『ゼロのガンメン』(4)私を誰だと思っているのよ
夜。
ひとけのない中庭に、ただひとりルイズが立っていた。
魔法の練習をするのが目的である。
きっかけは、先日のシモンとの会話にあった。
平民では、魔法を失敗したからといって爆発など起きたりしない。
ルイズが意図的に魔力を封じて呪文を詠唱すれば、他のメイジが失敗する時と同じく何も起こらない。
逆説的に、魔法の失敗で爆発を起こせる以上、ルイズはやはりメイジなのだ。
考えてみれば、自分は努力が足りなかった。ルイズはそう振り返る。
例えば、一年の頃に習った簡単な座学の問題を誰かが間違ったら、自分は『馬鹿』だと思うだろう。魔法の実技において、自分が『ゼロ』と呼ばれるのも同じようなものだ。
座学の成績をあげるには、問題を理解し、解析する手段を選択し、その方法を記憶する。そういう手順が必要で、それは実技だって同じなのだろう。
魔法が“できる”“できない”で済ませたりせず、失敗する条件はなにか、問題点を排除できないか、改善するにはどうするか、そういう検討を彼女は怠ってきたのだ。
端的な話、これまでのアプローチで魔法を使えなかったのだから、これまでと同じようなやり方を続けても意味はない。魔法を使おうとするならば、もっと別なやり方を試すしかないのだ。
そこでルイズが考えたのは、魔法の失敗を制御する事だった。
もう、爆発するのはどうしようもない。だから、爆発の威力や、命中率や、方向性を制御する。
こういう魔力の基礎的な使い方は、『ファイヤーボール』のような魔法にも応用が利くはずで、この練習は無駄にはならないと思ったのだ。
“魔力を込めすぎた”のが失敗の原因ならば、魔力の調整だけで簡単に魔法を成功できるかもしれない。
かくして、彼女は失敗することを目的にして、魔法の練習を繰り返していた。
ドーン!
「まったく……、懲りないんだから。よっぽど暇なのね、あの娘」
呆れたように肩をすくめるのはキュルケだった。
先日、寮を抜け出したルイズを追いかけてきて、この特訓を見かけたことから様子を見に来ているのだ。
「…………」
傍らに立つタバサが、じっとキュルケを見ている。
「何よ? どうかした?」
「同類」
その短い言葉だけで、キュルケには彼女が何を指摘したのかわかってしまった。
キュルケの顔が赤くなる。
彼女が口にした通り、夜な夜な特訓を繰り返すルイズは暇かも知れない。それならば、それを毎回見に来るキュルケはどうなのか?
キュルケ本人は否定しているが、結局彼女はルイズの事を気に入っているのだ。
ルイズにケンカを売るような言動も多いが、全ては彼女に関わりたいという心情から来ている。幼い子供が気になる相手にちょっかいを出したがるのと同じことだ。
それぞれの家が仇敵にも等しいことや、ルイズがメイジとして未熟なことが、今の関係を作りだしたと言える。
ちなみに、ルイズの周囲には『サイレント』の呪文がかけられていた。
練習の当初は爆発音がうるさいと他の生徒から文句を言われていていたのが、最近はそれも無い。
ルイズはみんなが慣れたからだと考えていたが、そこにはキュルケ達のフォローがあったのだ。
ルイズが練習しているのは、ちまちまとした魔力の調整である。
ただでさえ精神力を消費する魔法の行使なのに、微妙な調整を行うために極度の集中を繰り返していた。そのため、彼女には精神的な疲労が蓄積することとなる。
今度は逆に、思いっきり魔力を込めて魔法を使ってみるのはどうだろうか?
ルイズはそんなことを思いついてしまった。
中庭をボロボロにするわけにもいかず、どうしようかと考えたルイズの視線が、ある場所へ向けられる。
それは、魔が差したというべきだろうか?
四系統の魔法を受け付けない、強力な『固定化』のかかった本塔の壁。
あれならば、魔法の才能がない自分の魔法などでは、傷一つつかないはずだ。
そう考えたルイズは、最大の魔力を込めて『ファイヤーボール』を唱えていた。
ドゴォーン!
