『季刊作家』No5(1993.3月)

 

 

 

風紋・伏流

 

 一、風紋

 

 十月に入ってから二つの台風が立て続けに紀伊半島の南側を掠めて去って行った。台風の置土産か、大阪の街も落葉が目立って、急に秋らしくなり、夜は毛布が要るくらいになっている。

 由紀は、母の三津と初物の柿を愉しんでから、十一時過ぎに二階の部屋に篭もり、ドイツ語のテープを聴きながら床に入った。そうやってテープを聴きながら床に入るのがここ一年ほどの習慣になっている。今夜、語学学校で習った構文のところが終わると、由紀はテープをしまい眠りに就こうとした。しかし、つい先日、自分の所属する製本工房の金子から石見雅彦を初めて紹介された時、彼にまるで意外なものでも見るようにまじまじと見つめられてしまったことを思い出した。

 二週間ほど前になるその日、「K大病院のお医者はんや、講師の偉い先生やで」と言って、金子は石見を紹介し、特別装丁の記念論文集の製本という、その仕事を由紀に回してくれたのだった。

 

 九月終わりに、初めて石見雅彦が大阪の中津にある「萬巻房」を訪れた時、由紀は金子の助手をして、ある古書愛蔵家から預かった江戸中期の謡曲本の修理をしていた。和綴じの修理は日本ならではの仕事で、まだあまり良いテキストがなく、こうやって先輩のやり方を見て覚えるしかない。それより何より、こうした技術は言葉では説明できない部分の方が根本的に重要であることが多いものだ。

 由紀がそれまで勤めていた商業広告の仕事を辞めて、最初は趣味で始めた製本を仕事として萬巻房でほぼ常勤のように始めてから一年余りが過ぎようとしている。筋がいいのか、由紀は最近ではマーブリング紙の表紙を付けたノートや住所録を作ったり、比較的弱り方の少ない洋装本の修理や雑誌の合本などを任されるようになっている。

 破れの上に貼る薄い和紙を選ぶのに熱中していた由紀が、人の気配に気付いてふと面を上げると、そこに石見の顔があった。前もって電話で約束してあったらしい石見が、工房の入り口から次の間になっている作業室に入って来たのに金子も由紀も気付いていなかったのだ。

「いや、失礼。入り口で何度か声は掛けたんですがね。奥におられるようだったので、勝手に見学させてもらいました。朝、電話をしました石見です」

「ちょっと待ってくれはりますか、あとここをやったら乾くまで時間がありまっさかい。えらい、すんませんなぁ」

 糊の刷毛を持ったまま、ちょっと見上げるように石見に目礼すると、再び金子は目をその古書に落とした。修理のために古い綴じ糸を外して、一枚一枚にばらしてあるため、途中で気を抜けないのだ。

 製本工房「萬巻房」の入り口には「作業中ですぐに出られないことがあります。掛けてお待ち下さい」と、貼紙がしてある。そして、間口の狭い玄関には、革を張った古風な長椅子が置いてある。それでも、暖簾の奥に作業をしている足が見えるので、初めてここを訪れる人の二人に一人は石見のように、製本というのは実際どうするのかと奥を覗きにやって来るのだった。

 あの時、石見の視線と目が合って、石見がじっと見ていたのが修理中の古書でもあり由紀自身でもあるとわかって、由紀は耳まで赤くなったものだ。若い娘をじろじろ舐め廻すような視線には慣れていて、そんなものは無視できるのだが、石見の視線はそれとは違っていた。あとで石見が彼女に話したように、それは半ばは医師として患者を診る時の目であり、残りの半分は自分が失ってしまったものを持ち続けている幸福な者を見付けた時の羨望の目なのであった。

 あの日、初めて由紀はひとつの仕事を任されたのだ。製本という仕事に賭ける気持ちを固めつつはあったが、老いに向かいつつある母のことや尻切れとんぼに別れたままになっている唐津健史に対する自分の気持ちに整理が付いたのは、やはり初めて全責任を負って仕事を受けたのだ、いよいよ一人前の製本装丁家への道を歩み出したのだ、という緊張からだったと思う。自分を大切にすること、自分に悔いを残さない生き方をすることが結局は今まで自分を育ててくれた母に対する恩返しでもあるのだし、過去を振り切って生きていく力にもなるのだろう。

 

 大阪に出て来て二年目の二十五歳の夏の終わりに、金沢の高校時代から付き合いのあった唐津健史との別れがあった。それから由紀はずっと男を男として見て来なかった。そしてどのような男にも、自分を女として見ることを拒否して来ていた。唐津と会わなくなってから製本を知るまでの一年あまりの間、七年間も付き合った男に「捨てられた」と由紀は臆病に生きてきた。あの冬から既に四回の冬を越して来たのだ。

 K大の経済学部から大学院に進んだ唐津を追うように、地元の美大を終えて雪のない大阪に出て来てからも、雪国の冬に慣れた由紀にとって、冬は「越す」ものであった。心身ともに雪に降り込められる冬を越して初めて、一年が過ぎたという感覚が由紀にはある。大阪に移ってから自分の生きて来た年月に確かな時間の感覚が湧いて来ないのは、雪のない冬のせいであるような気がする。大阪に来てからの五年半は長いようにも短いようにも思われてくる。

 唐津と別れるまでの、誰かに頼って生きることを女として自然なことと信じ込んでいた自分には、時間は随分と長く重苦しく感じられたものだ。唐津とのことが終わって、四回の冬を越し、今は随分と強くなったと自分でも思う。それは製本を知ったからとも言えるだろう。

「えろうお待たせしまして、ま、どうぞ、狭いとこですけど、ま、そこに坐って下さい。今、お茶入れまっさかい」

 金子はそう言って石見を玄関の脇にある革張りの長椅子に勧めながら、冷蔵庫から冷やした麦茶を出して三つのコップに入れている。ここでは、手を離せる者がお茶を入れたり客の応対をする。社長の石田が寄っている時でも、石田が手隙なら、石田がお茶を入れてくれたりもする。いわば、ここは皆が職人として、仕事を至上の物としているのだった。

「由紀さん、麦茶ここに置きますよ。・・・・あ、そこなあ、裏からもせなあかんし、置いといて。あとで一緒にしよ」

「はい」

 由紀は、どう処理しようかと考えていた摺り切れて切れかかっている折り目をそのままに置くと、壁ぎわの小さな机に金子が置いてくれた麦茶を手にとった。先程の、自分に見入っていた石見の視線が気になった。

「由紀さん、手がすいてたらちょっと来て」

 前の部屋から金子が呼んでいる。

「どおやろ、由紀さん、この仕事やらしてもろたら、と思うんやけどなあ。医学の論文を集めて本にしはるんやけどな、教授先生とか偉い先生の分だけ、ちょっと凝ったもんにしたいんやそうな。数物と言うても五冊やけど、どうや、やらしてもろたら?」

 穏やかな石見の顔も由紀を見詰めている。

「あの、教授もぼくも製本のことは何も知らないんで、どうお願いしたらいいのかわからないんですが、教授が言うのは、記念論文集だから手元に残しておくのは本自体もちょっといいものにして、記念にしたいと言うんですよ。まあ、五冊ですから多少高くついてもいいと思うんで、お任せしたいんですがね」

「私ひとりでですか? 任せると言われても、・・・・総革装か布装か、紙装かで出来上がりも費用も全然違ってきますし・・・・そんな、私ひとりで・・・・」

「最初は誰でも恐いもんや。でもいつまでもわしみたいなもんの手伝いばっかしではあきません。仕事が自分のもんにならしまへんで」

 金子はどこから出してきたのか羊羹を切って小皿に分けると、黒文字をそえて石見や由紀に勧めてくれる。

「欲出さなあかん。由紀さん、やらせてもらい。ほんまに困った時だけ手ぇ貸したげるさかいな」

 由紀は金子のそうした気持ちと石見の穏やかな眼差しに勇気づけられた。そして、自分を試してみよう、という気になったのだった。

「これご覧になりますか? わたしはとてもとてもこんな素晴らしいのはまだできませんけど、これも製本装幀なんですよ。こうなると、値段が付けられないでしょ」

 由紀が石見に見せたのは、様々の鮮やかな色に染めた革による貼り絵の表紙の本であった。染めた革を下地の革に張り付けたというような単純なものではなくて、準備された染め革を段差が出ないように薄く削いでからきっちりと貼り合わせ、そのまわりを金で型押ししてある。それは大雑把にみても、数種類の色種から成り、百以上の小さな革片が使われている。革の表面は凹凸がなく、革を重ねてあるとはとても見えないほどだ。気が遠くなるような手順を踏んでここまで作り上げられたに違いない。

 こうした隙のない技術を初めて見た時、由紀は職人の執念のようなものを感じたものだ。淡々と手順を一つずつこなしていく金子の手裁きをまるで奇術のように見詰めながら、まだ入門したてであった当時の由紀は一つの技術を物にすることに、ある恐ろしさをしみじみ感じたものであった。

「これは、・・・・もうこうなると完全な芸術ですね。確かに値段なんて付けられないでしょう。すごいですね。これは金子さんが?」

「それは五十万ほどですわ。職人は作ったもん売らな食べていけしまへん。由紀さんはお嬢さんやからなあ」

「お嬢さんだなんて。私そんなんと違います」

「あなたは大阪じゃないですね?」

「はい、金沢です。金沢の美大を出てから、大阪に出て来たんです。言葉、おかしいですか?」

「あ、いやいや、ぼくも関西じゃないから、関西の標準語ってのは全くわからないんですよ」

 由紀は人の視線を逃げずに、話している相手の顔をじっと見ながら話をする。たいていの男は由紀の美貌が眩しくて目を逸らしてしまうのだが、石見は怖じることなく、先程のようにじっと由紀の目を見て話し掛けるのだった。

「失礼だけど、貧血を言われたことはないですか? 雪国の人らしい真っ白な美人なんだけど、ちょっと血の気が足りないんじゃないかなあ。何ともないですか?」

「はい。いつも病気とまではいかないけど、血は薄い目だって言われてます」

「そうでっしゃろ、先生。・・・・な、由紀さん、もっと食べなあきませんで。熱心なんはいいんやけど、この人ほんまに寝食を忘れはるんで困りますわ。職人は細く長く続けるのも大事なことなんやけどなあ」

 結局、学術関係の古書の修理の経験も多い金子の提案で、厚表紙を付けて函入りとするが、総革装とするか背革の継ぎ表紙とするかや小口を三方金とするかどうかなど、細かい所は由紀が見積もりを作って、石見と後日相談して決めることになったのだった。

