第2話 聖杯戦争、再び(3)
『和解』
俺はイリヤの過去を全く知らなかった。
今、イリヤが泣きながら語るまで、彼女は名門出身の天才魔術師として、なんの不自由もない生活をしてきたと思い込んでいたのだ。
だが、事実は全くの逆だったらしい。
令呪を手に入れた彼女は、死の危険に満ちた場所へ放り出されたのだ。全ては、マスターとして聖杯戦争を勝ち抜くため――バーサーカーを自在に操れるようになるためだった。
前回のイリヤだったら、感情そのものが乏しかった。そのころの彼女には、痛みから逃れることしか考えられなかった。
しかし、今回――。
彼女は、俺たちとの生活を通じて、人のぬくもりを知っている。
そんな彼女に、苦しみだけが残された。暖かさを知っているだけに、過酷な現実がイリヤを苦しめる。
だが、それでも彼女を支えたのは、冬木の街で出会えるはずの俺達なのだった。俺と会えば、再び、あの生活に戻れる。
――それだけが彼女の救い。
だが、やっと出会えた俺は、彼女を覚えていなかった……。
「気はすんだか?」
「うん……。ごめんね。シロウ」
目元の涙をぬぐいながら、イリヤが謝る。
「もういいよ」
そう言って、彼女の頭を撫でてやる。
少女は俺の手の感触が嬉しいのか、気持ちよさそうな表情を浮かべた。
「わかんないわ……。なんで、その程度で説得できちゃうわけ?」
不思議そうに、傍らにいるもう一人のマスターが首を傾げる。
「だって、シロウとわたしの仲だもんね〜」
なんて言いながら、イリヤは俺に甘えてくる。
「まあ、とにかくこれで、戦いは終わりってコトね」
遠坂は頷きながら、向こうへと視線を向ける。
「アンタ達、聞こえる? わたしたちは仲間になったから、戦いはもう終わりよ」
声をかけたのは、いまだ戦闘中の3人のサーヴァントである。
三人は、お互いから距離を取ると、動きを止めてこちらに視線を向けてきた。
セイバーは剣を杖にして、やっと立っている様子だった。
アーチャーは地面にへたり込んで、傍らには彼の双剣が放り出されていた。
バーサーカーなどは、左腕が切り落とされているわ、首筋から大量の血が流れているわ、右腹部から内臓が覗いているわと、まるで死体でもおかしくない状況だった。
三人は一様に、非難するような視線をこちらに向ける。
…………。
それはそうだろう。
生死を賭けて戦っていたサーヴァントを尻目に、マスター達だけが和解してしまったのだ。
自分たちはなんのために戦ったか?
と、不満に思っても仕方がない。
「マスター、どういう事なのか説明を要求します」
「セイバーに同感だ。事情は聞かせてもらえるのだろうな、凛?」
セイバーもアーチャーもこちらを難詰する。
もう一人のサーヴァントはどうかというと……。
「なにか文句でもあるの?」
こちらを見つめていたバーサーカーに、彼のマスターは平然と応じる。視線をそらしたのはバーサーカーの方であった。どうやら、あの二人の力関係は完全に決定しているようだ。
あのコンビに比べて、俺たちの方は説得に苦労しそうだった。
『ボーイ・ミーツ・ガール(1)』
セイバーの言いたいことは最初からわかっている。
だが、イリヤと戦うのはごめんだったし、彼女が誰かに殺されるのも我慢できない。
それは、遠坂についても同じコトだ。
「マスター。たった一つの聖杯を求める以上、他のサーヴァントやマスターは敵です。貴方の目的と考えを聞かせてください」
セイバーが真剣な表情でこちらを見つめる。
この場には、彼女が敵と口にした、二組のマスターとサーヴァントがいる。
それでも、彼女が知りたいのは、偽りのない俺の真意なのだろう。しかし、さすがにそれを彼女に明かすことはできなかった。
