第6話 士郎達の黄昏(1)

 

 

 

『いつもの夜』

 

 

 

 障子の向こうから、外の明かりが漏れ込んでくる。

 薄明かりの中、俺の目の前には一人の少女がいた。

 セイバー――俺のパートナーであり、大切な愛する少女。

 その整った顔が驚くほど近くにあった。

 彼女の潤んだ瞳が俺を見つめている。ぞくりと、自分の中の何かが目覚めるほどに、蠱惑的な視線が俺を絡め取った。

 さらに彼女との距離が近づく。

「セイバー……」

 つぶやきかけた俺の口に、彼女の可憐な唇が重ねられた。俺の唇を割って、彼女の舌が潜り込んでくる。ねっとりと絡みつく、熱くて小さな舌。

 俺は彼女の舌をむさぼることしか考えられなくなった。熱に浮かされたように朦朧となった俺の頭は、満足に働いてくれない。

 俺の口を蹂躙した少女が、すっと唇をはずす。離れがたい俺の心を象徴するように、唇の間には唾液の橋がかかる。

 セイバーの舌が、濡れている自身の唇を舐めた。

「シロウ……、貴方が欲しい」

 そう告げたセイバーは俺にゆっくりと体重をあずけてきた。それだけで、俺の身体は布団の上に押し倒される。

 

 

 

『食事談義』

 

 

 

 差し込んだ明かりで目を覚ます。

 俺の早起きは、すでに習慣となっていて、たいした苦にはならない。

 周りを見ても、特に変わったところはない。

 俺はいつものように布団に潜り、いつものように目を覚ましただけ。

 布団の中で格闘した形跡はない。

「はぁぁぁ……」

 ため息が出る。

 欲求不満だろうか?

 最近はいつもこんな夢を見るのだ。

 気を取り直して、俺は台所へと向かった。

 

 

 

 朝食の面子は、俺とセイバー、遠坂、桜、イリヤの5人だった。

 こうして女性――それも、飛び抜けた美少女ばかり――に囲まれて生活しているのだから、俺が欲求不満となっても無理はない。

 だからといって、毎晩、あんな夢を見続けるのも問題はあると思うのだが……。

 俺は調理した和風の朝食を、食卓に並べる。

 ご飯にあさりのみそ汁、ぶりの照り焼き。海苔や漬け物、エトセトラ。

 以前、学校を休むことを告げてから、藤ねえはほとんどこの家に顔を出さなくなった。

 あまり接触を持たないのも、藤ねえなりの気づかいだと思う。いつもの生活を続けることで、俺に迷惑がかかることを恐れたのだろう。

 そのあたり、ボケボケしているようでも、ちゃんとしているのだ。

 

 

 

「うん、美味しい」

 イリヤが素直な賞賛を口にする。

 みそ汁も平気なようで、イリヤも喜んでくれている。

 ちなみに、セイバーは自分が褒められたかのように、誇らしげな顔をしていた。

「なあ、バーサーカーの分は食事を準備しなくてもいいって言ってたよな?」

 改めて確認してみる。実際、食べると言われたら、食費がどうなるか心配ではあるが……。

「そうよ。食べることも可能だけど、私の魔力の方が純粋で効率がいいもの」

 実際のところ、料理から得られる魔力は少ない。力のあるマスターから供給されるのが一番望ましいのだ。

 当然、同じマスターに従うランサーも同様だろう。

 俺の視線を受けて、遠坂も答える。

「アーチャーも同じね。食事を勧めれば食べるかもしれないけど、無駄な食費をかけることないでしょ?」

 遠坂の意見は実に納得できた。

 最近の衛宮家ではエンゲル係数が上昇の一途をたどっている。藤ねえが来なくても、人数が増えているのだから仕方のないことだ。決して特定の誰かの責任ではない。……と思いたい。

