8.酒(03.6/9UP)

このコーナーどんどん話題が重くなっていきますね。で今回は普通の話題を。笑
日記や掲示板でよく書いているようにボクと妻は酒が好きです。
週末はしょっちゅう飲んでるし、友人からお茶会に誘われて外出してウダウダと夜までいてそのまま
飲み会に雪崩れ込むというパターンもしょっちゅう。

実は独り暮らしの時は家で酒飲むことは殆ど無かった。どちらかというと外で人と飲んで雰囲気楽しむのが好きだった。
でも結婚してから結構家で酒飲むの好きになったな。ビールも他のお酒もほとんどどんな銘柄あるか知らないし、
まして酒のツマミなんか全然知らないんだけど、うちの妻が実にこういうのに詳しい。

ただ同じ酒好きでもボクと彼女では好きになり方が違う。
ボクにとってお酒は料理やツマミを美味しく食べるための促進剤みたいな役割。だからビールは勿論好きだけど。
本当は柑橘系のチューハイやカクテル(特にジーマやシャンディガフ)が好きだな。
美味しいお酒があると料理やツマミも本当に美味しくいただけるのだ。
これは新婚旅行で箱根に行ったときわかった。泊まった旅館で晩フルコースが出て・・食べきれるかなーって心配だったのだが
そこの冷蔵庫に柑橘系のお酒がイッパイあって・・それと合わせて食べると凄い食欲湧いて・・結局全部食べきっちゃった^^;

一方妻はどうなんだろう?勿論美味しい料理と合わせて飲むのは好きなんだろうが
彼女にとってメインはあくまで「お酒」で「ツマミ」じゃないと思う。
彼女の方が真の意味での「酒飲み」だと思う。(何たってジーマ&パンダビール番長ですから笑)

ちなみに我家でよく飲むお酒と食するツマミは
お酒・・・麒麟淡麗グリーンラベル、アサヒ旬果しぼり(シークァーサー味)、カルピス果実のチューハイ(すっきりオレンジ)
ツマミ・・プリッツ(トマト、ロースト、サラダ他)、ポテトチップス、そして何より韓国海苔

何か塩辛いツマミばかりですが(^^;)ゞ・・・塩辛いスナックとお酒って本当に合うんです。
それと韓国海苔は本当に美味しいですよー。韓国海苔を食べてるとどんどん酒が進みます。□\(≧▽≦)
  後、時々妻が焼おにぎりやビビンバを作ってくれるけどこれも実に酒に合います。
あー何か、たまらなくなってきたな。まだ月曜日だけど今日も飲もうっと(゚゜)\バキ☆

9.HOMEは何処にある?(03.6/28UP)

僕は元々京都の出身。京都の古い街並がスゴイ好きでした。何年立ってもその装いが変わらない、そんな処が 好きです。
東京に8年前来て・・住んだとき・・スゴイ違和感がありました。何処に行っても似たような街並み。
駅前に百貨店やスーパーがあって、パチンコ屋、カラオケボックス、オープンカフェ・・
何処にいっても同じ感じ、「街の個性」とかそういうものを感じさせず思い入れは持てませんでした。
休日は東京の色んな街を訪れて・・好きな場所は出来たけど・・・帰省する度京都イイなあ・・って比較してました。

でも、やがてあまり帰省もしなくなり・・たまに帰っても実家のある街や京都にも違和感を感じ出した。
最初は多少街の感じが変わったからかな?と思ってたけど・・段々そうじゃないと分かってきた。
ボクはここにはもう住んでいない。ここの時間の流れが分かんなくなってきた。
京都が変わったというより「ボク」が変わってしまった。落ち着かない。 ここは自分にとって・・最早「帰る場所」でなく「行く場所」になってしまった。

じゃあ東京や以前住んでた千葉のアパートが自分の「HOME」かというとそうじゃない。
東京は色んな情報が沢山あって本当に面白い。好きなアーティストのライブもしょっちゅうあるし、イイ美術展もある
だけど・・ここは「働く場所」「遊び場」であっても「HOME」ではない。
刺激はあるけど、やっぱり落ち着かない、居心地が何か悪い。

アパートは帰って寝るだけの場所。
住んではいるけど落ち着くという場所ではない。

祥子さんは「この街で育っていたってふるさとは何処にもなくって」と唄っているけど、そんな感じだった。
自分には「HOME」って無いのかなーって思ってた。何処に行ってもこの「違う感じ」がつきまとうのかなーって。

