『セイバー・イズ・フルチャージ(1)』
昨日は大変な一日だった。学校でサーヴァントの戦いを目撃したせいでランサーに一度殺され、召喚したセイバーをかばおうとしてバーサーカーに殺されかけた。
それが現実であることは間違いない。
この家にセイバーと遠坂がいることが、その証しだろう。
存在も知らなかった聖杯戦争に巻き込まれた俺は、セイバーとともに参加する事を選択したのだった――。
その翌朝。
「身体は大丈夫ですか、シロウ?」
道場に出向いた俺をセイバーが気づかってくれた。
「ああ」
バーサーカーにやられた俺の傷はなぜかすっかり治ってしまった。
「それより、セイバーの方はどうなんだ? ランサーとバーサーカーの攻撃で大ケガしただろ?」
「私の傷もすぐに回復できました。ただし、大量の魔力を消費してしまいましたが……」
「魔力を……?」
「私はシロウから魔力の供給を得られていません。このままでは、遠からず魔力が尽きてしまうでしょう」
そうつぶやく。
それは、とてもじゃないが、聞き流せるような話じゃないぞ。
「へぇ〜。そうなんだ?」
遠坂の嬉しそうな声。美しいと表現できる彼女の笑みが、悪魔のように思えた瞬間である。
「凛……!」
セイバーが遠坂をにらむ。
聖杯を求める以上は、遠坂も敵対するべきマスターの一人なのだ。
……気持ちはわからなくもないが、口を滑らしたのはセイバーの方だからなぁ。
「落ち着きなさいよ。今のわたしたちは、手を組んでいるはずでしょ?」
「しかし、それは、バーサーカーを倒すまでの、一時的な関係にすぎないはず」
セイバーの発する緊張感を思うと、いつ遠坂に斬りかかってもおかしくはない。
「しょうがないわね……。じゃあ、協力する証拠に、魔力を得られる方法を教えてあげるわ」
そんな事を言い出した。
このときの一言が、俺たちの運命を決定づける事となった。
すなわち──。
「衛宮くんに抱かれればいいのよ」
それを聞いて、俺とセイバーの身体が硬直した。
「魔術師の精は、魔力の固まりでしょ? 幸い、男と女なんだし、簡単じゃない」
軽く告げる遠坂の目が、にんまりと笑っている。
コイツ、俺たちをからかって遊んでいるんだ。
おそらく赤くなっているだろう俺の顔を、楽しそうに見ている。
「お前な〜」
俺が怒鳴りつけようとすると……。
「感謝します、凛」
『へ?』
セイバーの言葉に、俺と遠坂の声がハモった。
「そんなに単純な方法があったとは気づきませんでした。確かにその方法ならば、魔術師として未熟なシロウにも可能でしょう」
……それは、つまり?
「では、シロウ……、その、私を……抱いてください」
顔を真っ赤にしてセイバーが俺を誘う。
恥ずかしさのためか、俺の視線を避けつつ、両手の指をもじもじと絡めている。
そんな仕草が可愛くて、俺の頭はクラクラしてきた。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!」
遠坂が割って入る。
「なに、バカなこと言ってんのよ。朝っぱらから」
「そうですね……」
遠坂の言葉に、セイバーがあっさりとうなずく。
「では、夜になってから……」
……問題は時刻だけなのか? 行為をすること自体は、決定事項なのか?
「待てよ、セイバー。俺はそんなつもりないぞ」
「なぜです? 勝ち抜くために必要な事です。シロウは、魔力切れで私が消えても構わないというのですか?」
「魔力にはまだ余裕があるんだろ?」
「そういう問題ではありません。溜めておける魔力に限度があるのですから、最大値に保つのが一番賢い選択のはずです」
「だけど、そんな理由で女の子を抱くなんて、俺は嫌なんだ!」
俺とセイバーの口論を眺めていた遠坂が、呆れてため息をついた。
「まあ、勝手にやってよ。私は家に戻るから……」
俺とセイバーは言いたい事をすべてぶつけた。
どうやら、セイバーの方には退く気がないらしい。しかし、それはこちらも同じ事だ。
「どうあっても、拒むというのですか?」
あらためて俺に尋ねてきた。
「そうだ」
俺の言葉にセイバーは悔しそうな表情を浮かべる。
「確かに、私には女性としての魅力が乏しいでしょう……」
……っ!?
