「一般的にはそうなんでございましょうが、あの子の場合は大丈夫でございましょうね? ね、先生?」
 ゆかりさんの母親はそう言ってぼくの顔をすがるように見上げた。
「ですから、取り出した組織を顕微鏡で見た細胞の検査では……」
 先程から、堂々巡りのやりとりだった。甲状腺癌で甲状腺の半分とまわりのリンパ節をひっくるめて摘出した患者の母親から同じことをくどくどと尋ねられ、ぼくはいい加減うんざりしていた。それでもこれも仕事と割り切って、何回目かの説明を繰り返した。やるべきことはきちんとやった。あとは経過を見ていくしかない。定期的に診察と検査を受けて、少なくとも十年あまりは放置できない、と。 甲状腺癌はおとなしい代わりにしつこくて、忘れた頃に胸骨の裏側の深いところから再発したり、とんでもない所に転移していて何年も経ってから症状が出たりするのだ。二十四歳のゆかりさんには酷な話だが、当分は病院と付き合ってもらうしかない。
 これだけ同じ質問を繰り返されると、これはもう詰問に近い。母親は質問しているのではなくて、何とかしてぼくの口から「ゆかりさんはもう完治しています。結婚しても大丈夫ですよ」というセリフを引き出したいのだ。娘の幸せ、つまり結婚、のために、主治医から「完治」という言質を取ろうという訳だ。結婚が女の幸せかどうかは知らないが、母親とはこういうものなのだろうな、とはぼくも理解できるから、ナースか誰かが呼びに来てくれるまではこの親心に付き合うしかないとぼくは腹を括っていた。
 手術前に見舞いに来ていた婚約者らしい男の顔がチラリと頭に浮かんだ。こんな頼りない男のどこがいいんだろう、というのがその時の印象だった。ゆかりさんが明るくてなかなかの美人であるだけに、惜しいという思いが残っている。美人薄命と言い、憎まれっ子世にはばかると言うが、確かに善人や美人は治りが悪く、困った患者ほどすんなり退院していくようである。生命力の問題があるのかも知れない。
 三好院長が以前に教えてくれたのだが、健康であることを人間ドックの結果報告票という形で婚約前に相手に知らせるのがこのあたりの上流階級の礼儀だそうで、『華麗なる一族』に属する家柄の御子息、御令嬢が、婚約が内定したあと正式の婚約までの間に人間ドックを受診するケースが多いそうである。ふーん、検診を受けるのはいいことだが、それで病気が見つかったらどうするのだろう。特にやっかいな病気だったりしたら………。そう思っていたことが今回現実になったのだった。
 ゆかりさんの場合、頚部に小さなグリグリが見つかって、甲状腺腫瘍で悪性が疑われるので摘出手術が必要とわかった。その時点で既に婚約の相手側はいい顔をしなかったそうだが、手術で摘出してみると甲状腺の腫瘍はやはり悪性で、一個だけだが近くのリンパ節にも転移していて『厳重に要観察』というべき病期に該当していた。再発の確率は半々。10年後の予後、つまり10年後に生きている確率も九割くらい、という結果となってしまったのだ。
 内科部長でもある三好院長が人間ドックの結果票を記載する役目なのだが、甲状腺の欄の訂正を申し入れられたのだと言う。「甲状腺腫瘍摘出術後、要観察」とあったのを「甲状腺疾患。ただし治療済み」と書いて欲しいと両親に泣き付かれたそうである。三好院長も母親からくどくど言い寄られ、「それは手術をした頚部外科の意見を聞かないと………」と逃げたために、こっちに飛び火して来てしまった訳だ。
 統計学をまったく理解しようとしないこの母親に、何と言えば納得してもらえるのだろうか? 鼻の頭の化粧がすっかり剥げ、大きなルビーの指輪をはめた指で涙を拭く度に拡がっていくマスカラにはらはらしながら、ぼくは徒労感に沈んでいった。
「……では、先生はうちのゆかりが一生結婚できなくてもよろしいとおっしゃるんですのね?」
「いえ、そんなことは一言も……ぼくは単に、事実を冷静に見ていきましょうと……。冷静になってはいただけませんか」
