『じゅん文学』No21(1999.9月)

 

 

  

叩いてみよう

 

 

「わっ、た、た、大変です! 8号室の野水さんの心電図が出なくなりました!」

 受け持ち患者の診察にベッドサイドへ行っている研修医の田堀くんがナースコールの向こうで叫んでいる。

 まただ。あわて者の田堀くんのことだから心電計の電源コードを足で引っ掛けて抜いてしまったんだろう。先日は点滴台を倒して病棟中に響き渡るような悲鳴を出した粗忽者である。白衣を着て黙って座っていればともかく、ちょこまかと動き回っているところは、女医という知的で切れるイメージからは程遠い。今まで多くの研修医を指導して来たが、彼女は特筆ものだ。実に久しぶりに大いにあきれ果てました、といったところか。あの時だって、点滴のボトルが割れ散る音よりも彼女の一オクターブ上擦った悲鳴で寿命が数日間は縮んだ患者もいたのではないだろうか?

 ……心電図が? ああそうですか、まあまあ、それは大変ですね、田堀センセ。……ぼくは他の研修医の作った入院カルテをチェックしていたのだが、放っとく訳にも行かず、田堀くんに素っ気なく応答してやった。

「何だよ、コンセント繋がってんのか?」

「あ、先生、大変なんです。野水さんの心電図がフラットになっちゃって、野水さんに呼びかけても意識がないみたいなんです、たぶん」

 意識がない? これは冗談ではないようだ。それにしても、意識がない「みたい」とはどういうことなのか。「たぶん」だと? 医者かよ、おまえ、それでも。「みたい」はないだろう「みたい」は。「たぶん」とはどういうことなんだ、いったい! 意識レベルくらいちゃんと評価して報告しろよな、まったく。……言いたいことは山ほどあるが、ぐっと我慢して田堀くんの動向を探ることにする。

「フラットって、心停止して波が出てないって言うのか? 聴診はどうなんだ? 脈は? 脈も触れないのか? 頚動脈を触れてみろ。あ、気道は確保できてるんだろうな?」

 野水さんはかなりやっかいな不整脈が疑われていて、ペースメーカーの埋め込み手術が必要になりそうだという訳で昨日入院して来た六十代の患者だ。入院した日に不整脈の発作を起こして蘇生処置をすることも珍しくはないのだから、野水さんの心臓が止まっても驚くことではない。

 ぼくは傍にいたナースに除細動器と気管内挿管セットなどが組み込まれているカートを持ってくるように指示してから、指導していた研修医の松川くんを連れて野水さんの部屋へ向かうことにした。

 しかしその前にまず、おろおろと立ち竦んでいるらしい田堀くんに指示を出しておかなければならない。患者の家族が傍にいるかもしれないのだ。最悪の場合も想定して、最善を尽くしたという体裁を整えておかなければならない。医者も長くやっていると、こうした目配りができる俗人になってしまう。我ながら下品だなと思う瞬間だ。しかしそうした目配りの効かないトロイ奴には勤まらないのが臨床医という商売でもあるのだから仕方がないのである。

「田堀先生、心マッサージしながら待ってろ」

「は、はい」

 返事だけは可愛いドクター一年生だ。

「田堀先生、すぐ行くからな。酸素と……、それから輸液のスピードを上げて。あ、それから二、三回、思いっきり叩いて見るんだ。それで動き出すことがあるからな」

「はい、わかりました!」

 田堀くんに素早く指示を飛ばすと、ぼくは松川くんとナースステーションを飛び出した。

 

「先生、病棟を走ってもいいんですか? 以前に、どんなに急いでいても走るな、医者は冷静さが大事なんだっておっしゃいませんでしたか? それに、先生、危ないですよ、患者さんに当たったりしたら……」