 明日はその打ち合わせに京都へ行くのである。

 夕方その電話を入れた時、石見はちょうど研究室に居てくれて、由紀からとわかると急に口調が柔らかくなったように由紀は思う。自惚れかもしれないが、と自分で自分の思いを打ち消しながらも、忙しい石見がその時部屋に居てくれたのも、優しい石見の声にも、「普通ではない」好意が込められていたと由紀は思いたい。医師という仕事は誰にでも優しくしなければならないのだから、誰にでもあの先生は、あんなふうに話されるのかも知れない。それに、あの落ち着きは家庭も仕事もうまくこなしているということなのだろう。

 いや、どちらでもいい、そんなことは。あたしにどれだけの仕事ができるかが大事なのだ、と由紀は思った。もう、人の気持ちを探りながら生きていく生き方は捨てたのだ。私は、私がどうしたいかだけを考えて生きていくのだ、と由紀は自分を確かめてみる。

 製本にのめり込んで突っ走ってきた二年近くだったが、考えてみるまでもなく、由紀は今、人間としても女としても盛りの時期を迎えているのだった。

 

 由紀は私生児である。美大に入る前に父親の認知を受けているのだから、正確には今は違うが、いずれにしても由紀は父のない子として育った。十年ほど前に亡くなったのだが、由紀の父親は能勢浩蔵といい、石川県の県会議員を長くしていた人で、輪島塗りの漆器製造販売の会社を手広くやっていた。

 由紀は幼い頃、父親とは月に二、三度やって来て、母とのんびり酒を楽しんで泊まっていく人と思っていた。それが議員を辞めた頃からは、一週間以上も泊まっていくことが多くなった。

 浩蔵から由紀の母の三津に手当てされていた住まいには小さな舞台が拵えてあって、そこで午後には週に二、三回三津が踊りの稽古を付けていた。そんな時、父は由紀や二十人近くいた母の踊りの弟子たちの稽古を、母の斜め後にきちんと座って楽しそうに眺めていたものだ。

 その頃でもだいぶ頭は薄くなっていたが、六十を過ぎてすぐに、名前だけの会長に退いて家業を次の代に譲ると、以後は由紀たちの家に住み付いてしまった。正妻は今でも松任の本宅にいるのだが、夫婦としては由紀の母とのことが始まる前から既に壊れた関係なのだった。

 能勢浩蔵は由紀にとっては、父というより祖父に近い歳でもあり、叱られた記憶もなく、器用に庭のつつじの絵を描いてくれたり、夏休みの宿題の工作を手伝ってもらったりと、やさしくされた記憶があるばかりである。母が出稽古に七尾へ出掛ける時などには、会社の大きな自動車を自分で運転してきて、三人で初夏の能登半島を廻ったこともあったものだ。

 踊りは高校の一年で由紀は止めてしまったが、由紀の家には日本舞踊を習いに幼い子から年配までのさまざまの女たちが出入りしていて、由紀は決して寂しいとか日陰者といった気持ちを持ったことはなかった。

 由紀が高校の二年になった時、社会に出る時に父親がなくてはつまらないことで肩身の狭い思いをするだろうと、母は浩蔵に頼んで非嫡出子としての認知をしてもらった。その年の冬、珍しく会社を覗いた浩蔵は卒中の発作を起こして、寝たきりになってしまったのだった。倒れた所がたまたま会社であったことから、浩蔵は本宅のある松任の病院に運ばれ、危篤といわれた最初の一、二週間は由紀も母親の三津も病室に入れてもらえなかった。状態が落ち着いて、本宅の人々の出入りが頻繁でなくなってから、浩蔵の地盤を引き継いで県会に立っている人が、正妻と三津との間を取り持ってくれて、やっと二人は浩蔵に面会ができた。浩蔵が消え入るように息を引き取ったのはそれから二週間くらいした強く雪の降る昼間であった。

 由紀の認知をしてくれた時に、金沢の家や株式やら美術品など、かなりの物を三津の名義に替えてくれていて、浩蔵の死後、三津たちは葬儀にも参列でき、本宅の正妻や会社を継いでいる息子たちと争うこともなく済んだのだった。 高校三年になり、由紀は唐津健史と同じクラスになった。学業で飛び抜けていた唐津と、高校の中で一年の時から目立っていた由紀との間に恋と呼ぶには幼すぎる感情が生まれたのは自然な成り行きだった。二人が正副のクラス委員に選ばれて、二人の付き合いが始まったのだ。

 高校の卒業が近付くと、踊りを教えていてまだ若いとはいえ、母親の三津を一人にする訳にはいかないと考えた由紀は誰にも相談せずに地元の美大を選んだ。唐津は官僚や政治は嫌いだと言って、K大を選んだ。大学の四年間、お互いにのめり込むことなくそれぞれの道に励んだことが、二人の関係を保たせたのだろう。

 地元の美大を終えて大阪の商業広告の会社に由紀の就職が決まると、三津は意外とあっさりと由紀が大阪で暮らすことを受け入れた。前から世話になっていた県会議員の紹介で地元に仕事を探すこともできたのだが、由紀は唐津のいる京都に近い、大阪という広い所に出たかったのだ。はじめ、母子が別々になると思った由紀だったが、元々が京都生まれの三津は、浩蔵の亡くなった今、誰にも義理立ては要らないと、自分も金沢を引き上げて大阪に移ると言い出した。弟子や衣裳屋、植木職人などの出入りが多いとはいえ、雪の積もる北陸で女一人で暮らすのが、初老といっていい歳になっている三津にはやはり重い事なのかも知れなかった。

 大阪に来て唐津とは一時間で会える距離になって、逆に二人は遠くなっていったような気がする。唐津に求められることもないまま、由紀と唐津との間には結局最後まで、身体の関係はなかった。唐津は大学院に入って学者への道を歩み始めていた。唐津の頭の中まではわからなかったが、唐津の異性を含めた人間観や社会観が少しずつ変わって行っていることは由紀にも感じられた。

 やがて、心の中では随分前から準備していたような唐津との別れがあった。

「アメリカは遠いからなあ。もう会えなくなったね」

 大学卒業後も主任教授に目を掛けてもらって大学院に進んで研究を続けていた唐津は、アメリカ留学が決まった後、そう言って去って行った。渡米した後の唐津からは、ニュージャージーの消印のある絵葉書が一度届いたきり、連絡はなかった。その葉書には彼の寄宿先の住所は書いてなかった。それがすべてだった。

 それからの一、二年、由紀は立ち尽くして、現在という時を見送っていただけだった。そんな抜け道のない毎日を遣り過ごしている由紀を見兼ねて、母の三津はもう一度踊りをやらないかと勧めてくれたこともあった。しかし、あの頃の由紀には踊りは女の技でしかないと思われた。人間として自分はどうして生きていこうか悩んでいるのだ、と由紀は珍しく声を荒げて三津に食って掛かったりもしたものだった。

 

 由紀たちが大阪に出てきてもう六年近くになっている。 製本を始めるまで四年間勤めていた商業デザインの仕事も確かにおもしろかったのだが、拘束時間が不定期で、扱う店の営業が終わってからの夜や早朝に出なければならないことが多いのが、女の身体にはきつかった。生理の不順が続き、一緒に住む母に、そんなんしてたら、はように女でなくなるえ、と言われたのと、その日の新聞に未婚婦人に乳癌や子宮筋腫が多いと出ていたのが、たまたま重なったのも気に掛かっていた。

 三年半ほど前になる四月の始め、仕事で出入りしていたある百貨店の催し物で製本、装丁の実演コーナーが出ていた。美術に興味のある由紀が足を止めて見入った時、人見知りの強い金子が、その時も十人余りの見物人の視線に耐えているかのように、黙々とカッターや刷毛を使っていた。特別なナイフで革を薄く削ったり、出来上がり近くなった本をプレスに掛けたりと実に様々な工程があり、その一つ一つを金子は緩急なく、整然と無駄なくこなしていて、知らぬ間に本の形が現われてくる。

 ちょっと覗いては他のコーナーに移っていく人々がほとんどで、その時金子の手を食い入るようにずっと見続けていたのは由紀と七歳くらいの男の子だけだったのを覚えている。その子も由紀も金子の手の運びに見取れ、確実に手順を積み重ねて、やがて一つの美しい本が生まれ出てくる作業を、まるで手品でも見るように息を詰めて見入っていた。

「おじちゃん、鋏使わへんでなんで真っすぐ切れるん?」

「うん? おじちゃん上手やからや。その代わりなぁ、おじちゃん、頭は切れへんねん」

「おじちゃん散髪屋さんしてはったん?」

「あ、こりゃぼくには難しかったな。・・・・おじちゃんなぁ、これしかようせんのや。その代わりなぁ、本作らしたら日本一やで」

 由紀のほかに数人の大人も居たためか、最後の「日本一」は照れるように小声になり、視線を落とすとカッターで一気に見返しの紙を断ち切った。金子はその子の横にいた由紀の視線と出会うと、はにかむように目を伏せて、横に置いてあった文庫本をひょいと取り、ためらうこともなくその表紙をむしり取った。皆から、あっ、という溜息が漏れたこともお構いなしに、誰に言うともなく、金子は説明しながら、黙々と手を動かしている。

「これほんまは、こんな文庫本にはもったいないんやけど、見本でっさかい。自分の好きな本、大事な本が弱った時に、中身を直してから表紙をしっかりしたのんに替えてやるやり方です。表紙も自分の好きなもんに替えれます」

 本の中身の、表紙から剥がした所に付いている糊をきれいにナイフで落としてから、ボンドを置き、寒冷紗を乗せる。一方で文庫本のサイズより一回り大きい厚紙を二枚と背表紙になるものを切り出すと、赤、青、藍、黒、緑など数種類ある内から鮮やかな赤い布を選んで、先程の厚紙を繋ぐように貼る。そして、その背クロスの色と合うようにあらかじめ選んであった表紙とする千代紙やマーブリング紙で表紙張りをすると、表紙の体裁が出来上がってくる。あとは、見返しと呼ばれる、表紙と中身を繋ぐ厚手で目の詰んだ上質紙を本の中身の初めと終わりに付け、その本の中身を先に出来上がっている表紙でくるんでプレスに掛ければ見違えるような美しい小本が出来上がって来るのである。

 その一つ一つのステップを、きっちりと計算された手順に従って淡々と積み上げていく金子の手の動きは美しかった。それに、職人という言葉で連想される手とは違って、金子の手はごつごつしたところもなく、本をふわりと包み込む子供のような優しい手をしているのも由紀の心を和らげた。

