1.このコーナーについて

「コトバは武器」なんて偉い大層なタイトルですが。。要するに管理人のボクの
日常的な想いをツラツラ書いていく場所です。
「武器」なんて書いているけど、誰かを揶揄したり何かを批判するとか、そういう意味ではありません。

「コトバは武器」っていうのは以前祥子さんが「書くことは攻撃」と雑誌のインタビューで仰っていたことから
発想を得ています。
「コトバ」というのは老若男女、国籍、職業関係なしに与えられる表現手段です。ペン、もしくはワープロがあれば
誰だって好きなことを書ける。「話下手」でも思ったことを「書く」ことは出来る。
文章の巧拙なんてどうでもいい。そこに特別な技術や経験は要りません。その人なりでいい。

ボクは子供の頃から本好きで色んな文章に触れてきました。
小説、マンガ、雑誌、エッセイ、インタビュー、歌詞、詩、セリフ・・色んな文章に触れるのが好きです。
そして何となく「書く」事も好きでした。今やってる仕事も大半が「書くこと」が中心です。
色んな報告書、提案書等々・・書くことで生活の糧を得ています。

自分にとって「コトバ」ってスゴイ重要なモノ。それを言い表すと「武器」だなって思います。
仕事だけでなく・・ウレシイとき哀しいとき腹立つとき何となく文章を書いてました。
書くことによって結構冷静になれるし、解放されたり癒されたりします。
何でも良いんです。「オレは怒ってる!」でも「ウワ−うれしい!」でも「ラーメン食べたい!」でも

わざわざ人に云うことじゃない。でも何処かで話したい、叫びたい、てこと沢山ありました。
そういう時ボクは文章を書きます。
ボク自身そんなに話すのは得意じゃない。無口ではないけど、すぐ感情的に話すし、話の整理は出来ないし
でも一度文章にした後話すと結構上手く話せる。
このコーナーで色々書いていって文章や話すのが巧くなれれば良いなと思って始めました。

2.人と暮らすということ

ボクは去年の8月に結婚して今妻と二人暮らしです。
7年前上京し、それ以来ずーっと一人で暮らしてました。
血のつながりのない人と暮らすのは初めての経験で・・とても新鮮です。

前は1日全部が自分の時間。でも今は当然1人の時間はほとんど無くなりました。
買い物も遊びも一緒が基本。友人も共通してるしね。
ライブだけは多少趣味が違うので、一緒に行かないケースもあるけど(祥子さん聴けよ)
当然この生活にはボクだけでなく彼女の好みや感覚が入ってくる。
だけどそれが面白い。少しづつ彼女の影響で自分の世界が広がっている気がする。
競馬を見たり、家でお酒を飲んだり、トレンディドラマを見たり・・全部今までしていなかったこと。

同時に結構イタイこともある。・・・一人暮らしのとき家事は全然してなくって・・
一緒に暮らしてみて自分が如何に生活能力がないか思い知った。
掃除とかやろうとするんだけど、かえって邪魔して・・怒られています。
自分の身の回りのことぐらい自分で出来ないといけないんだけど・・

よく怒られます。「なんでこう散らかすかなあ」とか「少しは手伝え」とか・・
デカイ体を小さくしています。
ただ・・・こういうのって良いと思う。・・・自分の生活の中心は今「仕事」
でボクの仕事は結構会社の中の偉い人にも意見をいえる立場で・・。
で自分では自分のやってる仕事にプライドも自信もそれなりにある。
下手するとスゴイ思い上がったりする可能性もある。
でも彼女にはボクが会社で割といい仕事してることなんてあまり関係ない。
こうやって家で怒られたり厭きられたりすると「オレってそんな大した人間じゃない」ってわかる。
自分の身の程がわかる、それが心地よい。

そのうち怒られるのがクセになったりするのだろうか。イヤ既になってるかも。
もうすぐ40近いのに・・これでいいのだろうか?まあ、いいことにしておこう。

3.報道

最近ニュースではアメリカのイラク侵攻(こう云わせてもらう)、北朝鮮について頻繁に報道されている
だけどボクはほとんど見ない。戦争・事件報道・・朝のニュースでチラっと見る程度。
新聞の記事もほとんど読まない。ほとんど情報を遮断している。

日本という国、いや現代に生きる者として、こういう態度は決していいことじゃない。
大切な情報を遮断し、関係なく生きていく。世界の現実を受け止めず逃避しているのかも知れない。
神戸少年事件、和歌山カレー事件あたりから・・ニュースを見なくなった。
「事件」に関するテレビ・新聞・雑誌記事に一切触れなくなった。

その頃から違和感を感じ始めていた。
「何でこんなに事細かな事を関係ないボクが知る必要があるんだ?」
「何でこんなに事細かに教えてくれるんだろう?」

何か事件があると犯人、被害者、その事件の背景、家族のことをニュースは教えてくれる。
犯人の異常さ、場合によっては被害者のプライベートまで教えてくれる。
調べてつかんだ事実を当然のように世間に知らせる(と思える)
例えば北朝鮮拉致事件についてもそう。
拉致の経過、北朝鮮の状況、これまでの日本の対応を伝えるのはいい。それを知るのは大切だ。
だけど・・・日本に戻ってきた方の私生活に踏み込む事アないだろう?
墓参りに行ったとか、野球を見に行ったとか・・なんでそんな個人的な事報道するんだろう?

