第5話 最大の決戦(5)
『凛様休戦協定を迫る』
「キャスター。これからのことについて相談があるわ」
遠坂がそう声をかけた。
「いまさら、私にどんな話があるというの?」
「言っておくけど、貴女を殺す気なら、すぐにでも殺せたのよ。そうしなかったのは、貴方に与えた最後のチャンスなの。話を聞く気ある?」
「話すのは、貴女の自由よ。好きにしなさい。……言っておくけど、マスターに関しては何も教えられないわ。たとえ、殺されてもね」
淡々と告げる。その言葉に嘘はないように思えた。
「わかってるわよ。そんなことは」
遠坂があっさりとうなずく。
「…………?」
キャスターが不思議そうに、遠坂を見返した。
「ライダー。鎖を解いて」
遠坂の言葉を受けて、ライダーが手首をわずかに動かすと、鎖から力が抜けて石畳に落ちた。
アサシンは除くとしても、他の5人のサーヴァントがキャスターを囲んでいる。
さすがに、これでは逃げ切る事など不可能だろう。
「まず、そのローブを取ってくれない? あんたとはきっちり話をしたいし」
「わかったわ……」
キャスターが顔の上半分を隠していたローブを、後ろに落とした。
現れた顔を見て、俺は少なからず驚いた。
魔女という言葉からは、老婆か妖艶な美女を想像しそうなものだが、彼女は違ったのだ。
優しげな容貌で、あどけなさの残る、楚々とした美女だったのだ。
「キャスター、貴方は聖杯が欲しいの?」
「当たり前じゃない。聖杯を手に入れれば、どのような望みもかなうのよ」
「じゃあ、聞くけど、貴方がかなえたい望みはなに?」
「わたしの望み……? 世界に対する復讐よ。私を苦しめ続け、拒絶した、この世界全てへの……」
キャスターは俺を見た。
「貴方もそうでしょ?」
「……俺?」
俺は彼女が何を言おうとしているのか理解できなかった。
「貴方だって、思わぬ災いに人生を狂わされたでしょう? それだけの苦しみの代償を、世界に願っても許されると思わない?」
彼女に反論したのは、俺ではなく、遠坂だった。
「無駄な誘いはやめたら? 士郎はそんなこと望まないわ。誰もが貴女みたいに弱いと思わない事ね」
「私が弱いですって?」
「ええ。思い通りにならないから、みんなが悪い? 甘えないでくれる。全てを自由に出来る人間なんて、いやしないわ。本人に何の責任もなく、周りのみんなが一方的に悪い……そういうことだってたまにはあるわよ。だけどね、何を願い、何をするかは、全て本人の責任よ。今の貴女という存在は、貴女が歩いてきた道の結果に過ぎないんだから」
遠坂はきっぱりと言い切った。
「立ち向かう事ができなければ、逃げればいい。それもできないなら、助けを求めればいい。何もせずに諦めたなら、”諦めたこと”の責任を果たすのね」
泣いても、傷ついても、それでも歩みを止めない――これこそが、遠坂凛だった。
キャスターは悔しげに遠坂をにらんでいる。
魔術師としての遠坂は、キャスターには到底かなわないのだろう。だけど、人としての生き方なら、遠坂の圧勝だと思う。
桜はなぜか辛そうな表情を浮かべている。遠坂の言葉に、何か思い当たることでもあったのだろうか?
