大 河

 

 

 流れゆく人々のおもかげのうちに、私は私の夏が静かに過ぎ去ったことを知った。人々はいつも、なぜかしら私の背後から[暗示]の鼓を高鳴らせて近づいて来ては、音もなく私を追い越して行ってしまうのだった。私は愛の終わりを自分に言いきかせ、新たな旅立ちを決意しようと努めた。しかし[愛]の記憶は私を過去に縛りつけ、人々の流れのなかにひとり私を取り残してしまうのだった。未来への展望もなく、現在をも忘れ、過去の追憶へと陥ってしまう私を追い越して行く非情の人々の群れ・・・・・ 。私は過去へ遡ることもならず、未来へ進み行く勇気もなく、呆然と現在に立ち尽くしては、人々の流れを眺めていたのだった。

 

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 夏の残照に、彼方の広大な川面が白く、あるいは銀色に輝き、人々を満載した矩形の方舟が流れのままにゆるやかな旅程を経過していった。どこからか葦笛の哀切な音の響きが聞こえ、一羽のトビが滄空を舞い、静寂の大気をかすかに顫わせて沼地の葦の原へと消えていった。

 私はかつて見た記憶のあるこの遠景を思い浮かべ、最も実存的だった太古の世界を思った。やがて私は太古の記憶の中のその方舟が[存在]と呼ばれ、あの大河が[時間]と名付けられていることを知った。

 悲しいまでの静寂の中、滄穹はますます高く、大河は清流を湛えて豊かに流れていた。それが世界のすべてであり、次第に私の心を浄化して行くものがその大河の流れであることに私が初めて気付いたのは、私自身を自らの方舟の中に再び見い出した時であった。

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 人々の絶え間ない奔流の中で、私は自らの意志によって生きることを思い出していった。人々のもたらした[暗示]とは、彼らの非情であり、私自身の[生]への回帰を促す声だったのだ。私は静かに歓喜の涙を流し、その清冽な涙で私の過去を清めた。避けるべくも無い群衆の非情と自己の孤立という情況こそが、真に自らをして自らの生を生かしめる根元的な力であることに私は初めて気付いたのだ。他者の非情を自らに対して隠蔽するための優しさなど無用であり、自己の孤独からの逃避としての恋愛は、その生を弱めるにすぎないことを知った。そして私は、この苛酷なまでの生の試練を避けることなく生きて行くことを決意したのだった。

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 私の中で太古の世界の大河が泰然と流れていた。そして郷愁にも似たやすらぎの中で、私は愛という名の美しい鳥や優しさという銘を持つ華奢な葦笛の音に彩られた非情の大河を、私だけの方舟に乗り、やはり私ひとりで下って行こうと誓ったのだった。それが私の精神の地平への旅立ちであり、一個の人間としての意識の覚醒であった。

 

 

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