第4話 敵と味方と(6)
『ボーイ・ミーツ・ガール(3)』
「シロウ。私は貴方の剣となることを誓ったはずです」
セイバーが俺を正面から見据えた。
「心配しなくてもいい。これまでと変わらないよ。俺たちはずっと仲間だから」
「そうではありません。私は貴方の剣でいたい。契約のためではなく、私自身がそう望んでいるのです」
「だけど……これは、魔力の尽きかけたセイバーを助けるためなんだし……」
言いかけた俺に、セイバーは頭を振ってみせる。
「方法は他にもあります。シロウもそれを知っているでしょう」
俺を見つめるセイバーの真剣な瞳から、彼女が思いつきを口にしたのではないことがわかる。
「知っていたのか……?」
「ええ」
セイバーが頷いた。
「バーサーカーを撃退した時にも、おこなったではありませんか……」
頬を染めながら、セイバーが指摘する。
「え……!?」
確かに、セイバーの言うとおりだ。バーサーカーと対決する前に、セイバーの力を蘇らせている。
……だがそれは、前回の聖杯戦争でのことだ。それを、いまのセイバーが知っているはずがない。
俺の視線を受けて、セイバーがうつむいた。
「……夢を見ました。貴方の記憶です」
そうか! 俺がセイバーの記憶を夢見ていたように、セイバーも俺の記憶を夢として見ていたのだ。
つまり、今日のデートに応じてくれたのも、その記憶で知っていたからなのか……。
「私はシロウが持つ、幻の記憶を知りました。私と貴方の結びつきと、聖杯の力の性質を……」
セイバーが沈痛な表情を浮かべる。
「私にとって、すでに聖杯は手に入れる価値を失いました。残されたのは、貴方を守る剣でいるという誓いだけです。私はシロウにならば、身体を許してもかまいません……」
彼女を抱く――魔術師の精を与えるだけで、セイバーの魔力を回復させることは可能なのだ。
だけど……。
「それじゃあ、根本的な解決にならない。戦い続ける限り、またすぐに魔力は足りなくなる」
そう告げると、彼女は俺から視線をそらした。
「でしたら、何度でも行えばいい。魔力を満たすまで何度でも。……そ、そうすれば、なんの問題も無いはずです」
真っ赤にした顔を伏せながら、セイバーが訴える。
「でも、それは……」
言い淀んだ俺に、セイバーはすがりつくように問いかけてきた。
「シロウは、私と契ることよりも、私との別れを望むのですか? そんなにも、……今の……私を嫌っているのですか……?」
「違う!」
考えるまもなく、そう応えた。
たとえ、どんな事情があったとしても、その理由だけはありえなかった。
前回の記憶にあるセイバーと、今のセイバーに何の違いもない。それに、もしもそれが原因だったら、今の苦悩だってないはずだった。
「俺はセイバーの事を大切に思っている。だからこそ、遠坂と契約して欲しいんだ……」
セイバーの顔が歪む。涙こそこぼれていないが、それは、彼女の泣き顔なのだろうか?
