『じゅん文学』No15(1998.3月)

 

 

   

 

清 拭

 

 

 看護士という仕事を選んだのは、目の前の状態を詳しく見て、気付いたこまごましたことを処理していくのが看護の仕事だと思ったからです。本当は医師になりたかった、なんていう後輩がいるけれど、それって違うと思いますね。医師の仕事はざっくりと大きな方向付けをする大雑把な仕事だと思う。ある意味では、目の前のことはナースに任せておいて、先の方向付けをする仕事。手術するかどうかを判断したり、点滴などの薬の内容を決めたり、確かに治療は医師の判断と技術で決まる部分がほとんどだけれど、それってやっぱり大雑把なんです。看護の仕事は細かく細かく気の付く人じゃなきゃだめ。適性が違うんですよ。ぼくは最初から医師になろうなんて思わなかった。負け惜しみじゃないんです。ぼく、結構、成績も良かったですしね。建築設計の仕事もいいと思ったし、母のやっている美容師もいいなと思ったけれど、やっぱり毎日毎日に変化があって緊張の連続っていう医療の仕事に牽かれたんだと思います。それと、何といっても決め手になったのは、まわりが女ばかりだということ。女の中にいるのが一番自然なんですよ、ぼくには。

 女になりたいわけではないけれど、ぼくは自分のことを男よりは女だなあって思ってきたんです。兄は体格が良くてスポーツもできて、いわゆる男の中の男だけれど、ぼくは痩せていて、小さい頃はいつも母の側にばかりまとわり付いていたらしいんです。遊ぶのも野球や川釣りよりはカード遊びや編物とか人形の髪型をいじったりする方が楽しかった。女らしいことが好きというより静かなことが好きだったということだろうし、母がやっている美容院で遊んでいたことが多かったからだろうと思います。

 看護士を選んだのは正解でした。救急部と手術部の掛け持ちで、体には結構きついんですけれどね。痩せてひょろりとしているけれど、今はまだ二十八だし体力あるんですよ、こう見えても。それに意地もあるし。何だっていっしょじゃないのかな、意地がなきゃものにはならないでしょ、仕事は。仕事ができない奴なんて最低ですよ。やると決めたことは意地になって、歯を食いしばってもやらなきゃだめですよね。ぼく、あいつは仕事ができる、と人に言わせるだけの自信もあるし、看護士という仕事にプライドも持っています。意地になってやっていますからね。

 

 最初に咲田あかりさんが入院してきたのは二月の終わりで、およそ半年前の深夜でした。酔った仲間のけんかに仲裁に割って入って、どちらかの男の肘がまともに右の目に当たってしまったそうですね。眼窩底骨折、上顎骨折っていうんですが、このままだと右の眼球が思うように動かないから物が二重にダブって見えるし、食べるのに顎を動かす度に痛くてしようがないから、手術で治すしかないんです。

 女性患者さんの時は下腹部の剃毛などの都合があるから麻酔が導入されて意識がなくなるまでは女のナースが付くんだけれど、咲田さんの場合は顔面の手術だから腹部の処置がいらないということで、最初からぼくがずっと付いていました。手術の前日、右のもみあげ部分だけ術野に入るから剃毛させて、と了解を取って準備をしていました。 

「南さん、看護婦さん……なんですね。私の目、どうなるんでしょう? はっきり見えるようになるんでしょうか? こんな怪我って珍しいんですか?」

 胸に付けたネームプレートに「看護部 南薫」ってありますからね。ぼくの名前を知った咲田さんが訊ねてきたんです。そう、かおるっていう名前だったことも、自分を女に近いものと思うようになった遠い理由の一つかもしれませんね。子供の頃は、この名前のせいで女だとからかわれたことも少なからずありましたからね。……あ、思い付きでいろいろしゃべってしまってすみません。

 物が二重に見える咲田さんにすれば、一番に心配なのは以前のように見えるようになるかどうかですよね。けんかの仲裁に入るだけあって、しっかり者らしいんだけれど、さすがに気持ちが沈んでいるようで先生たちに質問する元気もなかったみたいです。医師ってのは質問されると邪魔くさいものだから、患者さんの前ではわざと質問しにくいような気難しい雰囲気を作っちゃう人も多いんです。飲み会になると下品な酔っ払い方をするドクターも多くてがっかりしますけれどね。

 咲田さんは右目がちょっと陥没して見えるものの、目のまわりはわずかに赤いくらいでまだ出血斑がはっきり出ていなくてね、とてもきれいな人だなあと思いましたよ。目のまわりの骨折の場合、次の日くらいから紫色の出血斑が出て、たぬきみたいになっちゃうんです、普通。

「ぼくは医師じゃないから責任のあることは言えないんだけど、時々ありますよ、目のまわりの壁を骨折して入院して来る人は。ほとんど元通りの目になって退院されますよ。しばらくはタヌキになっちゃうんだけれどね」

「えっ?」

「皮膚の下の出血のために目のまわりが茶色や紫色になるんですよ、最初。それが薄くなっていって黄色になって、それが消えていく頃には退院ですよ。首から下は何ともないから、タヌキのままで退院してもいいんだけれどね。ははは」

 ぼくにつられて、咲田さんも笑ってくれました。ちょっと元気になってくれたかな?

「それとね、どうでもいいことだけれど………」

「はい」と、咲田さんは重要なことを聞くように再び真面目な顔になりました。

「ぼくはね、看護婦じゃなくて、看護士。か、ん、ご、し、覚えといてくれる?」

「はぁ? あ、ごめんなさい。あははは」

「もう、だいじょうぶ。笑うタヌキに福来たる、ってね。あははは」

 これがぼくと咲田さんの出会いでした。手術も術後の経過もうまく行って、その時は二週間で退院になったんです。入院中からよく会っていました。もちろん、患者と看護士ということでですよ。気が合うというのか、すっと入れたんです、お互いに。寝込むような病気じゃないものだから、手術が終わった次の日から彼女は暇を持て余していたんでしょうね、救急部と手術室の通り道にあるサンルームになった面会室で本を読んでいることが多かったんです。ぼくの方から声を掛けたり、ぼくを見かけると彼女が声を掛けてくれたりしたんです。目のまわりがタヌキになるってお話したでしょう? タヌキの目が紫から濃い黄色へと変わっていくのを二人で笑いながら確認するのが日課になっていたようなものでした。

 その時の雑談から彼女が陶器を作る仕事をやっていることは知っていましたが、退院の時に咲田さんは手術室の前まで来てくれて、ぼくに一輪挿しの花器をくれたんです。『妖炎』という銘の箱書きのある、文字通り炎の起こっている太い炭がすっと立っているような意匠でした。二ヵ月前に自分で焼いたもので、とても気に入っているからと咲田さんはにっこりして渡してくれました。それでぼくは、家宝にしますよ、って言ってもらったんです。もちろん、今もぼくの机の上に飾ってあるはずです。実用品の安物ばかりの部屋の中で、その花器だけはまわりに、特有の、風雅っていうんでしょうか、いや情念の塊っていった方がいいですね。そうした圧倒的な存在感があるんです。芸術ってのはすごいなあ、いいなあって思いましたよ。咲田さんに教えられて、蛍光灯ではなくて白熱電球の小さな灯りを買ってきたんですが、夜にその温かい光の中に置くとその一輪挿しは『妖炎』そのものなんですよ。美しいものは、それがそこに存在しているだけで人に感動を与えられるんですね。きれいな人、きれいな物、……きれいだということは本当にすごいなあって思います。

 で、退院のその時、右目のまわりはまだ少しだけ黄色味がかってはいたけれど、どちらを見てもはっきりと一つに見えるようになったし、大きな口を開けても痛くないのよ、と咲田さんは大きな口を開けて笑って見せてくれました。さっぱりしていて明るい人だと思いました。好きだなあこういう人、って思いましたよ。もちろん、男も女もないんです、ぼくが人を好きになるっていうのは。いい人はいいね、っていう川端康成の『伊豆の踊子』のセリフみたいなものです。花器の箱には名刺が添えられていて、宇治の近くの陶芸工房で働いていることがわかりました。

 工房を見に来てと誘われていたんです。JR奈良線に乗って黄檗駅の近くにある咲田さんのアトリエへ行ったのは桜が散った頃ですから四月半ばだったと覚えています。彼女は朱色の小型ランドクルーザーで黄檗駅に迎えに来てくれたんだけれど、黒い革のジャケットに黒っぽいスリムパンツで、濃い目のサングラスをしていたんです。わからなかったですよ、最初。スリムな体型だし、髪もすっきりしたショートのストレートで、少年っぽいんです。サングラスを取ってぼくの方にニコッてしてくれた時に、きれいな人だなあって改めて思いましたよ。体型もきれいだし、身のこなしも、表情も、性格も。

 ぼく、きれいな人、きれいな物、きれいな事、………とにかくきれいなのが好きなんです。患者さんのゲロを処理したり、便や尿の始末をしたりもするし、事故で無茶苦茶になったような血まみれの体の処置もしますけれどね、それってきれいにすることなんです。きれいになっていくのがわかるでしょう。頭を使って、体を動かして、心を配っていくと、だんだんだんだん、きれいにきれいになっていくんです。それがいいんですよ。だから看護をするということは、ぼくにとっては、やはり、きれいになるための事をして、きれいな足やきれいな顔、きれいな目を取り戻すということで、元のきれいな人、きれいな表情に返してあげることなんですよね。やりがいあるし、楽しいですよ。

 車が着いて、咲田さんのアトリエに入って驚きました。咲田さんは陶芸工房で働いている人じゃなくて、陶芸工房のボスだったんです。美大の時に何かのコンクールで特選を取ってデビューしたそうなんだけれど、七年前から自分のアトリエを持っていたんですね。すごいですね、って言ったんですが、どうってことないそうなんです、そのコンクールの特選なんて。とにかく、謙遜したりするような人じゃないので、ぼくも話すのが楽でしたね。話に裏も表もないんですから。