 金子の作業台の横には様々な意匠の本が並べられている。中でも、金塊を黒っぽい色の革の表紙でくるんであるような本が由紀の目を惹いた。天地も前小口もすべて金で揃えてある上に、表紙は金で太い縁取りがなされており、その中に様々な染め革の貼り絵で燃え上がる金閣寺が描かれてある。一見するとスノビッシュに思えるのだが、その表紙を構成する小さな革の一つ一つや、一ミリの狂いもないかっちりした造作に、由紀は次第に圧倒され魅了されていった。

「革の表紙も同じように出来るんですか?」

「まぁ、そうです。革は下準備が要るけど、やり方は同じことです。ま、凝りだしたらきりがありませんけどなぁ」

「力が要りそうですね?」

「いやぁ、そんなことないですよ。若い女の人も四十過ぎのお婆ちゃんもうちに来てやってはります。力も頭もなーんも要りしません」

 囲んで見ている十人ほどの人垣が、どっと笑い崩れた。 由紀がこの製本の仕事に魅入られて、勤めていた商業広告の会社を辞めてこの工房に入ったのも、この金子の仕事ぶりを見たからだった。

 どうもわしはインテリは苦手やねん、というのが口癖の金子は、工房の主人である石田から大阪梅田の北にあるその工房を任されている。経理の方は週に一、二回工房を覗く社長の石田の仕事にしてもらっていて、自分は朝早くから夕方まで、黙々と古書の修理や貴重本の革装幀といった高度な仕事に熱中しているのだった。金子は中学を出てから石田社長に製本全般をみっちり仕込まれて今年でこの道二十七年となり、独身のまま四十三歳になろうとしている。製本の魔力に引き込まれて、精進を積み上げているうちに婚期を逸したといったところだろうか。

 由紀のほかに、この製本工房には常連が十数人いて、普段はほかの仕事に就いていながら、その仕事の定休日になると製本の勉強にやってくるOLや、図書館司書をしている四十代の人もあった。それで、曜日によっては由紀と金子の二人だけの時もあれば、数人がめいめいの仕事を持ち込んで、かなりの大きさの作業机にもかかわらず、その上がいっぱいになってしまう日もあるのだった。

 

 天職という言葉を由紀はこの頃よく思い起こす。金子の天職はこの製本以外にはない。彼は十五歳でその天職に巡り合えた。そして、随分まわり道はして来たが、私にとってもこの本作りこそが天職なのではないのだろうか。由紀はそう思う。

 由紀は製本を本気ですることに自分で決めてから、広告会社を辞め、昼間はこの萬巻房に通い、夜は週に二回ドイツ語の会話学校に通っている。それは、製本の本場がヨーロッパで、ドイツには石田社長の娘さんが今通っている製本学校があることを聞いたからだった。職人の技術をマイスターという資格で高く評価するヨーロッパの考え方にも惹かれた由紀は、いずれは自分もドイツのその製本学校に進もうと決めていた。社長の石田にもその希望は伝えてあって、ドイツ語と製本の基礎がある程度の所に来たら、紹介をしてもらうことになっている。

 一年半の間に、由紀のドイツ語は荒削りながら随分と上達し、ゲーテ・インスチチュート大阪校の初級を終えて来春にはツェルティフィカート(初級終了試験)を受けられるくらいになっている。それに通れば、語学面での遊学のチケットを手に入れたことになる。

 製本の方もドイツ語の方も金子の姿勢を見習ってか、由紀はここまで順調に力を付けてきた。異性に目が向かなかったのは、同年代にそれだけの男がいなかったせいでもあるし、何より製本の魅力に取り付かれていたということだろう。人間は裏切るが、技術は裏切らない。自分の力で積み上げたものはその高さを正直に反映してくれるし、それはいつまでも残って自分を見つめ返してくれる。

 石見雅彦という異性の視線が気になったのは、あるいは唐津と同じK大の人間であることや、医師ならドイツ語という連想が働いたせいに過ぎないのかも知れない。

 私には製本という道がある。それからはみ出さない限り、自分はもう大丈夫だ。自分でもよくはわからないが、自分の直感を、感情を大事にしよう。そして、自分で自分の生を切り拓いていくのだ。

 由紀はそれだけを確かめると、もう休まなければと、ぐっと冷え込んできた秋の夜に沈むように目を閉じた。

 大阪の北にあたる千里山の駅から坂を上がった屋敷町にある由紀たちの家のあたりは、夜も九時を過ぎると物音一つしない。雲も引き連れて台風が行ってしまったのか、十月に入ってから朝や夜はぐっと冷え込んでくる。なかなか寝付かれないのはこの寒さのせいだろうか。

「明日は京都、か」

 そうつぶやくと、無理に眠るのは諦めて、由紀はまた目蓋を開けて天井の木目をカーテン越しの微かな明かりでなぞっていった。風の音さえしない秋の夜が、自分の心を深いところまで澄ましていくように由紀は思う。

 

 唐津に捨てられたように、人に自分を左右されるのはもう嫌だ。私が思い、私が選び取った生き方をしなければ。私は製本装丁の道を歩いていく。まず、ドイツの製本学校に入ること。それが第一の目標。次にドイツでマイスターの資格を取ること。それが第二の目標。それから・・・・

 むきになると自分の中の女の部分を自分で切り捨てている自分が見えてきて、由紀はふっと可笑しくなってくる。製本だけが人生ではない。母も言うように、女としても生きた方が楽しいのだろう。

「わかってる、そんなこと」

 そう、由紀はつぶやいてみる。唐津とのことで自分の女を見捨ててしまった訳ではない。

 ただ、女である前に、自分は宮部由紀という人間でありたいのだ。それを崩してまで女であろうとは思わない。これから先、恋することはあっても、恋に溺れるようなことはないだろう。

 由紀は明日会うであろう石見雅彦の端正な顔立ちや、何年ぶりかの唐津の顔を思い起しながらも、今は自分の中心にしっかりとした位置を占めている製本への思いを頼もしく感じていた。

 

 

 息を整えながら由紀がバッグの中の時計を確かめると、時刻は約束の五時の三分前を差している。病院の玄関には早めに着いたのに、廊下で迷ってしまって、ここにたどり着くのにずいぶんと時間がかかってしまった。

 その部屋のドアには「石見雅彦」の名刺が貼ってある。ノックをして石見の返事を聞いて、由紀はやっと、ほっとした心持ちになった。

「綺麗にされてるんですね、お部屋の中は」

「あ、ははは、あんまり汚いんで驚いたでしょう、この建物。ここはもう二年ほどで壊すか、カルテやレ線フィルムの倉庫になるらしいんですがね。この建物は本当は存在しないんです」

「はぁ?」

「折り紙付きの消防法違反の建物でしてね。登記上はこの建物は十年前に壊されてることになってる。予算がなくて研究棟を建てられなかったもんだから、こうしてこっそり使ってるんですよ。もちろん、消防署は知ってますよ。でも、暗黙の同意というか追認させられちゃってるらしいんですよ」

「はぁ、・・・・石見先生はいつもここにいらっしゃるんですか」

「そうですよ。もっともたいていは病棟とか学部の敷地内にある研究施設の方にいて、ここは荷物を置いたり、昼寝をしたりですけどね。まあK大なんて言っても、古いだけでね。ハードもソフトも古いだけでちっとも良いことないですよ」

「はぁ?」

「いやぁ、建物もぼろぼろなら、中にいる人間も古いだけで、全然大したことないってことですよ」

 石見の研究室の場所は昨日の電話で教えられていた。途中何人かに聞きながら、K大病院の広い敷地の中に教えられた建物を見付けたものの、建物を地図と見比べながら、由紀は半信半疑でこの建物に足を踏み入れたのだ。

 五階建ての古い建物全体が、欝陶しいほどに繁茂した蔦で覆われている。確かに石見の言った通りだが、由紀がイメージしていたのとは全く違っていた。由紀が電車の中で想像していたのは、雨風で美しく洗われた古い煉瓦の壁に緑も鮮やかな蔦が窓辺に這っている。建物は古いが手入れは行き届いていて、窓枠は鮮やかな白で塗られていて、といった神戸の異人館のような情緒を予想していたのだ。それが無残に外れた。

 建物は黴ですっかり黒くなった剥出しのコンクリートであり、蔦の葉はその黒ずんだ壁のみならず、錆びた鉄の窓枠を越えて五階建ての最上階まで欲しいままに伸びている。あるいは蔦の葉で隠された窓が見えている窓以外にもあるのかも知れないが、少なくともここ数年手を入れた様子はない。台風の雨で洗われた葉が美しい色を見せているのが、せめてもの救いであった。

「驚きました、正直言って」

「そうでしょう。子供が夏休みに一度だけ遊びに来たんですが、下の子は怖いと言って泣き出しちゃいましてねぇ。確かに夜はお化け屋敷ですよね」

「子供さんがおられるんですね。先生お若く見えるから、独身でも通りますよ。大学の先生って、おじさんのイメージがありますけど」

「三十五になっても、教授の使い走りをやらされてますよ」

 率直な人だな、と由紀は思った。K大講師という肩書きではなく、自分の言葉で話してくれる。あるいは自分のことを異性とは見てくれていないのだろうか。女ではなく、製本職人と見られたいといつもは思っている自分なのに、勝手な話である。

 約束通り石見が教授の意向を確かめておいてくれて、持ち込んだ数冊の見本を見ながら、予算や体裁についてだいたいの仕様がすんなりと決まった。表紙はオーソドックスな背革の継ぎ表紙とするが、函は美しい装飾柄で由紀の方に任せる、という注文である。由紀にとっては製本の基本技術と自分の創意を生かせる願ってもない話だ。

「さて、時間があったら食事に行きませんか? 少し上がった所に日仏学館があるんですけど、そこにレストランが入ってましてね。藤田嗣治の大きな絵が置いてあるんですよ。医局からお金を貰ってますから、遠慮はいりません。ぼくだけじゃ退屈でしょうから、秘書室の若い人に付き合ってもらうように頼んでありますし」

「でも、・・・・」

「先約でもあるかな? ふられちゃったなぁ」

「いえ、予定はないんですけど」

「じゃ、行きましょう。実はもう三人で予約を入れてあるんですよ。あなたのお陰でぼくもおいしいものが食べられるんだから」

 

 結局、石見の言葉に乗せられる形になってしまった。本当のところを言えば、由紀は京都へ向かう電車の中からすでに外函のデザインを考え始めていて、イタリアのインテリア雑誌で見たマーブリング・ペーパーを自分で作れないか、一刻も早く試してみたかったのだ。それに、石見と二人ならともかく、初対面の人間と一緒に食事をするというのもかえって気詰まりなことだった。

