『じゅん文学33号』同人評シリーズA(2002年9月)

 

 

神水 涼

『大阪暮色』(32号)を読む

 《平々凡々、寂滅為楽》

 

 

 

 

 ホンマにええ小説はな、読んでて素に戻れる小説やねん。読書にはな、自分を育てる読書と自分を確かめたり慰めたりする読書がある。そりゃあ若い時は頑張って難しいもんも読まんとアカン。難しいややこしい言うて読まんかったら、いつまでたっても『桃太郎』と『白雪姫』や。二十歳になっても『猿蟹合戦』や。難しい言うて駒の動かし方を覚えんかったら、将棋のあの楽しさはわからへんやろ。ややこしい言うてパソコン覚えんかったら、井坂やコブギーはんのホームページ見れへんで。もったいない、人生の楽しみの半分の損や。取っ付きにくうてもな、漱石センセもドスト君も、きばって読みや。だてに歴史に残ってないで。近頃の文芸雑誌の職業作家なんぞはクズばっかりや。書く方は金のため、読む方は暇潰しや。あんなもん20年もしたら誰の名前も残っとらんやろ。(あ、アイツのアレとあの人のアレとアレは残るかな?) 『大阪暮色』は若いもんは読まんでええ。いや、読まんほうがアンタのためや。これはロマンや。中年のロマンなんや。「人生の峠をすっかり越えて、後は麓まで下って行くだけ。その途中にポッカリと死の穴が待ち受けている」と実感してしまった中年が書いたロマンなんや。ちょっとロマンポルノが入っとるけど、ま、そんなもん御愛嬌や。これはポルノとは違うで。全然、違う。あれ数うれば人の世の、80の寿命が60過ぎて、残る余生が今生の、命の響きの聞き納め、っちゅうとこや。今の世の中なぁ、夕方遅くにしょぼくれて帰って来て「ああ、しんど。今日もやっとしまいやなぁ」言うてる中年がほとんどや。昼間だけが一日か? 夜はイビキかいて寝るだけの死んだ時間ってか? 『大阪暮色』はな、夜から一日が始まる世界の話や。お水の世界や。だから言うて、昼間が「実」で夜は「虚」やなんてわかったような顔してアホなこと言うなよ。夜が虚なら昼も虚や。「実」などどこにもあらへん、おのれの胸の内にしかあらへんのや。どうにも仕様ののうなって、逃げ場もないし誰に救いを求められるでもない、自分自身と正面から向き合うしかないいう時にしか自分の「実」は見えへんで。そうやないか? 仕事は駆け引きや、他人との付き合いも駆け引きや。結果を恐れて自分の素なんか出せへんやろ。イヤな上司とうまくやるんには打算と遠慮が要るし、女を落とすには作戦も要る。(なぁ、北川はん?) 夜も昼も、この世はすべて夢まぼろしの世界なんや。この作者は知ってるねん。この世のすべては夢まぼろしや、寂滅為楽や。色即是空、空即是色なんや。恋じゃ愛じゃ、死ぬの生きるの、そんな悠長なこと言えてるうちは幸せや。「麓まで下って行くだけ」の者はな、命の響きが欲しいんや。自分の五感が残っているうちに、残った五感で感じたいんや。生きているとはそういうことや。旨いもん食べてええ酒飲んで、川の音でも鳥の声でも優しい音をたまには聞いて、懐かしいよな景色に涙滲まして、そして、女や。涼しい姿に甘い声聞いて、抱けばええ味ええ香り。五感すべてが満たされる。快楽のデパート、総合商社や。井坂も『清拭』で書いてるで。三十代の女は芸術品やって。誤解するなよ。大トロ食べても世界一周してもカラオケうまく歌っても、そんなん何の価値もない。抱いた女の数も何の自慢にもならへんねん。命の響きて、そんな俗なこととちゃうで。ええもんをええと五感で感じられる自分、それが価値や。「悦楽」とか「獣の営み」、「渇愛」、「恋獄」、「純愛」とかな、この小説、いろいろ浮わついた煩い言葉が出てくるけどな、こんな言葉はどうでもええ。言葉やないんや。読み終わったらわかる。この作者はわかってるで、生きているとはどういうことか。最後のページに出てくるやろ。「何言うてんねん。あほぬかせ。生きてても、俺はもう死んだようなもんや。お終いや」そう呟いて、それでも坂をゆっくりと下り続けてるのんがこの作者や。沈丁花の匂いの中で海に沈む夕日を見て、そしてまたゆっくりゆっくりと坂道を下りて行くんや。そして時々は机に向かって『大阪暮色』みたいなもん書いて。そこに書いてあることは虚や。所詮はぜんぶ絵空事や。けどな、その虚の世界を書いている時の作者は「実」の世界を生きてるねんで。作者自身の胸の内の「実」を噛み締め噛み締め生きてるんや。読んでてそれが心地ええ。来る人も、また来る人も福の神。ゆっくりゆっくり下って行きながら、みんなええオトナに仕上がって老いを迎えるんや。自分を確かめたり慰めたりする読書があるというのはこういうことや。ホンマにええ小説はな、読んでて「こいつ、素に戻って書いてるなぁ」って感じる小説やねん。そんな小説には味がある。匂いもある。五感に響く誠があるで。神水 涼も秋乃みかも、ええ味に仕上がった苦労人には五感に響く誠があるで。この作者に若者の文学はもう書けん。けどな、若者には書けん文学もあるんや。自分をもう若くはないと思う者も、がんばらなあかん。うまく書こやなんて思うなよ。素に戻って書いたらいいねん。所詮、勝負は自分自身や。ほかでもない、ホントにええ小説いうたら、あんたの「実」が書かせるねんで。

 

 

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