「コンクールの審査員は府のお役人だったり、お茶の先生だったり、陶芸と関係のない人も多いから、責任のある評価はしないのよ。こういうの素人受けしそうだなあって思ったから出してみたら、思ったとおりだった。父も祖父も、あんなのが特選とはな、って顔してたわ。私も副賞のマイセン旅行が魅力だっただけだから」

 彼女の家は七代前からの陶芸家の家系なんだそうです。この辺では別に珍しいことじゃないらしいんですがね。その後もいくつか賞を取っていて、けっこう有名人らしいんです、陶芸の世界では。咲田さんはけろりとした顔で、女だから目立つのよ、って言っていましたがね。

 アトリエでは、若い二人の助手がろくろに向かっていました。若いといえば、咲田さんだってまだ三十五歳になったばかりだったんですね。

「助手の人に形を作ってもらって、絵付けをするのが咲田さんの仕事?」

 あぐらを組んでろくろに向かう彼らの姿勢はちょっと猫背で、古い職人の世界のような印象があったのです。それが彼女には似合わないように感じたものですから、ぼくはろくろを回している二人には聞こえないように、そっと彼女に訊ねました。

「そんなことしないわよ。彼らには彼らの仕事をしてもらってるの。私は私の仕事を、通してするのよ。お偉い先生たちは絵付けの仕上げだけをちょこっとやって、自分のハンコを押して、はい誰々作の清水焼でございってなことをやってるみたいだけどね」

 咲田さんは学校の教室ほどの広さの部屋の半分に図書館の書架のように数列並んでいる棚に置かれている素焼き前後の茶碗や水差し、花器、菓子皿などに目を通しながら、ぼくの腕を取って案内してくれました。腕を取ってくれるのは、壊れ物の並ぶ狭い隙間を通るので体の向きを変えたりしないで、ということなのでしょう。奥の方には、そうした日用品ではないとひと目でわかるような大きな作品がいくつも並んでいました。陶器というよりはオブジェと呼んだ方がいいのでしょう。

 ろくろはモーターが動かしているんだけれど、その前にあぐらを組んで座ってやるのは変わらないんですね。腰痛めそうだなあって、ぼくはまず思ってしまったんだけれど、上肢のポジションを固定するのにはあぐらがいいんでしょうね。伝統的なことにはそれなりの理由があることがほとんどですからね。咲田さんもそれでスカートをはかないんですねって言ったら、陶芸は男の世界なの、って言って笑っていました。

 ……あ、脇道ばかり話してしまってすみません。いいんですか、これで? 好きなように話してくれていいということでしたよね?

「そうゆうたら先生のスカート姿、見たことないなあ。なあ?」

 ろくろを回していた二人が、二人とも咲田さんを振り返って、にこっとしました。

「先生、これおもしろいやろ?」

「おもしろいねぇ。だけど、底の尖ってる所、だいじょうぶかなあ? あぶりまではいいけど、本焼きで歪まない?」

「ええ、ぼくもそう思うし、いくつか作って自然に任してみます。ひとつくらいは行けるんとちゃうかなあ」

 乾燥、素焼き、本焼きと進むごとに縮小していって、最後には二割近くも小さくなるんですね。土にもいろいろあるし、形も自由だし、釉薬でもがらっと異なる味になるし、なるほどこれも仕事としておもしろそうだな、とぼくも思いました。

 水差しを作っていた彼には見覚えがありました。咲田さんを見舞いに来ていた時も長い髪を後ろで括っていたので覚えていたんです。彼の方も、看護士さんだったよね、と人なつっこい顔を向けてくれました。何かの新人賞を狙っていると言うんです。コンクールで目立たないと、一生、陶芸家にはなれない。職人で終わってしまう、って言うんですね。

「職人で終わっちゃうの、いや? ぼくは一生、一看護士で終わるつもりだけれど」

「男は一本にならな、あかん。職業訓練校出て、最初に入った窯元は問屋物ばかり。料亭用とか贈答用に同じ物ばかり数百作るだけなんや。注文の少ない時期は自分の作品を作ってもいい約束やったけど、そんな暇ないんやもんなあ。ベルトコンベアのロボットといっしょやから辞めてしもたんや。おれ、根気ないみたいやな、あはは」

「そんなことないよ。好きなことなら一晩中やってるじゃない。………うちだって、百、二百の注文をやってもらうことあるじゃない。数物の注文が少ないから自由時間があるだけよ」

 そう言うと、咲田さんはもう一人の若い人の横の棚に並んだ銘々皿を一つ一つ点検していました。問屋や父親から分けてもらった注文を受けて、数物をこなしていかないと経済的に成り立たないんですね。

「芸術だけやって食べていける人なんて陶芸では数人しかいないんじゃないかな。芸術陶器の店用に少ない数物を焼いたり、カルチャーで陶芸教室やったり。七宝焼を副業にしている人もいるのよ。私なんかね、土曜日に児童画教室やってるの。これは実益と趣味を兼ねてるんだけどね。子供ってパワーがあるし、すごいヒントをくれることがあるからね」

 美大では陶芸科ではなく油絵をやったんだそうです。陶芸は家に帰れば嫌でもさせられるんだから、と笑っていました。納品期限に間に合わせるために家族総出で徹夜でろくろを回したこともある、とか。

「児童画か、咲田さん、子供が好きなんだ? 咲田さんには子供はいないんですか?」

「………」

 ぼくが何気なく、そう聞いた時、咲田さんはびくんとしたようでした。独身なのは知っていたけれど、芸術家だし、離婚歴があったり結婚なんかせずに子供を産んでいてもおかしくないなと思ったんです。ぼくのまわりって、結構多いんですよ、離婚したり別居中だったりとか、同棲中とか。

「結婚はわずらわしいけど、子供だけ欲しいっていう人、結構いますよ。皮膚科の女医さんで、一人知ってますよ、本当に独身で子供産んだ人。……経済力があれば、できるんだよね」

 ぼくはちょっとしゃべり過ぎたのかもしれません。その時は咲田さんの過去をまったく知らなかったわけですしね。陶芸の世界は古風なところがあるみたいなんですね。タブーの話題だったのか、若い二人は黙々とろくろに向かったままだし、咲田さんは棚を見渡したりしているしね。ちょっと嫌な沈黙ができてしまったんです。

 咲田さんが、夏の間だけ工房に遊びに来ていた美大の学生と付き合っていて、数年前、人工流産手術まで受けることになった話、この間、聞きました。先週、ぼくの母といっしょに咲田さんのお母さんがぼくに面会に来てくれたんです。ぼくのために嘆願書を書いてくれたそうですね。咲田さんの死因は溺死であって、誠実に看護してもらえたことに感謝こそすれ、ぼくには何の恨みもないのだ、と。その気持ちはありがたいんですけれど、ぼくは自分で自分のしたことがわからないので、どう応えていいのかわかりませんでした、正直なところ。自分のやったことが正しいのか間違ったことなのか、ぼくにはわかりません。すべて自分以外の人に決めてもらおうと決めたんです。それに、自分という人間が普通なのか、やはりおかしいのか自分にはわからないじゃないですか。ぼくは自分を自分で支えるために、仕事という外向けの面は完全にこなしてきたつもりです。外から見える自分をこういう風に、とぼく自身を律してきたようにも思うのです。でも、ぼくには自分の内側の本当のところはわかりません。だけど、誰だってそうじゃないんですか?

 その時、母とは他にもいろんな話をしたけれど、きれいな顔をしていてくれたのでうれしかったですよ。今回のことで暗い顔になっていないかと心配していましたからね。母は好きです。子供の時から、日曜参観日は自慢でした。クラスの誰の母親よりもきれいな母でしたからね。咲田さんのお母さんはあまりしゃべらなくて、ぼくと母が楽しそうに話しているのを穏やかな笑顔のまま横で聞いていました。ぼくのことを恨んだりはしていないって、それだけを言いたくて来てくれたそうです。

 咲田さんのことだけれど、人の過去って、やっぱりうわべだけじゃわからないですよね。あの人も人を殺したことがあったんですね。人工流産って、そういうことじゃないですか。分娩の介助に付くこともあるし、子宮外妊娠の緊急手術に入ることもあるけど、胎児って人ですよ、どんなに小さくたってね。表情があるんですから。人に殺させるって、むしろ罪が深いなあ。咲田さんのお母さんからその話を聞いた時は、ちょっと嫌でした、正直言って。だけど、彼女にもそういうつらさがずっとあったんですね。ここ数年、ずっと精神安定剤をもらっていたそうですからね。遊泳中の事故ということで、心臓の病気でもあったんじゃないかと警察の人が病歴を調べに来られたので、正直にお話しました、とお母さんは言っておられました。精神科医にかかるほどじゃなかったんでしょうけど、近くの開業医からは軽い躁鬱傾向と説明されて精神安定剤を出されていたそうです。それを聞いて、ああ、そういうことか、って気付くことがないではなかったんです。会っていきなりぼくに抱きついてきて、今日こんなことがあったって話しだして止まらないことが一度だけあったんです。しかもその時、前歯の前面に口紅が結構はっきりと移っていたんで、あれっ、咲田さんらしくないなあ、と思ったのを覚えています。いつもは完璧でしたからね。頭の先から足元まで、さすが芸術家は目が届いているなあと感心していたんですから。そうですね、その時以外は普通でしたよ。欝状態は、ぼくは見ていません。暗い顔の咲田さんなんてぼくには想像つかないなあ。

 あ、もちろん、溺れたことと精神安定剤を飲んでいたこととは関係ないんです。昔は知りませんけど、安定剤や睡眠剤で自殺できないのは医療関係者なら常識ですからね。咲田さんの胃の洗浄もしているけれど、何もそうしたものは入っていませんでした。だから自殺なんかじゃないと思います。そんなヤワな人じゃないです、あの人。でも、どうして溺れてしまったんでしょうね? ぼくもそれは不思議に思うんですよ。やはり過労からくる心不全だったのかなあ?