何か自分が根無し草みたいな不安定な感じが、いつもしてた。でも一方で何処にでも行ける自由さもあるけど。 ただ一抹の寂しさもある。自分もHOMEを持ちたい。そこにいると何も気取らなくていい場所。
好きな場所が欲しい。どっかり根をおろしたい。そういう場所を何処かで求めてた。

結婚して・・埼玉県浦和に引っ越した。
落ち着いた感じのとても暮らし易い街だ。新しさと古さが混在しているところは京都に似ている。
そして、あの違和感が消えた。今、とても落ち着いている、居心地がイイ。
これはビックリした。家庭を持っても家族が出来てもあの「違う感じ」は消えないと思ってたから。

ここは生まれた街じゃない。この街のことはまだ知らないことがイッパイある。
でも家の近くのちょっとした林とか、近所に咲く花のキレイさとか、バスに乗ってるお年寄りの豊かな笑顔とか
好きな場所、風景がイッパイできた。

ここが自分の「HOME」なのかワカンナイ。ずーっとここで暮らすのかもワカンナイ。
でも、しばらくここにいたい。とりあえず自分の「居場所」が出来た。
東京も悪くない。東京に来て8年。。やっとそう思えるようになった。なれた。

10.書くということ(03.8/12UP)

ここ書くの2ヶ月ぶりですね笑。

これまでここに自分が書いた文章読み返して・・・自分が如何に色んなこと考えているかわかって呆れてしまった。
1つのこと想うと、「じゃあ、これは?でもこうだよな?いやいや、こういうのもあるぞ?」みたいに広がって止まんない。
「ボクはこう思う」「でも、勿論そうでないケースもある、それはそれでイイ」「だけど、やっぱりこうなんだ」
「でもそうでない場合があることは理解している」「そうはいっても、やっぱり」の繰り返しだね。
今まで書いたどのテーマも結論らしい結論ないし。

しかも書いている文章。。硬いし長い。ユーモアないし、もっと要点まとめてスッキリした文章書けないのか?
元春関係の友人でHP持ってる人の日記やエッセイ書いていらっしゃる方多いけど・・・
実にイイ文章書く。スッキリした。。軽い感じで、でもポイントを突いた文章を書いている。
それが羨ましい。
読んでてフッと息が抜けるような文章・・シリアスなテーマを扱っていても、重くならずスーッと染み込んでくるような文章
そういう文章を書ける人に私はなりたい(笑。

オレの文章は「書くんだー!このテーマで書いてやるー!」って気合と勢いで書いてるからあっちこっち内容が寄り道して
辿り着く結論にナカナカ行かない。
一応HPにのっける前に原稿を推敲してかなり削っている・・・実際はどれも載せた3倍の量はある。
推敲することで・・多少要点がまとまるのかも知れないけど・・・
でも逆にいえば、最初書いたときの文章が持ってた熱やエネルギーは無くなってる気がする。

時々思うけど・・・一体ボクは何のため文章書いているんだろう?
しかもわざわざ人が見る場所に・・・
「書かなくちゃ」という妙な強迫観念がある。
HPに書くことはあくまで「遊び」であって「義務」でも「仕事」でもない。
でも「楽しい」という以外に切羽つまったキモチが自分の中にある。

他人に読んで欲しいのか?書いたことをネタに人と話したいのか?
それも何か違うような気がする。
書くことで何か手に入れることを期待している訳じゃ無し・・・
何だろう?この衝動って・・・
祥子さんがインタビューで言ってた「ネット上に色々書いていると実生活まで書いたことに侵される」状態なんだろうか?

よくワカンナイけど・・・何か形にして残しておきたいんだろう。
現在(いま)のキモチを・・・この感情を・・・
そのときどき感じた・・嬉しさや怒りや哀しさや情けなさ・・・何か形にしておかないと・・すぐ忘れるから。
忘れないと思っていても忘れてしまうから・・消えてしまうから・・それが嫌でともかくどんな形でイイから残しておきたいのだ。
そういう形で残すこと、人が見える場所に書くこと・・それが正しいか、間違っているとかはどうでもイイ。
自分の書いた文章がその感情を正確に表現しているかもワカンナイ。
でも、ともかく残したい。

ともかく書いておけば、後で読み返したとき・・あのとき何を感じたか、思い出せる。
忘れたくないと思って・・忘れてしまったことを思い出せる。
あのとき見た風景を蘇らせることが出来る。
自分が無くしてしまった感情をもう1度生き返らせることが出来る。そこに戻れる。
何度でも呼び覚ませる。

例え形は最早変ってしまったとしても。

だから・・この感情を忘れない間に早く形にしたくて焦ってるんだろう。
これって健全なことかはワカンナイ。でもHPにのっけた後いくばくかの達成感がある。
それがたまらなく好きだ。・・だから書くんだろうし、これからも何か書き続けるだろう。

11.大人になるってこと(03.9/2UP)

今、ボクは38歳。・・・・世間的には立派な大人・・と思うけど。
会社では「課長」。中間管理職にいる。・・・でも、未だに自分が「大人」なんて意識がない。
まるっきり無い。

未だにワカンナイのだ。「大人」ってどんな奴を言うんだ?
「大人になる」って一体どういうことなんだ?
年をとれば「大人」なのか?

