『じゅん文学』No22(1999.12月)

 

 

  

結石裁判

 

 

「先生、急患をひとり診ていただけませんか? ずっとコールしているんですが、研修医の先生がつかまらないんです」

 時間外外来のナースからの依頼だ。時刻はまだ午後十時過ぎだから、みんなで夜食にでも出たんだろうか。患者がずいぶん痛がっているようなので、研修医当直の田野センセを探すのは後回しにしてぼくは時間外外来室へ急いだ。

 患者は血尿と背部痛を訴える法学部の大学院生だった。尿管結石の既往があって、前の時は自然に排出されたのだと言う。今回も結石が尿管の途中にひっかかったための痛みのようだ。かなり痛いはずなのだが、本人も経験済みのためかじっと我慢してくれているのが伝わってくる。

「これで二回目なんだね。詳しいことは明日の外来で検査するけど、今晩のところはまず自然排出をねらってみるね」

 ぼくは鎮痛剤の注射と点滴の指示を出して様子を見ることにした。院生くんは痛みを我慢しながら目でうなずいている。寡黙で真面目そうな学生さんだ。

 それにしても研修医諸君はどこまで遠征しているんだろう? 同期生の仲がいいのは結構なことだが、互いに切磋琢磨しているとかライバル意識を持っているといったこともなく、ぼくら教育する側から言えば実に物足りないヒヨコたちである。そんな中できょうの当直の田野郁子センセはさっぱりした気性でナースへの指示の出し方や処置もてきぱきしているし、及第点を出せる数少ないドクター一年生なのだが。

「田野センセはどこかなぁ? いつから顔見てないの?」

「それが、先生、七時に他の研修医の先生たちと食事に出てくると言われてから戻っておられないんです」

「で、ポケベルは? 繋がらないの?」

 聞けば、ポケベルを当直室の白衣のポケットに残したままで外出したらしい。まったく今年の奴等ときたら、どいつもこいつも……。

 尿管結石の院生くんは外来のベッドで点滴を続けながら結石が尿で押し出されてこないか待ち続けている。鎮痛剤が効いてきたのか穏やかな顔になったが、それでもやはり目を開けたり閉じたり、大きく息を吐いて見たり、辛そうである。

 ぼくは研究室に引き上げる訳にもいかず、医学雑誌を拾い読みしながら外来で田野センセが戻ってくるのを待った。

 

 午前一時。何と田野センセが外来に戻ってきたのは午前一時だった。午後七時から六時間かけてのディナーに出ておられたことになる。今年の研修医諸君のことだから、食事の後でカラオケに寄ってストレスを発散させて来たに違いない。外来に戻ってきた顔を見て絶句した。顔が赤い。アルコール摂取が強く疑われる徴候である。そのことをぼくに即座に見抜かれたと知った田野センセは首が胸に潜り込んでしまったかのように恐縮しきっている。

「おっ、早かったな、田野センセ。まだ一時だぜ」

「……すいません」

「すいませんって、何が?」

 ぼくもかなり人が悪い。怒鳴られた方がまだしもすっきりするものなのかもしれないが、これがぼくのやり方だ。

「すいませんでした。……みんながちょっとだけなら大丈夫って言うものですからコップに半分だけ……」

「ちょっとだけなら何が大丈夫なのかね?」

「あ、すいません! 本当に申し訳ありませんでした!」

「そんなぁ、ぼくはいいんだぜ、ぼくは。ま、あっちの患者さんがどう思うかは知らないけどね」

 ぼくはカーテンの向こうに横になっている尿管結石の院生くんの方を顎で示した。足が見えているが、また痛くなってきたのか盛んに体位を変えては、「うーん、うーん」と唸っている。

 酒気帯び診察をさせる訳にはいかないから、直立不動のままの田野くんを残してぼくはベッドサイドに向かった。

「また痛くなってきた? どうかな、さっきと同じ所みたい? それとも少しは落ちてきた?」

「せ、せ、先生、出そうなんです、たぶん。前もこうだったし……」

 尿瓶をあてがったままでベッドに座ると、院生くんは大きくゆっくり呼吸しながら痛みを分散させているようだ。

かなり痛いのだろう。ぼくは積極的に次の手を打った方がいいようだな、と手術室に連絡を取ろうと考え始めた。

 と、その時、直立不動でうなだれていたはずの田野くんがツカツカと歩み寄ってくるなり院生くんの肩をぽーんと叩いた。

「なぁんだ、押壁くんじゃないのぉ。どうしてこんな所にいるのー?」

 田野くんは明るい表情に豹変しており、とても嬉しそうだ。おいおい、まだアルコールが抜けていないのか。病院のベッドにいれば患者に決まってるじゃないか。

「あっ、田野さん!」

 と、院生くんが叫ぶと同時に、尿瓶の中に鮮血の混じった尿が勢いよく放出された。音はしなかったが砂のような結石も排出されたようである。

 尿瓶に気付くと田野センセは「きゃっ」と言うなり後ろを向いてしまうし、院生くんも大事なところを手で隠そうとして慌てふためいている。二人は高校の同級だったのだ。

 劇的な再会を果たした二人には愛が芽生えたりするんだよなあ……と、その時バカなことを思ったものだが、一年後に二人が本当に結婚したのには驚いた。ぼくも結婚披露宴に呼ばれたが、院生くんは司法試験に合格して司法修習生となり、結石も再発していないと言う。まずはめでたし、めでたしである。

 それにしても、当直に酒を飲むなど言語道断である。田野くんだけではなく当直を知っていて酒を勧めた他の研修医も全員同罪だ。これが教授の耳に入っていたらたいへんな事になっただろう。もっともコップ一杯くらいなら顔に出ないといって当直の夜にも晩酌を欠かさない同僚がいるのも事実である。酒気帯びで診察したら医師免許の停止や剥奪といったペナルティーがあるんだろうか?

 医師法なる法律があるのは知っているが、ぼくはいまだにその条文を目にしたことがない。「医師たる者は……」というふうに戦前の教育勅語みたいなことが書き並べてあるんだろうか、もしかして?

「医師たる者は走るべからず」

「医師たる者は飲むべからず」

「医師たる者は遊ぶべからず」

「医師たる者は……」

 うーん、医師たる者は医師法などといった法律は読まずにおいた方が精神衛生上よさそうである。クワバラ、クワバラ。

 

 

 

 

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