『おだわら文藝』No5(1995.10月)

 

 

  

素 顔

 

 

「毎日たくさんオンナの裸見てるんでしょ。どう、私三十四にしてはいい方?」

「えっ?」

 手術前の宇佐見さんの診察をしていたぼくはどう答えていいのかわからなかった。「いい」とはどういうことなのか? 宇佐見さんの言う「おんな」は「女」ではなく、どこか猥褻な響きがあって「オンナ」と聞こえるのだ。診察中のぼくの視線や指先にどこかいやらしいものを感じ取ったとでも言うのだろうか?

 そもそも、病棟で主治医だと挨拶した時に「あ、研修医ね。あなた今年卒業したの?」と、言われたのには面食らった。患者からこういう対応をされたのは初めてだった。若い医者など何とも思っていない。

 エリート意識というのを日頃は自覚していないが、患者からこういう対応をされると、「あれっ、ぼくは病院の中で一番偉いはずじゃなかったのかな」と、医師のエリート性を無邪気に信じ込んでいた自分に気付かされる。こういう機会がないままに病院と家を往復するだけになると、「病院の中で」が知らぬうちに「世間で」になってしまって、医者は「この世で自分が一番偉い」という錯覚の中で生きるようになるわけだ。昔から「先生」と呼ばれる職種は馬鹿と相場が決まっているが、なるほどその通りだとぼくも思う。ちなみに、ある先輩が言っていたが医者の辞書には「自省」という文字はないそうである。

 ともあれ、ぼくは何と応えたものだろう。「いい方です」とも「普通でしょう」とも、ましてや「ちょっと落ちますね」とも言えはしない。この手の問いに正面から回答すること自体が、女の体を「そういう目」で見ている、ということにされてしまう。そう、この手の質問は聞き流すに限る。

 そもそも整形外科の患者はたいていはじいさん、ばあさんやそれに近いくたびれた中年であり、若いとなると体育会系の汗臭い学生だったりだから、患者をそういう目で見てしまうことなどきわめて稀だ。確かにそういう年齢層の女性患者については「そういう目」で見てしまう瞬間があることを認めるしかないのだが……。

 ま、とにかく、ぼくは宇佐見さんの質問には答えずに、診察した所見をドイツ語混じりの英語でカルテに記載し続けた。敵の出方を待とう、というわけである。

「テニス仲間の外科医からは若い体だって言われてるのよ。彼、確か、肺の外科をやってるって言ってたけどなぁ。こんないいとこじゃなくて、聞いたことない胡散臭い名前の大学出たはずだけど。高校の時から続いてんのよ。あ、こんなこと、関係ないか」

 なるほど、身内や友人に医者がいる患者で、馴々しくしゃべってくる人はいる。しかし、彼女は単に人間が軽いだけなのだ。濃い化粧がすっかり板についているが、こいついったい何者なんだ、とぼくはカルテの後ろの看護記録を覗いた。

(夫婦と小学三年の男の子の三人家族か。おっ、なんだ、こいつの旦那、三十五なのに会社役員で市会議員だと。保守系だな、これって。どうせ二世議員ってやつだろう)

 こういう背景で暮らしているこういう女である。なるほど、とぼくは納得した。

 手術の数日前の説明にも亭主は多忙ということで来院せず、本人だけが話を聞いた。肩というのは脂肪腫のよくできるところで、たぶん良性の脂肪腫だろうけれど悪性の脂肪肉腫の可能性もある。また、肩を動かす筋肉や神経を触るので障害が残らないと断言はできない、というのが執刀医である寺山先生から彼女にされた説明だった。

 その時も彼女は足を組んで座ったまま、指輪やマニキュアの塗られた爪をさかんにいじっていた。そして肩関節周辺の解剖図を示しながら説明している寺山先生のほうに時々視線を遊ばせる。化粧のギラギラした女性によく見られる図太さで、医師の説明も「ああ、そう」というなげやりな感じで聞き流しているとしかぼくには見えなかった。色っぽい美人なのは認めるが、困ったオバサンだな、というのがその時までのぼくの感想だった。

 

 宇佐見さんの手術の日は、朝から気持ちのいい青空だった。格好の手術日和である。

(いいゲームができるぞ。)

 学生でなくなってもう半年になるのに、今でも手術日の朝の天気がいいとそう思ってしまう。手術日はいつもそうだが、手術前の処置や検査などでナースや研修医が忙しく行き交い、病棟内には緊張した空気がある。学生時代にやっていたボートの試合前の緊張と同じ。そして、手術はぼくにとって、完全にスポーツ感覚のゲームだ。

