『じゅん文学34号』同人評シリーズC(2002年12月)

 

 

 

山田海恵

『猫の母親』(33号)を読む

 

 

《非日常を遠望する才能》

 

 

 

 早朝に夫が見つけた猫の母子の轢死体の処理から話は始まっている。猫に思い入れのある「わたし」が死体処理のほとんどをするんだけど、夫の方は、「どうする?」とか「あと、何をすればいい?」とか、呑気な傍観者でしかないんだね。いや、自分のしたくないことを自分がしなければ誰がするのかわかっているのに手を出さないし、実際に妻がその自分の嫌なことをしているのに事実上は何も手伝わないんだから、いやはや、この夫もたいした奴だよ。更には、夕方になって帰宅してからは「かわいそうだったね、猫。……君もね」とか、「触わりたくなかっただろうと思って」とか、「猫のことを考えて……泣けてきましてね、こらえるのに必死でした」とか……。まったくもって能天気な感情失禁タイプのダメ男だね。あとで「かわいそうだったね」なんて言うくらいなら自分でやれよ。でなきゃ、「オレにはできない」とはっきり言えよ。まったく何で宙ぶらりん男が多いんだろう、日本という国は。(あ、これは世間話)

 もっとも、合評会ではおばさま同人の一部から、この「君もね」というセリフに夫のやさしさを読み取ったわ、なんて声が挙がる始末だからなぁ。「ちょろいよねぇ、日本の女って」と井坂に言われちゃうんだぜ、まったく。(おっと、これも世間話)

 とまあ、こうした俗な読み方をされてしまうところにこの作品の弱さがあるんだ。残念。南無阿弥陀仏も鹿保険も要らないし、猫についての雑談が長過ぎちゃったじゃない。だから誤読されるんだよ。正当な読み方をすればね、とにかくこの作品って秀作なんだぜ。技術的には無駄の多い冗漫な文章ではあるけれども、作者の視線の確かさからすれば良質な純文学と言い切ってもいいよ。惜しいなぁ。

 主人公の「わたし」が猫の死体を薄いビニール袋をはめた右手と素手の左手とで持ち上げると、「ねっとりと冷たい感触」が手に伝わってくるんだね。そして、「殺菌効果のある洗剤をつけて両手がすっかり隠れてしまうぐらいに泡立て」て洗うんだけど、朝食準備中に「突然、バナナに触れなく」なる。で、手を洗う。倍量の洗剤で。爪も切って。で、更に洗う、六回も。でも「自分の手が気になって」本も読めない。夕方には豆腐が触われない。洗剤をつけて五回も手を洗うんだけれど、それでも豆腐をつかめない。

 洗う回数でもないし、洗剤の量でもないんだよね。手の表面に付いたのは猫の血液と砂と埃と細菌に過ぎないけれど、手に染み込んじゃったのは「死」という非日常なんだ。いや、手どころか、手を入口として「死/非日常」は「わたし」の体の全域に色濃く染み渡っちゃったんだよね。

 どうすればバナナや豆腐をつかめる日常に戻って来れるのかな?

 それは誰にもわからないんだ、実は。ただ、日常に戻った時に戻ったことがわかるだけなんだよ。最後の数行にあるように、「雨の音を聞く。天井に当たる音、窓に吹き当たる音」……そうした音が日常と同じ響きを持って聞こえたら、日常に戻れたよ、っていうこと。あるいは、「窓の外では見たことのないビルの並びに見たことのないネオンサインの群れが寄り添って」いるのを見付けて、これって普段の町では見たことないなぁと感じられることで自分が日常世界に戻ったことを知るんだね。

 日常って堅固なようで脆いもの。だって、猫の母子の死体だけで、あっという間に崩れてしまうんだぜ。戻りたくても戻れない。いくらゴシゴシと手を洗ってもね。

 非日常の世界って、普段と同じ風景、同じ音、同じ空気のはずなのに、ぜんぜん違う。ちょうど、完璧に透明な部厚い大きなガラス板一枚を隔てて違う世界に来たようなもの。そうは言っても、「確かにこれってこっちの世界と繋がっている」っていう感覚もあるんだ。そう、透明なメビウスの帯の上にいるみたいにね。どこで捩じれたんだろう? どうしたら捩じれを戻せるのかな? そう考えるけど、常識では解決できないんだ。いくら手を洗っても戻れなかったようにね。

 あっちの世界からこっちの世界へ戻りたかったら、遠い遠い道をドライブして、長い長い午睡をして、その夢の中の母猫に「願い」を叶えてもらうしかないんだって。それが山田海恵の答え。ははは。完全解答だよ、これって。

 作品の最後に「還ってこられた」とあるでしょ。「帰る」でも「返る」でもなくて、「還る」。作者は「わたし」がこの半日あっちの世界に行って、そこから還って来たことをしっかりと把握しているね。日常の中に生きていながら、そこには非日常への落し穴がいたるところにあることを遠望できているんだ。これって才能だよ。作家の才能。暇潰しのためではない小説を書くには常識では感じられないある感覚が要るんだよ、きっと。若い時には誰もが持っているかというとそうでもないし、年齢が進めば身に付いてくるかというと更に違うようだね。

 非日常を遠望する才能があるね、山田海恵には。こういう新人が出てくるからブンガクはおもしろい。ぼくもブンガクを続けよう、っと。海恵くん、ありがとうね!

 

 

 

 

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