第1話 ボーイ・ミーツ・ガールズ(1)

 

 

 

『夢』

 

 

 

 真っ赤な光景が広がっている。

 熱く、苦しい、痛みだけを伴う光景。

 うめき声、あえぎ声が耳に届く。

 しかし、その声の方向へ、俺は視線を落とそうとはしない。

 自分では彼らに何もしてあげられないのがわかっているから……。

 

 悪夢にうなされて、目が覚めた。

 朝日が差し込んでいるため、視界が白く染まっている。

 昨日、ストーブの修理中に眠り込んだらしく、ここは家にある土蔵の中だった。

 最近は見なくなっていた10年前の悪夢が、ようやく脳裏から消え去っていく。

 いや……、あの記憶が消え去ることは一生ないだろう。

 もしかすると、自分の死に際に思い浮かべるのも、あの光景なのかもしれない……。

「……さてと、桜が来る前に、食事の準備でもするか」

 そう言葉に出すことで、俺はなんとか気を取り直して、立ち上がった。

 

 朝食の準備が整った。

 この家に暮らしているのは俺一人なのだが、食卓には三人前の食事が並んでいる。

 家族としてつきあっている他の二名はまだここへ顔を出していなかった。

 ピンポーン。

 この時間にチャイムを鳴らして訪問する人間は一人しかいない。

 おそらく、桜だろう。

 ……だが、待っていても入ってくる様子がなかった。

 どうしたんだ?

 不思議に思って出迎えに行くと、玄関にその少女が立っている。

 やはり、訪問客は友人の妹・間桐桜(まとうさくら)だった。

 玄関に立ったまま、桜は家に上がろうとはしない。

 うちの合い鍵も預けているぐらいだし、いまさら遠慮するような仲でもないのに……。

 不思議そうに桜の顔を見つめる。

「どうかしたのか?」

「……その……、あの、先輩の夢ってなんですか?」

「え?」

 唐突だなぁ。

 やってくるなり、どういうつもりなんだ?

 呆気にとられた俺の顔をみて、桜自身が困ったようにうろたえる。

「すみません。突然、変なこと聞いてしまって……。あの、確かめたいことがあったものですから」

「これからの進路ってこと?」

「いいえ。漠然とした希望でもいいんですけど、先輩がなりたいものとか、していきたいこと、などです」

「特に考えてないな。まあ、誰かの役に立ちたいとは思うけど」

「みんなのために何かをしたいんですね?」

「まあ、……そうなるかな」

 頷いた。

 具体的なことは白紙だけど、方向性だけは当たっている。

「やっぱり……、正義の味方になりたいんですよね?」

「桜。お、お前、それどこで……?」

 言いかけて気がついた。

 決まっている。

 その事を知っていて、桜に話しそうな人間は一人しかいない。

「くそっ。藤ねえの奴がしゃべったんだな。まったく」

「いえ。違いますよ」

 桜が笑顔を浮かべながら、そう答える。

 桜は優しいから、藤ねえを裏切るようなマネはしないだろう。そのうえ、この話を知って喜んでいる節がある。藤ねえをかばうに決まっているのだ。

「こっちが醤油で♪ こっちがソースぅ♪」

 なにやら、楽しげな女性の声が居間の方から聞こえてきた。

 話題の中心人物である藤ねえ本人だ。

 藤ねえは桜と違い、チャイムを鳴らさずに入り込む。──ちなみに、この家は大きな屋敷なので、玄関以外でも入り込む事は可能なのだ。

 まあ、その事自体はいつものことだし問題じゃない。

 それより、桜にバラした”正義の味方”の一件もある。

「待て! 藤ねえ、話がある!」

 慌てて居間に向かうと、桜もその後ろに続いた。

 俺を含むこの三名が、朝食時のいつもの面子であった。

  

  

  

『家族』

  

  

  