公的な会見以外はそっとしておくべきじゃないか?
個人的な事を当然のように報道する感覚。「知らせて当然」という感性。
そして全然関係ないボクが他人の「個人的なこと」を知ることを「当然」と思う・・・怖い。

事件の被害者の葬儀の様子、悲しむご両親や友人の様子、コメント・・報道する必要があることか?
それを全然関係ないボクが見ることに違和感を感じない・・・知って当然と思ってる・・
そして・・そしてだ・・時間が経てば、色んな事件のことは・・テレビや新聞からもボクの記憶からも消える。

メディアやボクにとっては「事件」は「一時的な話題」に過ぎない。悲惨な戦争や事件を深刻な表情で伝えた後
「たまちゃん」や「グルメ情報」を楽しそうに伝える。それが「当たり前」。
「伝える」ことが仕事であり、「解決」することに責任はない。
だけど、その当時者たちにとっては、それは一生背負っていくべき荷物なのだ。
「一時的な話題」じゃない。「他人事」じゃない。
ならばせめて「一時的な興味を満たす」ために「話題」にすることはやめないか?それが礼儀だろう?

マスコミの当事者でもないボクが好き勝手書いてるのはわかっている。メディアの中にも鳥越俊太郎さんの
ような過去の事件を風化させず社会の不正に立ち向かっている方もいる。
政府や警察の不正を暴いた有意義な報道もあるし、優れたドキュメンタリーも沢山ある。
ボクが簡単に「スキャンダラス」と切り捨てているニュースも本当はスタッフの皆さんが何らかの想いを
こめて制作しているはずだ。

自分の意見が一方的だとはわかっているが、この事は以前から自分の中に燻っており、一度書きたかった。
知って当然というのはやめたい。知らなくていいことは沢山ある。教えてもらわなくていいこともある。
辛い現実から目をそむけているのかも知れないが、自分はこれでいいと思う。

ときどき「事実」でなく溢れた「情報」の上に住んでいるような・・変な感覚がある。
それがスゴク嫌だ。

4.音楽雑誌

最近音楽雑誌を全然読まないな・・・。
ボクがオンガクを好きになったのは雑誌の効果が多い。
大学時代にロッキングオンジャパン(ROJ)が創刊、また当時結構FM聴いてたので
「FMステーション」(FMS)を定期的に購入していた。
この2つで色んな洋邦のミュージシャンのことを知った。
元春に興味を持ったのはROJ創刊号のインタビューがキッカケだった。
FMSも元春、桑田さん、達郎さん、坂本教授、TOPミュージシャンのインタビュー
を程よい長さにまとめてた。何より付録のカセットカバー(鈴木英人さん!)が
お洒落だったし、番組表も見やすかった。

大学時代から社会人になってもオンガクについて話す友人なんていなくて・・
オンガクは一人で楽しむものだった。だから渋谷陽一さんや佐伯明さん、山本智志さん、
何より萩原健太さんや能地祐子さんみたいな音楽ライターの文章に「あーこのミュージシャン
の音楽はこう楽しめばいいんだ!」とオンガクの楽しみ方を教えてもらった気がする。
この2つは10年近く買っていた。更にロッキングオンが「ブリッジ」を創刊したとき狂喜した。
ボクの好きなベテランミュージシャンのインタビューをたっぷり楽しめる雑誌が出来た!って。
FMSは鈴木さんのカセットカバーは無くなったけど大好きな祥子さんを定期的に取り上げてたので
買い続けてた。
ROJ、ブリッジで知ったミュージシャンってイッパイいる。チャボさん、スライダース、泉谷さん、
高橋幸宏さん、ブーム、ROJで知って聞き出した人は多い。
また、どんと、ゼルダ、コレクターズ、エレカシ、フリッパーズ・ギター・・聴きはしなかったけど
顔と名前は一致してる程度のミュージシャンも多かった。
20代−30代にかけてこの3つの雑誌はボクのオンガク情報源として本当に役立った。
90年代半ば・・・FMSは廃刊になったようだ。そしてROJ、ブリッジは以前と違う雑誌になった。
(と思えた。)・・・二つともボクが知らないミュージシャンが頻繁に取り上げられるようになった。

ROJのライターの文章と自分のオンガクの楽しみ方にも少しづつズレを感じ始めた・・。
何でこんな難しい表現するのかなあ・・あるいは何でこんな世の中を悪く言うのかなあ、
勿論いいインタビューもイッパイあったけど・・・
それで音楽雑誌もう買うのやめた・・。
ROJだけでなくR&Rニューズメーカーとかシンプジャーナルとか・・以前は立読みしてたのも
ほとんどチェックしなくなった。・・・・

今でも元春や祥子さんが雑誌で取り上げられたときは買うけど・・もう定期的に購入する雑誌はない。
何ていうか・・ライターの方がこのミュージシャンをどう見てるか・・に興味がなくなったんだと思う。
自分なりにオンガクを楽しめるようになったんだと思う。
そして何よりインターネットの力が大きかった。元春や祥子さん・・同じミュージシャンを好きな人と交流
して音楽評論家の人が書かないような話題で楽しく会話出来るようになったから・・。
(元春のお喋りの面白さとか祥子さんの弾けたキャラとか笑)
おまけにこういう風に自分でサイト持って大好きなミュージシャンについて語る場も持てるしね。
昔はオンガクって自分一人で楽しむものだった。でもインターネットの力で一緒に楽しむ人が出来た。
これってスゴク幸せなことだと思う。・・・

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