『ゼロのガンメン』(6)虚無ってなんなの
「虚無……ですか?」
「うむ」
真面目な表情で頷いたのは、学院長のオスマンである。
いつもの飄々とした様子とは違っており、口にした言葉が冗談とはとても思えなかった。
傍らに並ぶコルベールも真剣な表情で頷いて見せた。
「まさかそんな……」
「私らも驚いたわい。まさか、伝説に直面する事になるとはのう」
またしても学院長室へ呼び出しを受けたルイズとシモンは、二人からそんな話を聞かされていた。
「だって、私は『ゼロ』なんですよ。私にそんな素質なんてありません」
そう口にするのは悔しい限りだが、これほどの過大評価を鵜呑みにするほどルイズは自惚れていない。
始祖ブリミルが行使した虚無の魔法は、遙か昔に歴史の中へと埋もれてしまった。
それを考えると、目の前の二人が自分をからかっていると考えた方が遙かに現実味がある。
「まず、順を追って話そう」
そう前置きしてから、オスマンは説明を始めた。
シモンの手に浮かぶルーンは『ガンダールヴ』のものだと。それは、始祖ブリミルに仕えた使い魔の名なのだ。
そして、主であるルイズの魔法は四系統から外れているということ。つまりは、虚無の魔法である可能性が高い。
「この推測に間違いはないと思っておる。君の系統は地・水・火・風のどれでもないんじゃよ」
「ですが……それなら、コモンマジックを使えないのはおかしいです」
どの系統のメイジでもコモンマジックなら使えるはずだ。ルイズはシモンを召喚し契約した以外、他のコモンマジックを使えていない。
「それは、系統魔法に目覚めていないから……かもしれん。推測の域は出とらんがの」
「では、どうやれば虚無の魔法を使えるようになるんですか? 自分が虚無の系統とは思えませんけど、試してみればわかりますよね?」
「そこが困ったところなんじゃよ。残念ながら、私でも虚無の魔法を教えることはできん」
虚無とはすでに失われた系統であり、もはや伝説の中にしか残っていないのだ。
「虚無の魔法を教えられるのは、虚無のメイジのみじゃろう。しかし、虚無の使い手などハルケギニア中を探しても見つかりはせん」
少なくとも、存在するという話を聞いた事がない。
「そんな……。それじゃあ、私の系統が虚無だったら、一生魔法を使えないってことですか?」
「いやいや、それは早計じゃ。始祖ブリミルも自分等の魔法を残そうと知恵を絞ったはずじゃからの。もしかすると、始祖ゆかりの秘宝にならば、なんらかのヒントが隠されておるかもしれん」
とはいえ、始祖の伝説そのものは広く伝わっているが、現存する秘宝は驚くほどに少なかった。六千年という時間の経過を考えれば仕方のないことだろう。
そのうえ、真贋を判別しようにも、本物を知る人間が存在しない。
あまりに小さな手がかりを耳にして、ルイズは落胆してしまう。
「もうひとつ困った事があるんじゃ。ミス・ヴァリエールの系統が虚無である事はとても公表できん」
「え……、どうしてですか?」
「想像してみるがよい。始祖ブリミルにつながる虚無。このネームバリューは絶大じゃ。その影響力はハルケギニア全土に及ぶ」
彼女を始祖の生まれ変わりなどと祭り上げれば、どれほどの人や金が集まるか想像もつかない。
自己中心的なところはあっても純真なルイズを、強欲な人間の餌食にしたくはなかった。
さらにはアカデミーの存在もある。虚無に関する事となったら、王室の権威をかさにきて引き渡しを要求してくるに違いない。
ルイズもシモンも彼等の研究材料にされるだろう。あのラガンなどは、格好のオモチャである。
「それに、メイジというものは、魔法の威力や希少さにこだわるからのう。虚無だと知られれば、嫉妬や羨望で注目を集めて、気を休める暇も無かろう」
『疾風』のギトーという教師は風の魔法が最強だと主張して止まないが、その彼であっても虚無との比較は避けている。
それほど、虚無とは四系統に比べて別格であり、人々の認識や思い入れが違っているのだ。
「私が虚無の魔法を使えたとしても、私はずっと『ゼロ』のままなんですか!?」
どんなに強力な力があっても、対外的には無能なメイジとして扱われるのだ。
この時の彼女は、他人に認められることだけしか念頭になく、力を得ることの義務や責任にまで考えが及ばなかった。
