第3話 家庭の事情(6)
『血のつながり』
「……?」
「どうかしたの、シロウ?」
イリヤが俺を見あげる。
「いや、何かの視線を感じたんだ」
「別に気にすることないよ。隠れているだけの蛆虫なんかに、シロウが負けるはずないもん」
いや……そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……。そこまで楽観視するのもどうかと思うぞ。
「それより、どうして、桜もイリヤもここにいるんだ?」
「シロウとリンが出かけたのを見て、様子を見に来ただけよ。サクラもそうなんじゃない?」
「……はい。そうです」
桜が頷いた。
俺はどうしても、その顔をしげしげと見つめてしまう。
「しかし……、桜までが魔術師だったなんてな」
「黙っていてすいませんでした、先輩。」
「怒ってるワケじゃないよ。それに、桜には助けられたわけだし」
「でも……」
まだ、桜は気に病んでいるようだ。
魔術師だということを隠すのも、マスターであることを隠すのも、当たり前のことだと思う。俺はその点を追求するつもりはないので、話題を変えた。
「……でも、変だな。兄弟のうち、魔術師になる子供は一人だけだって聞いたんだけど。ソレは嘘なのか?」
「違うわ。誰に聞いたか知らないけど、それは事実よ」
桜に変わって、遠坂が答えてくれた。
「だったら、どうして、慎二も桜も知っているんだ? もう一人には隠すんじゃなかったのか?」
「正確に言うと、桜こそが間桐の後継者なのよ。だから、血は引いていたとしても、慎二の方が部外者ね。なんの力も持たないクセに、魔術師の一族だって事実だけで、うぬぼれていただけ」
「それなら……、なんで、慎二には魔術回路がなくて、桜にはあるんだ? 普通に考えれば、最初に生まれた子に引き継がれそうなものだけど?」
俺が視線を向けると、桜は遠坂を見た。
遠坂が桜に頷いて見せる。
……?
遠坂はそのあたりの事情まで知っているのか?
桜の答えは驚くべき物だった。
「遠坂先輩とわたしは姉妹なんです」
「えっ!?」
驚いて遠坂の顔を見つめるが、彼女は平然とこちらを見返している。
「桜の言った通りよ。私たちは血がつながっているのよ」
「ちょっと、待ってくれ! だって、桜は慎二の妹なんだろ? それなのに遠坂と姉妹? ……ってことは」
俺の想像を肯定するかのように、遠坂が頷く。
「じゃあ、遠坂と慎二も姉弟なのか?」
俺の言葉に遠坂がずっこけた。
「馬鹿じゃないの、アンタ!?」
思いっきり怒鳴られた。
「……だって、慎二が桜の兄で、遠坂が桜の姉なら、慎二と遠坂も血がつながっているんだろ?」
そう尋ねると、遠坂は怒りのあまり肩を震わせる。
「先輩、違うんです。あたしはもともと、遠坂の家に生まれたんです。そして、後継者のいない間桐家を継ぐために、遠坂家から引き取られたんです」
「…………」
「そういうことよ! 今度こそ、ちゃんと判ったんでしょうね!?」
青筋を立てて、がーっ、と俺に怒鳴りつける。
「わかった。今度こそ、ちゃんとわかった」
焦って答える俺を見て、遠坂がため息をついた。
「ところで……、桜に聞きたいことがあるんだけど」
「……なんですか?」
「ひょっとして、アナタも覚えてるの?」
「覚えてる……? えっと、何をでしょう?」
「だから、前にあったことよ」
「はあ……。前にあったことなら覚えてますよ」
戸惑いながら、そう答えた。
「覚えてるの!? じゃあ、何があったか教えて」
「えっ……、あの……何についてですか?」
「だから、聖杯戦争のことよ!」
「聖杯戦争……? 私が知っているのは、遠坂先輩と同じことだけだと思いますけど? 兄さんにライダーを預けた以外は、何もしてませんから」
遠坂の様子をうかがいながら、桜が答える。
「……それだけ?」
遠坂が何を尋ねたいのか、俺にはわかる。
俺や遠坂のように、桜もまた聖杯戦争を経験した記憶を残しているのか、確認しているのだ。
しかし、桜の返事からすると……。
「あの……、わたしは何か、大切な事でも、忘れているんでしょうか?」
「いや、なんでもないよ。遠坂の思い過ごし」
遠坂に替わって、俺が答えた。
遠坂には耳元へ小声で話しかけた。
「俺の記憶の桜は、聖杯戦争に参加してないんだ。慎二にも前回の記憶がなかったし、桜も同じなんじゃないのか?」
身近な事例があるからとはいえ、もともと、記憶を残して時間を遡るなど、滅多にあることではないだろう。
「どうも、そうらしいわね。わたしの記憶でも、桜は参加してなかったから……」
「悪かったな、桜。俺達の勘違いだ」
