『おだわら文藝』No4(1995.1月)

 

 

  

虫 歯

 

 

「これですね。この虫歯が原因です」

 大きく開けられた口の中に、今は痕跡を留めているだけの下顎の左第一大臼歯をピンセットで差しながら、ぼくは山野さんにそう説明した。その齲歯に接した舌の側面に大きな潰瘍が見えている。視診だけでも舌癌とわかる典型例だ。

 すると、目を閉じて診察台に座っていた山野さんがこう言ったのだ。患者に反論されることなどありえないと信じ切っていたぼくはいささか焦ってしまったものだ。

「いえ、原因はわかってるんですよ」

「はあ?」

「原因はね、そんな小さなことじゃありません。……私の運命です」

「はあ?」

 山野さんは目を見開いてそう言い切ると、また目を閉じてしまった。まるで瞑想に入ったような穏やかな顔である。ぼくは変な患者に当たってしまったことを了解し、とたんに肩の力が抜けた。

 こういう時、科学は無力である。

 時々いるのだ、この手の人は。つい先月のことだったが、納得して入院しておきながら、あすは手術となった夕方、怪しげな老婆と二人で面会を求めてきて、「お篭もりすると出来物が治ってしまう道場があるので、そこの神様にお縋りしてみたい」から退院したい、という。ちょっと頭の弱そうな耳下腺腫瘍のおばさんだった。

「それで治るのなら、最初からその道場に行けば良かったですね」と皮肉っても、「その神様でも治らなかったら、先生にまたお縋りします」と言う。神様とぼくを同類にしている。切らずに治せる分だけ、神様の方がありがたいという訳だ。

 いったいどういう頭をしてるんだ、と言いたいのを我慢して聞いていると、隣の老婆がブツブツつぶやいている。「呪文ですか、それ?」と、不快感を隠さずに言うと、「はい。不思議なことがよく起こりましてね、○○様にお縋りしますとね」と、言う。馬鹿馬鹿しくなり、その時は当直明けで疲れていたせいもあって、説得をあっさり止めてしまった。今頃どうなっていることか。結構大きな「瘤取りおばさん」だったから、「今なら顔を曲げずに治せるけれど、後になると自信ありませんよ、ぼく」と、捨て台詞を吐いたのだったが。

 山野さんが入院してきた。運命に任せて放置するのかと思ったら、運命の導くとおり手術するそうである。都合のいい「運命」もあるものだ。

 夕方、ナースステーションに部長が入って来て、一枚の名刺をぼくに渡すとにやにやして言う。

「先生、きょう入院のこの人、なかなかの大物みたいだから丁重にな」

「はあ? 運命数理解析学専門 運命鑑定士 山野 巌? ……何ですか、これ」

「すごいじゃないか。外来のナースはみんな観てもらったが、よく当たってるそうだぞ。先生も観てもらえよ、将来は教授かヤブか?」

 次の教授候補と言われている部長は、若い医者をからかうのが好きだ。

「馬鹿馬鹿しい。舌癌になる運命がわかってたら、あの虫歯、さっさと治せばよかったんですよ」

「治してたら、ここの美人揃いの看護婦さんに優しくしてもらえなかったんだから、この方が幸せだったんだ。なあ、婦長?」

「そうですよ。人間どうせ死ぬんですから、気持ち良く死んで行くのが一番ですよ。ほほほ」

「婦長まで何言ってるんですか。舌癌になって、舌切り雀になって、どうして気持ち良く死ねるんです!」

「まあ、そりゃそうねぇ。ほほほ」

 ナースステーションの中と外でころっと変わるんだから、この婦長もなかなかの曲者おばさんである。医療関係者は中年以上になると、皆、ケ・セラ・セラが信条になるらしい。

 山野さんの手術は、結局、舌の大部分を切除してお腹の筋肉を移植するという大手術になった。術前、舌を全部取るかもしれないと説明をした時も、全く動じる様子はなく淡々としたものであったが、手術後も「運命」に自身を委ねているように、黙々と(話せないのだから当然だが)こちらの指示どおりにされるのは、なるほど「大物」といってよいだろう。

「元気になりましたね。来週、強い薬で念押ししてから退院を考えますからね」

 舌が無くなって話せなくなった山野さんは、筆ペンで筆談をする。

その治療は来週のいつですか?」と、運命鑑定士にふさわしい達筆である。

「月曜日から四日間です。吐き気が出たり、髪が抜けたりしますけれど、後で戻りますからね、ご心配なく」

 山野さんは頷くと、新しい紙を出し「」と書いた。今まで採血やら気管チューブの交換やら、痛いことばかりしてきたが、「」と書かれたことは一度もない。処置を承諾する、ということではなく、運命を受諾する、という意味なのであるらしい。

 ともあれ、ぼくとしてはこれで抗癌剤の主な副作用についての十分な説明を与え、それについて同意を得たつもりである。

 山野さんは別の白い大きな紙に何やら書き込んでは、時々小さな算盤で計算をし、また書き込んでいる。見ると、山野さんの名前とぼくの名前、病院の名前、住所、その外にいくつかの年月日が書いてあってその余白が小さい数字でどんどん埋められていく。なるほど、「運命」を決める「数理」を算盤で「解析」しているわけだ。そのうち、以前にぼくが渡した手術の説明図を取り出して、腫瘍の大きさが5センチ×4センチだとか、奥から3番目の歯が原因だとか、とにかくぼくの乱暴な走り書きの中の数字を丸く囲んでは、また算盤で計算を始める。

 いったい何なんだ、こりゃ。算盤遊びじゃないか、……と思った時、山野さんが、ふと、顔を上げた。

 あっ、と思うほど寂しい顔に見えた。

「どうしました?」

 どこか痛むのかと思ってそう聞くと、山野さんは恥ずかしそうな顔をして、そして達筆でこう書いた。

治しときゃ良かったです、虫歯

 

 

 

 

 

TOP PAGE