別に、誰かを恨むなんて、仕方のないことだと思うんだが……。もともと、桜は一人で背負いすぎるくらいだから、恨んだ方がいいくらいだ。
「キャスター。貴女には、わたしたちに協力してもらうわ。もしも拒むようなら、貴女がしてきたことや、しようとしていることを、貴女のマスターにバラすわよ」
「え……!?」
キャスターが愕然となった。
「どうなの? わたしたちに従うわよね? マスターに知られたくないんでしょ?」
遠坂が繰り返す。
「ど、どうして……? あ、貴女は、私のマスターを知っているの?」
「知ってるわよ。それで、返事は?」
「あ、……そんな、だって……」
キャスターは目に見えてうろたえている。遠坂の脅迫内容が有効な証だろう。
しかし……、実のところ、遠坂が脅迫している内容――これが凄まじいまでのペテンなのだ。
遠坂の口から聞かされたのだが、キャスターのマスターは俺たちとは違う倫理観の持ち主で、キャスターの行為を平然と受け入れてしまったらしい。それに比べると、むしろ、キャスター本人が後ろめたさを感じていて、だからこそ、マスターに隠して事を進めていたというのだ。
つまり、本来ならば、全てをバラされようが、彼女が被る実害はまったくない。脅迫そのものが成立しないはずなのに、遠坂はキャスター自身の罪悪感を突くことで、脅しているのだ。
ちなみに、キャスターのマスターを、俺は教えてもらえなかった。俺がすでに知っている人物らしく、俺には隠し事ができそうもないので、秘密にされたわけだ。
そんなヤツに心あたりないんだけどな……。
「貴方の望みは、今の生活を壊してまで、手に入れたいものなの?」
遠坂が問いかけた。それは信じられないほど、優しい声だった。
「……あれ? 遠坂、ちょっといいか?」
気になって口を開く。
「なによ?」
「俺は、キャスター本人から自分のマスターを殺したって聞いたんだけど……それはどういうことなんだ?」
「たぶん……、殺したのは最初のマスターよ。今のマスターは魔術師じゃないんだし、召喚した人間は他にいるのよ」
「なるほどな」
納得した。
しかし、何気ない俺達のやり取りを見て、キャスターは不審そうに眉根を寄せる。
「私に……? どういう意味なの? それに貴女達は……」
キャスターの問いかけは無視して、遠坂が告げる。
「はっきり言うと、私たちは聖杯戦争に反対してるのよ。だから、できるかぎりサーヴァントを死なせたくないわけ。つまり、貴女にも死なれたら困るのよ」
キャスターがすがるような目を、遠坂に向けた。おそらく、こちらの申し出を受けるだろう。
「ただし、これまでの様に、町中から魔力を吸い上げるなんてマネはさせられない。もしも、また実行するようなら、今度こそ貴女を殺すわ。それとも、貴女ではなく、マスターを狙った方がいい?」
キャスターが深い吐息をはき出した。
「聖杯戦争から降りるわ。私には今の生活で十分だもの。それに、もう貴女には逆らえもしないようだし……」
「キャスターの貴女なら、うすうす感づいているんじゃない? 聖杯はそんなに素晴らしいものじゃないし、貴女達サーヴァントだって、無理矢理戦わされる被害者に過ぎないわ」
遠坂が笑みを浮かべて、こう告げた。
「それと、貴女にだって味方が必要なんだから」
「味方……?」
キャスターが首を傾げる。
それはそうだろう。
キャスター自身はアサシンを従えている。
そして、セイバー、アーチャー、バーサーカー、ライダー、ランサーは皆、仲間だ。
聖杯戦争に参加しているサーヴァントの7体が組むとしたら、普通に考えれば敵など存在しない。
そう、普通ならば――。
「アンタは知らないのね。八番目のサーヴァントの存在を……」
「八番目ですって!?」
キャスターが驚きで目を見開いた。
確かに彼女は知らないはずだ。
俺の記憶でも、ギルガメッシュの出現をキャスターは驚いていた。彼女はその場で、ヤツに殺されている。
そこへ、何者かの声が割って入った。
「ふん。無駄なことをしているのだな」
俺たちの誰かではない、まったく別なところから届いた声だ。
「雑魚が何匹群がろうと、我にかなうはずもないというのに」
そう告げる、嘲りの声。
山門から入ってきたのだろう。
そこには、赤い瞳を持つ金髪の少年が立っていた。