この歳になっても自分が「社会人」としてチャンとしているか、なんて自信がない。無い。
くだらない事で悩むし、ちっちゃな事ではしゃいだりして・・生き方も固まってないし、フラフラ生きてて。

仕事に対してはそれなりにプロ意識はあろうが・・・その他については「社会人」として如何なものか?というレベルだ。
(それは嫁は良く知っているだろうが笑)
「会社」と「家」という枠から飛び出ると世間知らずもイイとこだ。
毎日「これでイイのかな?」「こんなものかな?」の繰り返しだ。
これでもうすぐ40歳・・オイオイいいのかよ?もう40だぜ?

未だに「社会」の中の自分の立ち位置なんてワカラナイ。いやあえて考えないようにしてる気がする。
「社会」だの「世界」だの大きな概念とはなるべく係わらないようにしている。
こう書くと何かカッコいいが・・要するに、嫌なこと、面倒なことから逃げてるだけだ。
「大人」どころか・・・「成長していないガキ」だ。

じゃあ、10代や20代に戻りたいのか・・・というとそうではない。否、それはハッキリお断りする。
あの頃は・・本当に何もわかっていないガキだった。
自分の狭量な世界観で他人や社会を見て決め付け・・思い通りにならないことにイライラし、怒っていた。
ある意味凄く純粋だったし、正義感が強かったかも知れないが思うが・・あの時の自分に戻りたいとは思わない。
もう1度あの時代を繰り返すのは・・ゴメンだ。

現在(いま)の自分は若いとき持ってた純粋さ・・真っ直ぐさを無くしたのかも知れない・・・
でも・・楽になった。例え、そういうもの無くしたとしても・・・得たものも沢山ある気がする。
いっぱい色んなことをあきらめたような気もするけど、だからわかってきたことあるような気がする。

自分を許せるようになったし、自分を認められるようになった。他人に対してもそうだ。
でも一方で若いときよりも・・もっと感情が激しくなってる、トンガッテる気もする。
あの時みたいに負けたからって舌打ちしないし・・・。
負けても次で取返せばイイんだし・・それでも負ければ別のことで勝てばイイんだ。
何回でも負けられるし・・勝てる・・そうわかった・・・もう、あの時とは違う・・。

どうすればイイかわかんなくて、苛立っていたあの時とは違う。

もしかして「つまらない大人」になってるのかも知れないなー。でも・・それは気にならない。
それ以前の問題だ。「大人」が何か、ワカンナイんだから・・。ドウシヨウモナイ。
自分が「大人」か「子供」かワカンナイ・・レベルなんだから。

ただ・・自分が「つまらない大人」かどうか悩んでも仕方ない気がする。
それを悩むより「つまらない毎日」を送らないようにすること・・それが自分に出来ることのような気がする。
10代、20代の頃しょっちゅう「つまんねーなー」と呟いて舌打ちしてた。
でも、現在(いま)はそういうことはない。

「つまんない大人」かも知れないが、「立派な大人」になってる瞬間(とき)もあるだろう。
未だに「何も分かんないガキ」かも知れないが、「いかしたガキ」になった瞬間(とき)もあるんじゃないか?
そう思うようにした。

そういう意味だとボクが聴いている音楽。
元春とチャボさんは「大人になるって・・大変だけどイカシテルんだぜ」って教えてくれてる気がするし。
祥子さんやどんとやCoccoは「ガキでもイイじゃん。それが自分なら。」と云ってくれてる気がする。

もし、機会あって・・元春とお話することがあれば是非聞いてみたい。(有り得ないだろうが。)
「ガラスのジェネレーション」を歌った20代の元春でなく、現在(いま)47歳の元春に。

「あなたが大人になったと感じたのは何時(いつ)ですか?」
「大人ってどういう人のことを言うんですか?」って。

元春はきっと笑うだけで・・答えを返してくれない気がするが・・・笑。

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