 待ち合わせ場所である附属病院の北側ロビーで由紀が待っていると、時刻どおりに石見がひとりの女性を連れてやってきた。よく手入れされた長い髪の前の方だけを微かにブラウンに染めている。美しい人だな、と由紀は一瞬気が重くなった。打ち解けてずいぶん近いものに感じ始めていた石見と自分との距離が、この人の分だけまた引き離されてしまったように妙な寂しさを覚えたのだ。

「はじめまして、都築葉子です。秘書という名の雑用係をさせられてますのよ」

「それはないだろう」

「だって、きょうの午後なんて、マルPの奥さんが医師会婦人部の油絵展に出品するとかで、チケットと挨拶状を封筒に入れて、宛名書きまでさせられたんですよ」

「それはひどい。公私混同もいいとこだな。ぼくが何とか言ってあげようか? きょう、機嫌良かった?」

「すごく良かったけど、言えます?・・・・訳ないでしょう?」

「そうだよなぁ、言える訳ないよなあ。・・・・教授というのはまともな人じゃ勤まらない職業なんですよ。宮部さん、あなたは会わない方が精神衛生上いいでしょう」

 石見は苦笑しながら、それでも、その言葉は本気のようだった。

「はあ、そうします。でも、作った本を本当に喜んでもらえないんじゃつまんないですね、私」

 由紀は先程までのやる気を削がれて、小さなため息が出た。初仕事、と意気込んできたのに。

「あの人のために作るんじゃなくて、K大医学図書館の備品になるんだと考えてやってくださいよ。論文の内容はともかく、貴重な蔵書として未来永劫まで残しますから、責任を持って」

「まあ、大きく出ましたね、先生」

 葉子の笑顔を見ていると、石見に対する葉子の気持ちが同性である由紀にはよくわかるような気がする。石見ドクターは気付いているのだろうか? 由紀はそうした葉子を見て、石見に向かっていた興味が退いていくのを感じた。

 白熱灯の間接照明と蝋燭だけの暖かい明かりの中で、由紀は実に久しぶりにゆったりした夕食を楽しんだ。製本の合間に摂る食事はいつも頭の中で次の段取りを考えながらだし、家での母と二人の食事は、大阪に来てからも十人あまりの弟子の踊りを見ている母が、いろんな世代のお弟子さんから仕入れてきた話題の聞き役に回ることになってしまい、食事そのものを楽しむことはなかなかないのだった。 メインの鹿肉のローストが済んで、三人ともお腹が大きくなって豊かな気持ちになっている。それに、どうせ医局費から出るんだから、と石見がワインを赤白一本ずつ頼んでしまい、かなりアルコールも入って、皆、先程から口が軽くなっている。

「石見先生、時々こうして葉子さんとデートされるんですか?」

 軽い気持ちで由紀は言ったのだが、石見は少し酔った顔ながら、真面目に答えてきた。

「ぼくなんか、二人の子持ちですからね、もてやしませんよ。それに、彼女はついこの間婚約したんですよ、ね」

「まあ、それはおめでとうございます」

「ふふふ、どうも。でも由紀さん、おめでたいかどうか、一緒に暮らしてみないとわからない、とお思いになりません?」

 この人は、と由紀は思った。不本意な結婚なのだろうか、結婚というともっと素直に喜んでいいと思うのだが。

「ドイツなんかでは、一緒に何年か住んでから結婚するかどうか決めるそうですね」

 由紀は万巻房の社長の石田から聞いた話を思い出した。娘さんがドイツに留学中で、自身も何度かヨーロッパを回ったことのある石田は、そんな話をして、娘が青い目の孫を連れてくるんやないかと心配してるんや、わしはドイツ語でけへんのやさかいなぁ、と皆を笑わせたものだ。

「みんなじゃないけど、多いですね、確かに。四年ほど前、一年間だけフライブルクに居たんだけど、学生は同棲してるのが多かったね。家賃を節約できるから二人で部屋を借りるんだけど、同性で借りるほうが変に思われる、って所があるからね、あっちでは」

「葉子さん、お式は来春ですか?」

「いえいえ、お腹が目立たないうちに・・・・うそうそ。御免なさい、冗談ばっかりで。初対面の方なのに」

「彼女、いつもこうですから、気にしないで」

「先生といる時はね」

 そう言って、葉子は酔っておどけた振りをして隣の席の石見に体を寄せた。柔らかい光の中、葉子の表情をテーブルの上の一輪差しの黄色の薔薇越しに窺いながら、隠しきれないものがある、と由紀は思った。葉子の気持ちの中にあるのは、恋と呼んでいい感情だと由紀は感じた。そんな感情は、由紀にとってもさほど遠いものではないのだ。

「こらこら、唐津夫人がこんなことをしちゃ駄目じゃないか」

「いいじゃない、先生。まだまだ独身なんだから。今のうちに思いっ切り遊んどかなきゃ、ねぇ、由紀さん」

 由紀は金縛りにあったように、ワイングラスに手を添えたまま体が強ばって動けなくなってしまった。今確かに「唐津夫人」と石見は言ったのだ。唐津などという苗字はそう多くはないはずだ。

「由紀さん、きれい。悔しいけど」

 葉子は石見の左腕を抱いたまま由紀の方に目を向けた。石見は自分の物、あなたにはあげない、という挑んでくるような視線が由紀にはわかる。

「そんな」

 石見先生に興味はないわ、と言いそうになって由紀は言葉を飲んだ。葉子は石見に対してこんな気持ちを持ったままで、本当に他の人と結婚しようというのだろうか。

「宮部さんは正真正銘の美人だからなぁ、かえって男は近付けないんだよ。宮部さんは今、製本が恋人でしょ。ぼくにもそんな時代があったのかもしれないけど、忘れてしまったな。羨ましいですよ。あなたを初めに見た時から、いい目をしてるなと思ってました」

 あの時の石見の眼差しはそういうことだったのか。異性としてではなく、人間としての自分を見てくれていたのだ。それは嬉しくもあり、少し寂しくもあった。しかしこれで、石見との間にはっきりとした距離を保っていけそうだと由紀は納得した。

 そして、唐津とのことなどずっと前に終わってしまったことなのだ。今の自分は、製本装丁家としていい仕事をすればいい。葉子の相手が、唐津健史であったとしても、それは自分とはもう関係のないことだ。由紀はそう気持ちの整理が着いたことで、葉子の結婚を離れて眺められそうに思った。

「葉子さんは結婚したかったの? それとも、結婚するものと思ってきただけ?」

「いつまでも親におんぶにだっこという訳にいかないでしょ、親の方が早く死んじゃうし。由紀さんみたいに自分を支えてくれるものを身に付けてないでしょ、誰かに凭れていくしかないのよね。同性として、情けないでしょ」

「そんな情けないことないだろう。高校の途中まで彼女はイギリスに居たんですよ。英会話の力を生かして生きてもいけるじゃないか」

「だめだめ、私ができるのはトーキングだけ。自分の考えなんてないんだから。内容のないテクニックだけの英会話なんて自分を支えてはくれないわ」

「偉いのね。皮肉じゃなくて、自分のことそういう風にきちんと見られるのはとても凄いと思う」

 葉子はやっと石見の腕を離して、テーブルの上のコーヒーカップにたっぷりのミルクを注いだ。柔らかいクリーム色とコーヒーの色が緩やかな渦を巻いて、上品なマーブリングの紋様を作っている。

「両親はずっと前から別居してるの。と、言っても同じ家の中でだけど。なのに、私には結婚しろって。母も研究者だし、うちの親は二人とも結婚生活に向いてないのよ。子供の時からそんなの見てきたから、自分は結婚しないスーパーウーマンになるか、馬鹿な主婦になろうって思ってきたの。楽な方に流れ流れて、主婦の卵になっちゃった。あーあ、馬鹿みたい」

 石見も由紀もどう言っていいかわからなかった。ワインの酔いがあるにしても、こうした話を打ち明けてきた葉子がいとおしく思えてくる。かつて自分を捨てた唐津が、葉子の許婚者なのかもしれないことも忘れて、由紀は葉子を近しいものに思い始めていた。このあと、もし石見が黙っていたら、「私は私生児なのよ」と由紀は葉子に言い出していたかもしれない。

「夫婦だからって、ずっと一緒に居なきゃならないことはないさ」

「そうじゃないわ。気持ちもすっかり離れてしまってるんだわ、あの人たち。欺瞞なの、離婚しないのは」

「気持ちだっていつも一緒、なんておかしいさ。結婚してる方が便宜上有利という結婚生活があってもいい。寂しいところはあるけどね。理想的な結婚なんて言っても互いに自分を殺し合ってるだけじゃないか、とぼくは思うね」

「先生も狡いのね」

 葉子の言葉には力がなかった。自分もそうした狡い結婚を選ぼうとしているのだ。葉子の口の端には含み笑いさえ漏れている。

「そうかもしれない。だけど、これだけ多くの他人に囲まれて生きているのに、一対一の人間関係だけで満足がいくなんて、ぼくにはそっちの方が嘘っぱちに思えるな。息抜きの人間関係が許されていないとやりきれないよ。たとえ、それが異性とのものであってもね」

「そうね。先生、正直ね」

「君もあまり決め込まずに一度結婚してみればいいのさ。ぼくみたいにそれで満足しきって、こんなふうに美人二人に囲まれても、びくともしない夫婦になれるかもしれないんだし」

 顔で笑いながらそう言って、石見は雰囲気を引き上げようとした。

 

 そうなのかもしれない。決め込んだ人間関係など脆いものだ。夫婦という関係も脆いものに違いないのだろう。母は父と戸籍の上では夫婦ではなかったけれども、最後の最後まで気持ちが通い合っていた、と由紀は思う。確かに経済的には父の囲われ者ではあったのだろうが、母は父と対等だったように由紀は思う。

 父が真面目な顔で母の意見を尋ねたり、温習会が引けたあとで父が母の肩を揉みながら和やかに語らっていた安らかな二人の顔を思い出すと、婚姻届などという社会の枠組みと夫婦という男女の関係とは全く別のものであると思えるのだ。

 稽古のない日、誰もいない舞台で母の舞うのをじっと見つめていた父の横顔を盗み見た日のことは忘れられない。縛り合って一緒にいるのではなく、互いに相手を選びあってそこに二人がいる、というのが本当の大人の男と女のあり方だとあの日、由紀は知ったのだ。

 たとえ自覚はないとしても、母は精神的には自立していたのだなあ、と由紀は思う。そうした母を由紀は誇りに思う。そして、正式の夫婦から生を享けてはいないことなど自分の価値とは関係のないこと、製本に賭けている現在の自分自身をこそ自ら認めてやりたい、という切ない気持ちが起きてくる。

 

「私は結婚していないから、石見先生みたいに、一度結婚してみれば、とまでは言えないけれど、私も結婚制度に縛られることはないと思う。人間として通い合うものがあるかどうか、それが続くかどうか、それだけ」

「由紀さんは強いのね」

「弱いの。だから、製本っていう素直な恋人しか持てないんだわ。手ごわいけど、楽しいから続いてるのね。人間は難し過ぎるから、当分手が出ないって感じ」

「私は馬鹿だから、ふらふらするしかないのね、きっと」

 そう言って、葉子は冷めたコーヒーを手に取った。俯いた葉子の顔は幼く見える。

 なぜなのだろう、と由紀は思った。まだ二十年余りしか生きていない葉子なのに、どうしてあらかじめの諦めでしか今を、そして明日を思い描けないのだろう?

