5.本

本を読むのが好きだ。
通勤の電車の中、バスの中、いつもオンガクを聴いているか、本を読んでいる。
何処か旅行に行くとか、あるいは喫茶店で一休みしているときも本、もしくはチラシ、新聞、何がしか
の文字に触れている。

ただ最近話題の本をチェックして買ったり、新人作家を開拓したり・・ということはない。
昔買った本を何度も何度も繰り返し読む。
長い場合はお気に入りのシーンだけ読む。

本はボクにとって「旅」に出る有効な手段。自宅や満員電車の中にいても「別の世界」に行ける。
外国・・・違う時代・・別の職業・・・

好きなオンガクを鳴らしながらーそういうときはチャボさんが合うなー本を読む。
好きなコトバを何度も味わう。

北村薫「ターン」「盤上の敵」
沢木耕太郎「彼らの流儀」「深夜特急」
江國香織「きらきらひかる」
佐野元春「ハートランドからの手紙」
仲井戸麗市「だんだんわかった」「ロックの感受性」
竹中直人「少々おむづかりのご様子」
吉田秋生「夢見る頃を過ぎても」「カリフォルニア物語」

これらの本を何度読んだか知らない。100回では効かないだろう。
でも読むたび、旅に出れる。飛べる。
飛行機に乗らなくても豪華客船に乗らなくても、ほんのちょっとした空間と時間があれば「旅」に出れるのだ。

そして・・「現実の旅行」と違って「本の旅」は「現実」に割とスンナリと戻れる。
旅からいつかは戻ってこないといけないのだ。いつまでも旅人ではいられない。
「現実」の「旅」は帰還に時間を要する。何時間、あるいは何日か。
場合によっては時差ボケがある。

しかも旅先で見た素晴らしい風景(当然だ。観光客には旅先の風景は全て美しく見える)と帰還後の日常との
ギャップにショックを受けて暫く立ち直れないなんてこともある(ボクにはあった)。
ところが、だ。本の旅にはそういうリスクがない。
時間が来ればページを閉じてカバンに放り込めばいい。
本の内容も少なくても作り事。(ドキュメンタリーであろうが、今現実に目の前で起こっている訳ではない)
多少精神が影響を受けても、日常とのギャップはすぐ埋められる。

そして・・現実の旅行が色んな準備(交通手段、宿泊先、旅行プラン、パスポート等々)を必要とするのに
比べ、本の旅の何と気楽で簡単なことか。
その気にさえなれば、ほんの少しの時間と空間さえあればいつだって「旅立てる」のだ。

ほんのちょい文字の旅に出て現実から離れて旅に出れるなんてイカシテルじゃないか。
さあ、今日は何を読もうか。何処を飛ぼうか。

6.多重人格

日記でも少し書いたが、僕は仕事になると結構人が変わる。
普段家にいるときはノンビリしたただのアホだが、仕事になると矢鱈キツイ性格になる。
仕事の内容が会社の仕事の内容にトラブルや不正がないか検査する仕事なので、色々人に意見
言わないといけないし遠慮してたら仕事にならない。
本来の自分はそんな他人にあれこれ意見するのは嫌いだし、苦手だし・・
でも、それじゃ仕事にならないから職場では一種「演技をする」。
必要があればキツイことも言うし上司にくってかかる。相手の言うことを「間違ってる!」とハッキリ言う。
策略も必要だし、ウソだって根回しだってお世辞だって必要。
昔はそんなことはなかった。本音で語ることが大事だと思った。
誰に対しても同じ態度を貫くべきと思ってた・・・でもそれで上手く行った事なんて全然なかった。
そこで気付いた。仕事をする際、自分の好き嫌いや美学や哲学はどうでもいいのだと。
自分が嫌だから、趣味じゃないから、正しくないから出来ないなんて言ってたら何も進まないのだ。

30代後半になって職場で明らかに「演技」をしている。
ボクの個人的な想いは切り離して仕事として必要なら嫌なことでもやる。
かなり攻撃的になるし、頑固だし必要あれば相手によって態度を変える。へつらいもする。
昔はこんなこと出来なかったし、素の自分はこんなの苦手だし・・でも仕事ならそうすることにためらいはない。
だってこれは仕事なのだ。
大事なのは如何に目標を実現するかなのだ。
妥協しようが、策略を練ろうが結果が良ければいいのだ。
キレイだとかプライドが許さないとかは関係ない。仕事なのだ。
そう思うと辛い仕事も対して苦痛じゃない。
結構人に文句言う仕事なので言われる方からは逆に色んな批判をされる。悪く言われることもある。
どうということはない。だってオレはそれだけのことをしているから。
自分も苦しみ悩んで、その上で相手にも要求している。
当然だ。相手にも負担をかぶせるのだから。自分が苦しみもしないで相手を批判できる訳ないのだ。

