『修羅賦』第6号(1977年11月)

 

 

 

続・世代

 

一、

 

 空が輝いている。熱帯魚の水槽に水の精がいてあんなに青く美しいのなら、今日の空には空の精が播かれているのだろう、と遥は思った。二月も下旬にかかり、三月の節句が近い。ああもう春……。遥は開け放した窓辺で大きく深呼吸をしてみる。時計を見ると午後二時を少し廻ったところだ。夜勤明けのいつものとおりだ。向かい側の建物の宮川の部屋も窓が開け放されていて、中には四五人の男女が集まっているようだ。

 ……ああ、やはり京都に戻ってきて良かった。明るい空の色、たとえどんなに風が冷たくても、空さえ澄んでいれば……。

 去年の冬は金沢の家で冬を送った。勤めていた病院を二年足らずで辞めて親元に帰った時、一徹な父は娘の移り気を責めた。おまえをそんな根性なしに育てた覚えはない。看護婦というあらゆる意味で過重な職業をおまえが選んだときも、おまえならばと思ったからこそ、京都の看護学校へ行くことを許したのだ、と。

 父や母から幾度理由を聞かれても、遥は疲れてしまったのだとしか答えられず、父の悲憤を昂ぶらせたものだ。はじめの頃は娘を責めた父も、母親と並んで食事の用意をしたり、右足の不自由をかこって出無精な弟の久を連れて日曜日に買物に出たりする遥の様子から、聞き出すことのためらわれる個人の生活というものを悟って以来、遥の帰郷をかえって喜んでいるふうでもあった。実直な公務員である父と、父の影の中からでた事の無いような慎ましやかな母、そして小学校の時に交通事故に遇って以来、表情は明るくとも内向的な性格に成長した五つ違いの弟の三人だけの家庭に、年頃の娘が戻ってきたことは、確かに活気と華やかさをもたらしたのだろう。実際、雪解けの頃には近所の世話好きな元小学校長夫人がたびたび訪ねてきては、有能な商社マンとか一流大学卒の銀行員とか、遥にとっては意味のない虚辞に飾られた結婚の候補者達ののっぺりした顔の写真が母のもとに委ねられたりもした。

 お母さんの気に入った人があったら、それに決めたらいいわ。お見合いさえしなくてもいいのなら、私誰でも良くってよ。……そんな遥の態度に母は歯痒さも覚えたに違いないが、父には何も伝わらないのか娘の結婚について家が揺れるようなことはなかった。

 家庭という温床にさえいれば、一日一日が確実に過ぎていってくれた。京都でのことは過去のこと、遠く離れた異郷でのこと……悪い夢だと思って忘れることもできた。しかし時折遥を捕らえる心の翳りを家族皆に隠し通すことはできなかった。

 金沢での暗い冬、雪の晴れ間の眩しいあの明るさ陽気さを以てしてもなお償えない暗く鈍重な北陸の冬。そんな沈んだ気分の時だったろうか、遥が父に呼ばれて、もう一度ひとりで暮らしてみないか、と言われたのは。

「看護婦という職業それ自体に疲れたということではないのは私にもわかる。おまえが結婚する気になれないらしいのも母さんから聞いている。何も聞かぬ、……京都で何があったのか、どうして結婚ということに真剣になれないのか、父さんはおまえから聞こうとは思わない。京都でのことを何も話してはくれないのを、母さんは寂しい娘になってしまったと嘆いていた。それはいい。人それぞれに語りたくないこともあっていい。ただ、今のままでいいのかどうか、一度考え直してみないかと言っているのだ。……こう言いながら、正直言って私にも良くわからないのだ。京都でいったいどんなことがあって、おまえが今のように変わってしまったのか。そして今、おまえが一人になってみて何になるのか。……

 姉さんは淋しいんだ。かわいそうだ、と久が言ったのだ。久が一番お前のことを知っているのかもしれない。その久が言ったのだ、昨日な。姉さんは自分を誤魔化してる、かわいそうだ、とな。……おまえが家に居てくれるのは確かに母さんも私も嬉しいに違いはない。ただ、本当にそれでいいのかどうか。久の言うようにおまえが何かを誤魔化して、何かを忘れようとして家に戻ってきたのなら、本当にこのままでいいのかどうか、と聞いておきたいのだ。いや、おまえ自身が自分の生活を決めるのであってみれば、このままでいるのがいいのかどうか良く考えてみないかと言っているのだ。その結果、もう一度一人で暮らしてみたいと言っても、父さんは反対しない。その方が結局は近道だと思うなら、一人になるのもいいと私も思う。

 昨夜、おまえと母さんが出掛けている間に、久しぶりに久と話した。四月からは高校三年だ。大学で法科をやるという。日頃小説ばかり読んでいるようだったから、文学部にでも行きたいのかと思っていたから意外だった。法律にはいやらしい情けなどというものが無いから好きだという。法律が非情に徹しているものかどうかはともかく、久のその言葉に私は胸を突かれた。人一倍感じやすく、人の心の動きに敏感すぎる自分を知っているからこそ、敢えてそうした自分を突き放したいのだろう。教養を積む中で自分を律していこうとする久が愛しくてならなかった。久も知らぬ間に大人になりおって……」

 絶句した父の目が濡れているのが遥にもわかった。弟も、そしてこの父もまた、真摯に生きる人間の一人であることを思って、遥は自分の膝の上に落ちるものに無限の愛情を感じたものだった。

 

 京都に戻ってからの一年間、特に何かが起こったわけではない。でも確かに自分が変ってきたような気がする。一人で居るから孤独を知ったわけではない。そうか、私は一人だったんだな。そんな思いが生まれ、やがて意識する程のことでも無くなっていったこの一年。……遥は宮川の窓の方を見やりながら、奇妙にゆったりと流れていった自分の時を振り返っていた。見下ろすと左側の坂道を白い子犬を連れた女の子が、子犬に牽かれるように下りて行く。真西に向かって下りになっているこの坂道を今まで幾度行き来したことか。病院の帰り、坂道を昇る途中で振り返れば時計台や赤レンガ、白いビルの林立している大学の建物の並びの上に淡いオレンジ色の夕日が沈もうとしているのがよく見えた。夕日の思い出……遊び疲れて弟と手をつないで帰る土蔵続きの金沢の裏道、高校時代寂しくなるとよく歩いた浅野川の河辺、そして京都での看学時代、寮の友達と大文字に登って見た夕日……感傷的な少女の時代は過ぎて行った。淋しかった。去年の春、いつも私は淋しかった。私のものなど何も無かった。失うことの恐ろしさのために、再び得ようとしなかった私の若さ……思えばそれも遠い思い出のように遥には感じられる。

 左手の小指を見ても、今は何も遥の心を揺すぶりはしない。これが京都での、二年前までの京都でのすべてなのだ、と遥はその小指の爪を撫でながら、その硬さを確かめてみる。

 岡本 守、一年ぶりくらいだろうか、声に出してその名を言ってみるのは。昔のように溢れてくるような悲しみは無く、その名前も様々な記憶の映像もすべてがこの青空の中に吸い込まれていく。悲しみも憎しみも何も今の遥に照り返しては来なかった。交通事故にでも遇って死ねばいい、岡本の家が火事になってあの人が狂い死んだらどんなに気持ちが清々するだろう。自衛隊の飛行機が民家に墜落したと聞いては、どうせなら岡本の上に墜ちればいいのだと、あの頃遥は本気で思ったものだ。そんな憎しみも消え、悲しみも疲れ切っていったのだろうか。一人で生きていけるかもしれない、そんな気持ちになれたのはどうしてだろう。