 疲れているとは言っていましたけれどね、たしかに。でも、それは誰にもあることでしょう? ホテルのロビーの壁面に陶板画を依頼されているけれどもアイデアが浮かばないとか、大きい電気窯を入れるための資金準備のこととか、若い人がなかなか伸びない心配とか、陶芸関係の偉い人たちとのお付き合いとか……そういうのって、仕事を持っている人なら誰だってありますよね。彼女も深刻な悩みという言い方じゃなかったですからね、もちろん。創作も経営も人との付き合いも一人で全部こなしていたようですから、肉体的にはずいぶん無理をしていたのかなあ? その上、眠る時間を削ってまでぼくと遊びに出たりもしていたし……。

 話を元に戻しましょう。アトリエの二階には社長室、と扉に張ってありました。

「そうか、咲田さん、社長さんなんだ。へえー、って感じ。」

「親の会社の支店みたいなものなのよ。つまり、何とかの七光ね。……これね、絵付けに使う筆なんだけど、イタチの毛。……タヌキじゃなくて」

 絵付け用の細い筆をぼくに見せてくれると、咲田さんはそう言って、ふふっと笑いました。入院中の自分の顔を思い出したんですね。

「すごいタヌキだったもんなあ。こんないい女に化けるとは思わなかった」

「南君こそ、白衣を脱いでもいい男のまんま。白衣脱ぐと普通のおじさんになるのが多いでしょ、お医者さんって。お客さんで何人か知っているけど。……看護士さんって、まだそんなにいないんでしょ?」

「うん、ぼくだけ、うちの病院では。看護学校でも三百人近くいて男はぼくだけだった」

「すごいね」

「何が?」

 たくさんの女の中で男一人でやってきたことを、すごい、という言われ方をされることには実は慣れているんだけれど、たいていはちょっとからかうような響きがあるじゃないですか。咲田さんにはそんな所がなくて、本当に感心してくれているのがわかるから気分よかったなあ。

「実はぼくも、すごいな、って自分のこと思うことありますよ。すっごく良くできる子がいて一番にはなれなかったけれど、ぼく、二番で看護学校を卒業したんです。ペーパーテストだけじゃなくて、実技中心の評価だからね。自信持ってやっていくと、とにかくおもしろいんですよ。看護士の仕事、ぼくの天職みたい」

「いいわねえ、若い人は。ちょっと疲れ気味のおばさんには羨ましいわ」

「疲れてるの? さっき、ぼく、変なこと言った?」

 子供はいないのか、と聞いたことにぼくは引っ掛かっていました。確かに、不躾な質問でした。打ち解けてもらっているからいいかな、とぼくは軽く考えたのですが。

「下にいた二人の子ね、私からすれば一回りも下だから、子って言っちゃうけど、酔っ払った時のあの子たちのけんかを止めに入ってこないだの怪我しちゃったのよ。私はそんな気ないんだけど、三角関係なんだって。気を使うわよ、人を使うってのは」

「彼らが勝手に咲田さんの取り合いしてるわけ? ふーん、もてるってのもつらいね」

「この間のことは酒の勢いなのよ。若い子にはあるじゃない、年上の女が良く見える時期が。知ってしまうと、何だこんなおばさん、なんて、さっさと若い女を追っ掛けて行ってしまうくせにね」

「ははは、咲田さん、経験あるんだ。振られたのかあ、若い子に」

 何も知らないぼくは無邪気なことを言ってしまったんですが、咲田さんはあっさりかわしてくれました。数年前のことだからそれなりに整理が付いていたんでしょうけれどね。「悪い? どうせ私はおばさんですからね。南君も私のことおばさんだと思って、全然、気にしてないでしょ」

「そんなことないですよ。ぼくには男も女もないんだ。いい人だなあ、きれいな人だなあって思っていますよ、入院してきた最初から」

「男も女もない? ……ふーん、そうなんだ。私を女としては見てくれないんだ」

 咲田さんはぼくのこと、男として見てたんですね。男らしくない人なのに、ぼく。

「ぼくね、同僚が女ばっかりでしょ、女の人といっしょなのが普通で、全然意識しないんですよ。もっとも、そういう人だったから看護士っていう仕事を選んだんだけどね」

「ふーん」

 咲田さんは考え込んだ風に、じっとテーブルの上の灰皿を見詰めていました。咲田さんの作品です。青磁みたいな上品な器でした。先程、問屋さんから「ころんとした三寸のものを二百個」というような注文を受けるのだと聞いていましたが、目の前の青磁のような灰皿はさしずめ「すがすがしくて伸びやかな器をひとつ」といったところだな、とぼくは思ったものです。落着きもあって、優美で、咲田さんみたいだね、って口に出そうかと思ったけれども、止めました。そういうのって、口説く時に使うんですよね、きっと。

 その日、帰りにぼくのアパートまで送ってくれる途中で、咲田さんが焼いた器を使ってくれている店で夕食をおごってもらいました。女将さんと高校まで同級生だったんだそうです。咲田さん、アトリエを出る前にちょっと待ってと姿を隠したと思ったら、朱塗りの髪飾りに紫とグレーのインド更紗のワンピースで出てくるんだもん、びっくりしましたよ。細身の体の線がくっきりと出ていて、それに化粧も違ってたし、本当にきれいだった。女の人ってがらりと変わるものなあ。気持ちを替えたい時、髪型や化粧や服を替えるんだって。ぼくやっぱり女の人好きだなあ。女の体も、女の仕草も、女の気持ちも、すごくきれいじゃないですか?

 それから月に二、三回は会っていました。ドライブに行かない? とか、シャガール展のチケットが手に入ったから、と誘ってくれるんです。看護士になってからというもの、ぼくは無趣味で、仕事が趣味っていう人でしたから、郊外の景色や画廊や美術館、喫茶店、どれも刺激的で楽しかったですね。琵琶湖と京都の街を隔てている東山をドライブしていた時なんか、ちょっと土を見てくる、って道の側の切り立った所の土を指で捏ねたり何気なく口に含んでみたりして、これ持って帰るから手伝って、とかね。アルカリ分の具合を見たりするんだそうですね、舐めてみるのは。陶芸のことはもちろんだけれど、構図とか配色とかの絵の見方や、シャガールやクリムト、北斎とかのいろんな画家の生き方、死に方について、……本当に、いろんなことを教えてもらいましたよ。

 夏に入った頃だったんですが、朝の十時に会ったことがありました。日本海を見に行こうという話になって朱色のランドクルーザーでドライブに出たんです。深夜勤務明けで、ぼく、居眠りしていたんですね。目が覚めると、モーテルの駐車場でした。すこし休んでいきましょう、って咲田さんが言うんです。ぼくは特別な気持ちもなく、ラブホテルに入るアベックを演じるつもりでおどけたりしたんですよ。聞いたことはあったけれど、入ったことなんてなかったですからね。照れもあったんです、そういう所に入ることに。

「ご休憩、三時間か。三時間で何ができるっていうんだろうね」

「昼間割引だって、得したわね」

 二人でいろいろふざけながら、咲田さんが先になって部屋に入りました。壁も天井も鏡だらけの部屋でした。きょろきょろするのも恥ずかしい気がして、ぼくは臙脂色のベッドカバーの上にすぐに横になって、隣に咲田さんが座りました。眠気って波があるでしょう。ぼくは先程の眠かったのがすっかりなくなっていて、体を横にしているだけで疲れが取れて気持ちいいなあって思っていたんです。ぼくらの勤務ってのは、ほとんど立ったままで動きづめですからね。

 すると横で、咲田さんが服を脱いで裸になろうとしているんですね。天井の大きな鏡に全部写っているんですよ。

「咲田さんの体、きれいですよね。手術の時、見ちゃったんだ」

「局所麻酔だったでしょ。私も南君が手術室に入ってくれているの聞こえていたわ」

 どうして裸になるの、なんて訊ねるのもおかしい気がして、ぼくは彼女が下着もすっかり取ってしまって白い体を曝していくのをじっと目で追い続けました。

 前にお話したように、ぼくは女の人の体はきれいだから好きですよ。だけど、抱きしめたいとか、性行為をしたいとか、そういう気持ちはないんです。だから、咲田さんが隣ですっかり裸になってしまって、ぼくの側に並んで横になった時も、きれいだなあ、女の人はいいなあっていう豊かな気持ちにはなるんだけれど、それ以外の感情ではないんです。 女の体が最高にきれいなのは三十歳過ぎですね。仕事でたくさんの裸を見てきたけれど、三十代の女の人の体は芸術品だと思いますよ、本当に。咲田さんの裸は実にきれいでした。天井の鏡の中に写っている様はそのまま額に入った芸術でしたね。取り憑かれたようにぼくはじっと彼女を見つめていました。咲田さんもそのままの姿勢で鏡の中のぼくをじっと見つめ返してくれるんです。咲田さんが黙っているものだから、ぼくばかりがしゃべることになりました。

「去年、ナースの友達ばかり四人でニューヨークに旅行したんです。救急センターでの研修が予定に組み込んである看護学会主催のツアーがあってね、その時に寄ったメトロポリタン美術館ですごくきれいなブロンズ像を見付けたんですよ。踊り子の絵で有名なドガの作品なんだけれど、広い展示室の真ん中にすっと立っていたんです。両方の腕を鳥の羽をたたんだようにうしろへ伸ばして、上体を前上方にすっとそらし気味にした少女の像なんだけど、本物の麻か何かの薄手のフレアスカートを着せてあってね。それがすごく可憐で、そのくせ、とても女らしい美しさがあって………」

「生きた女は歳をとるのよ。悔しくなること言わないの」

「咲田さん、今が一番きれいな時じゃないですか。若い子にはないゆとりというか遊びが乗ってくるでしょ、体に。女は三十からですよ。ぼくはそう思いますよ」

「お世辞も言うのねえ」

「女の人の体はきれいだなあって思いますよ。……本当にきれいだ」

 すると咲田さんは右手だけを伸ばして、ぼくの左手を彼女の胸に置いたんです。ぼくは困りましたね。こういう場合、女の人の乳房をどうすればいいのか知らないという以前に、どうしたいのか自分の中に男の欲求というものが出てこないんです。でも、まあ、ぼくは変に考え込まないで、ぼくらしく行こうと考えました。ぼくは起き上って、彼女の体の形を掌に覚え込ませるように、そうっとそうっと、彼女の乳房を輪を描くように両手で撫でたんです。そう、ドガの彫像を直接触って確かめるように、咲田あかりという女の体の表面をなぞって、その美しい造形を確かめようとしたんですね。

 そのうち、咲田さんの手がいろんな所にぼくの手を誘導して、ぼくは彼女の手が命じるままに、彼女の腕や肩先や耳や唇や首筋や乳房やおなかをなぞるようにゆっくりと撫で回しました。彼女の足も足首も下腹部も、全部、好きなだけ触れることができたのです。本当に女の体ってきれいだと思いましたね。我を忘れて感動していたといってもいいと思います。

 ぼくは自分が女の体を持っていないことを残念に思ったことはあるけれど、生物の性としての女ではないことをそういう風に残念に思ったことはないですね。ぼくが男の体で生まれてきてしまったことは運命でしょう、どうしようもないじゃないですか。ぼくって、物わかりがいいというか、あきらめがいいというのかな。とにかく、運命的なことには逆らわないんです。それが自然な気持ちなのかな、ぼくにとって。だから、男の体を持っていることと、女のような気持ちを持っていることが、ぼくの中では全然、矛盾しないんです。無理をせずに生きてきたらこうなった、っていうことなんですよ。変かなあ、ぼくって?