「そう、じゃあ亀になって付いて来な。……俺は走るぞ。こんな時に走らなくていつ走るんだ! 心臓が止まってるんだぞ。わかってるのか、松川センセ」

 まったく、あーあ、今年の研修医はすべてハズレだ。

「ま、待ってください。じゃ、走っていいんですね? 勝手なことは一切するな、って言われたでしょ、先生」

「状況を考えろ、そのいい頭で」

「いやぁ、先生ほど良くないっすよ、ぼく」

 当たり前だ、そんなこと。おまえなんかと比べられたくない!……というセリフも胸に納めて、ぼくは病棟の東端にある野水さんの部屋へ急いだ。白衣を翻して疾走する二人の医者の姿に、廊下にいた患者や家族たちが何事だろう、と振り向くけれども今はそんなことに構ってはいられない。エマージェンシーなのだ、本物の。

 「思いっきり」と言っておいたが田堀くんに伝わっただろうか? 心停止になった場合に、前胸部、つまり心臓のあるあたりの胸を強く叩くだけで心臓が再び動き出すことが少なくない。そのことをテキストで知ってはいても実際を見るまではまったくイメージが湧かないものだ。ぼくも研修医時代に先輩がするのを目の当たりにして「あんな野蛮なことをしていいんだろうか? 肋骨が折れちゃうじゃないか」と思ったものだが、肋骨が折れるくらいに強く叩くのが正しいやり方なんだと言われ驚いたものだ。医学は経験の学問である。見て慣れて覚えて行くしかない。

 田堀くんに「肋骨が折れるくらいに」と言うのを忘れたことをぼくは悔やんでいた。心停止の処置は何より初期治療が大事なのだ。軽く叩いたくらいでは止まった心臓にとっては痛くも痒くもないだろう。

 田堀センセ、思いっきりやれ! 心臓がびっくりして動き出すくらいに!

 ……そう念じながら野水さんの部屋に飛び込んだ時、ぼくは見てはいけないものを見てしまったのだった。そう、見てはならない、こんな、こんな……醜態。

 部屋の中央には野水さんが静かに横たわっていた。そして、その横では白衣姿の田堀くんが血相を変えて心電計のモニターを叩いていたのだった。上を叩いたり、横から叩いてみたり………あわわわわ…………ぼくは一瞬、全身から血の気が引いてその場に崩れ落ちそうになった。それから辛うじて回復できたのは、野水さんの奥さんが蒼白な顔で立ち尽くしている姿が視野の隅に入ったからだった。

 それからのことは記憶にはない。だが結果としては、すっかり手と頭が覚えている手技とナースへの指示により、適切な蘇生術ができたようである。

 こうした話を公にできるのは、もちろん、野水さんが無事に生き返り、ペースメーカーの埋め込み術を受けて元気に退院して行ったからである。退院の日、野水さんと主治医である田堀センセが並んで記念写真を撮っていたが、二人揃ってピースポーズをしていたのには愕然とした。何も知らない野水さんはともかく、げに恐ろしきは研修医である。

 実はぼくも、テレビの調子が悪い時やプリンターに紙が詰まったりすると、思わず機械を叩いてしまう。そうだ、彼女が悪いのではない、無知がいけないのだ。機械音痴のぼくだって、テレビやプリンターを叩いてるじゃないか。うーん、無知を憎んで人を憎まず。無知ほど恐いものはなく、無知ほど「恐い物知らず」はないようである。

「肋骨が折れるくらいに」と言わなかったのは正解だったのかどうか? 肋骨の変わりに心電計モニターが壊されていただけかもしれないが、あるいはぼくの意図が伝わって、正しい処置をして心臓が動き出していたかもしれないのだ。

 医療というのはテレビやプリンターとはちょっと違うモノを扱う商売である。あれから三年、「医師の仕事も三年(石の上にも……のもじりである)」と言うが、そのことに今はもう気付いてくれているだろうか、田堀くんは? 毎年、新しい研修医が入ってくる度に田堀くんを基準にして教育を始めている自分に気付く。ぼくは研修医の指導担当として、教授にも研修医諸君にもとても受けがいいそうである。そう思えば、ありがたい経験をさせてもらったと感謝しようか、田堀センセ。

 

 

 

 

 

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