 宮川の部屋から明るい声が響いてくる。

 ……宮川 朔君か、おもしろい子だわ、本当に。でも、あの子がいてくれて良かった。……。

 

 四月に今の病院に勤めだした頃、同年輩の女ばかりというのが嫌で看護婦寮に入らずに、遥は病院の近くの坂を登りきった所にある今のアパートを借りることにした。初めてその部屋を見に行ったとき、向かい合って建っているアパート風の建物の真向かいの部屋にピンクの地に水色の花柄をあしらったカーテンが引いてあったものだから、管理人に向かい側の建物のことを尋ねずに済ましたのだった。引っ越した次の日、開かれた向かいの窓から、学生らしい若者がパジャマのまま歯ブラシを使い、空を見上げている。視線が合うと、口をもぐもぐさせて何か言おうとする。変な子だなと思っていると、ちょっと待って、と手で示してからうがいに行ったようだったが、戻ってくると、引っ越したんですか、という。そこ、あなたの部屋なの、と聞くと、表情を変えずにそうです、という。聞けば向かいのその建物は男子学生のアパートなのだった。昔の遥なら、再度引っ越しを考えるところだが、その時は、へえ、そうなの、と遥も答えただけだった。

 宮川のこと、というとすぐに遥が思い出すのは引っ越したばかりの日曜日のことだ。洗濯物を窓辺に乾していると、お姉さん、お姉さん、と呼ぶ声がする。誰かと思えば、宮川がぼけっとこちらを見ている。家には弟がいたから下着も窓辺に乾すことに抵抗はなかったのだが、宮川の視線がどうもそこに行っているので、思わず、こらっ、と叱ってみた。だが、まったく反省の色がない。それどころか澄ました顔をしてなおも見ている。

「お姉さん、お姉さん。」

「お姉さんなんて嫌ね。呼ぶのなら、鵜飼さんとか何とか呼びなさい。」

「そうか、鵜飼さんか。犬飼さんだったか何飼いさんだったか忘れたんだ。……あのお、鵜飼さんくらいの女の人でもそんな花柄の可愛いのをはくんですか?」

「まあ。」

 遥は呆れて二の句が継げなかった。宮川は相変わらずこちらを見ている。

「鵜飼さんくらいの、とはどういう意味よ。私まだ若いんだから。君とそんなに違わないのよ。」

「でも、そんな花柄のは中学生までじゃないのかなあ。」

「まあ。人の勝手でしょ。勉強なさい、ぼんやりしてないで。学生でしょ。」

「学生だから勉強もしますけどねえ。」と、宮川は澄ましたものだ。

 

 あの日からだろうか、なんとはなしに生活が生き生きして来たのは。病院とは暗い顔の患者と無表情な医師と忙しさのために険しい顔付になってしまう看護婦の行き交う戦場のようなものだ、と遥は思う。働いている間、それは自分の時間ではない。看護婦は決して、白衣の天使などではないのだ。寮にいる若い子など、週に二三回の夜勤のために生理など滅茶滅茶だという。患者の人格を大事にしなくてはならず、怠惰な医師のお尻をひっぱたいたり、危ない患者の前ではそ知らぬ顔で勇気付けたりもしなければならない。看護婦とはそんな非情さを必要とする労働なのだ。そんな中で自分の時間と呼べるようなものが持てる訳がない。アパートにあるのが自分の時間だ。……あの日からだったろうか、その自分の時間さえ疲れて眠るだけだった生活に、文字どおりの生活というものが生まれてきたのは。人と人との素直な触合いが私の心に蘇ってきたのは。……。

 あるいは学生だからなのだろうかとも思うのだが、どうも違う。宮川 朔という二十一歳の学生君はやはりちがう、と遥は思う。家族でも学生時代の級友でも自分の前から去った岡本にしても、今まで見知って来た男たちは皆、ある意味で一途だった。一所懸命という感じで生きている者ばかりだった。志というものがあるかどうかによって、たくましく映ったり平凡に見えたりしたものだ。

 でも、宮川君はどうも違う。背骨の無いアメーバのような、でもどこか強い生命力を持っている奇妙なところがあの子にはある。おもしろい子だわ。……

 昼下がりの陽射しを浴びながら空の青さを見上げていると、向かいの窓から宮川が来ませんか、と言う。窓越しに話したり、坂で一緒になったりすることは良くあるけれども、部屋に呼ばれたのは初めてだ。

「若い人ばかりなんでしょう、遠慮しとくわ。」

「いえ、鵜飼さんくらいの年増もいます。」

「まあ」

 両方の部屋から同じ声が起こった。

 結局、その言葉に乗せられた形になった。自転車が数台止めてある玄関から入ると、いかにも男子学生のアパートという雰囲気で、玄関の正面にある下駄箱には文字どおりの薄汚れた下駄や黒や茶の革靴、踵の踏まれたズック靴などが乱雑に押し込まれている。一番下の段に白いハイヒールと女物の鮮やかなグリーンの靴が並べられているのが遥の目を惹いた。

 階段を上がり、二階の廊下を見渡すと、新聞の山や年頃の男の子の読む雑誌などが方々に山を作っているのが見渡せる。その上の方にはコーラや洋酒の空き瓶が窓枠に沿って呆れるくらいに並んでうっすらと埃をかぶっている。可愛いことをしているのね、と思っていると、右側の奥から三番目の部屋の戸が開いて宮川が手招きしている。

 廊下に比べて部屋の中は明るく輝いて見えた。部屋の中には宮川のほかに二人の男子学生と二人の女客が車座になって坐っていた。正面に見える濃い口紅をしている方の人があのグリーンの靴の人だろうと遥は直感した。

「右から前尾さん、鮎木さん、高校の先輩なんです。それから岬 美枝子さん、足摺岬のあの岬って字ですよ。その隣が美枝子さんの友達で、えーと、……」

「翠川です。」と、小柄な翠川泰子が遥に向かって答える。

 抑えた化粧の仕方から学生でないらしいのはすぐに知れたが、清楚な女学生のようなお嬢さんのように、その時遥には見えた。

「そう、翠川泰子さん。泰子さんっていうのは覚えてたんだけど。……こちらは鵜飼さん。名前がいいんだ。鵜飼 遥っていうんだ。さっき言ったように、今ぼくが惚れている人。

「まあ。」

 腹を立てるのも馬鹿馬鹿しく、遥は呆れながら、宮川の隣に腰を降ろした。正面の壁に大きな紙が貼ってあるのが目を惹く。

  

    自己教育勅語
 

 一、食事は左利きで摂ること。

 二、毎朝、腕立て伏せ五十回、足上げ百回を怠らぬこと。

 三、原則として左の遊びはしないこと。

     麻雀

     パチンコ

     競馬・競輪

 四、…………

  

 競馬とか競輪とかいう遊びのあることを知ったのがパチンコよりずいぶん遅れるらしく、インクの薄れ方がずいぶん違っている。足揚げというのは何のことか遥にはわからなかったが、どうせ空手の真似事でもするのだろうと一人で納得して、ほかの五人の話に加わった。 