 由紀自身は唐津とのことでつまずいたけれども、それで強くなって、今は製本に賭けようとしている。葉子が両親の不和を見てきて夫婦の愛情というものを信じられなくなったのはともかく、なぜ、自分の生のすべてをこんなにも投げてしまえるのだろう?

 由紀の気持ちを見透かしたように、葉子は続けた。

「欺瞞でもいいの。大事なのは自分ひとりなんだってわかったから。私は私で今度の結婚を納得してるの。父の研究室の有望株なんですって、その人。天才肌の男だからおまえの気性と合うだろうって。私にかまわずご研究にいそしんだらいいんだわ。私は私で生きていくんだし」

「葉子さん、ご主人になる人はそれでいいとして、あなたはどう生きていくの? ・・・・私の言っている意味わかるわよね?」

「今は大丈夫。いつまでかはわからないけど、今は私の目の前にそれがあるから」

「秘書のお仕事?」

「まさか。・・・・内緒」

 葉子はそう言いながら、テーブルの上の小さくなった深紅の蝋燭を見つめた。さっきの目だわ、と由紀は思った。石見を愛している、ということなのだ。葉子の自信のある眼差しはそれが葉子の一方的な思いではなく、実体のある関係なのが窺われた。この石見がまさか、と思いながらも、あるいはそういうことなのかもしれないと由紀はひとり納得した。いままでずっと、自信を持って生きていると見えた石見だが、レストランの東側の壁のほとんどを占める藤田画伯の大作に向けられた、石見の遠くを見やる眼差しに、脆さというか翳りとでもいったものが含まれているのを由紀は見落とさなかったのだった。

 

 千里山へと帰る電車は九時過ぎで結構混んでいた。始発の河原町から乗ったのだが、八分の座席は埋まっており、由紀はドアの横に立って、視界を横切って去って行く沿線の家の明かりを見遣っていた。

 四条河原町までタクシーで送ってくれた葉子と石見は今頃どうしているのだろう。きょうの話で、あの二人の関係はまた一歩進んだのではないだろうか。由紀を降ろしたあとのタクシーの後ろ姿の中に、二つの影が寄り添っていたのを由紀は危うい物のように見ていた。車がすっかり見えなくなるまで、由紀は祈るような気持ちで二人を見送ったのだった。

 と、突然大きな振動と騒音を伴って、阪急電車と並行している東海道新幹線の線路をひかり号が擦れ違っていった。

 ほんの二、三秒間の轟音と閃光の喧騒と動揺のあとに、また単調で安定した電車の走行が続いている。

 何も変わってはいない。

 

 葉子や石見と一緒にいた先程までの現実は何だったのだろう。幻灯ででもあったのだろうか? 抑えられた照明の中の葉子が近く、そして遠い存在になっていく。

 唐津と結婚する葉子は結婚に幸福など期待してはいないという。では、そんな葉子と結婚することになる唐津は幸福なのだろうか? 葉子が言うように、学者として上へ昇っていくステップとして都築教授の閨閥に入るだけと割り切っているのだろうか? 昔のあの人なら、・・・・いや、あの人は随分と変わったのだ。アメリカ留学の頃から、あの人はすでに遠い人になってしまっている。

 それに、石見ドクターはいいとして、奥さんは結婚ということをどう考えているのだろう? 夫婦を、閉じた排他的な関係と捉えるのが、安定した日々を送る主婦の考え方だろう。そこに割り込む人間関係が明らかになった時、石見ドクターは、妻は、いったいどうするのだろう?・・・・いや、それは個人の問題、当事者でしか解きようのない迷路なのだろう。

 窓辺に凭れて、心地よい揺れに体を任せながら、由紀は小さく呟いていた。

「私は私。まず、ドイツの製本学校に入ること。それからマイスターの資格を取ること、それから・・・・」

 ふっと、ため息が出た。葉子も石見も、そして唐津も石見の妻も、それに一日の疲れに居眠りをしている電車の中の人々も、皆が表情のない顔で毎日を生きているように思えてくる。

 由紀はドアのガラスに顔を近付けると、遠くの暗闇に目を凝らした。明かりの灯った沿線の町並みの遥か向こうには、光を返してくることのない闇が続いている。由紀は静まりかえった夜の砂漠をこの電車に自分一人が乗っていて、どこか知らない異境へと疾駆している錯覚に落ちていった。

 

 

 

 

 

二、伏流

 

 受付で記帳を促されて、葉子のあとに自分の名前を書き入れながら、十行ほど前にその名前を見付けて、唐津健史は思わず息を飲んだ。

 宮部由紀・・・・由紀がどうしてこんな所に?

 冷静に考えようとしてもそれより前に、こうして葉子といっしょにいるところで由紀と出会ったら、という不安が繰り返し押し寄せてきて、閑散とした画廊の中を唐津は落ち着きなく見回してしまうのだった。後ろめたいことはない。いや、むしろおれは由紀に会いたいのではなかったか。そうわかってはいても、今ここで由紀と顔を合わせたら、葉子の前でおれはいったいどんな顔をすればいいのか? しかも、由紀は宮部姓のままで結婚してはいないらしいのだ。

 医師会婦人部絵画展という、見る前からつまらないとわかっている展覧会に唐津が来ることになったのは、許婚者の都築葉子に付き合わされたからである。葉子にしても、これは上司である北条教授の暗黙の命令に従って顔を出しているに過ぎなかった。記帳をして、北条夫人の作品をさっと見ておけばいい。そして月曜日の朝、とてもきれいなブルーでしたわ、とでも言って誉めておけば、芸術とは無縁の北条教授はそれで満足なのよ。そう言って、葉子はこの退屈な仕事に唐津を付き合わせたのだ。

 奥の控えから手持ち無沙汰に時代小説の雑誌を持った四十がらみの男が出てきて、葉子に挨拶を送ってきた。

「あら、きょうは・・・・」

「きょうはお手伝いですわ。医師会のほうから頼まれて、各メーカーが交替で店番やらしてもろてますねん」

 そういって、製薬会社のプロパーである亀山は隣の二人の受付嬢を顎で差した。

「学会の寄付やら、奥様たちの遊びのお世話やら、土曜日だというのに亀さんたちもたいへんねぇ」

「これが仕事ですわ。薬が出んことにはねぇ。あ、さっき、石見先生がえらい別嬪さんを連れて来はりましたで。本屋さんとか言うてはったけど」

「宮部さんでしょ。本屋さんじゃなくて、今度の論文集を製本してもらう方よ。きょう二回目の打合せだって、石見先生が言っておられたわ」

 葉子が由紀を知っている! 唐津は記帳を済ませて葉子の傍で画廊全体に目を配っていたが、二人の会話に文字通り体中の血が引いていくのを感じた。

「そう、それそれ。製本って何をです?」

「マルPの道楽よ。今度の論文集、図書館とか偉い先生に配る分だけ、特別の装丁にするんだって」

 唐津は葉子に後ろを見せたまま、聞き耳を立てていた。由紀はショウ・ウィンドウのデコレーションなどをする商業広告の会社にいたはずだ。今、彼女はどうしているのだろう? そう、もうあれから四年が過ぎている。

 

 唐津は最後に由紀に会った時の由紀の姿を思い出していた。留学が決まったばかりで、自分が有頂天になっていた頃だ。夏の終わりで、人の少ない嵯峨野の北を歩いた帰りの、四条大宮まで出る嵐電の中だった。博物館から抜け出てきたような年代物の可愛い車両が二両だけ繋がったその電車の中は、京都観光に訪れた地方からの中学生や家族連れで混みあっていた。

「実はね、この秋から、ニューヨークの近くにある経済学研究所に留学が決まったんだ」

「まあ、すごいじゃない」

「う、うん。ラッキーだね」

 その時の由紀は色白の顔に、喜びを素直に出して祝福してくれたのだった。その顔は、自分との関係がどうなるかなどという打算などとは無縁の、好意に溢れていた。だがあのあと、どうしておれはあんな台詞を吐いたのだろう。無神経な、あまりにも無神経な。

「アメリカは遠いからなあ。もう会えなくなるね」

 唐津は思い出すのだ。そのあと、隣に立っている由紀の顔が歪み、ふっと窓へ視線が流れ、それからずっと終点の四条大宮に着くまでの間、彼女はじっと窓の外か窓に映る自分の顔を見詰め尽くしていた。

 その言葉を唐津は、その時、むしろ無邪気な口調で言ったのだ。その意味するものが由紀にとってはどういうことなのか、まったくわかっていなかった、と唐津は思う。

 千里山の家に帰るのに阪急電車に乗り換える由紀に、あの夜も、唐津はいつものように「じゃ、また」とだけ言って別れたのだ。あれから由紀には会っていない。阪急の改札口で最後に見た由紀の力のない微笑みが浮かんでくる。

 

 ほかの作品にはほとんど目もくれずに、カンバスの下のプレートに北条教授夫人の名前を探しながら、先へ先へとどんどん行ってしまう葉子に遅れて、唐津は所々に二三人ずつ立ち話をしている入場者を用心深く窺いながら進んでいった。会場の半ばを過ぎて奥がないとわかるところまで来た時、そこにも宮部由紀の姿がないことがわかると、唐津はやっと足が地に着いてきた。

 由紀がいないとわかると、今度は、由紀に会いたかった、と自分勝手な思いが唐津の中に沸き上がってくる。いや、やはり、もう会わない方がいいのだ。由紀とのことは過去に閉じ込めたはずだ。そう唐津は自分に言い聞かせて、葉子の姿を探した。