 ぼくの愛撫につれて、……行為としてはそう呼ぶしかないですよね。ぼくはどれくらいの時間そうやって彼女の体を撫でたり摘んだりしていたんでしょうね。ぼくがそうやっているうちに、彼女の皮膚の状態が変わってきているのはぼくにもわかっていました。しっとりとして微かに熱を帯びてきているのもわかるし、大人の女の体臭と香水の匂いが、文字どおり匂い立ってもいました。

「南君、やっぱり男にはなってくれないのね? ……寂しいなあ、私」

 いつまでも体の表面に触れるばかりで、それ以上のことを求めないぼくに、咲田さんはそうつぶやきました。彼女にそう言われて、ぼくは自分のペニスが大きくも硬くもなっていないことに気付きました。女の人の体をくまなく自由に触っている。しかも、なんてきれいな体なんだろう、なんて気持ちがいいんだろう、とも感動しているのに、ぼくの脳には「男」という入力端子がないようなのです。美醜、善悪、真偽、快不快、興不興、……そうしたことには、人よりはっきりしているくらいなのに。わかりません、どうしてなんでしょう。思春期といわれる頃から、どうもぼくは性に冷めていたようなのです。男なのか女なのか、自分のことをどちらとも言えないような、どちらでもあるような、危うい感じを持っていたんじゃないかって思うんですよ。

 そういう手術があることも知っていますが、体の外形だけでも女になりたいという風に思ったことはないですよ、一度も。ぼく自身を男なんだとことさらに意識したこともない。男らしくとか女らしくなんて言われたことなかったですしね。母と五歳年上の兄の三人家族でした。戸籍はいじってないから実は今も父親はいるんですが、ぼくの父親はよその女の人と暮らしているんだと中学一年の時に母から聞きました。けろっとした顔で教えてくれたんです、学校に出す家族調べみたいな書類を書いてもらう時にね。それまで二年間ほど、父親の顔を見なかったんだけれど、聞いちゃいけないことなんだと思って何も気付かないふりをしていたんですよ。大人の世界ってややこしいことがいっぱいあるんだろうな、っていうのはわかっていましたから。ぼくの部屋は一階で、美容院をやっている部分のすぐ奥だからいろいろ聞こえてくるんです。耳年増っていうのかな、これって。女の話し方や言い回し、仕草、そういうのがぼくにとっては自然だったんです。男の反対のものとしての女を意識したんじゃなくて、人間の大人のモデルが女ばかりだった、ってことかな。高校の時は髪を肩まで伸ばしていました。爪も伸ばして、透明のエナメル塗ったり。ゆるやかにウェーブした髪や艶々した爪に自分でうっとりしていたんですね。帰って私服になると、淡い桜色とかレモン色とかを着ていたし、確かに女っぽかったかもしれません。母も面白がるだけで、何も言いませんでしたね。

 生理的に男の子らしい時期もあったけれども、ほんの一時期で、すっと通り過ぎてしまったようです。中学の二年生頃だったか、洗濯物の篭の中の母の衣類に顔を埋めてみたり、下着とかストッキングを身に付けてみたり、ヘアスプレーの匂いとか化粧品や口紅の匂いとか、とにかく女の匂いっていうのがあるじゃないですか、目を閉じてそういう匂いの中で大きく息をしていると、ペニスが大きく硬くなってくるんですよね。どうしてそうしたことを思い付いたのか今となっては思い出せないんだけれど、やはり思春期っていうのは誰にも必ずやってくるんでしょうね。成長ホルモンとかいろんなホルモンの働き、生き物の摂理ということでしょうね、きっと。

 精通があったのもその頃でした。夏休みのとても暑い日でした。母の店で見習いをやっていた裕子さんが「あ、かおる君、ちょっとごめん」とか言ってぼくの部屋に入ってくるなり、つるんとTシャツを脱いでブラジャーも取っちゃったんです。変な考えだったわけじゃなくて、ドライヤーの熱気で汗だらけになったんで着替えようとしただけだったんですね。だけど、ぼくはびっくりしましたよ、あまりにその裸がきれいなものですからね。形よく並んだ大きな乳房が透き通るようなピンク色だったんです。それに、オーデコロンと若い女の汗や体臭の混じった甘い匂いがするじゃないですか。もちろん、女の裸を見るのはそれが初めてじゃなかったはずなのに、とてもドキドキしたのを覚えています。それまでも美容室の奥の部屋ということで、ぼくの部屋は母や他のスタッフの休憩室になったり更衣室になったりしていたんです。当時、ぼくはまだ小柄で子供っぽかったですからね。身長がぐっと伸びたのは高校に入ってからです。

 とにかくその夜というか、明け方に夢精して目が醒めたんです。驚いたというか、これ何、という感じでした。おねしょをするわけはないし、なんか少しネバネバしているし。ちょっと不思議な匂いもあるでしょ。下半身がふわーっと軽くなっているような熱くなっているような妙な感じもするし。よーく考えたら、昼間に見た裕子さんの裸と関係があることに気付いてね、それでこれが射精ってやつかと理解したわけです。それからしばらくは、裕子さんの裸を思い出してはマスターベイションをしていました。

 マスターベイションをしなくなったのはいつからかなあ? 少なくとも看護学校に入ってから後はないですね。中学や高校の時も、同級生の女子には全く女を感じないんです。仲間といる気安さがあるだけでね。匂いが問題みたいです。香水とか大人の女の体臭とか、大人の女が使うものに含まれる香料ですね、フェロモンっていうのかな、あれに惹かれるんです。そうした匂いの中にいるのが幸せなんですね。

 どうなんでしょう、性欲ってのはあるのかなあ? 男に対しても女に対しても等距離なんです、ぼく。いや、やっぱり女の方にかなり近いでしょうね。だけど、異性として、抱き合う相手というイメージで男に興味を持ったことなんて一度もないです。また仮に、きれいな女の人を抱きたいと思ったとしても、それはそのきれいな体にずっと触れていたい、身近に感じていたい、ということだろうと思うんです。同僚のナースたちとは飲みに行ったりしますし、成り行きでもたれ掛かられたり、ぼくが肩を抱いたりすることもあるけれど、異性として意識したことは一度もないんですね。仕事の場では、ぼく自身が男であるか女であるかなんて考えることないですから。彼女たちもわかるみたいですよ、ぼくが男として彼女たちと接する気がないようだということは。だから安心して付き合ってもらえるんでしょうね。飲み会のあとが長引くと、独身者ばかりで誰かのアパートで半分裸になって雑魚寝になったりもしますからね。もちろん日常的に人の体、裸の体を扱っているせいで、ぼくたちって知り合い同志だと体に触れたり触れられたりってことに鈍感になっているのかもしれませんね。

 とにかく、思春期の一時期には確かに性的な興奮というのを経験して、頭の中の女というものに対して激しく射精したことがあったのに、どうしてこうなったんでしょう? どうなのかなあ、ある種の性ホルモンの異常なのかも知れませんね? あるいは急激に性ホルモンの分泌が止まったとか? ……専門病院で調べないとわかりませんよね、こんなこと。

 女の月経といっしょで、今でも、ある間隔で何かの拍子に夢精があって精液は定期的に排泄されているんです。そう、排泄って感じ。マスターベイションの快感も慣れちゃうとどうってことないでしょう。中学生の時に裕子さんの裸のおかげで覚えたけれども、面倒になって直ぐに止めてしまったような気がします。とにかく、ぼくにとっては射精も生理的には排泄でしかなくなったみたいなんです。おかしいですか、これって? やはり、病気なのかなあ? それともゲイの人と同じなのかな、もしかして?