 美枝子が中学校の教師ということで、最近の中学生の気質や教育ということについて話が進められている。

「小さいこどもってのは、母親が視野にいなければ母親を呼ぶことが出来ないらしいね。いつも側にある、優しくって暖かくって、甘い薫りのするものを求めて、うう、うう、と言葉にならない歯痒さに耐えながら、母親を求めて泣くらしいね。この前、何かの雑誌で読んだんだけど。」

「歯痒さに耐えながら、なんてすぐに鮎木さんは文学的にするんだから。」

「ははは、まあいいじゃないか。でも、この話を読んだときに、教育ってのは恐ろしいことだと思ったね。ぼくなんか、ちょっと無理だ。」

「ぼくも当然無理だ。」

 まじめな顔でしゃべる宮川が遥にはかえっておかしい。

「美枝子さんたちはその辺のこと詳しいんじゃないですか。ぼくも児童心理学はやったんだけれども、そんな乳児の心理というか生理というのはどうなっているわけ?」

 そう聞きながら、タバコをくわえた前尾が顔を上げる。銀縁の眼鏡が似合っていると遥は思った。鋭い頭の人なのだろう。

「私たちもそういうことはやってないの。看護婦さんの方がお詳しいんじゃなくって?」

「いえ、私は内科の階なので。でも確かに、小さい頃、お母さんという言葉を何かの拍子に忘れてしまって、母親の後ろ姿を目の前にして妙にあせったような記憶はありますね。」

「へえ、すごいなあ。」

「すごいって、何がよ、宮川くん?」

「いや、ぼくにそんな記憶がないんだから、だからすごいんだ。」

「確かにそれはおもしろいことだと思いますよ。」

 よく通る声で前尾が遥の方を見つめながら言う。

「変なことを言うようだけれど、ぼくは小さい頃、物が有るということが病的なくらい恐いというか、奇妙な気がした時期があるんです。もっとも、こんな風に言えるのは、ちょっとは言葉を知った今だからですがね。例えば夕暮を歩いているときに、ふっと目の前の赤く染まった家々が別の物、いつも見慣れているはずの近所の家並みとは全く別の物のように見えたりするんです。おかしい、こんなふうでは無かった、そう思って、なんと言うかな、そう、ちょうど天橋立でやるように股の下から逆さの街並みを見てみたり、目を閉じて十数えてぱっと目を開けたらいつもの家々に返ってないかと思ったりね。別に家とか電柱が赤く染まっているからどこかおかしいと思ったんじゃなくて、……どう言ったらいいのかわからないんだけれども、とにかくその家々を、いつも使っている家とか街とかという言葉で表すというか把握することに妙にこだわりを感じたんですね。」

「あの、よくわからないのですけれど、見慣れた風景が、ふと新鮮に見えたりして美しいと感じたりするというようなことですか。」

「そうですね、あるいはそう思っただけなのかもしれないんだけれども、どこか不可解なという気持ちが強かったんです。」

「例えば、日頃お母さんと呼んでいた人が、ある日、本当の母親でないことがわかって、それでもその人をお母さんとしか呼びようのない戸惑いのようなものではありません?」

 恐いことを言う人だ、と翠川泰子の開かれた大きな瞳を見返しながら遥は思った。あるいは自身のことを言ったのだろうか、一座のそんな気持ちが表れたのか、翠川泰子が再び会話を受け持った。

「別に私自身が義母に育てられたような経験がある訳ではないのですけれど、ふっとそんなことを思ったものですから。」

「そうですね、翠川さんの比喩がわかりやすいようだ。つまり言葉ってのは、善とか悪とかいう抽象名詞も含めて、実はプライベートな、私的な意味で使われ始めて、次第にその言葉に社会性というか一般的な意味付けがなされていくんじゃないか、その課程が教育ってもんじゃないか、ということ。……思考とか記憶に関する大脳の生理的な機序とかを考えれば、むしろ当然なんだろうけれど、どうもね。」

 もう十本近いタバコの吸い殻が灰皿にたまっている。宮川や鮎木は吸わないらしかった。その鮎木が口を開いた。

「言葉なんて、そう期待するほど共通体験ではあり得ない訳だがな。」

「まあ、それはそうだ。さっき鮎木の言ったように、幸福であることを言う時ってのは言葉なんて移ろいやすいもので、幸福であろうと言う意志というか志向を語るとき、案外言葉を我々は共有し得ているのかもしれないな。」

「どうかなあ。そりゃあ、言葉の持つ広い意味のうちの最低のレベルでの共通理解があればいいようなときの話しじゃないですか。教養部の正面でアジってる連中ってのは、前尾さんなんかが話してみると実にボキャブラリーが少ないんで驚きますよ。連帯とか粉砕とか、決まり文句しか使わないって言う意味じゃなくて、連帯って何だと言ったら、アジア人民との連帯、打倒って何だと言えば、米帝・ソビエト社帝の打倒、打てば響くようなというか、言葉が完全にピアノのキーになってる。だから日頃使わないような言葉がどんどん抜け落ちてく。そんな気がするんだなあ。まあ、もっともピアノさえ弾けたらピアニストだから、彼らも一応アジテーターとしては一人前なのかもしれないけれど。」

「うん、そうかもしれない。ただ、彼らの行動の背後に隠れている多くの言葉、互いに背反する思念というもののあることも考えてやらなければならないとぼくは思うが。」

 タバコをくわえたまま、遠くを見る眼差しになった前尾が考えに浸り始め、会話が途切れた。しかし不思議と座がしらけた気配はない。宮川の語り口にしても驕った調子は全くなく、三人の社会人が交じっているせいかと最初思われた会話のおとなしさ、といった印象が、この三人の学生たちの平常なのだと遥にもわかってきた。看学時代、大学構内の喫茶部などで見ていた学生というのは、真面目に話すとなると、膝を乗り出して、まさしく口角泡を飛ばすという感じだったものだが、そんな気負いがなく、話し合うという文字通りの互いを尊重し合った、真摯な、それでいて冷静な精神の作業のように心地よく映る。鮎木や前尾には、そうした気負いの時期を経た、話し方聞き方に対する余裕というふうなものが感じられるし、宮川の特異な新しさはここでも目立っているように遥は思った。そして、岬 美枝子の、灰皿の位置をさり気なく変えたり、菓子皿の摘み物を補ったりする仕草から、美枝子の位置がもう一人の女客である翠川泰子とは全く違っていることが察せられるのだった。美枝子は真紅の口紅を付けているとはいえ、浮薄なイメージは無く、線のはっきりした顔立ちとあいまって、一途な気性と意志の強さを思わせた。

 さきほどの『自己教育勅語』の大きな紙の右側の窓に寄せてある机の上の高さに何か横文字で書いたものが貼ってある。

「宮川くん、それドイツ語? 私、英語も忘れかかってるんだけど。」

「ああ、あれはドイツ語ですよ。

  Behüte dein Herz mit allem Fleiß, denn daraus kommt das Leben.