「まだ、そこまで考える必要はあるまい。全ては、虚無の魔法が使えるようになってからのことじゃよ」
今の時点では全てが取り越し苦労にすぎないからだ。
「あのさあ、虚無ってなんなの?」
まるで事情を理解していないシモンが、素直な疑問を口にする。
「だから、始祖ブリミルの使っていた魔法の系統じゃない」
「始祖とか、ブリミルって?」
「そんな事も知らないの!?」
シモンが常識知らずの田舎者だとは理解していたが、ここまでヒドイとはルイズも思っていなかった。
だが、あらためて問いただすことによって、彼等はシモンの経歴を知る事となる。
シモン達人間は穴蔵に押し込められ、地上はガンメンを扱う獣人達に支配されていたのだという。シモンやカミナは奪い取ったガンメンで反攻を開始し、ついには王都まで攻め込んで螺旋王を打ち果たしたのだ。
話を聞いたオスマンは結論づける。
シモンは違う世界からやって来たのだと。シモンに聞かされたのは、違う種族が住み、違う技術が生まれ、違う生活を送る人々の歴史なのだ。
シモンの教養が乏しいからこそ、こんな荒唐無稽な話を創作したとは思えなかった。
特に、獣人相手とはいえ王を倒すというのは、想像を越える発想だった。なにせ、ハルケギニアに現存する王家は六千年も前から絶えることなく存続しているのだから。トリステイン人の感覚に照らし合わせると、あまりに危険思想と言えた。
「そんな事ってあるんですか?」
ルイズの疑問に答えたのはコルベールである。
「そう考えれば、あのラガンについても納得がいきます。絡繰の仕掛けなどは、とても高度なものでした。どんなメイジや職人でも再現は難しいでしょう」
ハルケギニアでは魔法技術の簡便性が高く、科学技術の進歩が非常に後れている。その中において、メイジでありながら機械の開発に苦心しているコルベールは両方の技術に詳しい希有な存在と言えた。
その彼であっても、ラガンを創るのは不可能だ。それを考えれば、このハルケギニア以外の技術によるものと考えるしかない。
オスマンがもう一つ補足する。
「それに、始祖ブリミルには『ハルケギニアではないどこか』から来たという伝承もあるしのう」
「本当ですか!?」
「シモンと同じ世界からとは限らんがの」
「……それで、違う世界ってどういう意味?」
またしても疑問を呈したのはシモンである。
困った事に、世界を越えてきたはずのシモン自身が、世界を越えることを正しく理解していない。
オスマンとコルベールは多大な苦労をしつつ、シモンへ異世界の概念を教え込む。
「つまり、どこまで歩いても、海を渡っても、空を飛んでも、テッペリンへは帰れないって事?」
自分なりの解釈でシモンが尋ねた。
「そうなるのう」
そもそも、空間的・時間的な接点がないからこそ、異世界と呼ぶのだから。
「……それは困る」
シモンがこちらへ召喚されてから十日近くが過ぎた。彼は今になってようやく自分の境遇を理解したのだ。
「ええっ!? 俺は死ぬまでずっとこっちにいなきゃなんないの!?」
使い魔とは主であるメイジに一生仕える存在だ。シモンの出自を知らないオスマン達は、てっきり本人が全てを納得ずくだと思い込んでいた。
たとえば、生活に苦しむ平民が食い扶持を減らす為に、子供を売るような事例だってある。それに比べれば、貴族の使い魔は食事に困る事もないし、生活もある程度は保証されるのだ。
一方のシモンは、使い魔のシステムなんてほとんど知らない。あくまでも、帰り道を見つけるまでの仮の仕事のつもりだった。
「ごめんなさい、シモン」
狼狽しているシモンに対して、ルイズが頭を下げた。
これまでの彼女を思えば、ここまで素直に謝罪したのは驚くべき事と言えた。
しかし、彼女だって幾度も助けられた事をシモンに感謝しているし、平民とはいえシモンも一人の人間だという事を理解するに至った。おそらく、シモンとの仲が最初から友好的だったのが一番の理由だろう。
自ら望んでシモンを召喚したわけではなくとも、それによってシモンにどんな境遇を押しつけたのかは、彼女にだってわかっているのだ。
「謝られたってどうにもならないよ。こっちに呼んだんだから、ルイズには帰せるんじゃないの?」
シモンがすがるような目をルイズに向ける。
ラガンに乗った時のシモンは無敵にも等しいが、彼自身は人生経験の乏しい一人の少年にすぎなかった。