彼女の思惑は完全にはずれた。
「あ……、あああああっ!?」
強固であるはずの壁があっさりと破れたのだ。人一人がくぐり抜けられるほどの穴が。
間の悪い事に、その場面に居合わせたのは、キュルケとタバサだけではなかった。
眼前の光景を目にして、三人目の人物が動き出した。
城下町を騒がせている盗賊がいる。その名は『土くれ』のフーケ。
彼女は貴族専門の盗賊であり、時には警護の隙をついて財宝を盗み出し、時には屋敷そのものを破壊して獲物を強奪する。
その彼女が今、学院で仕事を行おうとしていた。
今回、彼女が武器としたのは、大きさが30メイルにまで及ぶゴーレムだった。
個人的な情報網から、学院の宝物庫を守る壁が物理的な攻撃に弱いと聞き出したのだ。ここへやってきたのも、実際に壁を調べてみようと考えたからだった。
生徒が魔法の練習をしているのを目にして邪魔者と考えたのだが、それは早計だったらしい。その少女は肝心の壁に穴を開けてくれたのだ。
機を見て敏である。フーケはすかさず行動を起こしていた。
巨大なゴーレムを造り上げ、壁に開いた穴から宝物庫へ侵入し、目的のお宝を盗み出せばそれで終わりだ。
だが、事態は彼女の予想通りには進まなかった。
「待ちなさい! あんたの好きにはさせないわ!」
『土くれ』のフーケの前に、一人の少女が立ちはだかっていた。
おそらくはトライアングルメイジの手によるものであろう巨大なゴーレムと、その肩に乗るフードを被った人影。噂に聞く『土くれ』のフーケの仕業だろうとルイズにも想像がついた。
それでも、ルイズはフーケの盗みを阻もうと思った。
宝物庫の壁を破ったのは自分のミスだ。自分の失敗が原因で学院の宝を奪われるなんて耐えられるはずがない。
自分の命よりも誇りを選ぶ。それが、ルイズという少女だった。どれほど愚かしく見えたとしても。
ルイズは杖を構えて『ファイヤーボール』の呪文を唱えた。
当然、本来の効果は期待できなかったが、ゴーレムの胸のあたりで爆発を起こせた。しかし、表面の土を削っただけで、損傷とよべるようなものではなかった。
ゴーレムの右足が持ち上げられ、ルイズの至近距離に下ろされる。
その振動でルイズの小さな身体がわずかに浮いた。
フーケは今の攻撃で直接ルイズを踏みつぶす事もできた。しかし、敢えてそれを避けた。ルイズに対して警告するためだ。まだ邪魔をするつもりなら、今度は殺すと。
自分の邪魔となる存在であればフーケも容赦せず、一撃で葬ったはずである。しかし、ルイズはフーケの敵たり得ない。だからこそ容赦してくれたのだ。
「ばかルイズ! さっさと逃げなさいよ!」
上から耳慣れた声が叫んでいた。
タバサが『ウィンディ・アイシクル』を唱える。放たれた氷の矢がフーケを襲ったが、ゴーレムの肩から生えた壁がそれを防いだ。
夜空に舞うのは一匹の風竜であり、その背にはふたりの少女が跨っていた。
「逃げろって言ってるのよ! あんたにどうにかできるわけないでしょ!」
キュルケにはルイズを罵倒する意図などなかった。ルイズが『ゼロ』だからではなく、ほとんどのメイジにとって、このゴーレムを止める事は不可能に思えた。だからこそ、フーケは貴族達に恨まれながらも、盗みを繰り返せているのだから。
しかし、ルイズは納得しない。自分が『ゼロ』だからみんなから侮られているのだと感じた。キュルケにも、フーケにもだ。
フーケの決断は早かった。新たな障害が出現した以上、時間をかける余裕も無くなってしまった。
簡単そうな敵から排除して、仕事を済ませるしかない。
ルイズを踏みつぶすべく、ゴーレムの右足が再び持ち上げられた。
そもそも、ゴーレムとの距離が近すぎた。この距離ではどうかわしても踏まれてしまう。
今頃になってルイズは自分の死を実感し蒼白になった。
「ルイズーっ!」
ダダダダダッ!