 旧約聖書の言葉らしいんですがね。そうだなあ、一生懸命お前の心を大切にせよ、なぜなら、そこからお前の命ってものが生まれて来るんだから、というところかなあ。ハイデッガーが好きな言葉だったらしいんだけど。」

「弛むことなく汝の心を守れ、そは生命の流れこれより出づればなり。……私もこの言葉は好きです。」

 ほかの五人の目が、それをその時は澄んだ静かな声で言った翠川泰子の淡々とした顔の方に集まった。

「ドイツ語だったのでわからなかったのですけれど、……旧約聖書の箴言ですね。」 

「翠川さんはクリスチャンなの?」 

「いえ、洗礼は受けません。聖書は読みましたけれど。」 

 きっぱりとした否定だった。皆の目が机の左側の壁に貼られたその小さな紙片に集まる。

 弛むことなく汝の心を守れ、そは生命の流れこれより出づればなり。美しい言葉だと遥は思った。西洋のその宗教に触れる機会はなかったが、真宗の家に育った遥には、小さい頃祖母と並んで家の仏壇の前で手を合わせていた記憶がある。祖母の手を取って近くの寺院に行った帰り道、夕日を差して祖母はよく遥に教えてくれたものだ。

「遥ちゃん、ようお聞きなされよ。今の遥ちゃんの目にはあのお日さまはどんなふうに映る? 心の悪い人にはな、あれが血の色に見えて恐ろしゅうてならんようになる。地獄の閻魔さまの焚いてなさる大きな大きな火に見えてのう。……うん、そうかい、そうかい、遥ちゃんにはお日さまが泣いてなさるように見えるかい。ええ子じゃ、ええ子じゃ、優しい人におなりなされよ。あのお日さまのなかにはの、おばあちゃんももうじき行く仏様のお国がある。お寺で見ましたじゃろ、そうじゃ、あの美っしい仏様のお国じゃ。うん? 優しいことを言うてくれるの。でも、おばあちゃんも遥ちゃんにさよなら言うて行かんならん。おじいちゃんが呼んでなさる。仏様もおばあちゃんなら来てもよいと言うて下さる。うん? そうじゃ、おとうさんもおかあさんも遥ちゃんも、生まれたばかりの久ちゃんも、おばあちゃんくらいになったらいつかはあの美しいお国へ行けますのじゃ。うん? そうじゃ、そうじゃ。遥ちゃんはええ子じゃのう。ええ子じゃ、ええ子じゃ。優しい人におなりなされよ、優しい人におなりなされよ。……」

 幼い遥の目にその時の夕日はどんなに大きく美しく、そして哀しげに見えたことだろう。私の心はあの日の夕日の中にあるのかもしれない。私の生命はやはり北陸の女のあの強さをもって溢れてくる。祖母や母の中を流れた血、慎ましく強く愛しい女の血が私の中にも流れている。

 

「聖書か、ぼくなんか読めないなあ、あれ。ノアの方舟とか、どんなに悪い女の人でも自分らだって悪いんだから石を投げてはいかんとキリストが言ったとか、地に塩して云々というシーンはおもしろいというか、まあ読めそうだけど、あれ最初の方は訳のわかんないことばかりでしょう。どこそこの誰だれは誰だれの子で誰だれとの間に誰だれと誰だれと誰だれを生み、百三十歳で死んだ、とか何とかね。読んだっていいんだろうけど、時間がないからなあ。それに外を歩いたりしている方がいろんなことが見えてくるでしょ。」 

「そうですね。聖書は必要を感じた人が読んでみればいいんでしょう。それで救われる人もあるでしょうし、……。」 

 この人は、と遥は思う。この人はどんな道を歩んできたというのだろう。婚約も済ませ、秋には挙式だと言っていたようだけれども。 

「鵜飼さんは看護婦というお仕事なさっていて、聖書などお読みになりませんの?」 

 翠川泰子が遥の方を向いて、無表情とも言える淡泊な笑顔を見せる。 

「いえ、私は……。近くに教会などなかったし、家は金沢で浄土真宗の家でしたから。」 

「それじゃ、嘆異抄とかお読みになったんじゃありません?」 

「ええ、読んだといっても、高校の時に古文の時間にちょっと。」 

「善人なおもて、というあの文章どうお思いになる?」 

「どうって、あの頃はそうかなあって思って何となく納得してたようですけど。……今は、……そうですね、今は、偽悪者は往生させないんじゃないか、仏様がね。そう思いますわ。」 

「うわっ、凄い。鵜飼さん凄い。」 

「凄いって、何よ、また。」 

「やっぱり凄いんだ、鵜飼さんは。ますます惚れちゃうなあ、ぼく。」 

 宮川が話を茶化してくれたからよかったようなものの、翠川泰子と二人の話になったら、と思って、遥は宮川の意識的なものか、単なる無邪気さなのかわからないながら、その横槍に感謝した。

 宮川の笑いだけが素直な響きを持っている、と遥は思う。おとなたちの失ってしまったものを、いや、忘れているものをこの子はちゃんと捉えている。悟りなどが必要なのではない。諦めや忘我が心の平静をもたらすのでもない。……外を歩いている方がいろんなものが見えてくる、確かにそうだろう。この子はずっと光の中しか生きてこなかったのだろう。それを若いと言って片付けるのは容易だろう。しかし、何とおとなたちは物事の中に多くの汚れや欺瞞を見出だしてしまうのだろう。見なければ、まず素直な目でまわりを見ることだ。目に映るままに、心に映せば、それが真実というものではないのだろうか。この子にはそうした美しさがある。濁りを知らない瞳の美しさがこの子の生をしっかりと支えている。

 大きく開け放された窓からはますます青く輝いている空が見上げられる。空の色はすでに春のものだ。冬の名残の風が火照った頬を撫でていってくれる。

 あれは中也だったろうか。姉さんいい詩があるよ、と久がくれた大判の詩集の黒い活字が鮮やかに蘇ってくる。
  

  これが私の故郷だ。 

  さやかに風も吹いてゐる

     心置なく泣かれよと

     年増女の低い声もする。

  あゝ おまへはなにをして来たのだと……

  吹き来る風が私に云ふ

  

 淋しいとき、虚脱した午後、久からもらったそのカラー写真の入った美しい詩集を開いては、何もせずに感傷のなすがままに自分を任せたものだった。あの頃、憎しみと悲しさが交互に訪れてきては遥の心を凍らせ、そしてぬかるみのように遥の足を捕ったものだった。 

 今も遥の中を風が吹き過ぎてゆく。しかしそれは、心を凍らす悲哀や憎悪の嵐では無く、頑ななものを和らげ、沈み行こうとするものを優しく呼び戻す、暖かく豊かな季節の声であった。
 

  あゝ おまへはなにをして来たのだと…… 

  吹き来る風が私に云ふ

 私は今、生きているのよ、と遥は小さく答えてみる。そう、今私は生きている。
 

「え、何?」 

「うん、何でもないの。」 

 きょとんとした宮川の顔の後の、透き通るように澄み渡った空の青さに、自分の生にとっても春が、去ることのない春が巡ってきたことを思って、遥は心の底から湧いてくる静かな幸福を噛みしめていた。 

 

 

    二、

  