 だけど、男に惹かれる気持ちなんてないんですよ、本当に。むしろ筋肉質の体には違和感というか自分とは関係のない物という感じがします。兄が大学でアメリカン・フットボールをやっていた時に、試合の後でロッカールームへ兄の女友達といっしょに差し入れを持って行ったことがあったけれども、ぼくとは異種の動物だなあ、と思いましたね。汗臭いなあ、よく食うなあ、くらいしか思わなかったですから。筋肉質のがっちりした体格についても、別に羨ましくもないし嫌いという程のことでもないし、といったところでした。

 体は女の方がきれいに決まっていますよ。仕事でも女性の患者さんの体を扱う方が好きです。二十代、三十代のきれいな体の人だとドキドキしますよ、正直言って。いい体だなあ、きれいだなあ、って素直に思いますから。

 ……疲れたでしょう? ぼくも疲れました。続きは次の時にしてもいいですか? 咲田さんが救急車で運び込まれてきた日のこと、そして、ぼくが起こしたという事件の日のことをもう一度思い返してみようと思うんです。今日はいろいろなことを話すことができて、ずいぶん気持ちが安まったように思います。来週、もう一度だけお願いします。思い出して、よく考えておきますから。

 

          *      *      *

 

 咲田さんと初めてモーテルに入った時の話までしていましたよね。男にはなってくれないのね、って言われてしまったんですが、ぼくにはどうしようもないんです。高校の時、髪や爪を伸ばしたり、家では女の子の色の服を着ていたって話しましたけど、通学の時に乗るバスでも髪の長い女の人の横の席にすっと座ったり、頭が痛いと言っては保健室で保健の先生にまとわりついていました。汗臭い同級生の女ではだめで、大人の女に興味があったんです。興味っていうか、親近感や憧れですね。ぼくはもともと女になりたかった人間、女として育てられるべき人間だったんだなあ、とその頃に気付いたんですよ。そうしたら、急に気持ちがすうっと楽になりました。形なんてどうでもいいじゃないか、女らしいか男らしいか知らないけれど、自分の好きなように生きたらいいんだなあ、と悟ったんですよ。女らしさとか男らしさとか、どちらかに統一する必要なんかないんですね。

 咲田さんから、男になってくれないのね、って言われた時も、そうですよ、とあっさり答えることもできたんです。本当にそうなんですから。男になってみようなんて無理をしたって、すぐに疲れるというか飽きてしまうでしょ。同僚のナースたちと一緒で、ぼくはこういう人なんだと正しく知ってもらった方がお互いのためですよ。

「男になるって? 咲田さんを押さえつけてセックスをするってこと? そういうの苦手なんだ、ぼく」

 ぼくは正直に話しました。 

「きれいごとじゃないの。どうしようもなく寂しい時があって、しっかり抱いてもらわないと、私、バラバラになっちゃいそうになるのよ」

「それって、男じゃなきゃだめなのかな?」

 ぼくを見ているのか、自分の裸の体を見ているのか、咲田さんはじっと天井の鏡を見たままでした。暗くはないけれどちょっと寂しい顔でしたね。しばらくはどちらからも声が出なくて、鏡の中で見つめあっていました。まじめな顔をしたり、困ったなという顔になったり、にっこりしてみたり、ね。

「男が欲しいのかなあ、私?」

 ぽつりとつぶやくと、咲田さんはくるりとぼくの方に向き直って、ぼくの体に抱きつきました。しっかりじゃなくて、そっとですけどね。

「自分しか愛せないのね。南君もいっしょなんだ、きっと。誰かを愛することを努力してみようって思ったりもするんだけれど、飽きっぽいのね。面倒になってしまうのよ、すぐに。私には人を愛するってことがわかっていないんだ、とか。……きっとね、私って弱い人間なんだわ。好きだとか嫌いだとか普通だとか、反応を自分の中に作れないのよ。そして、そうしたいい加減な人間だと自分でわかっているの。抱きしめて欲しいっていうのも自分のためでしかないのよね、きっと」

「でも、ぼくが好きだって言ったでしょ? はっきりしてるじゃないですか、咲田さん」

「ふふふ、そうね。でも、違うんだなあ。好きって、そういうんじゃなくてね、自分を投げ出しちゃうってことなのよ。……恐がってるんだなあ、きっと」

 最後は独り言でした。男と女のことはぼくにはよくわかりません。その時に咲田さんが話していたことも、ぼくにはよくわかっていなかったように思います。それからあと、芸術論みたいな話になったのですが、芸術のわからないぼくにはやはり、よくはわからなかったですね。ぼくはただ、咲田さんの肩や背中やお尻をずっと撫でながら、彼女を包み込むように静かに抱いていました。そうするしか、彼女の不安に応えられないように思ったからです。

「無用の欲望、って知ってる?」

 咲田さんが教えてくれたんです。詩人の萩原朔太郎が書いているそうですね。創作欲と性欲の二つを朔太郎は『無用の欲望』と呼んだそうです。

「土を相手になにか形を作る時は自分をどこか外に投げ出すの。自分を投げ出してしまって忘れてしまった時に、取り憑かれたように形ができあがってくるの。今まで、自分でもいいなあって思う作品ができた時って、あとで思い出したら、いつもそう」

「ぼくの仕事とはまるっきり反対ですね。ぼんやりしてたら何もできないし思いつかない。ばたばた人が死んでっちゃう」

「陶芸なんて、虚業なのよ。ひとり遊びみたいなもの。りっぱな仕事じゃないわ。でも、人間が生きていくためには必要な遊びだとは思っているのよ。……創作欲っていうのかなあ、素直に自分をすっと投げ出してしまっている時があるのよ。調子の出ない時はだめ。自分のアイデア、自分の技法、自分の能力とかね、いろいろ考えてしまって素直じゃないの。創作欲という欲求が働いてる時は何も考えなくっていいんだから。そう本当に、そういう時はすっとできちゃう」

「芸術家ってたいへんなんですね」

 素人のぼくはそんな月並みなことしか言えなかったですね。世界が違うんですから。

「おかしなことなんだけどね、陶芸の仕事が乗っている時にはね、性欲も、ってことなの。何もかも投げ出した私をぎゅーっと抱きしめて欲しくなるのよ、作品ができあがったあとでね。ぎゅーっと抱きしめれるのは男なのよ、わかる?」

「うーん、……うーんとしか言えないなあ、ぼく」

 本当に、ぼくにはわからない感覚でした。ぼくがやはり女じゃないということなんでしょうか? それとも、芸術家と凡人の違いなんでしょうかね。

「南君、私がいやじゃなかったら、ぎゅーっと抱いて。ね?」

 咲田さんは起き上がると、ぼくの衣類を脱がしながらつぶやくようにそう言うんです。ぼくはすっかり裸にされてしまって、イエスかノーの返事をするまでもなく、咲田さんに抱きすくめられて、長い長いキスをされて、上になったり下になったりのじゃれあうようなことがあって、結局その日は日本海まで行くこともなく帰ってきたんです。おかしなことを言うようだけど、レズビアンってのはこんなのかなと思いました。だって、ぼくのペニスはたしかに大きくもなったし硬くもなったけれど、射精をすることはなく終わったんですから。快感はあったんですよ、確かに。だけど、男にとっての射精の時の快感とは異質だったんです。明らかに違ってましたね。とにかく、ぼくにとってはとても不思議な一日でした。

 

 溺れた大人が搬送されてくるという連絡が救急隊から入ったのは七月終わりの土曜日でした。日勤から準夜への申し送りを始めたところでしたから、午後の四時過ぎでしたね。市営プールの底に沈んでいるのが発見されたらしく、遊泳中に心臓発作を起こしたことも考えられる、ということでした。開胸手術になる可能性もあるということで、宅直の呼吸器内科の先生や心臓専門の外科部長にもコールして、輸血の手配をしたり、人工呼吸器や手術室の準備をしたり、緊急手術の時はいつもそうですが、本当にみんな飛び回っていました。

 その日は土曜日ですから計画手術はないし、救急部もその連絡が入るまでは静かなものだったのです。ぼくは朝から重症患者さんの清拭の仕事をしていました。重症患者さんの清拭は、意識がなかったりしますから二人がかりで体位を換えながら体を拭いていくのは結構たいへんな力仕事なんです。浮腫や出血斑の発見、褥瘡の予防などの体表観察を丹念にできる機会でもあるので、ぼくたち看護スタッフからすると清拭は大切な仕事です。

 ぼくはちょうど、ひき逃げ事故で頭を強打して運び込まれた伏見さんの清拭を伏見さんの奥さんとしていました。伏見さんは入院して三週目になるんですが、十日前からすでに脳死と判定されているんです、三回も。伏見さんの場合は大量出血と頚椎骨折もあって、発見された時点での意識レベルも極めて低く、瞳孔は開いたままで固定しているし、自発呼吸もなく心臓の拍動も一時はかなり微弱だったらしいですから、救急車の中で気管挿管さえされていなければ、病院到着時の医師による死亡確認だけで退院となったケースでしょうね。

 この頃は、救急隊員でも救急救命士の資格を取れば気管挿管をしていいということになったので、こうしたケースも出てきているんです。病院に着いた時点ですでに挿管されていたら、まず人工呼吸器に繋ぐしかないじゃないですか。現場でいろいろ見ていると、これってこれでいいのかなって思うこと、いっぱいありますよ。伏見さんのケースでもね、その週の月曜にはCTで脳が溶けて変形してしまっているのも確認して、奥さんにも説明したんですけれどね。心臓はしっかり動いていて体は温かいし顔色もいいですからね、「主人は生きています。治してやってください」という言葉しか奥さんからは出てこないんです。奥さんは最初からずっと付き添っていました。ひき逃げの犯人はまだ捕まっていないようですから、怒りを持っていく所もないのでしょう。喜怒哀楽の感情を殺した堅い顔で黙々と伏見さんの看病をされていました。

 本当に脳死っていうのは哀れですよ。能面みたいな顔をしたままで現実を受け入れられない伏見さんの奥さんも哀れだけれど、虚しい医療行為を続けながら心停止を待つしかないぼくらも、やはり哀れなものです。だって、本当だったら術後をしばらくは救急部で診てあげたい患者さんが週に一人や二人は出るのに、時によって空きベッドがないから一般病棟へ返すしかないこともあるんですから。病棟は少ない人数でたくさんの患者さんを抱えているんです、そうそう一人にかかりっきりにはなれないじゃないですか。状態の急変に気付くのが遅くて、もう一度、深夜に緊急の再手術になった子供のケースもあったんですよ、実際に。それに、ベッドがないからと救急隊からの急患の連絡に断りを入れざるを得ないこともありますしね。こうなると、正直言って脳死患者の家族に苛立ちを覚えてしまうこともありますね。こういう医療関係者の感覚って、おかしいのかな、常識からすると? だけど、一人の脳死患者が何人もの患者さんの治療を妨害しているのは事実なんです。やるべき医療、やりたい看護ができないんですから、あーあ、って考えちゃうことありますよ、まったく。