「違う! そうじゃない! セイバーは可愛いし、抱くことがイヤなんわけじゃない!」
慌てて否定する。
「慰めなどいりません」
「だからっ! 魔力とかそんな事抜きで、恋人だったら嬉しいぐらいなんだって!」
「……そうなのですか?」
きょとんとこちらを見返してくる。
「そうなの!」
「それなのに、今は抱きたくはないと?」
その問いに、しっかりと頷いてみせる。
セイバーがため息をついた。
「仕方がありません」
「わかってくれたのか?」
「ええ。貴方はどうしても私を抱きたくはないのですね?」
「まあな。繰り返すけど、セイバーが嫌いだからじゃないぞ」
「その言葉を聞けて安心しました」
セイバーがすっくと立ち上がり、腕まくりをする。
「なんだよ?」
「シロウがどうしても、拒むというのならば、力ずくでコトに及びます」
「おいっ! ちょっと待て!」
セイバーは少女とは思えない力で――サーヴァントだから当然なのだが――、俺を道場の床に押し倒してくる。
「シロウ……。これは、私にとっても望ましい事ではありません。ですが、いつ、他のマスターやサーヴァントに襲われるかわからないのです。戦いの備えは常にしておくべきでしょう? 貴方を守るために……」
真剣な瞳が俺を映し出す。
セイバーを抱けば、彼女は有利に戦えるのだろうか? それは、彼女を守ることにつながるのだろうか?
……未熟な俺にできる事は限られている。
たとえ、こんなことだとしても、彼女の力になれるなら、それでいいんじゃないだろうか……。
道場で……というわけにもいかないので、俺はセイバーを自分の部屋へ誘った。
事が済んで、俺の布団で眠っているセイバーを残し、喉の渇きを覚えた俺は台所へ向った。
自然と顔に笑みが浮んでしまう。
はっきりいって、俺には女性経験がない。それが、あんな綺麗な娘とそんな関係になるとは想像もしなかった。
身体を触れ合わせたまま眠っている彼女の穏やかな寝顔。至福を感じさせるその表情は、男としての達成感、充足感を実感するのに十分なものだった。
「嬉しそうね、衛宮くん?」
居間で俺を出迎えたのは、テーブルで牛乳を飲んでいた遠坂であった。
……………。
これから、お馴染みとなる、怒りに満ちあふれた、満面の笑みを浮かべている。
「な、なんで、遠坂がここにいるんだ?」
「だって、今日からわたしもここに住むもの」
「住む!? って、遠坂が?」
「当然じゃない。わたしたちは手を組んだんだから」
「いや、だからって……」
「わたしがいたら、迷惑かしら?」
「そうは言ってないけど……」
「そーお? セイバーと二人っきりの方が、いいんじゃない?」
「えっと……、どういう意味?」
「どうも、こうも、わたしはずっとここでふたりを待ってたんだけど?」
「え!?」
「わたしが家から荷物を持ってきたら、誰もいないのよね。まあ、すぐに、二人の声が聞こえてきたから、探す手間は省けたんだけど」
口にする遠坂のこめかみに、血管がぴくぴくと浮かび上がる。
セイバーは恥ずかしがるわりには、終盤になると声が大きくなった。誰の責任かと言えば、やはり、俺にあるのだが……。
俺としても初めての経験だったので、必要以上に激しくしたり、頑張ったりしたわけだ。
「…………」
「…………」
俺は遠坂から視線を逸らしてしまう。
恥ずかしさよりも、むしろ、恐怖のためだ。
「ほんの1時間程度で、ずいぶん、あさっりと籠絡されるのね? 衛宮くんがそんなに女にだらしないなんて、思わなかったわ」
にっこり、なんて表現が聞こえそうなくらい、遠坂が唇の端を持ち上げる。
「と、遠坂には関係ないだろ」
「…………」
……ひょっとして、言葉の選択を間違ったか?
「…………………………」
怖くて、遠坂の表情も確認できない。
「幸い、セイバーも眠っているようだし、マスターを一人消しておくのもいいかもね」
「お、俺たちは手を組んでいるはずだよな?」
「そうだったかしら?」
笑顔で腕まくりする彼女の左腕に、魔術刻印が浮かび上がる。
「反省しなさい! このスケべ!」
叩き込まれるガンドを避けて、俺は庭中を走り回る。
セイバーは満足げに眠っているようで、助けに来る気配がない。
これは、マスターの襲撃じゃないのか?
守ってくれるというのは、嘘なのか?
理不尽さに納得できないまま、俺は庭を逃げ惑うことになる。
こうして、俺とセイバーの、極めて緊張感に欠ける聖杯戦争が幕を開けたのだった。