 ドイツのある作家は人間のたどる道程を撞球戯の球に譬えた。自らの意志の発現以前に人は状況を与えられており、その状況の中へと何か大きな力によって人はすでに突き出されてしまっているのである、と。その大きな力が、西洋においては神であり信仰であるとするならば、図式的対極に置かれるのは、日本における家、あるいは血と言えるであろうか。いささか時代錯誤的なこうした図式通りの家に泰子は育った。貴族院議員を永年勤め上げた祖父は戦後、洛北の閑静な一角に居を定め、古都である京都に骨を埋めた。泰子の幼年の記憶に、白い髭を蓄えた祖父の膝の上で日光浴をしている情景がある。老臭を消すために祖父のつけていたらしいオーデコロンの芳香と銀色に光って目の前を揺れる長い顎髭の印象が微かな祖父についての記憶であり、幼年期における唯一の愛の刻印でもあった。泰子の父は祖父に見込まれた書生上がりの養子で、学者としては世間的にも成功している男であったが、家庭に対しては至極無関心な人物だった。そして、母はと言えば華美と虚栄の中でしか生き得ない狂気の人であった。少なくとも泰子には母は狂人としか映らなかった。 

 泰子の上に男の子があったが、一歳の冬に変死したのだと泰子は最近になって知った。祖父の代から出入りしているその年老いた植木職人から聞いた話では、その頃三人いた行儀見習いの女中のうちの一人が発狂して、その嬰児を真冬の夜に連れ出して、裸にした上で粘土のように潰したのだという。まだ固まりきっていない骨という骨が大きな石で粉々になるまで打ち砕かれ、裏山の竹林の中のそのあたり一面が血を吸って一尺ほどの深さまで赤黒く染まっていたものだという。狂った女中のその後を聞こうとして、泰子は、はっとしたものだ。母なのではないか。わたしの兄であったその赤子を殺したのは、あの母なのではないか。戦後間もなくとはいえ、そうした惨殺事件が曖昧にされる訳はなかったから、真犯人がその嬰児の実母、すなわち泰子の母であるはずはなかったが、泰子には自分に対して見せた母の狂気がその殺し方の狂気と同一のものであるように、一瞬思えたのだった。 

 これが本当にわたしの母親だろうか。わたしを産み、わたしの身体の中に自らの血を注ぎ込んだ母親だろうか。我が子を食い殺すことによって生きたというあの鬼子母神なのではないか。 

 泰子が中学三年の時に、大動脈瘤を破裂させて急死するまで、泰子の母は泰子を自分の身体の一部のように扱った。かつてピアニストを夢見たこともある母は、泰子に直接ピアノの手ほどきをした。いや、手ほどきなどというものではなかった。明治の威厳を保って家の雰囲気までも支配していたような祖父が亡くなってからは、母の狂気は絶頂に達した。指を間違えれば甲高い怒声とともに、即座に鞭が手の甲に飛んだ。練習に身が入っていないと言われては、食事も後回しにして指が引きつる位まで同じ指を繰り返さなければならなかった。学校なども二の次だった。練習の進度が遅れると、学校には腹痛とでも言っておくように、と母の乳母である陰気な老婆に言い付けては、母はピアノの側に立った。神経質に鍵盤の上を凝視する母の目と、必死に譜面を追うわたしの幼さなど消え尽くした鋭い目を、あの時誰かが見たならば、きっと鬼の親子と思ったであろうと泰子は思う。 

 中学三年のある日、家に帰ってみると母は死んでいた。肉親を失った悲しみが湧いてくるはずはなかったが、これで自由になれるという喜びも無かった。突然の母の死を、ああ、あの鬼が死んだのか、と事実として了解したに過ぎなかった。無論、鬼の死顔など確かめる必要は無かった。 

 三日後の葬儀には、祖父の教えを享けたという地方政界の現役や父の関係している大学からの公的な参列者が並んだ。そして戦前の名士の子女が通ったところの母の母校での友人として、京都に嫁いだ数人の婦人たちが厚い化粧に悲しみを演出して参列していた。 

 父の焼香が済み、泰子の名が呼ばれて彼女は祭壇の正面に立った。香を摘み、型通り今は無き人の遺影を見上げる。母の写真、黒枠で囲われた中に母の作り物の笑顔がそこにはあった。その時、何が泰子の心を締め付けたのだろう。憎しみとか痛恨とか、言葉をもってしては表わしようの無い衝撃が、その時泰子を捉えたのだった。 

 なにゆえにわたしは泣くのか、あの母のいったい何を思ってわたしは泣かねばならないのか。自分にそう問いながら、自分の中に完全に巣食ってしまっている母の影を呪い、怒って、泰子は突如として泣き出したのだった。泣くことを止めぬ自分自身に対する怒りが歯軋りして自分の醜態を責めているのがわかる。あんな母のために泣いてはならない。母の遺影の前で、泣いて立ち尽くす自分の姿を偽善的と人が見る故に、そしてその故に自分を低め母を高めるような醜態をこれ以上曝してはならない。 

 泣き、怒り、肩を震わせて泰子は泣き続けた。そして遂には、より激しく哭声を上げると、泰子はその場に崩れるように泣き伏してしまったのだった。 

 泣いてはならないと言っているのに、何を思ってわたしは涙など流さねばならないというのだ。泣くな、泣いてはならないのだ……。 

 両手で顔を覆い、まとわりつく想念を打ち払うように肩を激しく揺さ振りながら、周囲の視線の中で、泰子は果てしもなく声を上げて泣きじゃくった。 

 香を散らし、身体を折り崩して嗚咽を止めようとしない思春期の娘を、人はあるいは偽善と見、あるいは狂気と見た。不自然に長く続く涙など、死者を送る儀式にはふさわしくないからだ。周囲のそうした目の中で、ひとり泰子は泣きに泣いたのだった。 

 やがて困憊した父親が半ば怒りを殺した顔で再び祭壇に近付き、立ち上がろうとしない娘を無理に抱きかかえるようにして席に戻した。怒りの故に泣いたのだ、と皆に弁明したい気持ちもあった。あんな母を、鬼のような人を誰が惜しんで涙など流すものか、と。 

 火葬場に向かう道すがら、父は車の窓から外を見たまま黙然として口を開かず、娘の醜態を憤っているふうであった。 

 そうではないの。決していい子に見せようなんて思ったのではないのよ、ねえ、お父さま。泰子は憎かった。あの鬼のような人を殺したいほど憎かっただけなのよ。……喉まで出掛かっている母への呪咀と父への哀願に泰子はひとり悶えねばならなかった。ほかに語るべき人とて無く、冷たく拒絶している父の横顔を絶え入るように見つめながら、あの時泰子は唇を噛んで無念の涙を流したものだった。 

 縋れる人など回りには一人もいなかった。話せる級友も泰子は持てなかった。高校の三年間、それは泰子の自分自身との対話の時間であった。母に対する憎しみのためというよりも、あの葬儀の日の自分に対する悔しさのために泰子はピアノを捨てた。代わりに泰子が手にしたのは、光を与えてくれるかに見えた分厚いキリスト教の聖書であった。 