 あ、それで救急の患者さんの受け入れ準備を進めているとサイレンが遠くの方から近付いて来るのが聞こえてきました。七年も看護士をやっていますけれどもまだドキドキしますね、あのサイレンの近付いてくる音には。だけどあの日、救急車が到着してストレッチャーが下りてきた時は本当に驚きました。こちらの心臓が止まるかと思うくらいびっくりしたんです。毛布に包まれて運ばれてきたのは咲田さんだったんです。咲田さんは真っ青な顔をして意識もありませんでした。現場でか救急車の中でか、すでに気管に挿管してあって、救急隊員がエアバッグを使って酸素の人工呼吸を続けていました。声を掛けようと思うような状態ではなかったですね。即座に、これは難しいな、と直感しました。付いてきた救急隊員の話では、児童画教室のレクリエーションで子供たちやその父母たちとプールへ行っていての事故のようでした。

 驚きました。その日のつい三日前に、いっしょに食事をして夜のドライブを楽しんだところだったんです。モーテルでの出来事からあとも、咲田さんとぼくの付き合い方は変わりませんでした。少なくともぼくは変わりませんでしたね。会う度にまた彼女の体を触りたいとか、ぼく一人で彼女を独占したいとか、そういう方向へはぼくの気持ちは動かないのです。ぼくには愛情というものがないのかも知れません。なんとしても失いたくないとか、何が何でも手に入れたいとか、そういった執着を他人に対しては持てないのです。仕事に関することなら自分に対するのと同じように同僚や上司にも厳しいし、何としてもやり遂げなくては、という意地もあるんですがね。どうしてなのかなあ? 他人は勝手に動いてしまうからでしょうか、きっと。

 正直に話した方が楽になれるから、やはりお話しましょう。モーテルへ行った日から咲田さんが事故で入院してきた日まで、二人が会ったのは三回あったのですが、ドライブの途中や食事のあとはいつもホテルに入っていました。何も言わずに彼女が車を入れてしまうんです。女の人の性欲のことはぼくにはわからないけれども、彼女は誰かに自分の体を、自分の心も、ってことかな、抱いて包んで欲しかったんだと思います。男と女という性行為っていうのはないんですから、やはり。生まれた時の姿になって、抱き合ったり体全部を繰り返し繰り返し触り合うだけで、ぼくも気持ちが良かったし彼女も幸せそうな上気した顔を見せていましたからね。咲田さんは性欲を満たすことで芸術家としての創作欲を自ら刺激してやっているのかな、という風にぼくは勝手に感じていたんだけれど、どうだったんでしょう? 飢えているように、と言えば下品ですが、むさぼるようにぼくの体を求めてきましたからね。人恋しいということだったのか、強い男が欲しいということだったのか……。

 人間関係が深まるということとは違うけれど、こうした関係のまま咲田さんとずっと付き合ってもいいな、とぼく自身は漠然と思っていたんです。きれいなものが好きなんですから。彼女の方ではどう思っていたか……うーん、わかりません。現在にはっきりした不満はなかったとは思うけれど、未来に向けてものごとを見れば、やはり、もの足りない感じを持ち始めていたのかもしれませんね、いま考えれば。だって、彼女は女だったし、ぼくに男であることを心の中では求め続けていたんでしょうから。毎回、ぼくもたしかに体や気持ちの昂まりはあったのですが、やはり男としてではなかったですからね。

 彼女はしっかりと抱きとめてくれる強い男が欲しかったんじゃないかと思うんです。だけどその一方で、他人である男に去られる恐さが記憶としてあるものだから、男でも女でもないぼくとの関係に安心してもいたんじゃないかとぼくは思うんですよ。うまくは言えないんだけれど、そんな感じがするんです、今のぼくには。モラトリアムっていうんですか、咲田さんは過去へも戻れないし未来へも自信を持っては進んでいけないし、現在に立ち止まっていたところだったんじゃないかって。もちろん、陶芸の仕事はそれなりに順調だったと思いますよ。だけど、三十五歳という年齢の女として、陶芸家として、これからどう生きていくか、創作の方はどうだろうか、そうした漠然とした不安や迷いにちょっと立ち止まっていたんじゃないか。病気や入院をきっかけに、自分の過去や将来について見直したり考え込んだりする人は多いですからね。咲田さんもそうだったんじゃないかとね。そういう時期に出会ったぼくという人間は中性的で彼女からは安心できたんだろうな、と。ぼくはそんな風に理解しているんです。

 咲田さんを救急部のベッドに移してからは、仕事、仕事、仕事、ひたすら仕事でした。ずっと、動きっぱなしですよ。仕事に入ってしまえば、それこそ親も友人もありません。するべきことをするだけです。気管チューブを人工呼吸器に繋いで、血管を確保して点滴を落とし、心電図の電極を胸に貼り付けて心電図をモニターに映し、採血して検査部に走って行き、膀胱にチューブを入れて尿量を見たりもしますしね。そのうちポータブルのレントゲン撮影機もやって来るし、担当医からは動脈血を取ったから血液ガスを見てきてくれとか、胃の温水洗浄をするから準備して、とかね。救急部というのは戦場です。

 結局、二日目には咲田さんは植物状態から脳死に進んでしまいましたね、やはり。もちろん、がっくりはしますけれど、治療を進める過程で、ぼくら治療スタッフにはだんだん結果が見えてきますからね。過程がわかっているから最終結果も納得できるんです。そうした意味では、医療というのはゲーム感覚でやられているといっていいでしょう。このケースはこうだったからああなった、次の時はこうしような、という世界です。患者サイドは一回だけのことですが、医療側は再挑戦や敗者復活戦がある感覚なんです。素人さんからすると、ちょっと恐い感覚でしょう?

 ぼくはずっと咲田さんに付いていたんですが、最初いっしょに付き添っていた咲田さんのお母さんには二、三日目くらいから疲れが見えてきました。ご自身も体調がよくないんですね。だけれど、ぼくの方からは、病状について明るい話はしてあげられないんです。期待させても、あとに待っているのは厳しい現実なんですから。ぼくらはむしろ、難しそうだな、というのが家族にも伝わるようにして、終末を迎える心の準備をさせてあげるのが親切だと思うんです。ぼくたちもつらいんですよ、難しそうだな、という最初の印象のままで一向に改善してこないのはね。

 咲田さんの場合、幸い開胸手術での直接的な心臓マッサージをするまでもなく心臓の方はしっかり動いてくれたんですが、自発呼吸が出ないんです。瞳孔も大きく開いたままでね。……三十五歳ですよ。あまりにも若いですよ。寿命に近い人はともかく、若い人や子供が死んでいくのを見ているのはつらいですね。まだ生きていない時間をたっぷり抱え込んだまま死んでいくわけでしょう。……思い出したので変なことを言いますけれどね、あと十年の平均余命のあるお年寄を五人助けるより、あと五十年、六十年、生きるはずの子供をひとり助けた方がずっと価値がある、って言う仲間だっていますからね。もちろん、内輪の酒の席でしかこんなこと口にしないけれど、心の中の一部分では、そうだなあって思っちゃう自分もあるんです。さっき言ったみたいな脳死の扱いとか、スタッフの慢性的な不足からくる疲労の蓄積とか、医療現場での様々の矛盾と付き合わされちゃうとね、酒飲んでぼやいて発散しないと「燃え尽き症候群」に落ち込んじゃうんですよ。実際、そういう感じになって病院を辞めていく人もいますからね。

 時々ね、ぼくの中に眠っている怒りみたいなものがどんどん大きくなってきて、苦しくなることがあるんです、このぼくも。ぼくの仕事、病気の人をきれいにしてあげる仕事、その仕事の邪魔をしているあの人たち、脳死のあの人たちです。伏見さんたちに怒りが込み上げて来るんです。脳死の本人には罪はないんですよね、本当は。すでに死んでしまっているわけですから。ぼくの目の前に立ち塞がっているいろいろなもの、足りないベッドを無意味に占拠している伏見さんと能面のような顔のその夫人とか、疲れ切っていて辞めることを考えてばかりいる同僚とか、そうした現状を真剣には考えてくれない病院の管理体制とか、不勉強で働かない医師の横暴とか無神経さとか、………何もかも、ぼくの思い通りには行かないことばかりなんです。

 先週、ぼく、看護士の仕事に満足しているって、言ったでしょう? だけど、実際は不満がいっぱいです。救急部のベッドが本当に要るのは、脳死判定を繰り返しながら心臓が止まるのを待つだけの患者さんではないはずなんです。大きな手術を受けたあとの患者さんだし、救急車で担ぎ込まれる重症患者さんのはずなんです。なのに、看護部長も救急部のボスの麻酔科部長も動いてはくれない。一般病棟には人がいない、予算がないから増員できない、重症を引き受けてくれる病院もない、患者の家族も納得しない、……しょうがないじゃないか、ってね。それなりに流れているんだからいいじゃないか、って。

 おかしいんです。おかしいでしょう? 出発点が狂っているからじゃないですか、すべてがおかしくなってしまうのは。脳死は死だと、はっきり宣言すればいいんです。今までだって、医師が死を決めてきたじゃないですか。心停止、呼吸停止、散瞳と瞳孔反射の消失、この三つが揃ったら、「ご臨終です」って宣告してきたじゃないですか。たくさんの医師がいるんだから、それに異論を唱える医者だっていたでしょう、きっと。だけど現実は「死の三徴候が揃ったら、死」、それで動いてきたでしょう? 医師に勇気がないんです。脳が全く機能していないことも脳血流がないことも、脳が融けているんだって、現代の検査法で科学的にきちんと証明できるじゃないですか。米粒ほどの標本の病理検査をして、それで癌を確定して、手術で死ぬかもしれないようなそんな大手術だってしているじゃないですか。脳死だって、診断に本当に自信があるのなら家族にきちんと根拠を説明して、「ご臨終です」ときっぱり宣告すればいいんです。脳死を「死」と宣告するのがいけないというのなら、「脳死の状態であり、生きた状態に戻る可能性が全くないので、一切の蘇生措置を中止する」と宣言すればいいのです。人工呼吸器も酸素吸入も栄養剤の点滴も心電図のモニターも、すべて無用の飾りになってしまうんです、死の瞬間から。その死体に纏わる医療を儀式として続けるのではなく、死をありのままに、そこに示してあげることこそが、医療者の責務だと思うんです。あとは家族がその個体の死を受け入れられるまで、医療の部屋とは違う場所で、心臓の停止まででも、死臭が漂うまででも、それこそ骨になるまででも、待ってあげればいいんです。生物としての死は、医師が素人と相談することじゃないんです。プロがこうだとはっきり宣告するべきなんです。