「オールド・オスマン。そのような方法があるんでしょうか?」
シモンに問われた質問を、ルイズはそのままオスマンに尋ねてみる。
「残念ながら私にもわからんよ。可能性があるとしたら、一つだけじゃ」
「どんなことですか?」
「先ほども言ったが、始祖ブリミルは『ハルケギニアではないどこか』から来たと伝えられておる。ならば、虚無の魔法には世界を越える力があるはずじゃ」
「ですけど、海の向こうからハルケギニアへ来たのかもしれません」
ハルケギニアというのはこの大陸の名前なので、解釈しだいではそういう事もありえるだろう。
「それも考えられる。しかし、シモンが言った通りではないかと、私も思うんじゃよ」
「シモンが?」
「うむ。ミス・ヴァリエールの魔法は、世界の壁を越えた向こう側にまで及んだのじゃ。一度できた事なのだから、きっと、もう一度行う事も可能じゃろう」
「そんな事が本当にできるんですか?」
「確かに難しいとは思う。いくら探しても手がかりが見つからぬかもしれんし、そんな魔法が存在しない可能性もある。その時は新しい魔法を自ら生み出さねばならん。シモンを送り返したいと願うならば」
「そんな……」
それは途轍もない挑戦だろう。
どれほどの労力、どれほどの資金、どれほどの時間がかかるか。
メイジであればあるほど、その困難が予想できる。
だから、結論を口にしたのはシモンだった。
「それなら大丈夫だ。結局はルイズ次第ってことだろ?」
「……え?」
「ルイズは立派な貴族だし、絶対に諦めない。だから、俺はルイズを信じる。ルイズなら俺を向こうへ帰してくれるはずだ」
「それでいいの? いつになるかわからないわよ」
「でも、それ以外に方法はないんでしょ? やることが決まってるんだから、迷うだけ無駄だよ。虚無の魔法を使えるようになって、向こうへ戻るための魔法を見つける。それだけじゃないか」
暴論である。
言葉にするのと違って、実行に移す事がどれほど難しいか。
それは、始祖ブリミルに追いつき、あるいは、追い越そうという試みなのだ。
しかし、ルイズは頷いた。
「そう……よね。ええ。シモンの言う通りだわ」
彼女は楽観的なシモンに毒されてきたのだろうか?
いや。おそらく、そうではない。
ルイズはこれまで、『ゼロ』という嘲笑を受け続けてきた。家柄が良いだけにその重圧も大きかったはずだ。
彼女はそれでも挫けなかった。
劣等感を誤魔化すための空元気だったのかもしれない。見下している周囲への意地だったのかもしれない。
発端がただの強がりだったとしても、自分の夢を諦めずに、努力を積み重ねてきたのが、ルイズという少女だった。
彼女には、叱咤してくれたり慰めてくれる家族はいた。だが、おそらくそれでは足りなかったのだ。
彼女にとって真に必要だったのは、共に上を目指すパートナーと言うべき存在に違いない。
「私が虚無の魔法を極めて、あんたを元の世界へ送り返してみせる。それが、あんたを呼んだ私の責任だもの」
神への挑戦。
現実を知らない学生だからこそ許される、あまりに無謀な言葉だ。
オスマン達がルイズを窘めなかったのは、大人としての配慮によるものだ。
「ところで、『ガンダールヴ』というのはあらゆる武器を使いこなすという事ですが、シモン君にも同じ事ができるのかね?」
コルベールが尋ねる。
虚無について調べるなら、当然、ガンダールヴに関する情報も必要になるからだ。
「そう言えば、デルフを買った時にルーンが光ってたわよね」
「ああ。ちょっと、取ってくる」
そう言い残して、シモンはルイズの部屋までデルフリンガーを取りに戻った。
コルベールが口にした通り、文献によるとガンダールヴはあらゆる武器を使いこなしたらしい。その点から考えても『腕や手があった』――つまり、鳥や獣ではなく、人間が使い魔だったと考えるのが自然なのだ。
戻ってきたシモンが、鞘からデルフリンガーを引き抜いてみせると、左手に刻まれたルーンが輝き出す。
「ほう……」
シモンが剣を振り回す様子を、オスマンが興味深そうに眺めた。
剣筋に乱れはなく、剣速も見事なものだ。
「シモン君は剣を握ってどのぐらいになるんですか?」
コルベールの質問は、シモンに剣を振った経験があるという前提のものだ。
「ここへ来るまでは使った事ないよ」
「なんですと?」