 なるほど、そこに光はあった。これほどまでに人の心は気高く、美しくなれるものよと、その分厚い皮表紙の一冊の本は教えていた。ここに光あり、と。 

 しかし泰子は思った。たとえ、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りなど、数えきれないほどの悪を人が犯したとしても、そんなことは罪などではない。突き詰めていけば人の弱さとして赦されるに違いないそんな業を罪などとわたしは思わない。罪とは、決して赦されることのない不義とは、自分の物ではない一個の他人を自分の影の中から出そうとしないことだ。生まれてから今の今まで、わたしは光など知らない。光を知らない者に、ここに光りありといって一体どうせよというのか。影の中しか知らないわたしに光の明るさなどわかりはしないのだ。生まれた時すでにわたしは母の影の中にいた。自我というものの生じる以前に、わたしは母という大きな力によって、すでに影の焦点へと打ち出されていたようなものだ。解釈などが欲しいのではない。自分の不幸を測って自らに慰めを言ってやりたいのではない。わたしは指針が欲しいのだ。たとえ母の影から逃れられないわたしではあっても、わたしはわたしの生を生きてみたい。母の一部を生きるのではなく、わたしだけの、わたし一人の生を生きてみたい。そんな指針、何を求めるのが幸福ということなのか、何によって生きるのが平安ということなのか、それをわたしは知りたいのだ。 

 高校の三年間、泰子は神への不信を抱きながら、ほかに行く当てもない自分の無力さを憎んだ。朝に神を誹っても、夕には聖書を開いては静かに涙を流したものだった。 

 せめて自分の光の中で、母にもあったであろう陽の当たる暖かさの中でわたしを育ててくれていたなら……。たとえそれが、他を所有しようとする母のエゴではあっても、せめて母の光の中で育てていてくれたなら……。 

 それが、泰子の心に射した最初の光であることに泰子は気付けなかった。あの鬼のような母親の中にも一条の光はあったのではないか、と思った自身の心が、母の影を超克した人の光というものであることに泰子は思い到らなかったのだった。 

 母が死んで以来、おまえは泣き虫になったと父親によく言われた。あんなにもきかん気で涙を見せなかったおまえが、糸の切れた凧のように涙もろい娘になってしまった、と。 糸の切れた凧?……そうかもしれない。今のわたしを律するものなど何もないのだから。大学に入ってからもうわべは平凡な女子大生として振る舞ってはいても、泰子の心は常に揺れていた。生きて行く指針が欲しいという真摯な声と、糸の切れた凧のようにえへらえへら笑っててやれという捨て鉢な声とが泰子の心を絶えず揺すぶっていたものだ。
 

 ほとんどの人の前では素直になれない泰子も、大学で知り合った二三の友人の前では素直になれた。彼女たちの中にも自分の中にあると同様の痛みが感じられたからだったろうか。泰子がどうしようもなく他人に飽きやすいのは、ほかの人々が泰子の抱いているコンプレックスの源泉とは異質の世界で生きていることを直感してしまうからだった。この人もまた、平和な家庭に守られ、人間関係の上でも大きな躓きなど無く、平坦な歩みを……そうしたことが鼻に付いてくると、泰子はその人間の前から走り去らないではいられなかったものだ。コンプレックスの内容など、もちろん各人各様であり、そんなことは問題ではないのだけれど、何というか、人間として自分を突き放して置いた場合、その自分という生き物に対して、それを否定し尽くそうとする情念と実在として認知してやろうという理性との両方を兼ね備えつつ、自分を見詰められるような、そんな人間でなければ異質なモノとしてしか泰子の目には映らないのだった。存在の形そのものに根差した痛みでなければ、苦悩といい、孤独といい、葛藤といったところで、そうしたものは言葉遊びに過ぎないものであり、いつの間にか言葉遊びに終始してしまうものだろう。わたしはわたしの痛みを感じてくれる人を求めているのであり、その人の痛みを見抜き包んでいくことが人間としての喜びなのだと泰子は思う。 

 三つ子の魂百まで、という諺がある。見知らぬ人々の前で、その人の過去や生活を知らない人の前で素直になれない自分を泰子自身もよくわかっている。しかし、すべての人の前でいつも自分を素直に出すなど恐いことだ。光の明るさしか知らない人に自分の実像を曝すことなどできはしない。泰子の心に根差したこだわりはどうしようもなかった。 

 倒立した実像同志で人間関係が進められるのではなく、人は正立させた虚像によってしか他と結ばれることはできないのだろう、二三の例外を除いては。この先何人の人間にわたしは素直に自己を語れるだろうか。今度の岡本 守という男との結婚にしても、それは女の定めという風な社会的な慣習、いわば虚像の事象に過ぎないことだ。相手は父の研究室の俊才だという。天才肌の男だからおまえの気性と適うだろうと父は言う。所詮、学問という砂上の楼閣の指物師であってみれば、他人に対する心というものは父のように冷たく醒めきっている男なのだろう。それはよい。わたしの心を所有しようとはしなかっただけ、父は優しかったし、それだけ学問は俗なものなのだから。恐らくあの岡本という男も、わたしを一人にしておいてくれるだろう。家庭など、そして他人に過ぎない妻のことなど忘れて、自らの資質に酔うがよい。自らの野心のすべてを幻影の筆を以て、人には壮大と映るであろう楼閣を描くことに費やすがよい。 

 わたしはわたしであり、妻として、あるいは母として、わたしはその任を忠実に果たすであろう。そして学者の家の慎ましく貞淑な妻としてわたしは一生を終えるだろう。それでよい、わたしの虚像などどうであろうとわたしは構わない。実像のわたしは、閉じた瞼の裏の実像のわたしは、微かな光を求めて、やはり一人で生きて行くのだから。 

 

 

    三、

 

 俺が生まれた時、五体満足な男児出生というので、俺は家族たち皆に祝福されたという。俺の後に生まれる子もなく、俺一人をめぐって家族の者皆が、抱き上げたり、頬摺りしたり、言葉を教えたり、手を取って歩かせたりしたらしい。普通の子より早く歩き始め、早く言葉を覚えたといっては、俺を自慢するのが俺の家族たちの格好の暇潰しだった。買い与えられた絵本はその日のうちにすべて暗唱できた。幼稚園に通う前から自分の名前が書けるといっては近所でも俺のことを岡本の家の息子は天才だと言った。もっとも、俺にはその頃の記憶はない。微かな記憶を辿ってみても、やはり俺は天童であったという幼い俺の姿を思い描くことは出来ない。その頃の俺といえば、あの古びた数枚の写真の中の、とても俺自身とは信じられないような頬の丸々として黒い大きな目でこちらを無心に見つめ返している俺の姿だけだ。 

 俺の記憶は家の中から離れて、人間のやたらと多い中へ入って行った頃から始まる。幼稚園に入ってみると、俺は凡人だった。いや、むしろ何も知らない無知な子として扱われた。無論、同じ組の子供達からである。8の字を知らない、めんこを知らない、ビー玉も釘刺しもべー独楽も草笛も知らない。蛙の釣り方もこうもりのいる洞穴のありかも知らない。大人を騙す方便の無邪気さも知らない。蝉の羽をもいで芋虫やーいと言って踏み付ける遊びも、転んで見せてうそ泣きする技術も、俺は何も知らなかった。近所の俺と同年輩の八百屋の息子の方がはるかに賢かった。いつも鼻水を垂らしていても、毎日のように寝小便をして怒鳴られていても、冬でも裸足で走り廻って足を真っ赤に腫らしていても、やはりそのきゅうり頭の方が俺よりも勝れていた。少なくとも俺はそう思った。俺はいつも、ほかの薄汚れた愚鈍な子供たちとともにきゅうり頭に従っただけだった。俺たちは凡人であり、きゅうり頭はビール瓶の蓋の金バッジを付けた我らの英雄だった。 