 いったい、いつから医師たちは世間の顔色ばかり見るようになったんですか? おかしい。絶対におかしい。いや、悔しいですよ、ぼく。自分が医師ではないこと、看護士の仕事がわかってきた最近になって、自分が医師ではないことを悔しいと思う時があるんです。せっかく医師の資格できっぱりと死を宣告できる立場の先生たちが、曖昧なままに医療の現場を混乱させているんです。おかしい。絶対におかしい。みんなそう思っているのに、誰も動いてはくれないんです。悔しい。本当に悔しい。……苦しくなるんです。ぼくの思いどおりに行かないことばかりなんです。苦しくて、苦しくて、どうしようもなく苦しくなって、蓄まりに蓄まった怒りを何かにぶつけないと自分の頭が割れてしまいそうになって………………。

 すみません。ぼく、いま何か乱暴なことでもしませんでしたか? ……時々、こうなるんです。事件を起こしたっていう日も、たぶん、こうなっていたんでしょうね。事件のことは全く覚えていないんです。気が付いたら咲田さんの清拭をしていたんです。ちょうど上向きの部分が終わったところだったので、体位を横向きに、と肩と腰を持った時に、あれっ何だか冷たいな、と不思議に思ったんです。おやっと思って回りを見たら、気管チューブが人工呼吸器から外れているのが目に入ったんです。心臓が凍るかと思うくらい、ぞっとしました。直ぐにチューブを繋いで、心臓の音を聴診器で聴いたんです。止まっていました。コトンとも言わないんです。体が冷たくなるくらいですから、心臓が止まってから結構たっていたはずです。呼吸が止まったのは、さらにそれ以前のはずですよね。とすると、ぼくは一体いつから清拭をしていたんだろう、いつから気管チューブに注意することを忘れていたんだろう、と自分で自分がわからなくなりました。だから警察の人に事情を聞かれた時も、最初は呆然として要領を得なかったらしいのです。いったい何が起こったのか、全く掴めなくて……。

 伏見さんの奥さんが見ていたという話の内容を警察の人から初めて聞かされた時はびっくりしました。混乱して、いや、反射的に怒りが湧いて、伏見さんの奥さんこそ狂っているんじゃないかと口走っていました。もちろん根拠などありません。看護士の仕事にこれほど真剣に取り組んでいるぼくがそんな馬鹿なことをするわけがないじゃないか、と怒りで肩が震えたんです。

 伏見さんの奥さんは見たんだそうです。自分の夜食を作りに伏見さんのベッドから三十分ほど離れていて、途中で食器を取りに製氷機の横の棚に寄ったら、ちょうどぼくが咲田さんの人工呼吸器のアラームのスイッチを切って、気管チューブを呼吸器から外していたというのです。そこからは咲田さんのベッドがちょうど見えるんですよ。仕切りのカーテンが開いていたんでしょうね。一日に何度かするようにチューブの中を吸引するのかと思ったけれども一向にその様子もなく、ぼくは気管チューブを外したまま、咲田さんの顔から順に清拭を始めたというのです。南さん、とガラス越しに何度か声を掛けたけれども、ぼくはまったく気付かずに、楽しそうな顔をして首すじから胸元、乳房、腹部……と丁寧に、繰り返し繰り返し拭いていた、というのです。変だとは思ったけれども、深くは考えずに家族休憩室でそのまま食事を摂って、ベッドサイドに帰ってきたら、自分の夫の気管チューブが外されているのに気付いたのだ、と。

 信じられませんでした、もちろん。だけれど、伏見さんの気管チューブが外されていることに気付いた直後に大きな悲鳴を上げたのだと聞いて、ぼくは、あっ、と自分の中で思い当るものがある感じに襲われたんです。気が付いたら咲田さんの清拭の上向きの部分がちょうど終わったところだった、と言いましたよね。ぼくは時間を忘れて咲田さんの体を撫でるように拭いていたんじゃないか。モーテル以来、会う度にそうしたように、彼女の体のすべてを掌に覚え込ますように、幸せそうな顔をして、繰り返し繰り返し彼女の体を拭いていたのではないか、と思い当ったんです。そして、はたと現実に戻ったのが、伏見さんの奥さんの叫び声でだったのではないかと。

 ぼくに記憶がない以上、状況からして伏見さんの奥さんが警察に訴えているとおりのような気がします。伏見さんの奥さんが自炊の道具を持ってベッドサイドを離れたのを見て、まず伏見さんの気管チューブを外し、次に咲田さんのチューブも外し、それから我を忘れて咲田さんの体を拭き続けていた。そう言われても、そうではないという反論が自分の中から出てこないのです。むしろ、なるほど、そうかもしれないと自分でも考えてしまうんですからね。時間からいっても、看護記録を付けるのに忙しい時間帯で、他のナースは特変のない二人の脳死者の管理をぼくに任せ切っていたのも事実ですからね。ぼくがそうしたことをするとしたら、あの時間帯しかないんです。

 それに、婦長が証言したそうですね。あの日の朝の申し送りの時に、ぼく、婦長と言い合いになりましてね。その日、肺癌の患者さんの大きな手術が予定されているのに救急部に空いたベッドがないことで、もめたんです。それまでにも何度も婦長には訴えていたんですが、その時も「伏見さんを一般病棟に降ろして、肺癌の人を入れたい」って。さんざん、やり取りがあったんですが、終わりに婦長にずばりと言われましてね。

「そこまで言うんなら、南君が家族を説得してよ、伏見さんと咲田さんと両方ともにね。どちらかにベッドを空けてもらったらいいわ。少なくとも咲田さんは知り合いなんでしょ!」ってね。

 普段は温厚な婦長には珍しく声を荒げてそう言われてしまって、ぼくは何も言い返せませんでした。その時のぼくの頭の中では、脳死患者は伏見さんだけだったんです。咲田さんはぼくの私物、いえ、誰にも面倒を掛けさせずにぼくだけが世話をすることを許されている神聖な領域だと信じ込んでいたんです。

 ぼくは何も言い返せなくて、それに、……疲れていたんです。とにかく疲れていました、肉体的にも。咲田さんが入院してきてからの一週間というもの、勤務時間以外もほとんど眠らずに救急部に詰めていましたから。咲田さんのお母さんはリウマチがあるんです。まだ関節の変形はほとんど出ていないものの、長くは付き添えないし、家族に他に適当な人はいないみたいでしたからね。咲田さんのお母さんにも、前の入院以来の友達だからと伝えて、ぼくが付いているから自宅で休んでもらうことにしたんです。ずいぶん遠慮されてはいたんですが、状況からいってそれ以外にはなかったですからね。無趣味で独身者のぼくは、もともといつも病院に長く残っているものだから、救急部のヌシだとか、牢名主だとか、皆から仕事中毒なのをからかわれていたんですよ。

 自覚はあまりなかったけれど、たしかに体はまいっていました。それこそ、意地ですよ。咲田さんに対する気持ちもあったにしても、いま冷静に考えれば、引き受けた自分の仕事を完全にこなしていくんだという意地が大きかったと思います。

 脳死の診断もされてしまった咲田さんだけれども、生きている時とちっとも変わらないんですよ。本当にきれいな体のままで、穏やかな顔をして、まるで眠り姫です。勤務時間中は、もちろん一人の患者さんだけを贔屓するなんて許されませんがね、勤務じゃなければ友だちなんだからいいだろうと思って、ほとんど付きっきりでした。婦長をはじめ救急部のナースや先生たちは、ぼくと咲田さんが以前の眼窩底骨折の患者と看護士ではなくて、特別な関係の男と女なんだと思っていたようです。ドライブに行ったりしているのは、別に秘密にしていませんでしたから。ぼくもそれならそれで、毎日彼女の体を独占できるからちょうどいいと開き直っていました。彼女の全身清拭を毎日していたことを、ナース仲間からは「あら、南君の神聖儀式が始まったわ」と、陰で言われていることも知っていました。

 毎日、全身を清拭してあげたし、髪をドライシャンプーできれいにしたり、ガーゼや吸引管で口の中も毎日何度も洗ってあげました。伸びてくる爪を切ってもあげたし、時々はヘアスタイルを変えたりもして変化のある毎日にしてあげたんです。そうですね、今にして思えば、子供の時に人形を相手に同じようなことをして遊んでいたんですね、毎日毎日。

 あの日の前日、咲田さんは月経が始まったんです。明け方に尿量のチェックと尿道に入れてあるチューブの消毒をするんですが、経血に気付いた時は、ぎょっとしました。こんな時にもまだ、私は女よ、ってぼくに挑んでくるような気がしたんです。植物状態の女性が妊娠して出産までしたという外国での事件は知っていましたから、月経が来たって驚くことではないんですがね。女の執着みたいなものを見せられたようで胸を衝かれましたね、やはり。シーツを替えてから、ナースの休憩室に置いてある予備のナプキンをもらってきて処置をしました。何度か替えたんですが、事故があったあの夜にナプキンを替えた時は、出血の量があまりに多かったのでとても驚いたんです。女の人は毎月こんなにも多くの自分の血を見ているのかと思ったら、とてもぼくには真似のできない別種の生き物だと感じたんです。看護の知識としては知ってもいたし、稀ではあったけれども仕事でそうした場面に対処してきてもいたんですがね。

 女は毎月、自分の意志とは関係なく自分の体から出てくる鮮血に付き合わされるんです、何日間も。それと較べれば男の生理なんて間が抜けていますよ。たまに夢精をして下着を汚したって、じゃぼじゃぼ洗っちゃえば終わりなんですからね。男である覚悟なんてないでしょう。女の方が遥かに女という覚悟を持って生きていますよ。……咲田さんの真っ赤な経血を処理しながら、ぼくは自分がなんて度胸のない生き方に甘んじているんだろう、って感じていたのかもしれません。男でもなく女にもなりきれない半端な人間である自分を思い知らされて、断固として女である咲田さんに嫉妬の感情を抱いたんじゃないか? ……そう思うんですよ。