「ストップ! いい加減にしてよね。アンタたち」
遠坂が俺たちの会話に割り込んできた。
なかなか結論が出ない俺たちの会話にイラついているのか、非常に不機嫌な顔をしている。
「士郎。ひとつ聞くけど、セイバーにいなくなって欲しい?」
「そんなわけあるか! 絶対にそんなことはさせない!」
これは間違いのないことだ。
「セイバーはどうなの? 士郎との契約が切れたら、士郎とは無関係のつもり?」
「そんなことはありません。たとえ、契約を失っても、シロウは私が剣を捧げた人間です」
「なら、問題ないでしょ。わたしは貴女と契約しても、士郎の敵に回る気はないわ。ちまちま、回復してたんじゃ、本当に必要な時に、魔力が足りないことだって考えられない?」
「…………」
遠坂の指摘は十分に考えられることだ。むしろ、いまがその事態とも言えるだろう。
「わかりました……」
セイバーは肩を落としながらも、頷くのだった。
カラン、カラン……。
何かが鳴る。
それは――、この屋敷を囲む結界が破られた音だった。
『来襲』
「くそっ……」
俺が部屋から駆け出ようとすると、セイバーが口を開く。
「リン。シロウをお願いします」
「セイバー……?」
遠坂がセイバーを振り向いた。
「シロウだけでは危険ですから」
「待てよ。遠坂はここで、セイバーを守ってくれ」
慌てて俺は、全く逆の頼みを口にする。
俺を見つめる遠坂の答えは……。
「……行ってきなさいよ。わたしはセイバーと待ってるわ」
「リン。なぜです!?」
「セイバーの心配もわかるけど、いまはセイバーの方が放っておけないもの」
「ありがとう、遠坂」
「ふん。お礼なんていらないわよ」
遠坂がぷいっと顔をそむける。
庭はひっそりと静まりかえっていた。
敵の姿は見えない。
俺の記憶を辿るなら、敵はキャスターのはずだ。しかし、すでに俺の記憶とは違いが出始めている。
今度の敵は一体……?
「――トレース・オン(投影開始)」
投影するのは、いつもの剣──カリバーンだ。
この剣は、もう、俺の手に馴染んだような気さえする。
俺は剣を握りしめて、夜の闇に覆われた庭へと足を踏み出した。
視線の先に、墨がにじみ出るようにして、その影が出現する。ローブ姿の、誰もが想像しそうな魔女の姿――キャスターだった。
今のセイバーには戦うための力が残ってはいない。遠坂が言っていたように、キャスターの目的がセイバーだというなら、セイバーを一人にすることもできなかった。
まさか、記憶にあるように、ギルガメッシュの介入を期待するわけにもいかない。そうなったとき、危険なのは俺自身の方だろう。
俺一人の手で、キャスターを倒すしかない。
ローブをはだけたキャスターが小さくつぶやく。
それだけで、詠唱の必要もなく、魔術が行使される。
ばかなっ!?
キャスターの前に出現した光球が俺に迫る。
カリバーンを構えるのが精一杯だった。この聖剣が帯びている魔力が、その弾を弾く。
こんな魔術の使い手と人間が戦うなど不可能だ。いつまでもかわしきれるものではない。
早く決着をつけるべく、俺はキャスターに向かって走る。
虚をつかれた形のキャスターは動けずにいる。
俺の間合いに入った。
取った――。
袈裟懸けに振り下ろしたカリバーンが輝き、キャスターのローブを切り裂いた。
あまりのあっけなさに、攻撃した俺の方が驚いていた。
「動かないで」
耳元に聞こえたその言葉だけで、俺の意志に関わりなく身体が硬直する。
「…………!?」
キャスターか!?