 小学校に入ると俺が英雄になっていた。遊びの種類も大人の騙し方も覚えてしまうと、何をやらせても俺の右に出る者はなかった。隠れんぼの隠れ方、嘘つきごっこ、小さい子を泣くまで恐がらせる作り話も、三角ベースの時のリードの仕方も、女の子をどぶにはまらせては、身ぐるみ脱がせて囃子立てる文句も、どれも皆俺の方がうまかった。知らぬ間にきゅうり頭も俺の名前をちゃん付けで呼ぶようになった。 

 小学校の五年にもなると俺は秀才だといわれるようになっていた。愚かで不器用な近所の子供たちと遊ぶことは四年生位から退屈以外の何物でも無くなっていた。俺の関心は別の広がり、学校に向き始めていた。五年の時に初めて男の教師が担任になった。それまで遊び廻っていた俺を捕まえて、おまえは頭がいいんだから勉強をしろ、とその教師は言った。俺は頭がいいのかと思って、俺は勉強をするようになった。今まで体育の5以外には3と4しかなかった通知表が5で埋まるようになった。逆に体育は4になった。クラス委員をやれといわれてクラス委員になった。児童会の会長になれといわれて、その会長にもなった。6年の終わり頃、おまえは地元の中学ではなくて、もっといい中学に入らねばいかん、とその教師に言われて俺はいい中学に入った。教師たちが皆、俺を秀才だと認めていると思うと俺は鼻が高かった。 

 中学に入ると、俺はだんだん自分が秀才などではなく天才ではないかと思いだした。国語の教師のくせにろくに字を知らない教師がいた。計算ミスばかりする教師は暗算も遅かった。すっきりしない問題を質問しても、まともに答えられるような教師は一人もいなかった。こんな連中でも教師が勤まるのかと俺は呆れた。こんな程度の頭の教師がほかの生徒に対して大きな顔が出来るのなら、俺は一体何物だろうと俺は思った。昔俺を秀才だと言った教師より俺の方がはるかに優れているとすれば、……そうか、俺は天才なのかと俺は思った。 

 その頃の俺は、人間の価値は頭の良し悪しだけで決まるものと思っていたのだ。それを吹き込んだのはほかならぬそうした凡人に過ぎない教師たち自身だった。 

 中学に入った一年間、俺は全科目でいつもずば抜けてトップだった。板書のスペルの誤りを得意気に指摘して英語の女教師の憤激を買ってからは、教師連中のプライドも大切にしてやらねばならないと思うようになった。授業中時々、不安げな目で俺の方を盗み見る若い地理の教師には、誤りのない良い授業だというような顔をして頷いてみせてやらねばならなかった。良識なるものを押し付けようとする横暴な教師に食ってかかる級友の純情さとやらを俺は馬鹿馬鹿しいと思った。あんなつまらぬ大人たちに真剣に怒っても所詮徒労じゃないかと俺は無関心なままだった。俺のことを単に秀才だと思っているらしい同級生たちの羨望の目を俺は婉曲に無視した。信じられぬほど易しい問題を考え込んでいる同級生には、一緒に考えてやる振りをして、さらさらと解いてやればよかった。宿題を忘れた女子生徒にはノートを貸してやれば、それで俺は優しい人ということになった。 

 中学の二年以降は、俺は常に二番を取るようにした。ちょっと勉強をすればトップになれるのはわかりきっていた。しかし俺は二番という位置を動こうとは思わなかった。トップは目立ち過ぎると俺は思ったのだ。勉強せんと偉くなれんというのが口癖の理科の老教師は何かと俺を引き合いに出しては、勉強、勉強を強調した。こんなつまらぬ凡人に軽々しく俺の名前を安売りされてはかなわないと俺は思った。それから俺は教師の目を誤魔化すために、少しずつ怠慢になり、二番の位置に着くと、そこで俺自身を固定した。毎日五時間勉強しているという噂のある背の低い陰気な男が俺の変わりにトップを続けた。俺と三番の女生徒との間にはずいぶん開きがあった。トップの男の程度に合わせれば、二番を続けることは容易かった。一番として目立つことも三番以下に落ちることも、ともに俺の天才としてのプライドが許さなかった。 

 例年その中学からトップの一人がその地方にある有名なある超一流の進学校に入る慣習があった。担任は俺を呼んで、ちょっと頑張れば受かるから、と俺にもその高校を受験するように奨めた。ここで頑張って、あの陰気な、勉強しか能のない男と同じコースを歩むことを俺のプライドが許すはずがなかった。俺は苦笑して、担任の好意を辞退した。そして俺は、十番以内の連中に紛れて難なく公立の一流校に入った。高校でも同じことだった。二番を続けることは至極容易かった。この程度勉強していればいいだろう、というコツもわかってきた。勉強で余った時間、俺は本を読みだした。それが、ある意味で俺の犯した唯一の誤算だった。今まで天才である俺以外は、すべて凡人という一語で片付けられたのが、ちょっと違って見えてきたのだ。同年代以外は最初から問題外だった。老人は廃物同然だったし、子供は走り廻る犬と違うところはなかった。 

 人間には男と女とがある、というふうに把握したのならまだしもよかった。俺はそんなふうには思わなかった。小説から俺が学んだのは、男の存在を抜きにしてただ、女というものがある、という認識だった。ともかくも高校の三年間、俺は、まだ子供に過ぎない実際の生き身の同級生の女たちには目が向かず、小説の中の女たちをひたすら観察した。そして女とはこんなものか、と俺なりのイメージを固めた。 

 その高校でも俺は慣習に逆らって、ほとんどの者が羨望して止まない東の大学に背を向けて、西の大学を選んだ。その時の俺の論理はこうだった。一番にしてやったあの銀縁眼鏡をはじめとする勤勉な秀才連中は東へ行くがよい。俺は君たちとは行を共にしない。真の天才と怠惰な秀才は西の大学に行くのだ、と。 

 西のその大学に入ると、クラスとか学校とかいう枠がほとんど無く、煩わしい成績なるものから俺は自由になった。そして、講義中も思索に耽っているというふうな哲学の教授にしても、学生に受けようとして軽妙なジョークを交えながら講義を進めるロマンスグレーの史学の教授にしても、所詮、人間だと俺は思った。クラスの中にも、天才であるという俺の確信を揺るがすようなものは一人もいなかった。俺が注意を払うべきは天才である俺と、天才ではなくとも人間という下卑た者ではない(と、あの頃俺には思われた)女というものだ、と俺は思った。

「優しいなかに強みのある、気軽に見えても何処にか落着のある、馴々しくて犯し易からぬ品の可い、如何なることにもいざとなれば驚くに足らぬという身に応のあるといったような風の」女、泉 鏡花の描いたこんな女がいないだろうかと俺は思った。あるいは、俺を女にしたような、そんな女はいないだろうかと俺は周りを見回してみた。やがて俺は自分の視野の狭さに気付いて、太宰のように道化を装って、様々な場に顔を出し始めた。 