 ぼく、婦長と咲田さん、二人の女たちに嫉妬していたのかもしれません。救急部に空きベッドがないことについて、婦長に責任はないんです。空床の確保は婦長の責任じゃないですからね、最終的には。婦長はぼくに咲田さんのベッドを空けろときっぱりと話をしたでしょう。一方でぼくは、咲田さんのベッドが空いていないことについて責任があると感じていたんです、朝の婦長とのやりとりでね。咲田さんは救急部に置いておく必要のない脳死者であると知りながら、そのベッドを空けようとして来なかったのはぼくの矛盾なんですからね。婦長の苛立ちはもっともなことなんです。もう一人の女である咲田さんにしたって、月経という女の生理をきちんと果たしている。ぼくだけが月経からも職責からも逃れている。おかしいと思われるでしょうけれど、ぼくはそんな風に女たちに対して引け目を感じ、きっぱりとした女たちに嫉妬していたんだと思うんです。こういう感じ方、わかってもらえないですよね、やはり。

 馬鹿なこと話していいですか? 五日前ね、変な夢を見て、久しぶりに夢精してしまったんです。意識のない伏見さんがベッドに横たわっているんですが、そのペニスを夫人が口に含んで、アイスクリームでも舐めるみたいにゆっくりゆっくりリズムを取りながら気持ち良さそうに頭を動かしているんです。夫人の口から見え隠れしているペニスは赤黒く硬直していてとても大きくて、唾液と体液、精液のせいで艶々しているんです。ちょっと、ここは病院なんだけどなあ、困るなあ、って思っているうちに、伏見さんはいつの間にかぼくになっているし、夫人は咲田さんに替わっているんです。わあ、すごいなあ、これって夢の中みたいだなあって思っていたら、急に気持ちが昂ぶってきて、頭が動転してしまっているうちに射精していたんです。こういう夢精のあり方って、すごく久しぶりなんで驚きました。射精はぼくにとっては長らく単なる排泄でしかなかったんですからね。ぼく、気持ちの中でも咲田さんにそうしたことを期待したことは一度もないし、そもそもセックスにおける男と女なんて思ったこともなかったのにね。何でぼく、今頃になって男になったんだろう、って考えました。

 恋とか愛とかにおける性行為って、二つの肉体の物理的な隔たりを無くしたいという欲求に一気に押し流されるように昂まってするもので、性行為ってのは本来、動物的でしかありえないと思うんです。人は一人でしかありえないと自覚しているぼくには、他者との体の隔たりを無くして一体になりたいという欲求はない。だから、ぼくには性行為は成立しないなと考えていたんです。でもね、肉体的に一体になることを求めない関係、友情としか呼べないような肉欲を伴わない他者への好意はあったんですね、咲田さんに対して。そう考えたら、これって一種の恋じゃないか。普通の男女の恋じゃないけれども、ぼくは咲田さんのことが特別に好きだったんだなあ、って心の中にストンと納まってくる感じがしたんです。どうなんでしょう? こういう気持ちって恋とはいわないんでしょうか? やっぱり、ぼく、変わっているんでしょうか?

 ぼく、情とか愛ということに執着がないみたいだ、って言いましたよね。だけど反面、世間でいう愛といい恋というものも、実はたいしたことのないものではないかとも思うんです。夫婦の一方が亡くなった時の、残された方の有様をたくさん見てきましたけれどね、しばらくして落ち着いてしまえば、むしろさばさばしたような、ほっとした顔になる人も多いんですよ。ぼくは自分が知らないものだから、あまりに大きく広大で、濃厚で熱いものを、恋とか愛という言葉に期待し過ぎているのかもしれないんです。

 人って、所詮ひとりじゃないですか。自分で自分のことができるように、自分で自分のことがわかるように、そんな風に教育されて大人になってきたでしょう? まず、何よりも自分だ、って。本当にそのとおりなんだけど、それだと味もそっけもないから、人は自分以外のものに自分以上の価値を置きたがるんじゃないでしょうか。自分のいい加減さ、自分の小ささ、醜さ、狡さ、もろさ、退屈さ、……そうしたことに気付いてしまった人は他に価値を求めるしかないんですよ。それで恋愛とか結婚とかで一人の異性に価値を置いて前向きに生き始めるんだけれど、それって裏切られたり勘違いに気付いたりするのが普通じゃないですか。恋愛も結婚も経験のないぼくが言うのはおかしいでしょうけれどね。ぼくにはわかる気がするんです。人生って、期待と失望とあきらめの繰り返しじゃありませんか? 現在の自分以外に目標を置いて、前や上を向いて生きてはいても、人はいつか裏切られたり失ったりして、卑小な自分自身に戻るしかないんだとぼくは思うんです。おとなの女たちの話から耳年増になったのか、父のことがあってなのか、あるいは今までに男でもなく女にもなれない中途半端な人間として他人との関係に傷付いたことがあったからなのか、……思い出せないし、よくはわからないんですがね。

 とにかくぼくは「あらかじめのあきらめ」で生きてきたんです。若いのに、と言われるかもしれないけれど、ぼくらの世代ではそれが普通かもしれないですよ。熱くなって茹であがっちゃうのか、冷めて凍えて固まっちゃうのか、先のことはわからないんですけれど、現在のぬるま湯の中って心地いいんですよ。ぼくらって本来的に淡泊な世代なんですよ、きっと。

 この一週間、ぼくなりによく考えてみたんです。一人の人から徹底的に守り抜かれたという記憶もなく、徹底して拒絶されたような記憶もぼくにはないんです。いや、父親からは拒絶された、ということなのかも知れませんね。家族を捨ててぼくからも遠ざかって生きている父親、ぼくとは肉体的にも性格的にも全く正反対の兄、美容師という仕事に夢中で愛情に淡泊な母、……そうしたぼくの家族の影が、ぼくを他人に執着を持てないこうした人間に育ててしまったんでしょうか? ぼくは肉親も含めて、今までずっと他人の中で生きてきたように思います。他人というのは、捕まえようとすればするりと逃げてしまい、逆に自分を捕まえにこられるとこちらが逃げ出したくなるんですね。人間というのは本当にやっかいな代物だと思います。なんだか説教臭いですね、こんなこと言って。

 それと、もうひとつ、ぼくには看護士という仕事が天職だと先週お話したでしょう? だけど、よくよく考えてみれば、ぼくのような人間は生きた人間を扱う仕事には実は向いていないのかも、と思いました。弱い自分を律するために仕事に忠誠を誓って本気で看護士の仕事をしてきたけれども、他者への情愛のないぼくに、看護の仕事が本当に適性があったのだろうか、とね。

 看護は気持ちだけではできない仕事です。技術だし知識です。それは厳然とした事実だけれど、根本のところで他者への情けがなければ、やはりどこかで破綻してしまうんじゃないでしょうか? 今回のぼくの行動がそうじゃないのかな? ぼく、ちょっと自信を失いかけているんです。現在ではなくて、今までぼくがやってきた看護についてです。技術的にも知識としても、新前の医師やおじいさん先生なんかよりは遥かに高いものを持って仕事をしてきた自信はあるんです。しかし、それって、医師であるのならともかく、看護士の立場では治療方針にほとんど関われないでしょ、やはり虚しいところはあるんです。自分は看護士を演じていただけだったんじゃないか。……今は自信ないですよ、ぼく。

 咲田さんの体を掌に覚え込ませるように、ずっとずっと清拭していたって言いましたよね。それって、土から美しい形を造形する陶芸と似ていませんか? ぼくは咲田さんの心の中には一歩も入らずに、彼女のきれいな体だけを見て、表面だけを触ってなぞりながら、頭の中で、咲田あかりという女の人の、女として最高の時期の体を造形しているような錯覚に落ちていたんじゃないでしょうか?

 患者さんという生き物ではなく、土を相手にする仕事の方がぼくには向いていたんじゃないか。そうすれば、人を傷付けることもなく、傷つけられることもなく、自分が狂っているのかまともなのかなんてことも迷わずに済んだのに。そう思うんですよ。

 もう看護士の仕事には戻れないんでしょうね。それどころか、ぼく、死刑になるのかもしれませんね。人の命を預かる仕事の人間が人の命を奪ったんですから。仕事も信用も、自分を律する決意も自信も、すべてを失ったんだから、それでもいいんです。生きていても何もできませんから。殺人者に対して、殺した人の冥福を祈って生きていけ、って世間では言いますけれどね、無理ですよ。自分自身が生きていくための前向きの目標がなければ、生きてなんていけません。恨みがあって殺人を犯したのなら、まだしも目的を果たした満足感があると思うんです。新聞なんか読んでいると、わざとやったわけじゃないし、計画的な犯行でもない、って同情的に言いますよね。だけど、ぼくにすればそっちの方が恐いですよ。動機を自覚できるような冷静な人だったら、更生っていうんですか、やり直しがきくし、再び殺人の動機ができたりしないように生活すれば未然に防げるじゃないですか。ぼくは違っていたんでしょう? 自分でも知らないうちに、二人の脳死患者の呼吸を止めて殺してしまったんですから。

 ぼくのしたことについて、殺した、という言い方が医学や法律の立場で正しいのかどうかは、ぼくにはわかりません。とにかく、狂っていますよ、自分の記憶のない時間にそういうことをしたんですから。まったく同じことをしていても、記憶も自覚もあれば、ぼくは正々堂々と主張するかも知れません。脳死者はすでに死んでいた、私は誰も殺してなんかいない、ってね。確信犯として、世間に救急医療の現実を告発したっていいと思いますよ。でもね、だめなんです、何も覚えてはいないんですから。そう、まったく何も覚えていないんです。

 疲れました。……休ませてもらっていいですか? ぼくの話はこれで終わりにさせてください。疲れましたから、とても。

 

 

 

 

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