 朝食は一点を除いて、満足できるものだった。

 ちなみに、唯一の問題というのは、ある人物によって、ソースと醤油のラベルが貼り替えられたコトだ。

 あんな人間が自分の担任教師なのだから、世の中は不思議である。

 藤ねえは、女性の身でありながら、その名を”藤村大河”という。本人はその名を嫌っており――特に”タイガー”のあだ名で呼ばれると激怒する。そこで、俺が呼ぶ時は”藤ねえ”というわけだ。

 非常にマイペースで、のほほんとしていながら、剣道五段という、存在自体が不思議な人間だ。藤ねえのキテレツな行動には、すでにクラスの連中まで慣れてしまった。旧知の俺としては、なさけないやら、恥ずかしいやら……。

 しかし、5年前、俺の養父が死んだ時、藤ねえがいなかったら俺は立ち直れなかったかもしれない。

「それじゃあ先にいくわね。二人とも遅刻したら怒るわよー」

 そう言い残して、さっさと学校へ向かった。テストの採点があるらしい。

「じゃあ、俺たちも出るとするか」

「そうですね」

 登校するには、今の時間でもずいぶん早い。これは、弓道部の朝練に間に合わせるためだった。

 桜は弓道部に所属しており、朝練にも参加している。ただでさえ、朝が早いというのに、うちで朝食を取るだけではなく、たまには朝食を作りさえする。

 俺が一年半前に腕を怪我した時に手伝いをしてくれて以来、彼女はそんな生活を続けているのだ。

 料理の腕を上げたいらしく、師の――この場合、俺の事だけど――教えがいいのか、今も桜の腕前は上達し続けている。すでに洋食で俺はかなわない。最後の砦である和食も追い抜かれるのは時間の問題だろう。

 料理だけでなく、彼女には本当に世話になっている。

 そのうえ、桜は美人だった。私見を交えて評価するなら、一年生の中では一番に魅力的だと思う。そのうえ、最近などは、体つきも女っぽくなって、台所で並んだりすると、意識する事があったりするし……。

「……どうしたんですか、先輩? ぼーっとして」

「いや、なんでもない。なんでも」

 慌てて取り繕う。

 

 身よりのない俺だけど、藤ねえと、桜のおかげで、楽しく暮らせている。

 二人にはいくら感謝しても足りないくらいだった。

  

  

  

『白い少女』

  

  

  

 俺の学校での平凡な一日が終わる。

 弓道部も退部しているため、現在の俺は帰宅部なのだが、この日は、生徒会長をしている友人に頼まれて、備品の修理を行っていて遅くなってしまった。

 少女と出会ったのは、その帰り道のことだ。

「シロウお兄ちゃん♪」

 そんな風に声をかけられた。

 銀の髪に紅い瞳の小さな少女。嬉しそうに満面の笑みを浮かべる少女は、一見、天使のように思えた。

 ただ……、問題なのは、自分に妹は存在しないし、その娘にも見覚えがないことだ。

「……え? 君は、一体?」

 こちらとしては、戸惑うしかない。

「私だよ。イリヤ!」

 イリヤというのが、名前なのだろうか?

「あ……、俺は衛宮士郎(えみやしろう)っていうんだ」

「知ってる! だから、そう呼んでるじゃない!」

「どこかで、会ったことあるかな?」

「え!?」

 少女が愕然となった。

「わたしのこと……覚えてないの?」

「その……ごめん。思い出せないんだ。どこで会ったんだっけ?」

 俺の返答に、彼女はひどく傷ついてしまったようだ。

 イリヤと名乗った少女は、目に涙を浮かべて、俺をにらみつけてくる。

「……知らない! お兄ちゃんのバカっ! わたしだってシロウのことなんか、もう知らないんだから!」

 ぷいっと駆け去るのかと思うと、立ち止まって、こちらを振り向く。

 ……?

「シロウなんか死んじゃえ!」

 物騒な言葉を言い残して、彼女は去っていった。

「……なんなんだ、一体?」

 まさか、その言葉が現実のものになるなんて、その時の俺に分かるはずがなかった。

 

 

 

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