 大学も三年になり、そのひとつのあるサークルで一人の美しい娘を見出だした時、俺は俺の中の神(天才とは心の中に神を宿す者だと当時俺は信じていた。)が、俺に啓示を与えたように胸が高鳴るのを聞いた。看学の寮と俺の下宿が近かったために、看護婦の卵であるその娘に近付くのは造作なかった。それを情熱と呼べるのなら、情熱のありったけを傾けて俺はその娘にひたすら自分を語った。自分を天才だと信じていること以外の俺のすべてを語った。娘はやがて俺が天才であることに気付くだろう。気付くまでが恋愛であり、娘がそれに気付き、俺の心の中の神に対する忠実で献身的な信者となる時、結婚という社会人として不可避な慣習を済ませれば、それで社会や女というものに対する煩わしい配慮も要らなくなるだろう。そしてそれからは俺という唯一の対象を見凝めていくことが生を極めることになるはずだと俺は思った。恋愛あるいは結婚ということを当時からそんなふうに捉えていたのは確かだが、その一方で、小説を読んだことによって恋愛という言葉に俺は乳と蜜の甘い香りを嗅いでしまっていたのだ。そして、目の前に実在する女の身体が俺を震撼させた。活字で綴られていたに過ぎなかった女というものが、体温の温かさ、弾力が男の身体とは全く違う肌の柔らかさ甘さとして、そして腋の微かな匂いや、長い髪の懐かしい湿りと芳香といったものを備えたひとつの存在として俺の目の前にあった。そしてさらには、舌と舌とが絡み合い、粘液が口を満たしていく不自然な快感や時間というものを忘れさせる奇妙な動物的行為の果てに突如として身体の芯を駈け抜ける刹那的な高揚感を求めての奇妙な、全く奇妙なとしか言いようのない行為が、やがて俺自身のものとなったのだった。 

 その娘を初めて俺の部屋に泊めた夜、俺はそれが恋愛という様式の必然的な生理と考えて娘を抱いた。型どおり(と、その時も俺は思った。)拒もうと抵抗した娘を、俺の下に組み敷いた時、恐らく俺は、これは冗談みたいなことなんだぜ、という驕慢と確信とに満ちた目で、その娘の濡れた黒い瞳を見下ろしていたことだろう。しかし、それから後の半ば人形遊びに近い行為の後で、ふっ、と俺は全身ががくがくと震えるような、何とも言えない驚きを感じてしまったものだ。

 ……そうか、俺は男に過ぎないのか。

 先程まで、気が狂ったように早く廻りだした時計の音のように俺を苛立たせた俺の心臓は、すでにいつもの拍動に戻っていた。小さな灯りだけの薄暗がりの中、泣き疲れて俺の傍らに裸の肩を見せてぐったりしている娘の、女の部分に指を分け入らせてその湿りを確かめながら、俺は、自分が男という生臭い獣に過ぎないという事実と対面してしまったのだった。 

 天才であることは人間であることと相容れないものと信じ込んでいたのに、今この娘を抱いたこの俺という存在は、男という人間の半数を占める醜い獣の群れの一頭に過ぎなかったのだ。……なんだ、と俺は思った。天才とは人間を越えた、性などを超越した人間以上のあるものと考えていたのに。俺の中には神が住んでいると信じていたのに。なんだ、天才とはそんなけちでつまらぬものか、と俺は悟った。 

 タオルケットの向こう側に投げ出された娘の左手に所々血が黒く固まり着いている。あの血だろうか、と書物で得た知識が頭に浮かぶとすぐに、その血が娘の小指の先から流れたらしいのが見えた。先刻壁でも掻きむしったのだろうか。小指の爪が剥がれかかっているらしかった。その指先が、ぼんやりした薄明りの中で異様に黒く腫れているのが俺をどうしようもなく不快にした。 

 その夜以来、俺はその娘に対する情熱のようなものを失った。以後の三年間は惰性と性欲だけがその娘との関係を続けさせたに過ぎなかった。うわべはどうあれ、俺は醒め切っていたと思う。
 

 それからの俺は、自分の天才を、例えば富裕であるとか、美しい顔立ちであるとか、いわゆる男らしいとか、そういうことと同様、個人にとってのひとつの属性に過ぎないものとして扱った。生きるというのは、こんなに易しいことなのかと俺は驚いた。天才そのものである自分を凡人たちの場において巧妙に演出するといった、かつての配慮はもはや不要だった。周りの男たちは皆、生まれてからずっと、こんなにも単純で安楽な生活を送ってきたのか、と俺は逆に羨んだりもしたものだ。 

 別れる理由がなかったというだけのことで、その娘とは大学院の卒業が迫った秋の終わりまで繋がりがあった。すでに看護婦として働いていた娘は、俺との結婚を信じていた。しかし俺は四年近い時間の中で、社会的には平凡な男の一人になっていった。昔の俺なら、結婚など、そして社会的な名声などというものさえどうでも良かったに違いない。すべて凡人の世界に対する仮面であってみれば、結婚の相手も、社会的な地位などもある意味でどうでもいいことだった。しかしあの頃、俺は教室に残るように主任教授に奨められていた。意識の上だけでなく、社会的にも凡人たちの上に立ち得る学者の地位が俺を牽き付けた。学者の道に進むとすれば安易な結婚は出来なかった。そして俺は、学者の道を選びその娘を捨てた。一週間後に、勤めを辞めて実家の金沢に帰るという手紙とともに、生々しいあの日の小指の爪が届けられても、もうその時の俺は何も感じられはしなかった。枯葉が街に舞っていたあの奇妙に人気の無かった秋の日から、すでにどれだけの時間が流れ去ったものだろうか。……

 

 やがて俺は翠川教授の娘婿となり、強大な学閥と天賦の稟性を最大限に利用して、やがては斯界の第一人者として、すべての後続の学徒から畏敬と羨望の念を以て見上げられるであろう。たとえそれらの目が俺の過去や、彼らに対する秘められた俺の侮慢を見通せぬ凡庸な目であっても、その凡人たちの目以外に自らを測る尺度の無い今の俺にしてみれば、そんな愚鈍な瞳の賞賛や、資質無き己れを憎む勤勉なだけの秀才たちの嫉妬にも、俺は慎ましく謙虚な学者としての余裕を見せて、虚ろな笑顔を向けてやるしかないそんな人生を歩んで行くのだろう。

 あの日、北へと向かう娘を追っていれば俺の人生は今少し明るいものとなっていたであろうか。あの娘のひたむきな優しさの中で、俺は人間としての自分、他の心を思い遣る豊かな心というようなものを今一度、いや、生まれた時に戻って、そうした人間らしい心を持ち得たのであろうか。そしてたとえ学閥の後見など無くとも、俺の稟質を以てすれば、あるいは学者としても家庭人としても成功し得たかもしれない。そして、あの痛々しい小さな爪を捨て切れずに今も残しているのはいったい何故なのであろう。……しかし、繰り言は言うまい。還らぬ過去を悔やんで現在を忘れる愚昧は俺にはふさわしくない。感傷など俺は捨て去ったはずだ。失った過去など忘れることだ。俺には俺の天性が見え、未来が見えている。今、俺は迷うことなくこの道を行けば良いのだ。未来こそがすべてであり、過去とは人生の秋に回顧して涙するものではあっても、決して再びそれを生き得る遊戯などではないのだから。…… 

       

 

 

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