第1話 ボーイ・ミーツ・ガールズ(2)
『高嶺の花』
一時間目が始まる前――。
その少女が、視界の内にやってきた。
いや、視界に入ったというのは控えめな表現の気がする。相変わらず綺麗だと見とれていると、自分の眼前に立ちふさがっていたというのが正しい。
直接の面識こそないものの、俺は彼女の名前を知っている。
遠坂凛──。
彼女は、容姿端麗、成績優秀、学校内ではちょっとしたアイドルである。冷たい印象こそないものの、どうしても気後れしてしまう美少女であった。
正直に言えば、俺も彼女に憧れる多数のうちの一人なのだ。
その彼女の第一声が、
「ちょっと、士郎。つきあってよ」
である。
誰だって驚くだろう。おそらく俺の目は、点になっているはずだ。
……士郎!?
自分と遠坂はあまり親しい方じゃない。というよりも、ほとんど関わりがない。名前で呼び合うような仲じゃないはずだ。
「ま、待ってくれ。士郎だって!? それに……つきあって?」
驚きのため、そのまま問い返してしまう。
これは、告白ってことなのか?
そんな事を考えると、顔が赤くなりそうだ。
「まさか、アンタ……?」
俺が挙動不審だったためか、遠坂は眉を寄せる。
じろっとにらみつけたかと思うと、遠坂は長くため息をついた。
「……そういうことか」
視線をそらすと、口惜しそうにつぶやいた。
「なんだよ? 一体……」
「ちょっと、屋上までつきあってくれない、衛宮くん?」
遠坂の呼びかけが、衛宮になっていた。
人気のない屋上にいるのは、俺と遠坂の二人だけだ。
「明日の放課後の予定、聞かせてもらえる?」
「明日……? 特に用もないし、家に帰るつもりだけど」
「そうなの?」
なんだって、遠坂は俺の予定を聞いてくるんだ?
まさか、俺をデートにでも誘うつもりなのか?
男ならそんな想像をするのも仕方がないだろう。憧れの少女から、こんな問いかけをされたら、期待しない方がおかしい。
「じゃあ、学校には残らないつもり?」
不思議そうに訪ねてくる。
「ああ。そう言っただろ?」
俺はそんなに分かりづらい言い方したっけ?
「……最近物騒だから気を付けなさいよね」
そんな忠告をしてくる。
確かに、連日、ガス中毒などの報道が多い。しかし、ほとんど初対面の人間に告げる言葉だろうか?
どうにも、彼女の意図が理解できない。なんとなく、言いたいことの核心に触れていない気がする。
「何が言いたいんだよ?」
「……別に、なんでもないわ」
なぜか遠坂は、辛そうに視線を伏せる。
「聞きたかったのは、それだけよ。ごめんね。つまらない話につきあわせて」
「お、おい……」
後ろ姿に声をかけるが、遠坂はそのまま立ち去ってしまった。
『弓道部へおいで』
昼休みに、校内をぶらぶらしていると、声をかけられた。
「よっ、衛宮」
「美綴?」
相手は、弓道部の主将を務める美綴綾子(みつづりあやこ)だった。
「どう? 弓道部へ戻る気になった?」
「お前な……朝に俺を誘ってから、4時間ぐらいしか経ってないぞ? そんな短い時間で心変わりするわけないだろ」
美綴には朝もちゃんと断ったはずだ。
「なに、言ってんのよ。アンタが退部してから一年半も待ってんのよ。いい加減、戻ってきたら?」
そう言って、またも勧誘を始める。
在籍当時から、なぜか俺にライバル意識を持っているようで、ずっと、俺の腕を惜しんでくれているのだ。まあ、彼女としては勝ち逃げされた気がするのかもしれない。
美綴は、初心者として入部しながら、今では主将を務めるほどで、退部した人間一人を気にかけることもないだろうに。
「別に俺を意識することないだろ。もう、お前の方が上だと思うぞ」
中貫久の言葉もあるし、弓に触れてもいない俺にこだわっても、無意味な気がするんだが……。
「わたしが誘ってるのは、それだけじゃないんだけどね……」
むーっ、とにらんでくる。
美綴を端的に言い表すなら、”かっこいいヤツ”となる。外見こそ美少女と言えるのだが、その本質は”頼れる姉御”ともいうべき人物だ。なにしろ、この学校でケンカを売ってはいけない人間のトップ3の一角なのだ。
ちなみに、そんな彼女ですら苦手としているのが、弓道部の顧問を務める藤ねえだったりする。
「あ、そうそう。……朝、遠坂となんの話してたの?」
思い出したように美綴が問いかけてきた。