言われてみれば、技と技のつなぎに迷いが見られ、流麗とは言い難い。それでも、素人とは思えない動きだったが。
「ふむ。それが『ガンダールヴ』のルーンの力というわけじゃな」
「ミス・ヴァリエールの用いたコントラクト・サーヴァントは従来のものでした」
契約の瞬間に立ち合ったコルベールが補足する。
「つまり、召喚するメイジによって、使い魔もルーンも変わってくるということじゃな」
「ええ。やはり、ミス・ヴァリエールは虚無の使い手と考えるのが自然でしょう」
彼等の推測を補強するだけだが、これもまた重要な発見だ。
「あん? 『ガンダールヴ』に『虚無』だってぇ? ……うおっ!? ホントか、おい!?」
いきなり素っ頓狂な声があがる。
「なんじゃ。インテリジェンスソードだったのか」
希少価値があるわけではないものの、珍しい事に変わりない。
オスマンとコルベールが錆びた剣へと視線を集中させる。
「どうしたんだよ、デルフ?」
両手で握っている剣にシモンが尋ねる。
「そうだよ! 相棒は確かに『ガンダールヴ』だ! おでれーた! こんな偶然ってあるもんだなー」
「ちょっと、うるさいわよ、ボロ剣!」
「つまり、嬢ちゃんが虚無の担い手ってわけだな。こりゃ、おでれーた。今回もよろしく頼むわ」
しれっとした口調でそう告げた。
「この剣は一体、なんじゃね?」
「あの……、この前武器屋で買った安物なんですけど……」
「ひでー言いぐさだね。『神の左手』の左手に握られていたデルフリンガー様だぜ」
使い魔のルーンが左手に刻まれる事から、ガンダールヴには『神の左手』という呼び名もあるのだ。
その言葉に興味を引かれてコルベールが質問を投げかけていた。
「君はガンダールヴについて何か知っているのかね?」
「そりゃあね。六千年前にも『ガンダールヴ』に使われてたんだからよ」
「は? ま、待ちなさい! 君は伝承に残っている『ガンダールヴ』の剣だと言うのですか?」
「そうなるわな」
コルベールだけでなく、オスマンもルイズも驚愕の目で剣を見つめている。
錆の浮いた刀身は越えてきた年月を感じさせるが、その話を真に受ける人間はさすがにいないだろう。
「確かに古くさそうだけど、六千年はないんじゃんない? ボケてんの?」
ルイズが正直な感想を告げる。
コルベールもオスマンも口にはしなかったが、おそらく同じ思いなのだろう。
「あん? この姿はまぁ偽装だしね」
「ボロ剣のフリをしてるってわけ?」
「そういうこった」
ルイズが皮肉のつもりで口にした言葉を、デルフリンガーが肯定する。
「つまんねぇ剣士が多くてなぁ。ま、『ガンダールヴ』と組むんだから、こんな格好してるとさすがにみっともねぇか」
デルフリンガーに付着していた錆がさらさらとこぼれ落ちる。
刀身に顕れた変化はそれだけではない。
外光の反射などではなく、デルフリンガー自身が光り輝いていた。
「この状態ならどんな魔法でも俺が吸収してやるよ。メイジと戦う時には有効なんだぜ」
その言葉がどれほどの衝撃を与えたか。
有効どころの話ではない。
実はメイジ同士の戦いにおいても、敵の攻撃を受け止めることは難しい。基本的に避けるか防ぐしかない。状況によっては相打ちとなりかねない。
その魔法を、この剣は吸収してしまうと言うのだ。
厳密には全ての魔法攻撃を無効化できるわけではないが、ある程度の優位性を確保できるのは確かである。
「六千年の時を経て蘇った、虚無のメイジに使い魔、それに魔剣とはのう」
「…………」
オスマンとコルベールは、普段の顔からは想像もつかないほど、過酷な人生を歩んだ人間である。
現実の厳しさを知り抜いていながらも、今の状況には興奮を覚えずにいられない。
時を越えて蘇った、始祖ブリミルに連なる『虚無』の魔法を扱うメイジと、その使い魔たる『ガンダールヴ』。さらには、始祖の伝説を目撃した魔剣までもがこの場に揃っている。
新たな伝説の始まりだ、と彼等が感じ取ったのも無理からぬ事だ。
そして、その予感が正しかった事を、彼等は後日になって思い返す事となる。
あとがき:今回は説明回でしたね。オスマン達の会話では、まだ知らない『担い手』という呼び名は避けました。
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