……俺は彼女が望む聖杯の真実を知っている。もし彼女が、聖杯を手に入れられたとしても、彼女の願いは叶わない。だが、そのことを告げても、今の彼女は信じようとはしないだろう。
それに俺は、彼女が抱いている望みは、かなえるべきじゃないとまで思っている。そういう意味では、俺自身までも、彼女の敵と言えるかもしれない。
「……俺は聖杯には興味がない。だけど、聖杯を求めてマスター達が殺し合うのを見過ごすことはできない。俺は聖杯戦争を終わらせるために戦う。……そう決めたんだ」
少なくとも、俺の心情に関して、嘘は言っていない。
「…………」
無言で俺を見つめるセイバーの目を、正面から見つめ返す。
「セイバーの剣を、俺のために貸して欲しい」
「……わかりました。それ以上の譲歩は見込めないようですね」
肩をすくめつつ、彼女がつぶやく。
「それと、俺の名前は衛宮士郎。……シロウ、と呼んでくれると嬉しい」
「エミヤ……?」
セイバーが俺の名字を口にした。
そうか……。セイバーはオヤジを知っていたんだっけ。
「いえ、シロウ……ですね? わかりました。これからは、貴方のことをシロウと呼ばせて頂きます」
今のセイバーが、初めてやわらかな笑みを浮かべる。
それだけのことが、俺には嬉しかった。
「じゃあ、これからもよろしく」
セイバーに向かって、右手を差し出す。
「……?」
「握手だよ。構わないんだろ?」
「え、ええ。これから、よろしくお願いします」
彼女の小さな手が、しっかりと俺の手を握り返した。
『違和感』
「どうしたんだよ、遠坂?」
すでにアーチャーの説得を終えたらしく、俺とセイバーの様子を見ていた彼女に声をかける。どうも不機嫌そうに思えたからだ。
「別に……、なんでもないわよ」
「……怒ってないか?」
「怒ってなんかいないわ! 変ないいがかりつけないでよね!」
と怒鳴りつけてくる。
いや……、十分に怒っている気がする。
指摘するのが怖かったので、この件について追求するのはやめておこう。
「そんなことより、これからどうするのよ?」
誤魔化すように、唐突に遠坂が尋ねてくる。
「どうするって……、みんなで俺の家にこいよ。仲間なんだし」
「でも……」
気になることでもあるのか、遠坂は何かを考えている
「ねえ、士郎。わたし達はこれから起きることを知っているのが強みよね?」
「……そうだな」
「だけど、前回の記憶と違う行動を取ってしまうと、これから起きることが変わってしまうんじゃないかしら?」
「でも、それは仕方ないだろ? わざわざ、バーサーカーと対決するつもりなんてないぞ」
「……? まあ、今回は仕方ないと思うわ。バーサーカーを死なせるのは惜しいし。今、イリヤと手を組まなければ、彼女を助けることはできそうもないんだから」
「……そうだったか?」
この後、商店街とかで何度もイリヤと顔を合わせたはずだけど……? ああ、あれは遠坂に説明してなかったから、知らないのか……。
「彼女を一人で城に残すと、またギルガメッシュに襲われるかもしれないしね……」
遠坂はそんなことをつぶやいた。
……なんだ、それ?
「ギルガメッシュ? なんで、城なんだ?」
「だって、そうだったじゃない」
きょとんとした表情で遠坂が俺を見つめる。
「イリヤは、俺の家で言峰に狙われたんだろ? 遠坂もその場にいたはずだし」
俺は、彼女の勘違いを指摘したつもりだったが……。
「なんの話よ!?」
遠坂は悲鳴のような声を上げた。
「あれ……? 俺、何かおかしな事、言ったかな?」
傍らのイリヤに尋ねてみると、
「ううん」
イリヤが首を振ってみせる。
「あたしも、リンの言ってることの方がわからないわ」
イリヤの返答を聞いて、遠坂は愕然となった。