「そう……なんですか? それなら、それでいいんですけど……」
不思議そうにしながらも、桜がこちらに頷いて見せた。納得できないのか、まだ、桜は困惑顔だった。
さて――。
驚きの多かった、今回の戦いだが、一番驚いたのは、この後の事である。
『訪問客』
入浴も終え、疲れた身体を休めていたところ――。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
対応に出てみると、玄関に立っていたのは――。
「慎二!?」
「よう。……この家にくるのも、ひさしぶりだな」
なんて、感慨深げに口にする。
「おーい、桜。いるんだろ? 出てこいよ」
玄関に立ったまま、慎二は声を張り上げる。
顔を見せた桜が、相手を見て驚く。
「……兄さん!?」
俺達に敗れた慎二が、こんなにも早く、俺たちの前に姿を見せるとは思ってもみなかった。
「何をしに来たんだ?」
さすがに俺の声には緊張が含まれる。どう考えても、慎二の目的がわからない。
「ご挨拶だな、衛宮」
慎二が肩をすくめた。
「桜に渡す物があってさ」
そう言って、慎二は肩に掛けていたボストンバッグを桜の前に置いた。
「……なんですか?」
顔を強ばらせて桜が尋ねる。
「見れば判るよ」
慎二はそうとしか答えない。
俺にも事情はよく分からないが、バッグの中身には興味がある。
しかし、桜はなかなか開けようとしなかった。
「早くしろよ。なんなら、俺が開けようか?」
からかうように慎二が告げる。
「わかりました……」
桜は諦めたかのように、バッグを床に置いてジッパーを開く。
そこには……。
「私の服?」
「ああ。それに……」
慎二の言葉に促されて、桜が別な品を取り出した。それは、質素で飾り気のない女性物の下着だ。
きょとんとなった桜が、初めて、俺や慎二の視線に気付いた。
「きゃーっ!」
下着をバッグに押し込むと、バッグそのものを両手で抱きしめた。
「はははっ。もっと、色っぽい下着をつけないと、女だって意識してもらえないぜ。衛宮だって、そう思うだろ?」
「……べ、別に、そうとも言えないだろ」
「まあ、そうだな。桜にもいいとこはあるしな」
「…………」
俺と桜が、慎二に目を向ける。
「なんだよ? おかしな事でも言ったか?」
「いや……。それより、お前が来た目的はなんだ?」
「それだよ」
慎二は桜に渡したバッグを指さしてみせる。
「……桜はお前の家で、しばらくやっかいになるんだろ? だから、着替えを持って来てやったのさ」
「え……?」
俺と桜がお互いの顔を見つめる。
とてもじゃないが、いつもの慎二らしくない。
「それとな、衛宮……」
「なんだよ?」
「どうして、桜に辛く当たっていたのか、今となっては思い出せないけど……、もうしないよ。また、お前に殴られるからな」
そう告げてくる。
「……あっ、言っておくけど、僕はお前に殴られたこと今も忘れてないぜ。僕を本気で殴ったヤツなんて、お前だけなんだからな。いつか、この借りはちゃんと返せよ」
「…………」
驚いている俺たちを尻目に、慎二はさっさと帰っていった。
廊下側で様子をうかがっていた、遠坂とイリヤも驚いている。
「なにあれ? 別人じゃないの」
遠坂が感想を漏らす。
…………。
確かに、最近の慎二しか知らない人間には、わからないだろう。だが、俺や桜は、今の慎二を知っている。
あれは俺が初めて会った頃の――四年前の慎二だった。
しかし……。魔術の記憶を消されただけで、あんなにも変わるものなのか? じゃあ、アイツが屈折した原因は全て魔術の存在だったんだろうか?
そんな事を考えていると、誰かのすすり泣く声が聞こえた。
視線を向けると、それは桜だった。
今のバッグを抱きしめて、桜がぽろぽろと涙をこぼしている。
「よかった……。本当によかった」
押さえきれずに、そんな言葉を漏らす。
……そんなに、俺と慎二がいがみ合っていた事で、胸を痛めていたんだろうか? 悪い事したな。それなら、もっと早く、アイツと仲直りでもなんでもすれば良かった。
「ありがとう。イリヤちゃん」
桜は顔を上げると、イリヤに向かって礼を言った。
「な、なに言ってるのよ。別に私はなにもしてないじゃない。ただ、邪魔なアイツを追い払っただけだもん」
イリヤが照れている。つまり、記憶を消したというのも、アイツなりに桜を気遣ってのことなのだろう。
「偉いぞ。イリヤ」
いいながら、頭を軽く撫でてやる。
「本当、シロウ? やったぁ。シロウに誉められちゃった」
心底嬉しそうなイリヤに、俺も、桜も、笑いを誘われた。
この事件を終えて、うちは桜とライダーを住人に迎えることとなった――。