 ギャラリーの壁にはおとなしい色の風景画や静物画がほとんどで、絵画の見方がわからない唐津には、予想どおり退屈な小品が並んでいるとしか思えない。

「つまらないものばかり、よく描くなあ」

 由紀がいないとわかって気持ちに余裕が戻ったのか、唐津は自分の気持ちを引立てるためにそう呟きながら、葉子の後ろ姿をゆったりとした足取りで追って行った。

「じゃ、出ましょう」

 近付いてきた唐津の方に振り向くと、葉子はそう言って彼の腕を引いて出口へと促した。

 葉子の割切り方は見事なほどだった。受付で名前を書いて、一枚の絵を見たら終わり、というのがはっきりしている。目的物を見付けたと思ったら、もう帰ろう、である。由紀の残像の余韻から抜け切らずにいた唐津は、この都築教授の一人娘と一生付き合って行くことを選んだ自分の判断に、ほんの一瞬だが微かな迷いを持った。

 しかし、唐津はもう考えることはなかった。この娘は由紀とは違うのだ。それはそれとして、この娘ともひとつの人間関係を作ればいいのだ。そう、おれは確かに由紀を愛していた、いや、今も由紀を愛しているのだろう。でも、それは別のことなのだ、と。

 

 葉子はK大経済学部の都築教授の娘で、同じK大の医学部の北条教授の秘書をしている。教授たちは自分たちの娘が大学を出ると、こうやってどこかの教授室や編集室に出入りさせることが多かった。行儀見習いと呼ばれるが、実際は、有能な男をあてがってもらうための顔見せなのだ。

 北条教授という人はワンマンらしくて、先輩教授の前ではぺこぺこしている癖に、自分の教室員にはもちろんのこと、看護婦や他科の若手医師など、目下と見れば自分の都合だけを押しつけるらしく、葉子からは「最低」の教授と聞かされている。この展覧会でも、夫人が出品するというので、葉子は夫人の私的な案内状の発送を秘書としての勤務時間に手伝わされたという。

 同情を示してそうした葉子のぼやきを聞き流しながらも、唐津には強大な権力の付属した教授というポストが、今回の葉子との婚約で自分により近くなったのを喜んでいる自分自身を否定できないのだった。閨閥だけで上に行ける時代はもちろん過去のものだが、能力や実績だけで誰もが教授の椅子まで昇りつめられるわけではない。現教授との年齢差が大き過ぎても小さくてもだめで、研究テーマが主流から外れ過ぎていても教授選考ということになれば認めてはもらえない。そして何より、やはり人脈がものを言うのだ。教授選など運だと人は言うが、条件を緻密に詰めていけば、次、あるいはその次までは読めるとも言われている。

 学生時代には教授というポストなど考えたこともなかった唐津に、それを焚き付けたのはほかならぬ都築教授だった。十七人ほどのゼミでずば抜けていた唐津に大学院進学を勧め、そして順番を飛ばしてまで、院に在学したままでの留学という慣例破りのエリートコースをお膳立てしてくれたのも都築教授である。そして、今回の葉子との婚約とくれば、都築教授のバックアップの元で、教授への道を走りだしたと自覚しないわけにはいかないのだ。

 都築葉子と婚約する前に唐津が付き合ったのは宮部由紀だけだ。それは大学卒業のあとまで続きはしたものの、地理的に離れていたこともあって、年に何度か会って話をしたり映画を観たりといった高校時代の延長の付き合いでしかなかった。そして、留学を契機に由紀との出会いは絶えている。

 彼女とは高校時代の延長のような付き合いしかなかった。無論、結婚の話が出たこともない。それにもかかわらず、唐津には由紀を傷つけてしまったという後味の悪さが残っている。アメリカに着いて自分のこれからを漠然と考えた時に、由紀との距離を意識的に大きく取ったのは事実だ。渡米後最初の便りを絵葉書にして、様々の記事で紙面を埋めてニュージャージーの住所を書き込めなくしてしまったこと。そして、研究所に早速スタッフとして参加し出して超多忙だなどと、うそを書き加えたこと。それはすべて、由紀との関係を切ろうと思えばいつでも切れるように、という自分の計算からだった。相手が自分にとっての「ひとりの人」であると心の内で十分にわかっていながら、そうした気持ちを曖昧なままにして、打算に走った自分。それに、切るなら切るで、自分からはっきりと切らなかった自分。それらはすべて自分の弱さであり、狡さだったと唐津は今は自覚している。

 学者として歩むことを決心したあの頃、唐津は自分を取り巻く人間関係のすべてを整理しようと思ったのだ。学者としての自分に役に立つ人間関係か、どうか。そういう割切り方で、他人を切り捨てていった。四年間同じ下宿にいて私大の経済に通っていた井村や山室とは、同じ経済専攻ということで仲がよかったものだ。麻雀や競馬といった遊びを教えられたのも彼らからだし、当時の財政政策の評価をめぐって明け方近くまで議論したこともあった。二人とも今は、それぞれ大阪に本社のある中堅商社に入っていたが、渡米を機に彼らとの連絡も断った。就職の勧誘で三回生の頃から何度も祇園のお茶屋に連れていってくれたゼミの先輩にもそっけない返事をするようになった。無意識のうちに、自分が学者としての道を登り始めたことで、自分が人間としても優位に立っているという考えに唐津は染まっていったのだ。

 自分からは急に変わったわけではないのに、教授の引き立てと、妬みを秘めた先輩や同期の院生たちの目を意識する中で、次第に自分は変わっていったように唐津は思う。他の人間との付合い方、信頼とか協調、あるいは愛情、誠意といったものに関わることなど、自分の研究者としての成長にとっては意味のないことだ、と敢えて切り捨てようとしていた。そうすることが、ひ弱な自分を律するためには必要だと唐津は考えたのだ。

 

 十月の空は気持ちよく晴れ渡っていて、北山の幾重にも重なる山の連なりが、見慣れた唐津にも美しい。きょうは週末の昼食に都築教授の家に呼ばれているのだ。

「絵がお好きなようね。いい絵がありまして?」

「いや、良し悪しはわからないですよ。好き嫌いがあるだけです」

 画廊全体を見渡しながら葉子のあとからゆっくり付いてきたことを言われているのだ。葉子の口調にはからかうような調子があると唐津は思う。しかし、どうしても葉子のことを都築教授の娘として見てしまう自分がいた。

「葉子さんは絵は嫌いですか」

「つまんないでしょう、凡人の絵なんて」

「はっきり言いますね。それじゃ、ピカソやゴッホは好きなんですか?」

「そうね。クリムトは好き。私、退廃的なんです」

 そう言って、葉子は唐津の方を流し見る。彼の顔色から、反応を探ろうとするようだ。唐津にはこの四歳年下の女がわからない。今回の結婚にははっきりとした態度で自分の希望だと言いながら、こうして会っていると、時々、唐津から嫌われたいのかと思われるようなことを言って彼を刺激してくる。

「ぼくは音楽は嫌いですが、絵とか彫刻は好きですね。さっき言ったように、良し悪しはまったく素人でわかりませんがね」

「音楽を、どうして?」

「新聞のコラムに、音楽は、頭の中に緻密に構築した論理を一挙に溶かし崩すから嫌いだ、っていうのがありましたがね、ぼくも同感です。虚脱した時間に聴くBGMはいいんですがね」

「本当、唐津さんは学者さんねぇ」

「からかわないで下さいよ」

 むっとくる気持ちを抑えながら、唐津は無邪気に笑う葉子を抜いて、地下鉄の今出川駅の入り口に入った。

 

 都築教授の家は地下鉄で北に上がった北山駅の近く、植物園のすぐ傍を入ったところにある。煉瓦の基礎の上に白く塗ったフェンスが渡してあって、そこから道路に向かって溢れるほどのコスモスが咲き競っていた。

 葉子の家は京都特有の、棟が接するばかりに家が並び建っている小路の中程にあった。十年余りの間イギリスの大学で準教授、そして正教授を勤め、八年前に母校に迎えられて、京都に定住すると決めた時にこの家を買ったという。

 桜色の花群れが煉瓦の色と白いフェンスによく映えていた。漢字で秋桜と書くコスモスだが、その風情は古風な家が多いその小路で目立っている都築家の明るい色調の建物を、不思議なバランスで周囲に馴染ませていた。庭は葉子が世話をしているという。頑なに思える葉子にも、あるいは、その内面には「秋桜」という字がしっくり馴染むような寂しさと優しさが隠されているのだろうか。

 微風に柔らかくそよぐコスモスの叢と同系色の、薄桃色のスーツを着た葉子と並んで都築教授宅の門の前に立ちながら、唐津は秋の日差しに目を細めた。門の脇に聳えている二本の棕櫚の強い緑が、秋の空に似合っていると彼は思った。

 

 あらかじめ下準備がしてあったのか、葉子が昼食にスパゲティとサラダを手早く整えた。都築教授夫妻と葉子と四人で簡単な昼食をしていると、これが今からの穏やかな日常になるような錯覚に捉われそうに唐津は思った。

 葉子は姉と言っても通じるような若く見える母親と、冗談混じりにきょう見てきた絵画展を腐したり、デパートでの葉子の失敗談に笑い転げたりしている。唐津は講義の延長のような、都築教授の話に付き合わされた。隣りあって座っている都築夫妻は互いに言葉を交わすことはなかった。両親は別居生活を楽しんでるのよ、と来るまでの道で葉子が言っていたが、確かに、唐津が心配したほど四人の食卓はぎすぎすした雰囲気ではなかった。それはそれで、唐津には心地よいもてなしだった。

 食事が済んで、リビングに席を移しても、教授はなおも大学の話を続けていた。頭の中には、家庭というものがなくて、大学における学問研究と人事にしか興味がもてないのだろう。都築教授は上機嫌だった。ロンドン時代に在職していた大学に、この秋、ある日本企業の寄付講座が開講されることになり、その記念レクチャーに招聘されたという。

「じゃあ、もうじきですね。日本の財政における国債の位置付けの変遷ですか。フィスカル・ポリシー批判というか、大きな政府から小さな政府への転換を前提にしての、ですね?」