そんな問いかけを、口にすることもできなかった。
「そこで待っていなさい」
同じ声が、嘲りを含みながら俺に告げる。
まずい。セイバーと遠坂が危険だ。俺が無傷で生きている以上は、セイバーは危機として感じ取れないだろう。
自分の部屋に背を向けた状態のため、状況を把握する事もできない。
どうにかして、この呪縛を解かなければ。
しかし、俺の感情や、肉体の力だけでは、身体を動かす事ができない。
魔術による拘束を破るのは、魔術だけなのだ。
……くっ。
焦りながらも、自分の身体に意識を向ける。
もしも魔術として形成されていたなら、手も足もでなかった。しかし、それほど面倒な技ではないようだった。俺の魔術回路に流れ込んだ、キャスターの魔力が動きを阻害しているのだ。簡単な仕掛けだが、それだけでこの結果を生み出しているのだから、やはり、キャスターの実力は恐るべきものなのだろう。
とにかく、キャスターの魔力を消し去る事ができれば……。
しかし、魔術回路を起動させるスイッチまで固められている。
残された、方法は……。
遠坂が呆れた、魔術回路を生成するための基礎。アレならばスイッチは必要ない。
乏しい魔力を練り上げる。芯棒……いや、魔力は剣でイメージし直した。それを背骨に突き刺していく。
正直、不安はある。意識の集中を乱せば、それだけで、俺の命は尽きるだろう。いつもの土蔵でやるのに比べて、条件が悪すぎる。
しかし、それでも、セイバー達を守るためにはやるしかない。
回路の中にある淀みを洗い流す。
…………。
自分を縛り上げていた魔力が消えた。
精神の疲労、魔力の消費により、俺はその場に膝を突いていた。冷たい汗のために、シャツが背中に貼り付いている。
「はぁ……、はぁ……」
息も荒い。
だが、それよりもセイバーだ。
「敵はキャスターだ! 気を付けろ!」
俺が声を上げると、わらわらと何かが出現する。
歪な形をした骸骨だった。竜の歯でくくったゴーレム──竜牙兵というらしい。
カチャカチャと骨を鳴らして、竜牙兵が行く手をふさぐ。
強化した木刀でもなんとか撃退が可能な敵だった。カリバーンの前では、とても敵とはならない。
「どけっ!」
オモチャの人形を蹴散らすように、カリバーンで叩き伏せる。
無限に思えるほど湧いて出てくる竜牙兵を、繰り返し破壊し続ける。
『奪われた夜』
突然、左手から何かが失われていく。
これは……?
その瞬間に、全ては終わっていたのだ――。
令呪の消えた左手の甲をじっと見つめる。
俺の部屋から、ローブを纏った女が姿を見せた。
「まさか……?」
「どういう状況なのかは、理解しているようね?」
涼しげな、キャスターの声。
「貴方にはお礼を言わなくてはいけないわ。セイバーのマスターが貴方でよかった」
実に嬉しそうに話しかけてくる。
「貴方のおかげで、これまでセイバーは死なずにすんだし、貴方のおかげでセイバーは回復もできずにいた。ここまで弱っているなんて、思いもしなかったわ……」
キャスターは懐から、それを取り出してみせる。
「それは……」
これが、そうなのか?
遠坂から聞いた、キャスターの持つ宝具――。
「これが私の宝具、ルールブレイカー(破戒すべき全ての符)よ」
普通のナイフ程度の威力しかない。おそらくサーヴァント中、最弱の宝具。
しかし、ある一つの事柄に対しては、絶対的な力を発揮する。
「これは裏切りの刃──この世界にかけられた、あらゆる魔術を無効化することができる。マスターとサーヴァントとの契約ですら」
キャスターが後ろに声をかける。
「さあ、顔を出して、私のサーヴァントとして挨拶しなさい」
「くっ……」
悔しそうに、彼女が姿を見せる。
「騎士たる貴女が、自らの主と敵対するなんてね……」
キャスターが嬉しそうに語りかける。
「すまない……、シロウ」
「今の私は気分がいいのよ。お礼もかねて、貴方は生かしておいてあげる。向こうのお嬢さんも、死んではいないわ」
「セイバーをどうする気だ?」
「もちろん、私のサーヴァントとして戦ってもらうだけ。彼女の剣を私に捧げてもらのよ」
「誰が、……貴様などに」
キャスターがくすくすと笑ってみせる。
「楽しいわよ、セイバー。貴方が何処まで逆らえるか、確かめてあげる」
セイバーが人質に取られたようなものだ。それどころか、キャスターが令呪を使用すれば、俺の敵となって立ちはだかるだろう。
「知ってるわよ。サーヴァントが4人も手を組んでいるのよね。でも、セイバーをこちらで手に入れたのだから、3体3……。どうしてもセイバーを取り戻したいというのなら、柳洞寺までおいでなさいな」
高らかに笑うキャスターの姿がかすんでいく。
「シロウ……」
俺の名を呼ぶ少女もまた、闇の中に溶け込み始めた。
「セイバーっ!」
俺の呼びかけに応える者は、すでにいなかった……。