「ライダーもだよな?」

「はい。この前、ライダーが血を吸っていたのは、兄さんがマスターだったからです。わたしの魔力なら、それだけで十分に活動できますから」

 そう答えた桜の傍らに、ライダーが実体化した。

「うわっ! ……いたのか!?」

 食事をしない面々は、食卓にこないでもらっている。周りから見られていると非常に食べづらいし……。

 まさか、姿を消して桜の傍にいるとは思わなかった。

「……ん? どうかしたのか?」

 普段のライダーは実に寡黙で、自ら話しかけることは滅多にないのだ。

「今の桜の言葉は訂正の必要があります」

「え?」

 当の桜が不思議そうに、ライダーを見返した。

「確かに、私は食事の必要がありません。桜の魔力だけで問題はないでしょう」

「じゃあ、桜の言った通りだろ?」

「ですが、……セイバーと同じです」

「?」

 セイバーが箸を止める。やっと、こちらの話に注意が向いたようだ。

「必要の有無ではなく、私の嗜好という問題があります」

「どういう意味なんだ? 誰かの血を吸っているってことか?」

 俺の語調がきつくなる。

 そんな行動を取られては、とても仲間としてつきあえない。

 初めて聞いたらしく、桜は狼狽して俺達の表情をうかがう。

「吸っているのは、血ではなく、精気そのものです。しかし、その相手は拒んだりするとも思えません。お気になさらず」

「おい、待てよ。相手の了解も得てないのに吸ってるっていうのか?」

 それは聞き捨てならない。

「ちょっと、ライダー。わたしは士郎ほど倫理観にこだわる気はないけど、仲間である以上、そのあたりをはっきりさせてもらわないと困るわ」

「そのとおりです。自ら不審の種をまくこともないでしょう。貴女は詳しい説明をするべきです」

 遠坂とセイバーも追求する。

「ライダー……」

 桜が不安そうに、ライダーを見つめる。

「仕方がありませんね……」

 ライダーが俺を見た。

「そのような心配は無用でしょう。わたしが精気を吸っていたのはシロウですから」

「……俺?」

 自分を指さして見せると、ライダーが頷く。

「いつだ? 俺は覚えてないけど……」

「シロウが寝ている時です」

 そう言われると、兆候らしきものに思い当たる。

「最近、身体がだるいと思っていたらそのせいなのか?」

「おそらく」

「第三者に迷惑をかけてないんだし……、それぐらいなら、いいか」

 俺がちょっと我慢すれば済むことだしな。

「いいわけないでしょ!」

 怒鳴った遠坂は、なぜか顔を赤くして、ライダーに向き直る。

「精気を吸うって、どうやってよ?」

「っ!? ……そうよ、ライダー。わたしも聞きたいわ」

 慌てて桜も尋ねる。

「まさか……?」

 セイバーまでもぎょっとなる。

 みんな、何を心配してるんだ?

「もしかすると、肉体的接触の心配されているのでしょうか? それでしたら、きっぱりと否定しておきましょう」

 ライダーの言葉を聞いて、三人が安心したようにため息をついた。

 もしかして、”あんなこと”を心配してるわけじゃないよな……。

 などと考えると、背中に冷や汗が流れた。

「私は、シロウを性的興奮状態にさせ、漏れだした精気を吸収しているだけです」

「え? だって、士郎には触れていないんでしょ? 士郎自身にも記憶がないみたいだし……」

 遠坂の疑問はもっともだ。俺も知りたい。

「ですから、シロウには淫らな夢を見せていました」

 …………なに?

 ちょっと、待て!