 ぼくが冷静にそう言ったのがいけなかったらしい。共に泣いてあげなければいけないそうである、こういう場合。あとで婦長に教えられた。もっとも、そう言われても泣けはしないが。ぼくは冷静なまま、話を続けた。
「娘さんにはどのようにお話ししてあるんですか? ぼくの方からは、ちょっと質の悪い腫瘍だったが全部取ってあるから、まず心配はない、と伝えてあります。今後の経過観察の通院についてはまだ何もお話ししてはいないのですが」
 声を立てずにしゃくり上げていた母親はハンカチを下ろしてぼくの顔を真正面から見据えると、決心したかのように両手でハンカチを握り締めた。指輪のルビーやエメラルドが涙で濡れたように光っている。
「先生、手術をして娘を片端者にしたのは先生ですね。この縁談が壊れたら、どう責任を取っていただけるのでしょうか?」
 ぼくは絶句した。これって、論理がでたらめじゃないか。ぼくは憮然として黙っていた。
「十年以上も待っていてはゆかりは四十になってしまいます。これからが女として咲き誇る最高の時期だというのに、うちのゆかりには独り者のまま毎日を泣いて暮らせとおっしゃるんですのね、先生は。そんな、そんな、……先生、それはあんまりですわ。……そんな、そんな、……」
 冷静なままぼくは思った。酔っている。このオバハンは自分のセリフに酔ってしまっている。タカラヅカのファンに違いない。狭小な視野、固陋な価値観、そして自己中心、独善、不遜。
 娘さんのことより自分の化粧のことを心配してはどうです、と口元まで来ているが、もちろん口には出せない。
「娘さんの気持ちが一番大切だと思いますが、いかがでしょう? 今後どのようなことが起き得るかの話を、統計上の数字もきちんとお伝えしながら、ぼくから彼女に話をしますので、縁談の件も彼女自身に考えてもらっては……」
「とんでもない。ゆかりはまだ世間を知らない小娘なんです。こんなつまらない病気で一生を投げてしまう訳には行きませんわ」
 つまらない病気の医者で悪かったな、と毒突きたいところだが、ま、好きなようにしゃべってもらってストレスを吐き出させないとしようがない。
「この縁談がダメになったら、ゆかりはきっと死にますわ。本気ですもの、あの子。どうせ死ぬのなら、結婚して何年間かでも幸せにしてやりたい。……そう、先生のお言葉次第で、ゆかりの一生が決まりますのよ。だいじょうぶ、もう心配ない、と一言、どうして言ってやってはいただけないのでしょうか?」
 うーん、たいした役者だ。
「すっかり治っている、と書いていただければ。それだけのことなのです。先生には何のご迷惑もおかけいたしませんから」
「いえ、そういうことじゃなくて、事実は事実として、ですね……」
 ぼくは確かに意地になっていた。最初の説明をぼくはもう一度話し始めた。母親の肩から力が抜けていくのがはっきりと見て取れた。自分の名セリフがぼくに通用しなかったことにがっくりしているのだろう。そしてすぐに、ぼくの話が終わる頃にはまた必死の形相でぼくを説得にかかろうとするのだろうな、と思いうんざりした。切々とした親心で訴えられればともかく、すかしたり嚇したりでは、こちらも素直にはなれないのだ。
 いつまで、こうした徒労を続けなければならないのだろうか? もしも今、ゆかりさんがにっこりして「先生、お願い」とひとこと言ってくれたら、ぼくはすんなりと「甲状腺腫瘍。ただし治癒見込み」くらいは書いていると思う。ゆかりさんのあの笑顔を見れば、これは治ってしまっているぞ、幸せになってもらわなくては、という気にもなって来るのだから。
 ぼくは目の前の化粧が剥げた母親の顔を見ながら、こどもの頃に読んだイソップの『北風と太陽』の話を思い出していた。医者も人間、強引な心に逆らって意地を張る時もあれば、素直な心にコロリといくこともあるのである。


(了)

『羅』No2(1997.9月)

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