き寄せ、それを飲み込んだ。
「やるじゃない、アサシン」
イリヤは素直に賞賛する。宝具の特性によるものだが、どういう経過であろうとも、その結果をたぐり寄せたことは確かなのだ。
だが、彼等はバーサーカーを知らない。
くすんでいたバーサーカーの瞳に光が戻る。
どくん!
心臓の鼓動が聞こえるほど、バーサーカーに戻った脈動が感じ取れる。
バーサーカーが再び命を得る。
「1度殺したことは褒めてあげる。でも、バーサーカーには12の命があるのよ」
これが、バーサーカー――ヘラクレスの持つ宝具、ゴッド・ハンド(12の試練)である。
「■■■■■■■■――!」
「そうでなくてはな。そうでなくては餌としてふさわしくないわ」
かかかかか――。
バーサーカーの視線を受けて、それでも臓硯が哄笑する。
「■■■■■■■■――!」
それは咆吼ではない。
絶叫だろうか。
バーサーカーの身長が低くなる。
「え……?」
イリヤにも理解できていない。
なぜか、バーサーカーの足が地面に沈み込んでいる。
地面に落ちる影――いや、闇そのものが地面を覆っていたのだ。
バーサーカーはその闇に引きずり込まれようとしているのだ。
「バーサーカー!?」
叫んで駆け寄ろうとしたイリヤの身体を、逞しい腕が抱きとめる。
「やめとけ。あれはまずい」
背後から腕を回して制止したのは彼女のもう一人のサーヴァントだった。
「離して!」
いくらマスターの言葉でも、応じるわけにはいかない。
「チッ――」
青い騎士が舌打ちする。
バーサーカーの実力は知っている。鉾を交えた仲だ。臓硯とアサシン程度ならば、バーサーカーで十分だったはずだ。その判断自体は間違ってはいない。
だが、こいつは――。
この影はまずい。バーサーカーだけではなく、どんなサーヴァントでも勝てない。これはそういう存在だった。
イリヤが泣きわめこうが、この場を離れるのが先決だった。バーサーカーはもう助からない。
アサシンとこの影。
直接的な攻撃力は脅威とは思えない。だが、ランサーは本能的に危機を感じ取る。
いや、もっと切迫した危機!
気づいた時にはもう遅かった。
白刃が自分の胸から突き出ていた。己の血を絡めて。
生き延びることが得意な彼だからこそ、わずかに動いて急所を外すことができた。
「てめぇ……」
気配も殺気もなく、ランサーの背後に出現した敵。
「その娘をこちらにいただこう」
ランサーが槍を取り出して背後の敵へ突き出す。だが、イリヤを抱えたままでは、打突が弱い。
相手の長刀が穂先を受け流す。
その刹那、3つの太刀がランサーの身体を切り裂いていた。
ランサーの身体が地に倒れることはなかった。それよりも先に、霧のように消え去ったからだ。
「――――っ!」
目の前で起きた状況を拒絶するかのように、イリヤは意識を失ってその場に倒れた。
「さすがよな」
「その娘を連れて行くがいい。必要なのだろう?」
「おぬしはどうする?」
「私の望みは、あの者との立ち会いのみ」
男の口元に、ナイフで切り裂いたような鋭い笑みが浮かぶ。
黒い陣羽織を纏った禍々しいサーヴァント。狂気に彩られる紅い瞳は、決して以前のものではない。
だが、その容姿も技の冴えも、佐々木小次郎に間違いなかった――。
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注:バーサーカーのゴッド・ハンドはBランク以下を無効化するのですが、アサシンのサバー・ニーヤは二重存在の作成なので作中では有効としました。当然、2度目は通じません。