「まぁ、そんなところかな。唐津君はこの前の田宮君のランチタイム・レクチャーは聴いたかな」

「いえ、水曜はR大の演習を引き受けてますから」

「そうか。田宮君は外国債の場合の償還時期と国内での資金事情の・・・・」

「まあまあ、二人ともお勉強が好きねぇ。私じゃなくて父と結婚なさる、唐津さん?」

 葉子はジノリのティーセットを運んできてテーブルに移しながら、そう言って男二人をからかった。

「おまえはそうやって学問を馬鹿にしているが、所詮、人間のすることなど、理論から算定された蓋然性の枠の中で踊っとるようなもんだ。おまえなど、・・・・」

「はいはい、私は馬鹿ですよ。唐津さんは私にはもったいないわよねぇ。唐津さん、かわいそう?」

 葉子は父親の横ではなく唐津の横に腰を下ろしながら、自分がからかっているのはむしろ父親であり、学問という体系の融通の無さなのだ、という顔で父親の方を見た。

「普段はさっぱりしゃべらんくせに。客があると、親をからかうことしかできんのだ、おまえは。自分のこともわからないくせにな」

「自分を知らない馬鹿ほど大きな声で叫びたがるものよね」

「なにっ」

 都築教授が気分を害しているのが伝わってくる。あるいはこれが、普段、両親と葉子の三人でいる時のこの家の空気なのだろうか。唐津は目を伏せながら、葉子がミルクをたっぷり注いでくれた紅茶をゆっくりとスプーンで掻き回していた。唐津は呼吸するのもためらわれる程で、じっと座っているのが胸苦しくなってくる。

 葉子の母親は、四人での昼食を済ますと、講義の準備があるからと、すぐに二階に引っ込んでしまっていた。唐津が葉子の婚約者で、娘の夫になる男だというのに、葉子の母親は唐津を都築教授の客として対応しているようだった。今度の婚約が決まる以前から、都築教授夫妻が不和なのは噂では聞いていた。それに、対外的に二人で出る必要のある時はともかく、数年前から面と向かっては口をきいていないのだと葉子からも聞いている。どうも、二階が夫人の占有になっているようだ。

 葉子の母親の顔を思い出そうと思って、唐津は葉子の横顔に目を遣った。きっ、と口を結んで、次に出てくる父親からの言葉に身構えているようにも見える。そう、この顔だ、と唐津は思い出していた。葉子の母親も、いつもこうして家の中で、夫に身構えて暮らしているのだろうか。

 ずっと機嫌の良かった都築教授が不機嫌になると同時に、葉子も表情が険しくなった。どうも葉子は父親に似ているらしい。初めの見合いから先日の婚約まで、唐津から見た葉子は感情の起伏の大きな娘だった。物静かにやさしい時もあれば、わざと蓮っぱに振る舞うこともあった。そうしたことは若い娘の照れの表現とも思い、結婚という現実生活へのためらいとも唐津は見做してきた。女子大の卒業だから、異性と付き合ったことなど今まで一度もなかったのだろう、と唐津は可愛く思ったりもしたものだ。

 やがて、葉子は奥に引っ込むと、大きなスポーツバッグを抱えて戻ってきた。

「私、テニスに行って来ます。申し訳ありませんけど、唐津さん、もうしばらく寂しい父の話相手になってあげて。・・・・じゃ、たぶん、きょう中には帰りますから」

「馬鹿を言うな。唐津君を置いて出る奴があるか」

「でも、唐津さんは汗をかくことがお嫌いだし、音楽も落ち着かないからお嫌いなんですもの。ですよね?」

「あ、ええ。まあ、でも」

「そんなことやない。葉子、ここに座れ。唐津君と色々話しておかないかんこともあるやろう」

 興奮すると地の言葉が出てくる父親の言葉を無視して、葉子は表情を変えずに玄関へのドアを開けて出て行こうとした。

「唐津さん、失礼します。せっかくのお天気だから、一汗かいてきますわ。父のお守りはたいへんよ、じゃ」

 そう言って、葉子はさっさと出ていってしまった。

「あの、馬鹿者が。どうしようもないじゃじゃ馬やな。すまんなぁ」

「いえ、ぼくでしたら、何とも・・・・」

 そう答えながら、唐津は葉子の残していった微かな香水の香りを嗅いだ。激しい気性だが、根は寂しい人なのだ。若さとは不器用で、偽りがないものだ。あるいは、彼女はまだ純粋な心を持ち続けているのかもしれない。

 唐津は作り物ではない微笑を浮かべながら、若さというのはいいものだ、と胸の中で呟いていた。

 

 

 パソコンに向かって資料整理をしていた唐津は、疲れた目をこすりながら立ち上がると、2Kのアパートの窓を開け放った。夜中の二時である。十月に入ってからは、冷気がまるで冷蔵庫を開けた時のように、裸足の足元に重く降りてくる。

「三十分だけ走ってくるか」

 目が冴えてすぐに眠れそうもないと思った唐津は、玄関横の鍵掛から車の鍵をつかむと、近くに借りている駐車場へ車を出しにいった。昂ぶった気持ちを抑えて、眠りに導いてくれるものとしての深夜のドライブが癖になったのはアメリカ留学時代だ。

 日本人留学生が集まっているアパートメントを敢えて避けて一室を借りていたので、一日中、日本語を使わない日が何日も続くことがあった。そうした緊張から、肩の力を抜くために、帰る前に研究所の周りを走ったりしていたのだが、それでもなかなか寝付かれないこともあったりした。ニューヨークの中心からは離れている町ではあったが、夜のジョギングはやはり危険だと教えられた。それで、研究所の先輩研究員からタダ同然に譲り受けた中古のシトロエンに乗って、夜の町をゆっくり走るのが当時、半ば習慣になってしまったのだった。

 一日の緊張から解放されて、日本語のテープを流しながら運転だけに頭を使う。次第に頭が軽く、白くなってくる。それが、彼のストレス発散法だった。母から送ってもらったり、日本人向けのコンビニ店で買い求めたりしたテープで、日本で流行しているという演歌やポップスを抑えた音量で流しながら、唐津はただただ、頭の中が空虚になっていくのを待つ。日本にいる時には聴きもしなかった流行歌といったものを聴くようになったのも、当時からである。「彼女が由紀を知っていたとはなぁ」

 一乗寺の山側から人気のない白川通りを北に向かって車を走らせながら、唐津はきょう一日を思い返していた。

 修学院の陸橋を渡ると、北側に視界が開けてくる。

 そのまま道なりに走らせると、由紀と何度かボート遊びをした宝ヶ池に車は向かう。そこは週末の深夜には暴走族が集まると新聞で読んだことがあったため、唐津は道を右にとって、鞍馬の方へ行ってみることにした。

 おれは独りになりたいのだ。爆音を轟かして猛スピードで突っ走りたい、という気持ちはおれにもわからないではないが、徒党を組んでそうした暴走をする奴らの気持ちはわからない。外界と自分を峻別するためなら、スピードを上げるのもよかろうし、耳をつんざく騒音で身を包むのもわかる。しかし、群れてしかそれをできないところが、奴らとおれとで根本的に人種が違うのだ、と唐津は思う。

 夜はひとりになりたい。夜の自分があるからこそ、昼の自分が破綻なく振る舞えるのだろう。

 留学の二年間で、確かにおれは変わった。例えば、きょう、由紀とあの画廊で出会っていたら? 葉子と二人の時に出会っていたら? あるいは、おれ独りでいる時に由紀と四年ぶりに出会っていたら? 案外、おれはさらりと由紀と挨拶を交わせていたかもしれないではないか。

 いやいや、「もしも」は無数にあるのだ。目の前に突き付けられている現実にさえ、人は十全に答えられてはいない。もしも、は止めよう。

 体ほどもある大きなスポーツバッグを抱えた葉子の横顔と、彼女の香水の香りが思い出された。あのストレートさは彼女の若さなのだろう。若さとは不器用で、人には残酷なものなのだ。しかし、それはそれでいい。自分の孤独から目を逸らすためのやさしさなど無用だろう。

 

「まるでこどもよ、二人とも。意地を張ってて。用は全部私が取り持ってるの。賢いもの同士じゃうまく行かないのよ。唐津さん、私が馬鹿だからちょうどいいわね」

 吉田山にある料亭での内輪だけの婚約の式の後、別々に同じ家へ帰っていく両親の後ろ姿を横目に見ながら、葉子はそう言って、唐津に舌を出してみせたものだ。

 そう、婚約の日のことはよく覚えている。唐津は夏の終わりの九月に入ったばかりの、あの暑かった一日を思い出していた。

 あの日、おまえのような息子を持てて、私は何という幸せ者だろうと言って、金沢から出てきた母はずっとハンカチを目に当てていた。褒めてくれる時の癖で、じっとこちらの目を見つめながら肩を二回三回と叩く父の手には、かつての勢いは失われていた。もう来年には定年なのだ。地方の公立中学の校長として、堅実と誠実だけを拠り所に生きてきたような父だった。

 二人揃って、暑い中を律儀に礼服を着て、唐津の恩師でもある都築教授に深々と頭を下げている両親の後ろ姿を見ながら、今、いよいよ、自分は父も母も遥かに追い越してしまったのだな、と唐津は思ったものだ。おれには愛情というものがないのではない。自分を育ててくれた一日一日の記憶は決して薄れてはいないし、恩という言葉でしか捉えられないような無償の愛情を享けてきたという自覚もある。それにもかかわらず、両親がちっぽけな存在に見えてきて、唐津はそういう驕った見方をしてしまう自分自身に嫌悪と同意を同時に覚えたものだ。父の生きた数十年を小さいと見る根拠は何か。一心におれを育ててきた母の一生を笑う根拠は何か。いったい、人の価値をおれは何を基準に測ろうというのか?

 唐津がそんな気持ちを持て余していた時だった。葉子は両親のことを「まるで、こどもよ」と、さらりと切り捨てたのだ。その言葉を聞いて唐津は、自分の前に漠然と何本か延びているように思えた選択肢がすっと消えて、一本の道しか残っていないことに気付き愕然としたのだった。もう、父の励ましもなく、母の涙もなく、自分は一人で生きていかなければならない。それに、伴侶と決まった葉子はおれと同じように、自分を閉じている。結婚を女にとってのひとつの通過儀礼ででもあるかのように、愛よ恋よと浮かれることもなく、唐津という他人を評価することもなく、ただ単に受け入れようとしているだけの葉子の心に、あの日、唐津は冷え冷えとしたものを感じたのだった。

 そうした葉子の心の有り様が、唐津自身の鏡像にほかならないことに、その時、彼は痛いほどに気付いてしまっていた。

 葉子と婚約し、学者の道を歩み初めて、自分が変わってこうなったのだろうか。朴訥な両親の生き方から離れて、今から自分が歩もうとしているこの道は、これで正しいのだろうか? 葉子と二人で築いて行く生活の先にあるのは、金沢の両親のような姿なのか、それとも葉子の両親のように背をそむけ合ったまま同じ家に暮らすだけの夫婦なのだろうか?