 聞き流せない話を聞いたぞ。

「じゃあ、あれはライダーの仕業なのか!?」

「そうです」

 俺の問いに、ライダーがあっさりとうなずいた。

 遠坂が危険な目つきでライダーに尋ねる。

「昨日は、士郎にどんな夢を見せたのよ?」

「セイバーと愛し合ってもらいました」

 あっさりと口にするし……。

 その言葉を耳にしたセイバーは、俺と目が合うと真っ赤になってうつむいた。

 ……可愛い。可愛すぎるぞ、セイバー。

 しかし、遠坂と桜が俺をにらみつける。

「お、俺のせいじゃないだろ? 俺はライダーに夢を見せられただけなんだから」

 慌てて弁解する俺を、ライダーが弁護してくれた。

「そうですね。シロウの責任を追求するのは、間違っています」

 だが、この次の言葉は余計だった。

「それに、セイバーだけではありません。サクラやリンもシロウに抱かれています」

「ば、ばか……!」

 あわてて、ライダーの口をふさぐ。

 彼女達の表情が逆転する。

 遠坂と桜が、頬を染めて視線を彷徨わせた。ちらりと俺を見て、すぐに視線をそらす。

 くぅ、可愛いぞ、二人とも。

 だが――、替わってセイバーが俺をにらむ。敵を威嚇する獅子の目だった。

 ……そうなのだ。

 夢に出てきたのは、セイバーだけとは限らない。遠坂だったこともあれば、桜だったこともある。それどころか……いや、もう一人については、あえて触れないことにする。あれは、思い出すだけでも犯罪だ――。

「シロウは私のマスターです。そのような行為は慎んでもらいたい」

 セイバーはライダーを見据えて、真剣に主張したが……、

「貴女のマスターはキャスターです」

「……くっ」

 あっさりと切り返された。

 キャスターと契約こそしているものの、セイバーは変わらずこの家で暮らしているため、俺自身もその事実を忘れかけていた。

「桜の魔力で十分だというなら、貴女はシロウから吸収する必要などないはずです」

「その言葉は、そのまま貴女に返しましょう、セイバー」

「私は人の精気など欲したりはしない」

「ですが、貴女もキャスターの魔力で十分なはず。食事を取る必要はないでしょう?」

 その指摘に、セイバーが愕然となる。さながら、雷に打たれたかのごとく。

 言われてみれば、確かにそうだ。俺との契約時は、魔力が供給されておらず、食事をすることでわずかなりとも魔力を得ていたわけだが、今はその必要がない。ライダーの指摘通り、キャスターから供給される魔力で十分なはずなのだ。

 セイバーは食事の席につくのが当たり前すぎて、まったく気づかなかった。

 立ちつくしていたセイバーが、その身体を震わせる。

「そ……、それは……」

 反論できずにいるその態度が、ライダーの言葉の正しさを物語る。

 ライダーは追撃の手を緩めなかった。

「私の楽しみを奪うと言うなら、貴女にも相応の代償を払ってもらいましょう」

 セイバーが悔しげに面を上げた。

「……し、仕方がありません。誰しも譲れない物がある。私の言葉は撤回するとしましょう」

 撤回するのかっ!?

 そんなにも俺の身体より、食事の方が大事なのか?

 ……俺自身はライダーを許しているのだが、どこか納得できないものがある。

「……セイバー?」

 思わず、恨みがましく目を向ける。

「ラ、ライダーにとっては必要な事なのでしょう。遺憾ではありますが、マスターであるシロウの判断に従います」

 ホントにそう思うなら、なぜ、俺から視線をそらす?

「だめよ。とにかく、士郎から精気を吸うのは禁止よ」

「そ、そうです。むしろ……先輩以外なら許します」

 遠坂と桜が告げる。

 桜……、その発言は問題があるんじゃないか?

 ふたりの様子に、ライダーがため息をついた。

「……仕方がありません。サクラの言葉に従いましょう」

 無念そうにライダーがうなずく。

 そうか……。これで今日からはあんな夢を見なくなるわけだ。

「なんか、残念そうね?」

 遠坂のつっこみ。

「なっ!? んなわけないだろ!」

「どうだか……。このケダモノ」

「ケダモノはないだろ! ふたりもなんとか言ってくれよ」

「私は残念ながら、ノーコメントです」

「相手がその……、わたしだったら……」

 そんな桜の言葉に遠坂が反応して、またまた騒がしくなる。

 急に姉妹としてつきあうようになった遠坂と桜だが、周りに俺たちがいることがプラスに働いているらしい。気詰まりになることもなく、気軽に口論したりしている。ふたりにとって、いい兆候じゃないだろうか?

 

 

 

 そんな喧騒をよそに、イリヤひとりだけが嬉しそうに食事をしてホクホク顔である。

 

 

 

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