「別に。放課後、なにしてる? とか、そんな話だよ」
「アンタを誘ったってコト?」
「違うだろ。単に気になっただけじゃないのか?」
「気になるって、意味深じゃない」
「そうか? 俺は家に帰るって答えただけだし、遠坂とはなんの約束もしてないぞ」
「ふーん。なに考えてるんだろ、アイツ」
「俺が知るか」
遠坂を前にしたときの動揺を見透かされているようで、思わず語調が強くなってしまった。
美綴は曰くありげにこちらを見つめる。
「あたしねえ、遠坂はアンタに気があるんじゃないかと思ってたんだ」
「はあ!?」
思わず、声が大きくなる。
「なんでさ?」
「アイツが弓道部を覗きに来るのは、アンタ目当てだと思ってたのよ。アンタが顔出す事は滅多にないけど、……ほかに、それらしいオトコはいないしね」
「……慎二じゃないのか?」
「バカね。慎二なんて小物は、鼻もひっかけないよ。アイツは」
「なんでお前に、そんな事がわかるんだよ?」
「なんか似てるのよねぇ。あたしと遠坂って。たぶん、好みのタイプも似てると思うわ」
「ふーん……」
優等生でお嬢様の遠坂と、弓道部主将で男まさりの美綴。正反対の気もするが、言われてみれば納得出来るような気もする。
関心している俺を見て、なぜか美綴はため息をついた。
「ほんと、アンタと話していると、力が抜けるよ。……もしかして、遠坂との話もそんな調子だったんじゃないの?」
「なんか馬鹿にされてる気がするのは、気のせいか?」
「気のせいじゃないわよ。でも、アンタがそういう人間なのは前からだし、仕方ないんだけどね」
……?
「……ちなみに、遠坂は早退したよ」
「え? 怪我でもしたのか? 朝はぴんぴんしてたぞ」
「体調不良ってことだけど、あれは仮病だから心配する必要ないわよ」
「仮病するぐらいなら、わざわざ登校したりしないだろ?」
「どうしても来たい用事があったんじゃない?」
「どんな?」
「アンタと話すため……とか?」
「そんなわけないだろ」
美綴の言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
〜interlude〜
強い風が吹いていた。ビルの屋上では風を遮る物もなく、わたしの髪が風になびく。
戦場となるこの街の構造を記憶したいと、新しいパートナーが言い出したので、わたしはわざわざここまで足をのばした。
わたしがこのサーヴァントと契約したのは、昨夜の事だ。これでマスターは6名がそろった事になる。
残る椅子は一つ──。
最後のマスターが誰なのか、私は知っている。そして、そのサーヴァントも。
しかし、わたしのサーヴァントも、それにあいつも、そんな記憶を残していなかった。
それは、幸運と言えるのだろうか……?
わたしの傍らで、サーヴァントは町並みを眺めている。
しかし、彼が口にしようとしない本心は、この町を見たいだけなのかも知れない……。
わたしも下を見下ろせる位置に移動した。
この時間だと、あいつは街にいたはずだった。
すぐにその相手は見つかった。
彼は自分の身に死が迫っている事を知らない。
……いや、知っているかどうかは、彼の行動になんの影響も与えないだろう。前の時もそうだった。彼は危険が迫っていても、平気で出歩くし、行動を控えたりはしない。
果たすべき目的があった時、彼は自分の命をまったく気にかけなくなるのだ。そんな彼のせいで、一体どれだけ自分は苦労することになったことか……。
苦々しく思いながらも、わたしは彼を見つめている──。
『夜の街に』
今日はバイトで遅くなった。
その帰り道──昨日の今日で、またしても奇妙なことに遭遇した。
オフィスビルが並ぶ、新都。
ふと見上げた視線の先──。
そこに一人の人間が立っていた。それだけなら、問題ではないが、その相手はそんな行動をしそうにない人間だから、驚いたのだ。
高いビルの屋上に立っていたのは、遠坂なのだ。風に吹かれながら、屋上に毅然と立つ姿。
雄々しいとまでいいたくなるほど、絵になる。
遠坂は、屋上の端に立って、下を――いや、俺を見下ろしている。
まあ、俺は目がいい上に、魔力を上乗せしているので、はっきりと確認できたけど、むこうはそうじゃないだろう。
たまたま、視線の先に俺がいただけ……。
そう思いながらも、自分を見つめているように思える遠坂に、俺はしばらくの間見とれていたのだった。