『じゅん文学38号』同人評シリーズH(2003年12月)

 

 

 

 

大谷 史 『この海は』(37号)を読む

 

《「記憶」の魅力》

 

 

 

 

 

 この作者はなかなかの役者である。この『この海は』を読み、自家版として出された『摩灯籠』を通読しての私の総括的な感想だ。

 役者とは、自分をそのまま自分として演じたり、そうではなかったがそうでありたかった自分をごく自然に演じ切れる巧者である、という意味だ。

大谷 史の作品は時間のフィルターを通ってから文字に表現されたゆえの安定感がある。長い長い時間を挟んだことで、折々に記憶が呼び起こされては様々な修飾を余儀なくされ、変貌した記憶が作者の中で揺るぎのない無作為の真実となって新たに記憶されていったのだ。記憶の絶えざる上書きによって、作者は現在の記憶を得たに違いないのである。時間のフィルターを通った安定感があると書いたのはそういうことだ。

さらに、この作者が戦前・戦中・戦後の「昭和」のすべてを含む八十余年を生きてきた女性であることは、やはり見逃せない。激動の時代に生きて、資質に恵まれたこの女性が国の内外を問わずに広範な地域の世相を直接間接に見聞し、更には、様々なメディアから入ってきた情報をも旺盛に自分の経験に取り込んでいった、かくも濃厚な時間を持ったことに、正直なところ私は嫉妬を禁じ得ない。

無論、あとから生きる者からすれば先人の時代は常に魅力的ではあるのだが、明治維新期と並んで昭和の時代は、知性において時代を捉え主体的に生きたいと願う者にとっては甚だ魅惑的な時代と言えるのではないだろうか。

この作者がペンを持つ時、濃厚な経験と潤沢な見聞のストックの中から、作者の美意識にかなったものだけが掬い上げられ、作者の持つバランス感覚に按分されながらも細部も省略されずに記述されていく。すべては最終に用意されているある心象に向かって、時代風俗という装飾に満ちた特異な空間を形成しつつ物語は進行して行くわけだ。

仮に、過去の風俗やその頃の同時代人の経験を描いて、これらすべてが意識的な作為であれば、細部を描くほどに化けの皮が剥げていくだろう。ところが、この作者には記憶を脚色しようとの意識的な作意はない。長い年月を送るうちに、記憶を掘り返しては無意識のうちにわずかに変容させ、その変容した記憶を先の記憶に上書きして新たに記憶し直すことを繰り返してきたに違いないのであってみれば、彼女のペンが素直に書き落としていく文字こそがその時代を表象する真実の記憶なのである。

変容の方向性は個人の資質による。単純化されるだけで次第に記憶そのものが薄れていく場合もあるだろうし、記憶を想起させられた眼前の新たな知見の一部を無意識的に取り込むことで、かつての記憶がより装飾的でより生気を得た記憶に演出され記憶し直される場合もあるのだ。この作者はどうもそうした才能を持っている。大谷 史のいくつかの作品を読みながら、いつも私はそう感じた。

これは芸である。普段から文章で考える習慣を持ち絶えず書き続け書き慣れてきた者が体得できる芸である。そしてこれは魅力的な記憶を多く持つ秘訣でもあり、記憶を紡ぐことこそが仕事である物語作家が持つべき才能とも言えるだろう。

 

それにしても、『この海は』で描かれる大谷 史の世界は美しく哀しい。

穂高、乗鞍、黒姫の山々からの湧水と雪解水が合流してできたのが青沼だと書き、青沼が死者の葬送の場所でもあったと書く。かつては産まれたばかりの嬰児が不要であればその顔を濡れ紙で覆い、静かになった児を青沼へ返したのだと書く。そして、その沼には山太郎というカニが棲み、死肉を餌に太るのだという。……これらの風景が作者の心情の表象として常に意識されている。描かれる風景は哀しく、そこにある色彩はどれも艶やかで美しい。伝承文学か何かで私も読んだことのある情景に類似するが、言葉はすでに大谷 史の言葉になっている。大谷 史の記憶としてすでに熟成されているのだ。

上海にあって動乱を生きても、横浜に戻って平安な暮らしを得ても、そして今、不治の病を得た晩年を迎えても、主人公の心象風景には共通する叙情性がある。作品に仮託して描出する作者の心象風景は一貫しており、かつて大谷 史が生きた風土の色彩と明るさなのだろう。

 

この私が老年を迎えた時に持つ原風景は、いったいどのような色彩と情感に染められているだろうか? そして、その時に、私はこの作者ほどに鮮やかに私の心象風景を描き切ることができるだろうか。

そう、絶えず世情に興味を持ち、多くを見、聞き、読み、そして考え続け、黙々と書き続けなければ、かくも豊かで鮮やかな魅力溢れる記憶は持ち得ないのであろう。

 

大谷 史、八十余歳。実に見事な文芸の人である。

 

 

 

 

 

 

 

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