『じゅん文学38号』 同人評シリーズI(2003年12月)

 

 

 

 

小池ハナコ『眠り男』(37号)を読む

 

《家族の書き方、個人の書き方》

 

 

 

 

 「家族」をテーマにした小説には、「家族バンザイ!」という場合と、家族というシガラミによって「個」が不幸に喘ぐさまを自虐的に描きあげる場合があるね。家族バンザイ作品は、結局は何も残らないので読まなくてもいい代物が多いんだけど、「個」を扱う作品の時には自虐だけで終わる場合と「個」の深淵を垣間見させてくれる場合があるね。島尾敏雄の『死の棘』なんか、なかなか迫ってくるものがあったっけ。ぼくのお勧めの家族小説は何といっても安部公房の『砂の女』だけど、あれって家族小説とは言えないのかな?

 

この小池ハナコの『眠り男』はどうだろう。

 頑固なだけで問題解決能力の欠落した父親であるゲンゴロウ、善意の人ではあるが決断力のない母親のフナヨ、そこそこ賢明ではあるものの病気のために(?)単なる眠り男である兄のタロウ、そして、主人公のハナコの四人が登場する。寓意がありそうでこれらのネーミングはなかなかグッドだよ。たださぁ、「北陸」「立山連峰」「T県」「N市」があるんで、せっかくのバーチャル空間が損なわれてしまったね。残念。『砂の女』は鳥取砂丘なんかじゃなかったはず、だよね? 作品によっては、設定を限定しないから逆にリアルなんだ。

 この小説では、眠り男であるタロウの介助を生活の核として生きる妹のハナコの生活と意見が展開されるわけだ。

 自分の家族ときたら「全く前進しない。同じところで足踏みをして、ただ歳を取っていくだけだ」と言う。そして、兄のタロウについては、「タロウが起きないのは逃避では」と疑い、「現実」に対して「何もできない自分」と「向き合う怖さに耐えられない」のだろう、と解析している。タロウは「プライドが高い」からそうした「自分が許せない」のだろうが、でも「変われない」から「眠る」しかないのだろう、と。

 こうした分析のできるハナコは自分自身についてもキチンと見ている。「同じことが自分にも言えはしないだろうか」と。「何の取り柄もない行き遅れ」である自分が、タロウの世話を言い訳にして現状から抜け出そうとしないのはハナコ自身の責任であることに気付いているのだ。自意識過剰であることにも気付いているハナコはタロウを殺すこともできないし自殺もできない自分を冷静に知っている。

 家族のシガラミから抜ける「簡単かつ正当な方法は結婚してしまうことだ」という言い切り方に、男の読者である私は絶句してしまったが、ま、そういう無思考な女たちがまだまだ多いのが現状なのだろうか、N市近辺では?(と、脇道にそれてしまった。失礼)

 タロウに向かって「そうやってあんたは、私たち家族を蝕んでいくんだわ」と罵倒し、「もっとめちゃめちゃに傷つけてやりたい」という「真っ黒な気持ちが噴き上げてくる」ハナコ。「自分の精神を平静に保つためには何だってやるし、どんなことだって言ってしまう」というハナコ。……そうそう。黙ってちゃダメだよね。現状を盲目的に受容してしまうんならハナコだってオメデタイ眠り女になっちゃうもんね。「真っ黒な気持ち」だって持ってるのが人間として普通なんだ。内向だけしてちゃ何も前へは進まない。シガラミはさっさと外して、自分を自由にしないとね。

ふむふむ、で、どうするのかな、って先に読み進んで、やがて最後の部分に来るんだけど、「タロウは変わらない。ハナコも。ゲンゴロウも。フナヨも」だって。そして、「この生活は、たぶんいつか終わる」と言いながら、「でもやるしかない、とりあえずは」というんだからなぁ。なぁんだ、これってボヤキ小説だったの? それとも諦念の文学?

 この小説では、家族というシガラミから解放されたい自分を主張するところまでは行っているけれども、ハナコ個人には変化の兆しもなく作品は終ってしまったね。これだと、近い将来に大学の規則によって眠り男が退学になったらハナコの生活は改善される、ってだけの話。作者の現実かどうかはどうでもいいとして、主人公の「個」の変化(成長・堕落・変革など)を描かない身辺雑記的な小説は書き手にとっては私小説と断じられても仕方がないし、読者からすれば暇潰し小説でしかないんじゃない?

ハナコは自分を客観的に見始めたじゃない、なぁんてのは甘い甘い。それって、自立のスタートラインにつきましたっていうだけのこと。小説を読むような人は、主人公がどう走るかを見たいんだ。どう走り、障害物で転んだらどう立ち上がり、どうやってゴールに入ったのか、あるいはどうしてドロップアウトしちゃったのかを読みたいんだよ。

だから書くな、なぁんて言ってないよ。まず、自分を主張すること。そして自分自身を客観化しようとする自分を意識すること。そこから、自分を鍛え育てるために「文学する」作業が始まるんだと思うから。

ある若い同人の作品について、自分探しで小説を書く人が一度は書く通過点の作品で瑞々しい佳作だ、とぼくは書いたけど、この『眠り男』は通過点で立ち止まってしまってる感じだなぁ。オジサンとしてはちょっと心配。

冷めずに書き続けようね、小池ハナコ君!

 

 

 

 

 

 

 

TOP PAGE