良い人間関係を築くとか相手といいときを過ごすというのは仕事を進める上で重要視していない。
如何に仕事に真剣に向かい、努力し結果を出すかだ。
上手くいかなければ、やり直し取り返すだけだ。

プライベートな自分はこんな覚悟はない。本当にバカだし、くだらないこと言ってる。
友達と呑んでるときはもうリラックスしまくり。家に帰ると更にだらしなくなる。
別に職場で演技することに疲れがある訳じゃない。それがボク自身が仕事をする上で選んだ
方法だから。
でも家に帰るとスゴク解放される。家じゃバカになれる。それがいい。
そういう場所があるっていい。

7.異性

上の様に仕事では普段の自分と違う人間になれると書いたけど、そうはいっても
やっぱり出来ないこともある、本来の自分が出てしまう事もある。
それは職場の女性とあまり親しくなれない(勿論恋愛感情とか抜きで)ってことだ。

前の会社でもそうだったが、職場の女性と普通に友人付き合いするとか仲間付き合いするとか
一切ない。個人的に食事に行くとか、休日一緒に遊んだとか・・まるでない。
仕事以外の交流は一切ない。

まあ、職場で多少の冗談は交わすが・・仕事のことを真剣に論じるとか、プライベートな話する
とかは全然しない。
恋愛とかは関係なく折角同じ職場にいるのだから気楽に遊んだり親しいイイ関係になれるといいな
と思うが・・「お疲れ様。飲みにでも行くか?」が言えないのだ。

イヤ・・これは仕事だけじゃないな・・プライベートでも女性と親しくなるって凄く苦手だった。
子供の頃から怖いっていうか・・妙なコンプレックスがあった。友人として最初は上手く付き合えても
そのうち上手く行かなくなる。。(ボクに原因があったんだろうが)苦い記憶ばかりある。

女性を前にすると緊張した。最初は多少上手く話せるが・・回を重ねるたびに化けの皮が剥げてくる。
固まる・・・・何話していいかワカンナクなる・・疲れ出す・・
それは苦しい時間だった。20代にもなってまともに女性と話せないなんてオレってダメだーって落ち込んだ。

電車の中で酔っ払った若い男の子が女の子に「今日オマエんち泊まっていいかー」みたいな事気楽に言える感じ
羨ましいなーと思ってた。多分恋人同士ではないんだろう。男女を超えてそういう付き合いできるっていいな
と思ってた。そしてオレには無理だなって・・
大人になりゃ当然恋愛なんてことも意識するけど・・まあ自分には関係のない世界だと思ってた。
幸福な恋愛はドラマや歌、漫画の世界・・オレの現実にはない事だと思い込んでた
誰か好きになっても雰囲気とかそういうの好きになっただけで・・相手のこと全然知らないケースばかり。
だから自分の「好き」という気持ちに確信が持てなかった。
大体好きになってもダメなのは分かってた。相手に気持ちを伝えるのもしなかった。
拒否されるのはわかりきってたから・・わざわざ痛い想いする必要ないと逃げてた気がする。

まあ、当時は仕事も辛かったし・・全てが何かイヤで他人に対して積極的に向かえなかったんだと思う。
ずーっと独りで生きていくんだと思ってた。寂しいが気楽でいいなと思ってた。
こんな風に自分で壁作ってりゃそりゃあ他人とイイ関係なんて築ける訳ない。

ところが転職してインターネット初めて色んな人ー男女関係なしに付き合い広がって・・そうして何度か
実際に会うようになったら・・緊張することなく話せた。
勿論その中には女性もいたけど・・自分を飾ることなく素直に話せた・・
会う前にメールや掲示板で交流してた安心感か・・同じ音楽が好きという共通点があったためだろうか・・
何だオレ普通に女性と話せるじゃん。やれば出来るんだ。。って自信を持てた。
そういう自分になれたことに驚いたし、嬉しかった。
その頃から少しづつ自分が変わりだした気がした・・。
その過程でやはり相当悩んだこともある。何度か落ち込んだりしたこともあるが・・
そうした中で大切な友人が何人か出来た。
今でも何人かの女性の友達とはネットオン・オフで交流があるし・・それはとても楽しい時間だ。
気楽に遊びや飲み会に誘える・・普通のことだけど・・こうなるまで30数年かかった。
(本当どうしようもねーな笑)。
そして・・何と結婚もした・・ビックリしてる・・こんなこと出来るんだなあ・・

今では以前のように異性に対する気後れはない。自分は自分でいいと思えるようになった。
嫁がHPやってることもあって新しい友人も増えたりした。
でも・・・やっぱり職場では相変わらずダメなんだなあ・・

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