第3話 家庭の事情(5)
『決着』
それを境に、静寂が訪れた。
激しく衝突していた、セイバーとペガサスの力。その全てが消滅していた。
セイバーは魔力こそ消費したものの、無事だった。俺自身も全くの無傷である。
そして――、ライダーも生き残っていた。
今のは、完全な相打ちだったのか……?
俺の視線の先で、ライダーがその場に立ち上がった。
「これ以上、邪魔されたら面倒だ。その女は後にして、衛宮から殺すんだ!」
慎二の指示が飛ぶ。
「…………」
だが、ライダーに動く気配はない。
「おい! 何をして……、うわっ!」
慎二が、不意に驚きの声を上げる。
ヤツの手にしていた本が燃えだしたのだ。確か、あの本こそがヤツの令呪だったはずだ。
「な、なんでだよ!? くそっ、消えろっ! ……おいっ! オマエは、さっさと、衛宮を殺せ!」
「お断りします。貴方の命令に従う理由がありません」
これまでと同じ口調でライダーが告げる。
「なに!? 俺はマスターだぞ! 早く、言うことをきけっ!」
「いいえ。貴方はすでにマスターではない」
ライダーは地面を指さしてみせる。
本はすでに、灰となって燃え尽きていた。
「貴方が誓いを破ったからです」
ライダーが静かに告げる。
「くそっ! アイツだな? いるんだろ? 出てこい、桜!」
唐突に、慎二が声を張り上げた。
なんだって……?
すっと、木立の影から、その少女が姿を見せる。
「桜……?」
驚いた俺の視線の先には、確かに慎二の妹である桜が立っていた。
「どういうつもりだ、お前!?」
「最初に約束したはずです。先輩を傷つけたりはしないと。だから、兄さんに令呪を渡す時に、ひとつだけ条件をつけておいたんです。先輩を傷つけようとしない限り、兄さんの命令に従うと……」
「その通りです、シンジ。ですから、セイバーとの戦いでも、衛宮士郎を傷つけないために、わたし自身の判断で攻撃を中断しました」
なんだって!?
俺が視線を向けると、セイバーが頷いて見せた。
アーチャーが指摘したとおり、ライダーの攻撃力は、カリバーンを上回っていたのだ。
俺たちがこの場で死なずにすんだのは、単に運がよかっただけ。……いや、桜のおかげなのだろう。
「確かに、俺はマスターじゃないよな……」
慎二が虚ろに笑った。自分自身をあざける笑い……。
「じゃあ、お前がライダーに命じろ。早く、衛宮を殺すんだ」
「イヤです。そんな事はできません」
桜がきっ、と慎二をにらむ。
「そういう態度が許されると思っているのか、オマエに?」
そう告げる慎二の顔は、ひどく卑しく見えた。
「俺に逆らうとどうなるか、まだ判らないのか? そこまでして、俺に言わせたいなら、それでもいいんだぜ?」
慎二の言葉に、桜が視線を伏せる。
それでも、唇を噛みしめ、
「わたしはもう、兄さんに従うつもりはありません」
そう口にした。
「くっ……」
慎二が憎悪を込めた視線を、桜に向ける。
俺は桜を庇うように、その視線に割って入った。
「衛宮ぁ……」
そのまま、憎しみの目は俺に向けられる。
「桜は俺が守る。お前の好きにはさせない」
「ふん。バカなヤツだ。……お前は、桜がどんな女か知らないんだよ。いいか……」
「いい加減にするのね」
慎二の言葉を遮ったのは、遠坂だった。
その言葉には、静かな怒りが込められている。
「ひとつ言っておくけど、聖杯戦争の戦いは、基本的に殺し合いなのよ。確かに貴方は、偽りのマスターなうえに、魔術師ですらない。それでも、貴方が人を殺そうとしたのは事実よ」
遠坂が事実を冷静に突きつける。
「アンタを生かしておいているのは、桜の兄だからよ? アンタが桜を妹と思っていないなら、優しくする理由なんて一つもないわ。わたしが、この場で殺してあげる」
彼女は本気だった。
慎二の態度の全てが気にくわないのだろう。
俺も同感だった。今のヤツを弁護しようとは、これっぽっちも考えていない。
『彼に残された道』
「…………っ!」
慎二はようやく、自分の立場に気付いたようだ。
ヤツには、守ってくれる味方が一人もいない。
そして、ここには、ヤツが敵だと考えている、3組のマスターとサーヴァントがいた。
「くそっ……!」
身を翻して、慎二が逃げ出した。
あんな速さでは、どんなサーヴァントでも追いつくことができる。
だが、だれも慎二を追おうとしない。
その行く手に、一人の少女がいることに気付いたからだ。
「どけ! このガキ!」
「まったく……。どこまで、下劣なのかしらね。マキリの末裔は……」
その少女が嘲弄する。
「このっ……」
慎二は、少女を突き飛ばして、逃げようとした。
だが、その慎二自身の身体が宙を飛んだ。
慎二は知らなかったのだろう。
少女の名が、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンということを。そして、その傍らには屈強のサーヴァントが存在することを。
しかし、バーサーカーは余程、力を抜いて殴ったようだ。そう考えた理由は簡単で、慎二がまだ生きているからだ。
「わたしは、貴方なんか死んでも構わないんだけどね。貴方みたいな人間でも、殺したりしたらシロウは悲しむの。だから、命だけは助けてあげる」
「衛宮だと? あんなヤツがなんだっていうんだ。あいつこそ、なんの価値もない、無名の家の人間じゃないかっ!」
「……貴方が生きられるかどうかは、その口にかかってるのよ。いい? 次に、シロウを馬鹿にしたら、その瞬間に貴方を殺すわ。死にたくなかったら黙りなさい」
イリヤは感情のこもらない声で慎二に告げた。
慎二は真っ青になって、口を閉じた。
当然だろう。傍らで聞いてた俺まで怖くなった。
俺がどんなに説得しようとも、イリヤは口にしたことを実行するだろう。俺は、そこまで激しい意志を見せたイリヤを初めて見た。
「もともと、魔術に触れることを許される人間は限られているの。遥かなる根元に至るためには、強固たる意志と、崇高なる理念が必要だわ。貴方こそ、落ちぶれた家門にすがってるだけの、ただの人間にすぎないのよ」
イリヤの赤い瞳が、慎二に向けられる。
「いまから、貴方が持っている魔術に関する記憶を全て消してあげる。貴方には知ることすら許されていない知識なんだもの。貴方達の一族は、魔術を捨てることも許されない。魔術の方から捨てられて、ただの人として埋もれていくがいいわ」
それが、イリヤの宣告だった。
イリヤが行ったのは、記憶の封印ではなく、消去だった。慎二がこれまでに知った魔術について思い出すことは、永遠にない。
記憶を操作された慎二は、うつろな目をして、家へ向かってふらふらと歩き去った。