右足が踏み下ろされる寸前、その下を何かが走り抜ける。
土煙を上げて爆走したのはラガンだった。
ラガンが右腕に抱えていたルイズを、操縦席に乗せる。
「シモン! どうしてここに!?」
「さっき、左目がおかしくなったんだ。左目だけに、あのデカイやつが見えて」
「それは、私の視界だわ。きっと私の身に危険が迫ったから、使い魔のあんたにそれが伝わったのよ」
「あいつは敵なのか?」
「そうよ」
「わかった。俺が倒してやる。ルイズはここで降りてくれ」
「嫌よ。私も一緒に戦うわ」
「危ないよ」
「構わないわ」
つい先ほど、死に直面したというのに、ルイズの心は折れていなかった。
「魔法が使える者を貴族と呼ぶんじゃない! 敵に後ろを見せない者を貴族と呼ぶのよ!」
気構えとしては立派だったが、そこには何の具体性もなかった。
戦うための作戦も立てず、他の選択肢を考慮せず、身の安全も省みない。まるで、自滅するのが目的のような蛮勇である。
無茶で無謀な決断。だが、それがいい。
それは、シモンにとって極めてわかりやすい価値観だった。
「はははははっ!」
笑い出したシモンを、ルイズは怪訝そうに見返した。
「わかった! それでいく!」
その想いこそが初めの一歩。それを成し遂げることがシモンの役割だった。
「逃げない、退かない、振り向かない! それが、俺達の目指す道だ!」
ラガンはその矮躯をもって、巨大なゴーレムと対峙する。
「ルイズ、あれをやれ!」
「あれ?」
「決闘の時に俺がやったやつだ。お前も聞いてただろ」
わずかに逡巡しつつ、ルイズは脳裏に思い浮かべる。
ギーシュを前に名乗りを上げた、シモンの堂々たる姿を。あの時のシモンは、『ゼロの使い魔』であることを誇り高く宣言して見せたのだ。
それならば、自分もまた名乗ってみせよう。『ゼロの使い魔』の主に相応しい『ゼロのルイズ』として。
シモンに抱きかかえられるように座ってたルイズが、すっくと立ち上がる。
「私は盗賊を前にして逃げたりなんてしない。私を誰だと思っているのよ!」
右手に持った杖をフーケに突きつける。
「覚えておきなさい、『土くれ』のフーケ! 私の二つ名は『ゼロ』! 『ゼロのルイズ』が……いいえ、私と私の使い魔があなたを倒してみせるわ!」
彼女は自らの意志で、その二つ名を口にしていた。
ルイズの使い魔が行った決闘の様子を、フーケも耳にしている。
『青銅』のギーシュを倒したらしいが、それがどうしたというのか。
同じ土系統でもあり、同じようにゴーレムを使役するとはいえ、ドットメイジの小僧と一緒にされるとは。
「ふん」
ルイズの名乗りを耳にして鼻で笑った。
再び踏みつぶそうとしたが、それは叶わない。
先ほど、足の下を走り抜けたように、ラガンの速さは侮れなかった。いや、むしろ警戒すべきは機動性の方だろう。とにかく、小回りが利くのでゴーレムでは追い切れないのだ。
ぴょーん! 突然ラガンが跳びかかってきた。
慌てて振り回したゴーレムの右拳が、ラガンの『槍』で砕かれてしまう。
「な、なんだい、あれは?」
ラガンを弾き飛ばすことに成功したものの、右拳を失ってしまった。
青銅のゴーレムを破壊した事は知っているが、自分のゴーレムとでは質量が全く違う。
まさか、これほどの威力とは思っていなかった。
ゴーレムの拳を修復すると同時に、両拳を鉄へと錬金して次の攻撃に備える。
下からはラガンのドリルがゴーレムを襲い、上からは風竜に乗る少女達が魔法でフーケを狙う。
風竜の敵に狙いを定めるには、やはりラガンが邪魔だった。
まずはラガンを仕留めるべく、フーケは下に向かって魔法を唱えていた。
鈍重なゴーレムの攻撃を回避して、ラガンはその背後へ回り込む。
ずるり、とラガンの足が滑った。
ラガンの足が踏んでいたのは平らな鉄板である。
フーケの『練金』によって地面が鉄板に変えられており、土のこびりついていたラガンの足がその上で滑ったのだ。
身を起こそうとしたラガンの頭上が陰る。
ゴーレムの持ち上げた右足が、ラガンの上に降ってきた。
ズズーン! 大地が揺れる。
巨大な質量を受けて、鉄板はひしゃげ、中央部分が地面にめり込んでいた。
「ルイズ!」
シルフィードに乗っているキュルケが、その様子を目にして悲鳴を上げていた。
いつも無表情のタバサまでが悔しそうに唇を噛みしめる。
ゴーレムの肩に乗るフーケは、満足そうにその光景を見下ろしていた。
わかりきった結末だった。
強力とはいえ、あの大きさのゴーレムでは、自分の敵とは成り得ない。勝てるはずなどないのだ。
そう思った。
いや、この時はそう思って“いた”のだ。
ガガガ!
