『じゅん文学36号』同人評シリーズ⑥(2003年6月)

 

 

栞智恵子

『風に立つ』(35号)を読む

 

《青春――潔さと瑞々しさと》

 

 

 

 他者に読まれることを前提として私が小説を書き始めたのは大学に入った年からだが、小説を書くことが自分の中で切実なものと自覚したのは35歳の時からだろう。高校時代から大学の教養部時代にかけて、近代から現代の日本文学を中心として文学作品の幾ばくかを読んで自分なりに小説の書き方は把握したつもりだったが、我流のそしりを受けないために半年間だけ京都の某カルチャーセンターで「小説の書き方」を受講した。

 講師は元編集者で、不均一な多人数を対象としての講義であることを正しく踏まえていて、「○枚の作品なら登場人物は○人まで」とか、「1行○字として、1文は○行まで」、「話に絡まない登場人物に名前は付けるな」といった極めて平明で具体的な講義だった。彼なりの根拠を持っているのは、受講生の実作に添ってのコメントの端々に読み取れるので、私はその根拠を含めて元編集者の語る文章作法のほとんどを納得して聴いていたものだ。

 その彼の講義で「小説で扱わない方が賢明なテーマは次の3つ」と挙げられたのが、天皇制、障害者、差別(部落差別・性差別・外国人差別)であった。

 その理由も極めてあっけらかんとしていて、これらのテーマを扱うと右翼なり関係団体なりに追い回される恐れがあるとか、出版社がそうした関係団体に配慮して出版してくれないからという実利的な理由だった。言外に、「これらを真正面から取り上げるのはもちろん個人の勝手だが、覚悟してやれよ」という彼の本意もきちんと伝わったから妙に納得したものである。

 

 さて、栞智恵子の『風に立つ』に触れてみよう。

 「私」は風に向かって立っている。風とは現実だ。どんな現実なのか? そのことを書くために、まず「私」の状況を書く必要があると作者は考えた。

 「私」自身も成長の過程で他者から理解されなかった長い長い時間を持つのだろう。そうであった「私」の状況としてビジネスホテルでの清掃のアルバイトの情景が必要以上に(?)延々と描かれる。世間とうまくやれる人と、そうではない人がいるということ。世間で生きるしかないと割り切る人と、世間とは一線を画して、一生をかけて自分を大事に育てようと考える人がいるということ。「私」がそのどちらの人なのか、まずそれがわかってもらえなければこの小説は読めないだろう。作者はそう考えた。そして、どういう「私」なのかがわかってもらえれば、この小説は書かれる意味がある、読まれる価値がある。

 生きている今、一番の「私」の関心は何なのか。自分が生きていると実感できる一番やりたいことは何なのか。その答は知的障害を持つシュウ君と本気で関わりたいということだ。「噛みたくなる理由を、殴りたくなる気持ちを、今度こそ聞きとってあげたい。噛まれたら噛み返す、殴られたら殴り返すくらいに、対峙したい。今度こそ、今度こそ」と。

 一方、ペルシャ陶器もナウマンゾウもリンゴ狩りも、スリップした車も神戸のルミナリエも、すべては悟の平明さ実直さを描いている。更に言えば、悟が世間で生きるしかないことをあらかじめ受け容れている幸せな(?)普通の人であることが描いてある。

 だが、と言うか、だからというか、半年も相手にされなければ当然のことながら普通の青年である悟は「私」から離れざるを得ない。五年も経てばただの知り合いに戻らざるを得ないだろう。それが普通である。一生をかけて自分を大事に育てようと考えている「私」にとっては残酷な現実の厳しさだ。

 「私」は悟の生き方に好感を持ってはいても、具体的な支援もしないし配慮もない。もちろん、自立している悟に支援など要らないという理由だろうが、一方では悟との共生も望んでいるのに具体的な将来設計を持とうともしないし準備をしようとも考えない。要は、自分を折らないマイペースの「私」なのだから、普通の青年との別れは早晩やって来たはずで、「私」はなるべくして独りになり、やるべくして知的障害者との関わりへの道を進もうとしているわけだ。話としては、こうなるんだろうなぁ、と予想したとおりの青春の蹉跌の物語である。いわば、自分探しで小説を書く人が一度は書く通過点である。

 「風」とは、こうでありたい自分を目指す過程で、自分に立ち向かってくる様々な問題だ。若い時代には、その一つ一つと正面から向かい合って、解決したり折り合ったりして、自分を鍛え育てたり自分を傷付けたりもする。

 「私」は世間(=悟)と折り合うことを選ばなかった。一生をかけて自分を大事に育てようと決心した。その潔さは無論のこと尊いが、選ばなかった道を苦い思い出とともに忘れないことも人間として大事なことだ。と、そんなことを思い出させてくれた瑞々しい佳作である。あるいは、この同人誌に若く熱い書き手がいる幸せとも言えようか。

 

 

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