 九月はじめのあの日の夜、金沢へ帰る両親を乗せた雷鳥号を京都駅に見送りながら、唐津は宮部由紀の顔を思い出したのだった。数えてみれば、別れてから四年が過ぎていた。ここ二、三年思い出すこともなかったのに、ほかの人との婚約が決まった日に由紀を思い出したりして、と唐津は引きつった笑顔で自分に呟いたものだ。

 

 由紀はあるいはもう、金沢に戻っているのかもしれない。金沢で結婚し、何人かの子供を産み、家族とともに浅野川や犀川を毎朝散歩しているのではないだろうか。留学中には、ふっと、そんなことを思ったこともあったのだ。

 由紀と出会ったのはもう十年余りも前になる。高校からの帰り道、毎日のように唐津は回り道をして由紀の家の近くまで彼女と一緒に帰ったものだ。

「日曜の朝、兼六園通ったらもう雪吊りしてあったわ。しもやけできるし、うち冬はいややなぁ」

「きのう、うちのお弟子さんが自分とこでできた、お酒持ってきてくれたの。搾り始めの最初の最初の原酒ゆうん? 少しだけ舐めてみたよ」

「夕日、きれい。女の色やねぇ」

 母が京都の人だといって、あの頃、二人の時には由紀は京言葉をまねて話していたものだ。「うち」という言葉が高校生ながらも、艶かしく聞こえたのを唐津は覚えている。たいていは由紀が話し、唐津は黙って由紀の話に頷いていただけだった。それでよかった。言葉になる前の思いは十分に通い合っていたのだ。由紀はおれを評価し、おれは由紀を評価していた。心が相手には大きく開かれていたのだ。もしも、あのまま・・・・。

 

 唐津は、ふー、と長く息を吐いた。溜息はきょう何度目だろう。もしも、は止めたはずなのだ。それでもその時、唐津には、セーラー服の由紀と詰め襟姿の自分が、夜の道のずっと先に並んで歩いているような気がした。

「もう、会うこともないだろうと思ったら、そう思ったとたんに、だもんなあ」

 唐津は、また、大きく息を吐いた。

 擦れ違う車といえば、時々、客を降ろしたタクシーが市中へ戻って行くくらいだ。道が細くなってきて、街灯も疎らになってきている。唐津は左折を二回すると、元の道を今度は南に向かって戻って行った。明日の日曜日は、引出物やら招待者の最終確認やら、結婚式の何度目かの打ち合せが朝から入っている。それに、新居にする賃貸マンションもそろそろ探し始めないといけない。唐津は頭が軽くならないまま、あきらめて、アパートに帰ることにした。

 いっそのこと、由紀に出会っていた方が、まだしも結論が出ていたのだ。今のおれは、四年前のおれではない。今は成熟したひとりの人間として、由紀と向かい合えるだろう。

 あの頃の唐津が、由紀に対して捨てきれなかったこだわりは、精神的に自分は由紀ほどには成熟していないのではないか、という危惧だけだった。

 本人にはとうとう最後まで直接確かめはしなかったが、由紀は妾の子なのだ、という噂を唐津は高校一年の冬にクラスのある女生徒から聞いていた。金沢という地方都市には珍しい都会的な美貌の持ち主で、私生児という噂のある由紀は、ほとんどの男子生徒には近寄り難いものがあった。意識していないつもりでも、唐津もそういう目で見てしまう時があったのだろう。二人の交際が始まったあとでも、彼は由紀のうわべの表情の奥に、大人の女が持つ翳りといったものを見ていたように思う。

 その頃は打算などという言葉で由紀に対する自分の行動を規制したことはなかった。自信がない、ということなのだと当時、唐津はそう自分を捉えていた。平凡な教師の家庭で育った自分には、由紀のような境遇で育った人間を根本の所では理解できないのではないか。由紀の父親は、選挙の度に唐津もその名前を聞いたことのある、保守政党の県会議員だという。京都の舞子上がりだという母親は踊りを教えており、由紀も名取の前までいっていたという。自分などより由紀ははるかに大人の目を持っていて、彼の言葉、彼の意気込み、あるいは彼の自制といったものを、内心青臭いと笑っているのではないか、と思ったりもしていたのだ。

 留学が決まったことを伝えたあの夜から、由紀に距離をとったのはなぜだったのだろう。

「アメリカは遠いからなあ。もう会えなくなったね」

 軽口の口調でそう言った時の自分は、これでおれも一人前の大人になった。初めて由紀と対等、いや、由紀より大きな人間になったぞ、という気がしていたのではなかったか。今思えばまったくの所、そういう考え方自体、子供じみた考えでしかないのだが。

 その時は、由紀が「飛行機に乗っちゃえば、日本なんて直ぐよ」とでも、軽く返してくれるものとおれは思っていた。しかし、目の前の由紀は違っていた。遠くを見る眼差しの中に自分を急激に閉じていった由紀の反応の厳しさがおれを戸惑わせ、由紀に対してのおれの畏れを増幅したのだ。おれなどまだまだ由紀の前では青臭い少年でしかない。おれはおれのプライドを守るために、由紀から離れていったように思う。

 そして、おれを日常的に取り巻く世界、都築教授を始めとする研究室の一人一人の目が、おれにおれ自身の未来を自覚させた。

 ニューヨークに向けて飛び立つその日まで、とうとう由紀に連絡を取らず、英会話や留学の諸手続きに自分を忙殺させたのはなぜだったのだろう。自分の目の前にいくつもの可能性が開けて見えてきたから? いや、そうしたきれいごとではなかったはずだ。希望、未来、展望、という言葉に続いて、野心、そして打算、策略という、それまでの自分には縁のなかった言葉が浮かんできたのだ。過去を引き摺っていては先へは行けない、と自分を納得させての、自分の判断であったことは打ち消しようのないことだ。

 しかし、あれは、本当の自分だったのだろうか? 人生の勝者となるためには悪にでも染まろう、という偽悪者の不安、あるいは自分の弱さを自分の目から逸らすための強がりでしかなかったのではないだろうか?

 本当の自分は、何を求めて生きたいと思っているのだろう? 何を求めて生きるのが幸福ということなのか。何に依って生きていくのが平安ということなのか。そして、一人で行くには寂し過ぎるその道程を、誰と手を取って歩んでいくのがふさわしいのだろう。

 ・・・・・・由紀。

 いや、繰り言は言うまい。失った過去を悔やんで現在を忘れる愚昧はおれにはふさわしくない。おれにはおれの天性が見え、未来が見えている。今、おれは迷うことなく、この道を行けばいいのだ。自己を最大限に実現することこそが人生の目的なのだろう。たとえそれが、権力への意志と呼ばれるものではあっても。・・・・そう、過去とは人生の秋に回顧して涙するものではあっても、決して再びそれを生き得る遊戯などではないのだ。

 おれは今、由紀の記憶をおれの内面の一隅に閉じ込めて、先を急ごうとしている。二つといい事はないものよ、というのが母の口癖だったが、それは謙虚に無欲に生きろという母の哲学だった。学者として立つことを決めた以上、やはりおれは由紀をあきらめ、追想に酔うのを止めなければならないのだろう。生きていくとは辛いことなのだ。

 学者として自らを律していくと決めた時、唐津は孤独ということを初めて知ったように思う。そして、孤独を意識して初めて、由紀が恋しいと心から思ったのだ。

「もう、引き返せないんだよ」

 そう唐津は声に出してみる。それは自分へのつぶやきなのか由紀への呼び掛けなのか、彼自身にもわからない。

 学者として自分を措定するという前提自体が、そもそも逆転している、と唐津も思う。自分を自由に展開していくのが、人間本来のあり方だろう。葉子との結婚も欺瞞であり、由紀が今そこまで来ているのに何も起こそうとしない自分も欺瞞でしかない。しかし、欺瞞といえば、多くの経済学説など、都合のいい事実だけから構築した欺瞞の産物、砂上の楼閣でしかないのだ。おれが自信たっぷりの意識を隠して、学生たちに弁じているおれの理論も、いずれは廃墟と崩れ去る虚像でしかないのかもしれない。

 しかし、おれはもう引き返せはしない。

 由紀をあきらめ、葉子をあきらめ、おれ自身をもあきらめて、自分の前に残っている一本の道を行くしかないのだ。 唐津の顔に自嘲の笑いが浮かんだ。

 深夜で黄色の点滅に変わっている信号機が、真っすぐの白川通りの両側にずっと先の方まで続いている。前を行く車もなく、まるで夜の滑走路だ。

 唐津はハンドルを両手でしっかり掴むと、シカゴへ飛んだ時の夜のケネディ空港を思い出した。シカゴでアメリカ国内の学会があり、その分科会の小さなミーティングだが、唐津も話す機会を与えられたのだった。ペーパーをやっとのことでまとめて、ぎりぎり間に合ってのチェック・インだった。窓側の座席に腰を深く入れて、唐津は大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐いた。緊張が解けて、疲れが一気に出てきた。機が滑走路に誘導されてスタンバイしてから、ひときわ大きくなったジェットの音に合わせて、唐津は自分がパイロットになったつもりで、隣の客に日本語がわからないのをいいことに、目蓋を閉じたまま、口の中でぶつぶつ呟いていた。

 計器類、よし。

 前方、よし。

 加速、よーし。

 全速、・・・・離陸OK。

 離陸。

 そして、薄目を開けて横を見ると、唐津の操縦は成功していて、窓からは寂びれたような郊外の夜景が玩具のように広がって見えていたものだ。

 黄色の点滅を繰り返す信号が、道の両側に沿って、なおも真っすぐに延びていた。

「もう、引き返せない」と、唐津はまた呟いた。

 午前三時を回った通りにはほかの車は見当らない。唐津はハンドルを、いや、操縦桿をしっかりと持ち直した。

 計器類、よし。

 前方、よし。

 加速、よーし。

 全速、・・・・離陸OK。

 離陸。由紀、離陸だ。由紀、由紀、・・・・・・

 すっぽり腰のはまり込んだ座席を柔らか過ぎると感じながら、唐津はアクセルを踏み、搾りだすような声で由紀の名前を繰り返していた。それは唐津にとって、今を感傷に浸りきることによって、もうひとりの自分を切り捨てるための儀式なのだ。

 夜になって曇ってきたのか、天蓋には星一つ見えない。果てのない夜の底を潜行していくように、唐津は焦点を結ばないままの目で前方を見据えながら、憑かれたようにアクセルを踏み続けていた。

 

 

 

 

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