どこからか鈍い音が聞こえてくる。
ガガガガガガ!
鼓膜を震わせるような音ではなく、身体から伝わってくる振動による音だった。
ガガガガガガガガガッ!
振動しているのは、フーケが立っているゴーレムそのものであった。
「な、何が起きているんだい?」
フーケが困惑の表情を浮かべて、ゴーレムの足元に視線を向ける。
その振動によるものか、ゴーレムの右足からぽろぽろと土がこぼれ落ちていく。その現象は、脛から膝へと這い上がっていた。
ボコリ! と土がひび割れる。
ゴーレムの右足の下からは、緑の光が溢れ出ていた。
ゴーレムの右足は、ラガンの両腕が受け止めていた。
その狭い空間にシモンとルイズが身を屈めている。
ゴーレムの体重を受けたラガンは、鉄板を歪ませて完全に埋まっていたものの、それでも無事だった。
今、ラガンの額には大きなドリルが出現していた。
「なんなのよ、これ?」
螺旋の溝が刻まれた槍のような物。ギーシュ戦でも使っていた、ルイズにとって見知らぬ“何か”。
「これはドリルだ!」
「ドリルってなによ!?」
「ドリルは穴を掘るための道具なんだ!」
『穴掘り』シモンを象徴する道具。それはシモンの在り方であり、生き方とも言えた。
「土を削り、岩を砕き、前へと進む。ドリルとは、自分の道を切り開くためのものなんだ! 己を貫くためのものなんだっ!」
ラガンから噴き出している緑の光は、さらに色濃く、さらに量を増していく。
ドリルが高速回転して土を切り崩し、その先に出現する新たな壁に穴を穿つ。
「土なんかで『穴掘り』シモンを止められると思うなっ!」
シモンにとって土は敵などではない。打ち破るべき壁、乗り越えるべき障害にすぎなかった。
螺旋の力を後方へ噴き出して、ラガンは前へと突き進む。
シモンの螺旋力が、ドリルの回転力が、ラガンの推進力が、ゴーレムの右足を粉砕する。
だが、その程度では止まらない。止まるはずがなかった。
ラガンはいつでも前へと進む。天すらも目指して。
「ラガン――」
操縦桿を握るシモンが咆哮する。
「――インパクトーっ!」
ゴーレムの腰が、腹が、胸が、頭が、中心を貫かれて粉砕された。
大質量を失ったために、ゴーレムは再生することもできなくなった。30メイルもの巨体を誇るゴーレムが、土くれへと還っていく。
大気までもが切り裂かれ、渦巻く風は土片を撒き散らす。それは、小さいながらも竜巻のようだった。
巨大な敵を粉砕しながら、それでも勢いを失わなかったラガンは、そのまま空へと駆け上がる。
ラガンにこれほどの力が秘められていたとは、誰にも想像できなかっただろう。天にまで届くほどの力があろうとは。
二つの月を背負って、緩やかに回転している小さな影。ようやく回転が納まったらしい。
二人の少女がそれを見上げていた。
古い歴史の刻まれた遺跡を見た時のように、壮大な自然に彩られる絶景を目にした時のように、ラガンの力は彼女たちの目を釘付けにしていた。
「あれが……、あのゴーレムの力なの?」
「……凄い」
それは、感動と呼ばれる感情だった。
二人が目にしたのは、全てを圧倒する力の発露。そして、無限の可能性だった。
あとがき:フーケは隙をついて逃げ出しているんですが、その文を入れると興ざめになりそうなので省く事にしました。