 医局で今日の予定を確認してからエレベーターの前に行くと、手術室に向かうストレッチャーと一緒になった。

 あっ、と思った。その上には、ぼくが今まで見たこともない美しい女性が静かに横たわっていたのだ。

 美しい人だった。それは、馬鹿な例えだが、眠っている白雪姫に出会った小人たちのような驚きだった。

 ……化粧を落とした素顔の宇佐見さんだった。普段の化粧はこの美しさを隠すためだったのかと思えるほどに、その肌はすがすがしく澄みきっていて、整った顔立ちからは成熟した女性の豊かさが匂い立つようだった。

 ぼくはあがってしまって、少しどもり気味だったかもしれない。

「昨日は眠れました? だいじょうぶ、何も心配はいりませんからね。……ぼくが付いてます」

 手術前の慣用句的なその台詞も、今朝は心がこもっているのが自分でもわかる。それに「ぼくが付いてます」は余分だ。所詮はぼくもオトコである。少し年上の控え目な美人、というのにはとにかく弱い。

「先生、……大丈夫かしら? 癌なんて……。手が動かなくなるなんて、……わたしもう……生きて……いけない」

 鎮静剤の注射で、すでにとろんとした表情の素顔の宇佐見さんはすっかり弱気になっていて、それが男の純情をくすぐってくる。もしもこれで彼女の目が潤んで来たりなどしたら、ぼくは思わず肩を抱いて「大丈夫、しっかりするんだ」とか何とか、「テレビの見過ぎ」的な台詞を口走っていたに違いない。

 濃い化粧が似合っていたことや医者擦れした態度、そして市議会の保守系二世議員の妻ということなどから、手術前には偏見を持って彼女を見てしまっていたことをぼくは恥じた。人間をその表面でしか見ていなかった。彼女は思ったことを、その都度、思ったとおり口にしただけなのだ。化粧や服装などといった外見で人を見てはいけない。化粧の下の素顔の彼女は素直な人なのだ。そう、うわべで見てはいけない。やはり、その人の素顔で見なくては! 

 

 手術は無事に終わり、術中の病理診断でも良性ということだった。無論、後遺症など残るはずもない狭い範囲での処置で摘出手術は終わった。

 その日の夕方、他の手術の助手などの仕事を終えて、ぼくは宇佐見さんの病室に術後の回診に向かっていた。

 もう麻酔もすっかり醒めているだろう。万事うまく行ったことを早く彼女に伝えて喜ばせてあげようと思った。手術結果を待ちわびている宇佐見さんの心配そうな白い顔が頭に浮かんだ。美しい素顔だった。その顔が喜びに変わり、うっすらと目に涙を浮かべながら「先生、ありがとう」と言う唇の動きまでが見える気がした。

 惚れちゃったな、患者で人妻だというのに。困ったな、と不倫をする度胸など微塵も持ち合わせていないぼくは力なく苦笑するしかなかった。

 宇佐見さんの病室の前にきた時、中から元気なこどもの声が聞こえた。小学生のひとり息子が来ているようだ。美しい人妻は優しい母親でもあるのだった。……困ったなあ、惚れちゃったな、とぼくはもう一度、大きくため息を付いた。

 病室に入ると男の大きな背中が見えた。宇佐見さんの亭主らしかった。たばこの煙が見える。個室とはいえ病室の中で、しかも手術が終わったばかりの病人のいる部屋で、何という奴だ、市会議員か何か知らないが、……とぼくがきつく注意しようと思った時、彼の肩越しにベッドに横たわる宇佐見さんがちらっと見えた。素顔の白い横顔だった。手術が済んでほっとした静かな美しい目をしていた。……と、その時、その口から白い煙が吹き出された。それから口に持っていかれた彼女の白く細い指先にタバコが見えた。そしてその吸い口に、鮮やかなルージュの口紅がついているのも。

「あ、先生。さっき、寺山先生が寄ってくれて、大丈夫だったって。……あの先生、手術の前にあんなにおどかすんだもの。もう、損しちゃったわ、心配して」

 こちらを向いた宇佐見さんは口紅だけの化粧をしていて、そう言うといかにも旨そうにもう一度タバコを吸って、ゆっくり煙を吹き出した。術後当分はタバコは駄目と説明してあったはずなのだが。

 化粧という仮面を剥いでいる素顔の彼女にはタバコなど全然似合わないはずだったが、今の彼女の話ぶりや表情にはタバコの投げ遣りな感じが似合っていた。横の椅子に座ったこどもは背中を丸めた姿勢でゲームボーイに夢中になっている。ベッドの足元に腰を掛けている二世議員の亭主は「あ、どうも」と若い医者に目礼したきり、息子のゲームを冷やかしている。

 確かにこの三人は似合いの家族だった。同じ場所を占めていて互いに違和感がないのだ。

……そうか、これが現実か、とぼくは悟った。まだまだ人生からは学ぶべきものが多いのだとぼくは思った。

 それからというもの、厚化粧も信用しないが素顔も信用してはいけない、というのがぼくの処世訓に加わったのだった。

 

 

 

 

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